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「オトラジ小説コンテスト」で受賞作に選んでいただきました。
なななななんと、わたしの短編小説「白熊」が、「オトラジ小説コンテスト」の受賞作の一つに選ばれました!!
――やったあ!! めちゃくちゃ嬉しい!!!
「オトラジ小説コンテスト」というのは、『石田衣良 大人の放課後ラジオ』の番組内で行われた小説コンテストです。
『石田衣良 大人の放課後ラジオ』(通称「オトラジ」)は、小説家の石田衣良さんを中心に、プロインタビュアーの早川洋平さん、声優コンテンツを
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第16話)
気がつくと、順蔵の部屋の天井が見えました。
往診に来て下さったらしい白衣のお医者様が、診療鞄を片付けているところでした。
「おそらく過労が原因じゃろう。ブドウ糖を注射しておいたが、とにかく暫くは絶対安静じゃ、わかったな」
それが癖なのか、右の人差し指でしきりに度の強そうな黒縁の眼鏡を押し上げながら、お医者様が順蔵に話している声が聞こえました。
お医者様は、こまごまとした注意を与えて下さって
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第15話)
カフェー〝チロル〟は、順蔵の狙い通り、芸術家気どりの若者の溜まり場になりました。
正直、わたしは〝チロル〟の常連さんたちが嫌いでした。
ここにくる人たちは本当に芸術家になろうとしているわけではなく、ただ芸術的な雰囲気に酔っているだけなのだ、という気がしました。
小説家志望と言いながら、指にペンだこもなく、インキで汚れてもいません。
そんな手で長い髪を掻きあげながら、横光利一の『上海』
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第14話)
「あの芸者上がりのおかみさんに、さんざん愚痴をこぼされて参ったよ」
武雄兄の顔には苦笑いが浮かんでいましたが、その眸にはわたしを思い遣る気持ちが溢れていて、わたしの目から自然に涙が零れました。
「泣くんじゃない。シメ子にゃシメ子の考えがあるじゃろうし、それなりの理由もあるんじゃろう。わしも正直言うて……名前はなんじゃっけ? ああ、お住さんか。あの人にゃあ、あまりええ感じは持っとらんかったけぇ、別
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第13話)
お昼に福屋の前、というのが順蔵に指定された時間と場所でした。
福屋というのは、その前の年に広島で初めて開業した百貨店で、〝ただで乗れる〟エレベーターだけを目当てに福屋に来る人も多く、エレベーターの前には長い長い行列ができていました。
順蔵はわたしがこういうものを喜ぶと思い込んでいたようですが、実はわたしは人が蝟集しているところが苦手で、なんだか人いきれで頭がくらくらするようでした。
ようや
『太宰治は、二度死んだ』第二章・広島篇(第12話)
「せっかく仕事にも慣れてこれからって時に、辞めるなんてあんまりじゃないのかい? 誰のおかげで一人前にしてもらったと思ってるのさ。いや、あんたなんてまだ一人前でもありゃしない、せいぜい半人前ってとこさね」
お住さんの険のある声が、俯いているわたしの頭の上に降るように浴びせられました。
わたしはどんなに棘のある言葉をぶつけられても、ただ、
「すみません、堪忍して下さい」
と繰り返し頭を下げること
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第11話)
資生堂パーラーを出た後、修治さんはわたしを家まで送って行くと言いました。
わたしのアパートは内幸町にあるので歩いて行ける距離なのですが、あの安アパートを修治さんに見られるのが、なんだかいかにもみじめで厭でした。
ふと思いついて、
「ねえ、今日はわたしと徹底的にお上りさんになってくださらない? 二人で銀ブラと洒落てみましょうよ。よくって?」
「とんだモガとモボだな」
修治さんはちょっとくす
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第10話)
「さっきの劇だけど、どの場面が一番印象的だった?」
修治さんとわたしは、資生堂パーラーにいました。
真っ白なお皿の上に置かれた細長いグラス。
中には澄んだレモンイエローのソーダ水がたっぷり満ちて、上には妖精の卵みたいに可愛らしいアイスクリームが浮かんでいます。
それを蔓草のような形をしたスプーンで少しずつ口に運んでいると、なんだかお伽の国の食べ物みたいでした。
