【小説】夢現回廊 ep.1

※昨日言っていた中編小説ではありません。
今日思いついてからの、書いて出しです。
更新は不定期になる(はず)です。


20X9年 10月

 僕は母、そして友人Kの三人で、ツアーでイタリアにいた。父親は脳卒中からのリハビリに勤しんでいて、退院の許可も降りていたが、病気以前に多額の借金や不倫を起こした罰で、日本のリハビリ施設にに置いてきていた。
 もっとも、僕は父に罰を与えることも、父に内緒でイタリアに行くことも反対していたが、母がそこを譲らなかったのである。反省させなければならない、と。
 イタリアは憧れの国の一つであった。その文化や芸術、あるいは食に、子供の頃から親しみを持っていた。例えば、今いるピサの斜塔もそうであったし、昼食に頂いたパスタも。
 高い斜塔の屋上には、転落しないよう、後世の人々による金網が張られている。その隙間に携帯電話のカメラをはめ込み、その風景を撮影する。それは母も友人Kも、同じツアーの他の客も同様にしていた。
 慎重にそこから中の階段を降りると、下で高所恐怖のために登るのを断った面々が出迎える。上で撮った写真を見せながら、僕たちは斜塔のある広場を去って行く。

 今は携帯端末一つで、瞬時に世界と繋がれる時代だ。帰りのバスで、写真を撮ったのと同じ携帯電話で、画像投稿専門のSNSを立ち上げ、斜塔の写真をアップロードする。
『ピサの斜塔に行ってきました!』
 写真を加工し、自分の顔を隠して、斜塔を支えているように撮影したものも。一方で、窓側の隣に座るKは、携帯端末は持たず、窓から見えるオリーブ畑をぼんやりと眺めていた。
 空が茜色になる。どこかで見たことがあるような色だが、こんな特別な時間でないと、その美しさに気付かないのは、いつも忙しなく動き回る人々に対するアンチテーゼなのかもしれない。「……ナツ」
「なあに」
 Kが小声で、不意に僕のあだ名を呼んだ。僕の下の名前は夏華、だから「ナツ」。
「お前は、本当にイタリアに来たかったのか?」
 返答に困った。Kには、父のエトセトラについては伏せてある。ただ、数少ない僕の幼馴染かつ理解者で、家族ぐるみで付き合いがあり、母の方から「一緒にどう?」と声を掛けていた。そう、事情を伏せて。
「なんでナツの親父がいねえんだ。お前の親父さんは、旅行が好きなんだろう?」
 それは事実であるし、父がトラブルを起こしたことも事実である。だが、バスの前の座席では、僕の母が起きて携帯端末を触っていた。いくら気心が知れた相手でも、この場で安易に明かすことは憚られる。
 答えられないでいると、ノー、なんだな、と勝手に結論づけられた。「はい」、「いいえ」で答えられる質問に答えないことは、通常肯定とみなされる。そのため、否定をとったKに対し、僕は目を大きく見開いた。
「どうしてそう思った」
「直感だ」
 Kはそれ以上語らなかった。眠かったのかその目がすっ、と閉じられる。何だったんだ、と思いつつも、その場でそれ以上僕がどうこうすることはできなかった。

 夕食は鶏肉を焼いたものがメインで、その後は次の日の移動に向けて荷物を整理し、それから今日一日で溜まったメールを確認する。仕事のメールは帰国してから応答するとあらかじめ取引先に予告しておいたので、それ以外のものを。
 すると、私用のフォルダの中に、仕事の同僚からのものが入っていた。
『私用ですいません! 仕事じゃないですよ!』
 その同僚は、職場の盛り上げ役で、そのメールのタイトルも、そのテンションのままだった。
 彼女は年齢では僕の一つ下に当たる。僕が休暇を取っていることも知っている。何事か、困ったことでもあったのか、と思ってメールを開くと、本文は「たすけて」の四文字と、たった一つのURLだった。
――なあんだ、スパムかよ。
 つい一ヶ月前、新手のスパムメールが流行していると、社内で勧告があったばかりだ。救援を求める文言と共に、不審なURLが送られてくる。うっかり押すと、携帯端末のシステムが乗っ取られ、大量の不正な情報通信を行うようになってしまう、と。このメールはまさにそれに当てはまっていた。
 それは彼女のパソコン用のメールアドレスから送られてきたものだったが、果たして彼女はこのURLを踏んでしまったのだろうか。乗っ取られてるかもよ、とだけ返信しておいて、僕は睡眠用の音楽を携帯電話で流しながら寝た。

