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「三体Ⅱ」が面白すぎて他のことが書けない

宇宙人と三国志の話をするSF小説です。

ぼくはゲームバカなので、読書は好きだけど本がゲームの「夢中」を越えてくることはめったにない。
絵があって、音があって、他に目がいかないようにコントローラーを握らされた状態で遊ぶゲームという娯楽に慣れてしまって、なかなか読書がゲームを越えてくることがない。

なのに、前作をほとんど忘れている中国のSF小説「三体」が越えてきた。数ページ読むたびに、本を閉じて「ああっ」て宙を見上げ、何光年かむこうに展開している宇宙船のことを考える。

この文章は、「三体」のネタバレをほんのちょっと含みます。
あと、まだ読み終えてないので、読書感想文でもレビューでもなんでもないです。

学生のころなら教室で「これ好き!お前も読め」って叫べるんだけど、そういう場所がない!近所で叫ぼうか!あっでも通報される! だったらここに書くことにしました。すいません。

前作を超超大ざっぱに説明すると、宇宙のかなたに存在する超文明が来るぞって話。
それ自体はよくあるシチュエーションだけど、主要人物が文化大革命を経験して、環境破壊も見てきて、地球の人間を信じられない。そんな人が、「かれら」の存在を知ってどう思うのか。
いっぽうそのころ、謎の超難解VRゲーム「三体」が噂になるが、ゲーム攻略サイトやファミ通の特集も組まれておらず、レディ・プレイヤー1ぐらい無理ゲーであった。


「三体Ⅱ」では、地球人類を遥かにしのぐ文明が接近してくることがわかっていて、地球は数百年後に滅ぼされるとした中での人間模様が描かれる。

どんな存在が来るにしろ、当面、自分が生きている間は影響なさそう。
「自分はそのころ、もう死んでるから関係ないや」
と、思ってしまう人もいれば、未来の人類のために宇宙軍をつくる動きもある。

自分たちは宇宙船の設計図すら見ることができないかもしれないけど、子供や孫世代が引き継いで、いずれ敵対する異星人と出会っても人類が生存することを信じる、数百年規模のプロジェクト。

自分が死んだあとの世界を想像できるか?
何世代もさきの未来に生きる人を思いやれるか?
そもそも地球人に、人生に、そこまでの価値があると信じられるか?
いろんなことを考えてしまう。

それでいてエンタメ。
三国志の話もでてくる。
宇宙からの訪問者が三国志を解読しようとするが、地球人との、ある性質の違いによって難解ととらえられる。
中国っぽくてSFと関係なさそうな題材が、はるか未来の社会と地続きになっている。「そうそうそれそれ!欧米人の出せない味!そういうの読みたかった!」となってこれもまた嬉しい。最高!


読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。