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[見習い日記①]紀貫之と東山紀之

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」

土佐日記 紀貫之


その時は唐突にやってきたのだ。最近TwitterのTLに流れてくるnote。興味は前々からあったのだが、自分とは関係のない世界。

…のはずだった。

ここ最近のボクは仕事が非常に忙しい。管理する仕事の量も責任の重さも重力加速度的に増えており9.8m/s2をゆうに越えてしまっている。そういった中で様々な問題が表面化してくるのだ。業務連絡や仕事の指示、取引先との窓口、上への報告業務、実際に人手が足りないときには現場で作業もしなくてはならない。とにかく時間が足りない。同僚や部下とのコミュニケーションも稀薄になっていた…。そう、喋り足りないのである。仕事の合間にだれそれ構わずくだらない話やどうでもいい話、とにかく何でもいいので話をしたい。それがボクのストレス解消になっていたのだ。同僚や部下にとっては非常に迷惑だったことだろう。そこでこのnoteの出番である。ボクが話したいことをただ徒然なるままに書くことにした。そう、次はあなたがボクの話を聞くことになるのである。

さて、本筋に戻そう。

何かを始めるにあたって気楽な感じで始めたいと常々思っているし実際にそうしてこれまで生きてきた。気楽に始めれば気楽にやめられるからだ。毎朝のカスピ海ヨーグルトや寝る前の腹筋ローラーなどが最たる例である。ボクは怠惰の化身なのだ。

そこで冒頭の「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」である。

なんとも軽いノリではないか。すごく軽い。こうでなくてはならない。実際の意味合いはよく分かってはいない。ただこの文の奏でる音から来る「軽さ」は平成8年前後のコギャルをイメージさせる。是非渋谷センター街のコギャルをイメージしながら冒頭部分を読み返していただきたい。ちなみにボクは片田舎住まいなので渋谷センター街など行ったことはない。せいぜい平成8年頃にはまだあった熊本交通センターの地下街「センタープラザ」くらいである。

話はまた少しそれるが、土佐日記の作者「紀貫之」はどういった人物なのかイメージしたときに、ボクは「東山紀之」が出てくるのである。大河ドラマで「紀貫之」をするときは起用されるに違いないとさえ思えるのだ。理由はただ1つ。字面である。他意はない。そもそも紀貫之について何も知らないし東山紀之についても阪神ファンであること以外は何も知らない。



土佐日記に関して言えば、当時女性が使っていたとされる平仮名を使うために女性のフリをして書いたとかどうとか。ネカマの先駆けではないか。それこそ平成8年前後のインターネット創成期にはたくさんのネカマが存在したものだ。キッコーマンの豆乳飲料のように色んなタイプのネカマが存在したのである。こうしてボクの中の「東山紀之」は必然的にネカマのイメージが定着していくのだろう。

初回にしては長く喋りすぎた。ボクは忙しいのである。何の脈略の無い話をここまで聞いて(読んで)くれてありがとう。次回もこうして話を聞いてくれるとありがたい。

最後に感謝の印として1つ耳より情報を。

キッコーマンの豆乳飲料の中でボク的イチオシは「レモネード」である。是非おためしあれ。

これマジで旨いんすよ

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