せっかくの資生堂パーラーの
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第9話)
あ、という声が姐さんの喉から洩れました。
神聖な儀式に参加するようなつもりでいたわたしは、その声の生々しさにびっくりしてしまいました。
その時です、姐さんの身体の奥で音がしたのは。
あるいは音というより、骨と肉の間から生じる一種の震えのようなものだったのかもしれません。
とにかくそれは、抱きしめられているわたしの身体にはっきりと伝わりました。
瞬間、姐さんは狂ったようになりました。
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第8話)
わたしは、とりあえずお島姐さんの部屋に泊めてもらうことになりました。
姐さんのアパートは下谷にあります。
円タクの運転手さんが親切で、わたしを抱きかかえるようにして、二階の姐さんの部屋まで運んでくれました。
姐さんの敷いてくれた蒲団に横になると、間もなく解熱剤と痛み止めが効いてきたようで、わたしはぐっすりと眠りに就きました。
枕に姐さんの髪の残り香があるのも、わたしを安心させた理由の
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第7話)
「あつみちゃん、ちょっと靴下脱いで見せなさい」
仕事がひけるやいなや、お島姐さんはわたしを控室に引っ張り込んで、そう言いました。
「何よ、姐さん」
「いいから。見せなさい」
否も応もありません。無理やりわたしを畳の上に座らせると、足首のところを摑んで持ち上げるようにして、靴下を脱がせました。
姐さんはそれでもそっと脱がせてくれたのですが、足の裏にべっとりと靴下が密着していたために、皮を引き剝
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第6話)
「外はみぞれ、何を笑うやレニン像」
また、雨が降っていました。
わたしはそっと傘を修治さんに差しかけました。
修治さんは背が高いので、傘を差しかけるには、わたしは爪先立ちになって背伸びしなければなりません。
修治さんはわたしの手から傘を取って、二人の上にちょうど半分ずつになるよう広げてくれました。
「夏なのに、みぞれが降るんですか」
「東京は冬でもあまりみぞれが降らないね。僕の故郷では、冬
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第5話)
七月に入って間もなくのことです。
どやどやと五六人の、学生さんらしい一団がお店に入っていらっしゃいました。
その中の一人を見た時、思わずわたしはあっと目を瞠りました。
〝津島修治〟と名乗ったあの方でした。
皆既に酔っているらしく、東北訛り丸出しで話していました。そして津島さんを、〝若様、若様〟と歯の浮くような調子で呼ぶのです。
その癖、若様である筈の津島さんは、気弱く微笑みながら聞き役に
『太宰治は、二度死んだ』――おまけの話(改造社版『葛西善蔵全集』)
現在連載中の『太宰治は、二度死んだ』の第3話で、主人公「あつみ」の愛読書として改造社版『葛西善蔵全集』が出てくるのですが、実はこれはわたしの蔵書の一つでもあります。
昭和五年(1930年)の主人公がどんな本を読んでいたのか、令和の世を生きる皆さんにわかっていただくために、写真を数葉、ご紹介したいと思います。
奥付には、「昭和三年八月一日印刷」、「八月三日発行」と記されています。初版本です。
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第4話)
大正元年十二月二日生まれのわたしは末っ子で、姉が三人、兄が二人おります。長姉が一番年上で、わたしとは十六も年が離れていました。
わたしと一番仲がいいのはすぐ上の兄の武雄で、年は三つ違いでした。
大正十四年四月、わたしが広島第一高女に入った年、武雄兄は父との思想上の対立から、広島第二中学校を中途退学し、自分から家を出てしまいました。
知り合いの理髪店に住み込みで弟子入りし、誰にも頼らず自分の
『太宰治は、二度死んだ』第一章・東京篇(第3話)
あの晩から二週間ほど過ぎ、わたしが津島修治さんのことを殆ど忘れかけた頃、意外な人がわたしを訪ねてきました。
最初はただ、お友達と二人連れで来た学生さんというだけで、そのうちの一人がまさか兄に頼まれてわたしの様子を見にきた旧知の方だとは、夢にも思っておりませんでした。
一人は珈琲を、もう一人はココアをご注文になったのですが、そのココアを飲んでいる方の学生さんが、ちらちらとわたしの方を見