 そこは真夜中の渋谷だった。スクランブル交差点の信号機に灯はなく、商業施設の明かりも完全に落とされているが、ただ唯一、選挙カーだけが煌々としていた。僕はKとともにそこにいたが、他にも見覚えのある顔がある。皆成人しているようだったが、僕は彼らと知り合った時期を問わず、その相手をそれと認識できるようだった。
 小学校で隣の席だったアキラくん、金管合奏部の部長だったエリナちゃん、中学での初恋相手のゲンキくん、途中から学校に来なくなったカノンちゃん。高校で同じ漫画が好きで意気投合したハルエちゃん――
 そして選挙カーの上には、僕たちの世代の星、トップアイドルの『ななえ』がマイクを持って立っていた。
「ここに集まってくれたみんな、本当に本当に、本当にありがとう!」
 彼女が白地に赤いリボンのアイドル衣装で叫ぶと、一気に交差点はわあっと盛り上がる。
「聞いている通りだけど、この世界は、ボクたちがどうにかしないと終わってしまうらしいんだ。悲しいよね。だから、そうさせないために、皆の手元にある、0001から9999の謎を、手分けして半年以内に解いて欲しいんだ! ボクたちならきっとできる! いや、ボクたちじゃないとダメなんだ!」
 鞄に入っていたタブレット端末を点けると、白い画面に『0012』の黒い文字と、問題文が見える。Kも同じようにタブレットを開いたが、数字と文言は違うようだった。
『次の朝食の飲み物はエスプレッソを選べ。砂糖を二本、ミルクを一つ入れて混ぜよ。やがてその表面に現れる文字を答えよ』
 コーヒーは嫌いではない。むしろ大好きだった。それで世界が救えるなら応じてやろう。隣のKは、黙って画面を僕に見せてきた。
『0027:ジェラート屋に行って、好きなものを一番小さいサイズで買ってその場で食べなさい。その時ひったくりが現れるが失敗する、そのバイクの四桁のナンバーを掛け合わせよ』
 他にも一人につき、一つのタブレット端末が与えられているようだった。『ななえ』は再び叫んだ。
「大人たちって本当に汚い! きたないんだ! ボクたちが綺麗にしてやろうじゃないか!!」
「うおおおおお!!」

――なんだ、夢、か。
 いつもリアルな夢を見るのだが、今日のもまた、やけに現実感のある夢だった。内容もはっきりと覚えているが、世界を救うとか、大層なことを。
――エスプレッソに砂糖二本、それとミルク、か。
 別に夢に出てきたから、ではないが、不思議とその行為をしてみようと思った。それだけ実行可能なものだった。だからと言って、何かが起こる訳でもないだろうが。
「おはよう」
「おはよう」
 母とKも起きて、二人とも大きな欠伸をする。身支度をして、食事会場に降りると、コーヒーマシンの前には行列ができていた。中国語も聞こえる、どうやら他にも団体客がいるらしい。
「お前はコーヒーか」
「当たり前でしょ」
「よく飲めるな」
 Kはコーヒーが苦手だった。二日前、カフェで母と頼んだエスプレッソの僕の分を、試しに一口だけ飲んだが、すぐに「苦い、苦すぎる」と言ってレモネードを飲んでいた。
 列に並びながらその光景を振り返っていると、順番が回ってくる。エスプレッソ用の小さなカップに、一杯分を機械にオーダー。濃く抽出された液の入ったカップをソーサーに乗せ、二本の砂糖と一つのミルク、小さなスプーンもそこに乗せて席に運ぶ。今日の朝食は焼いたベーコン、スクランブルエッグ、パン、それにサラダとポタージュの小皿。
「いただきます」
 母とKとの間に座り、試しに夢で見たように、砂糖とミルクを入れてかき混ぜて放置する。空腹もいいところだったので、先にパンにバターを塗って食べていたが、やがてエスプレッソのミルクの線が、円形にかき混ぜたにしては奇妙な動きを見せていることに気付いた。
――あれ?
 文字が現れる、と問題文では言っていた。どんな言語の、とまでは言っていなかったが、そこには確かに、ギリシア文字の「ζ」(ゼータ)が形成された。
――いやいや、ちょっと待てよ。
 夢の中の話だったはずだ。その話を覚えていて、それを軽率に実行しただけだった。それなのに、人為的に作ったのではない「文字」が、コーヒーの表面に現れるなど。
――ただの偶然だ。
 僕は怪奇現象を信じない。気持ち悪かったので、左手に持ったスプーンでその文字を粉々にしてから、エスプレッソを口にした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?