[見習い日記⑤] ドイツで忍者になったでごさるの巻
今日も忙しいので手短に話したい。
もう20数年前の話。ボクは遠い異国の地ドイツで忍者になったのだ。
当時、時間を浪費するだけの毎日を過ごしていたボクは「なーんかワーホリとかしてみてーなー」という軽いノリで決意した。
衛生的な問題があるアジアはまず除外した。オーストラリアはベタ過ぎるというただの逆張りで除外。結果、ドイツに決めた。しかもデュッセルドルフ。口に出して読み上げたい単語の上位に入るのではないだろうか?「墾田永年私財法」「4番サード 原」と並ぶ程の力強さである。響きの良さだけで決めたのは言うまでもない。ボクは何かを始めるにあたって熟考することはないのだ。
デュッセルドルフには日本人街がある。たくさんの日本人が住んでいて、ラーメン屋や書店、日本の食材を取り扱う商店などがあった。
…知らなかった。きちんと下調べをしておくべきだった。おかげで荷物の3分の1を占めていたサトウのご飯やふりかけ等の存在意義が薄れてしまったではないか。
ホストファミリーのパパさんは地元の新聞記者で顔が広く、バイト先はすぐに決まった。ある日、そのバイト先の店長に「日本人のお前に聞きたいことがあるらしい」と言われ連れて行かれたのは薄汚いビルの中にある怪しげな場所だった。英語もドイツ語出来ないボクに何を聞きたいと言うのか?ボクが即答できるのは徳川歴代将軍かナメック星でポルンガを呼び出す時の呪文くらいだというのに。
看板には「NINJUTU DOJO(忍術道場)」と書かれていた。ヤバい所に来てしまったと本能的に感じた。日本人は全員SAMURAIかNINJAだと思っているに違いない。これは面倒くさそうだ。
そこでボクを待っていたのは日本でガチの忍術修行をしたというガチの師範であった。ガチの忍術とは何なのかよく分からないが、忍術というよりは合気道のような感じだった。チョッキのようなノースリーブの道着がボクの頭を混乱させた。「忍者て道着着るん?」
その日は小さい女の子からおっさんまで10人ほどの生徒さんが練習していた。そして聞きたい事というのは、
「数字の正確な発音を教えてくれ。」
というものだった。「いーちっ!にーーっ!さーーんっ!」などの掛け声のことであろう。「なんでボクなん?…他にも日本人おるやんけ…」。考えを巡らせた。そういえばホストファミリーとご挨拶する時に「柔道と少林拳の黒帯持ってます」と言った気がする。パパさんは顔が広い(すんげーおしゃぺり)ということがここで裏目に出た恰好だ。
練習が終わり、大声で正拳突きを披露したボクの周りには人だかりができていた。調子にのったボクはベタながらも皆に名前を漢字にしてプレゼントすることにした。在りがちな「夜露死苦」や「仏恥義理」などの昭和のヤンキー用語は知性の欠片も感じないので、せめて「悪魔の鉄槌(ルシファーズ・ハンマー)」位のセンスを見せつけてやろうと意気込んだ。
しかし…
イマイチであった。爪痕を残せなかった。こういうセンスはボクには無いのだ。しかし意に反して皆の反応はとても良かった。モニカを吉川晃司としたのが功を奏したのだろう。間違いない。
師範にも大変喜ばれ「今日からお前はここの一員だ。また来てくれ。」とチョッキみたいなノースリーブの道着を頂いた。そこにははっきりとバックプリントで「NINJA」と書かれていたのだった。
こうしてボクは異国ドイツの地で文句なしの立派なNINJAになったのでござる。
この話をするにあたって、少しググってみたら忍術道場はヒットしたもののボクの記憶の中のそれとは違うような気がする。なぜなら建物が真っ赤なのだ。本来ならば影の者であるはずの忍者はそんな所にはいない。確認する術があるとすれば、日本では親しい間柄では感謝を伝える際には「あーーりがーーとさーーん!」と言うと教えてきたので、それだけが頼りである。坂田利夫師匠の爪痕だけはしっかりと残してきたのだ。
忙しい中、たいしたオチのない話をここまで聞いてくれてありがとう。今日はこれくらいにしておこう。それではまた。ニンニン。
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