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まさか40代で非定型うつ病を患うなんて2

休職することに葛藤

1.診察後、まさか自分が死にたくなるなんて

診察を終え、支払いを済ませ、S心療内科から帰宅するときにK医師に呼び止められた。

「一人で来られたんですか?この病気は診断を受けた帰り際が一番、何かしら事故などが起こるものです。くれぐれもお気をつけて。」

その一声をかけに来てくれたのだ。本当に診断後の事故が多いらしい。それはうつ病によるものなのか、身体の不具合によるものなのか、うつと診断されたことでショックになるのかわからないが、フラフラとして力の入らない自分がいる事だけはわかった。

足取りがおぼつかない中、薬局により薬をもらった。
薬は抗うつ薬のサインバルタと抗不安薬のロラゼパムだ。この2種の薬については今後どこかで話す。

薬局から30分程度だろうか?ようやく帰宅。普段なら15分の道が倍以上の時間かかっていた。そして診断の事を妻に伝えようとしたが、この日は妻が疲れているとの事だったので次の日の朝に話すことにした。それに今衝動的に話すより、私も自分の考えがまとまってから話す方が良いと思い、無理強いをすることを辞めた。

考えがまとまらない中、床に就く。身体、頭はもう何が何だか分からなくなっている。正直、これっぽっちも自分の身体の事なんて考えていなかった。

これからどうしよう

人生詰んだんか?

仕事はもうできないのか?

お金に困って暮らすのか?

子供や妻に不自由な思いをさせるのか?

なんて情けない男だ、消えてしまいたい。

いっそ死んで保険金をもらった方が良いのではないか?

え?消える?死ぬ?あれ?

私は今まで一回も死にたいなんて思ったことがなかったはずだ

私は小学生~高校生までの間、ずっといじめられ、独りぼっちになった事もあった。それでも学校に行き続けて地獄を見た。未だにいじめたやつの名前は憶えているぐらい辛かった。今日は帰って何をしよう。プラモデルを作ろうか、PCで何をしようか?それだけが学生時代の楽しみだった。その時でさえ死にたいなんて思わなかった。根底に死んだらせっかくの人生何もできないという感情があったからだ。

それが覆った。

これで明らかに自分がおかしい事をここで悟った。死んでは何もならない。そして、自分の中で考えがまとまり苦痛から逃れるように眠りについた。

2.自分の意志を妻に伝える

2022年6月2日木曜日の朝、妻と話し合いの場を持った。昨晩考えに考えた末の事だ。まずは診断書を見てもらい、こう切り出した。

「ごめん、身体の調子が悪いから休職したい。」

妻は暗そうな表情だったが話を聞いてくれた。特に会社に行けとか休むなとか、これからの暮らしどうするの?などと言われるかと思ったがそう言うことは一切言わなかった。ただ妻が言ったことで覚えていることは一つ。

「なんかここ最近おかしいなとは思ってたんだよね。」

そうなのである。妻は何かはわからないが私の異変には気づいていたようだった。普段の仕草が違って見えたそうだ。そして金銭面や今後の話は何も言わず「休職してもいいよ。」と言われた時にふっと肩の荷が下りた感じがした。この時の妻の言動には本当に感謝している。ありがとう。

3.休職したい意志を会社に伝える

2022年6月2日木曜日同日、私は会社へと向かった。休職すると意思が固まったことによるものなのか、何とか会社へ行けたのだ。それに休職するにはPCなどの貸与品を返品しなければならないし、面と向かって話をした方が会社に誠意が伝わると思ったからだ。ただ、会社に近づくにつれ足のふらつき、めまいがひどくなってくる。行きの電車は相変わらずの腰痛だ。それでもなんとか会社にたどり着き、上司の出社を待った。

上司が出社してきたところをすぐに捕まえに行き、

「大事なお話があります、別室でもよろしいでしょうか?」

と切り出し、別室へ移動。診断書を見せ、どうしたいのか?と聞かれたので休職したい意思を伝えた。すると上司は、

「ストレス溜まってたんだね、こんなになるまで貯めさせてごめんね。」

と言ってくれた。その時、私の感情があふれ何に対してのどんな感情なのかはわからないのだが、40代の大の男である私が泣き出してしまった。仕事を投げ出してしまい皆に迷惑をかける事なのか、はたまた自分はここでは活躍できなかった事への悔しさなのか、今後どうしていけばいいのかわからない怖さなのか。そのすべてが入り混じって混沌の中、泣いてしまっていたのだと思う。

上司は「少し落ち着いてから席に戻っておいで。まずは総務の部長から、お話ししてもらうよう手筈しとくね。」と伝えて席を外した。その後10分ほど記憶がなかった。

4.会社としての対応

その後、総務部長と話をし今後の流れを話してもらった。有給は使えるところまで使う。その後欠勤扱いにして2022年6月15日~2022年9月14日までの3か月間は冬のボーナス支給分で給与の支払い対応ができるとの事だった。万が一、それ以降まで病気が続くようならそこから休職扱い。2022年の9月15日~2022年12月14日までの3か月間が休職期間になる規定を教えてもらった。この期間は給与は出ないのだが、傷病手当金と会社の社員全員で掛けている団体長期障害所得補償保険で過去1年分給与の平均の9割が保証されるという。金額の6割が傷病手当金で3割が保険だ。保険は傷病手当金の支給期間が過ぎるとその後6か月は給与の8割をしてくれるとの事だった。

ちなみに傷病手当金とは、病気やケガで会社を休んだときに各健康保険組合にあり、病気休業中に被保険者とその家族の生活を保障するために設けられた制度だ。被保険者が病気やケガのために会社を休み、事業主から十分な報酬が受けられない場合に支給される。支給期間は支給を開始した日から最長1年6ヵ月となる。
詳しくは全国健康保険協会の病気やケガで会社を休んだときのページに記載されている。

全国健康保険協会の病気やケガで会社を休んだとき
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/sb3040/r139/

支給開始日以前の継続した12か月間の各月の標準月額を平均した額を30日で割ってそこに2/3をかけた額が支給される。

この事から、傷病手当金+団体長期障害所得補償保険によって、2年間働かなくとも私には何かしら金銭が入ってくる事になり、生活が守られる。

ここから話を戻す。
有給、欠勤、休職を合わせて約6か月間、日付にして2022年12月14日までに復帰できれば会社に戻れることになる。万が一この日を超えてしまったら退職となる。K医師の診断書には3か月と書かれていたので、私はそれぐらいで復帰できるなら御の字と捉えていた。ただ、以前に書いたように診断書には休職が望ましいとしか書かれてないので、診断書は出し直しになった。後日郵送という形を取った。K医師の認識は正しかったのかとここで認識した。

その後部署に戻り、簡単な引継ぎを済ませPC、スマホを返品し、フラフラになりながらも無事に帰路についた。

ここから実質の休職期間となるが、私自身がどれほど甘い考えをしていたのか今後、思い知らされることになる。


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