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【芥川賞候補】「臭い人」をテーマにすると、いろんな感情が湧き出る! 高瀬隼子「水たまりで息をする」

街中やお店の中で、異臭のする人からそっと離れた経験はありませんか。私はある。
困ってる人は助けたいと思っているのに、臭い人からは考えるまえに離れてしまった。

「水たまりで息をする」は、会社生活の疲れか、夫が突然風呂に入らなくなる話だ。
昨日まで平気だった水道水が臭い、飲めない、さわれない、と突然言い出してだんだん臭くなる体で会社勤めをするようになるが、周囲の人も異常に気付かないわけはなく、生活が変化していく。

これはこわい。夫の体も心も問題なさそうだけど、何か異変が始まっている。
ゴミ屋敷に住んでる人や、何もないけど奇声をあげている人の、最初の一歩はこんな感じで始まったじゃないか。と想像してしまう。夫が「ああいう人」の側に行ってしまう。

突然水を受け付けられなくなるという、人によっては「ありえる!」と思える設定をよく見つけたもんだ。私は親族で、肉や魚が急にくさく感じて食べられなくなった人を知っている。去年までなかった花粉症のような。

匂いのする人への差別意識を突かれた感じもある。
まあ、匂いのする人というかぶっちゃけホームレスだ。ホームレスの中でも特に近寄れない人がいる。
臭い人と、ちゃんと近寄って目を見て話して助け合えるか。ずっと小説に問われている気がする。

テーマだけでいろんな感情を想起させる。ストーリー展開よりも、意識して考えたことのないことを考えさせてくれるのが良かった。最初は夫の心の健康を心配しているのに、いつのまにか臭さより世間の目を気にしている、気持ちの変化のなぞり方がうまい。


この小説と作者の出自が関係あるかは微妙だけど、作者は私と同じ四国出身。
地方出身者はホームレスを見慣れていない。

完全に持論だけど、四国ではホームレスになる人をお遍路さん文化が受け止めている。汚れた服を着ていても寺のあたりを歩いていれば接待される文化があるし、むしろ尊い者として見られる文化がある。

南無…って書いてる白衣の金髪白人には慣れてる。だけど、汚れた服でじっとしている人にびっくりしてしまう。
都会で、テレビでよく見る混雑や高層ビルは見慣れてるのに、ホームレスを見たとき「これはテレビで映してなかったの?」「みんな慣れてるの?」と、そっちに驚いたりする。

臭い人を書くって着眼点も、田舎のきれいな水が夫に救いをもたらす展開も、地方出身だから生まれた着想だ。

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。