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【ゲーム日記】日本のゲームは神を使役し、欧米ゲーは神自身になり、インドでは神にお慈悲をいただく。「ラジィ古の伝説」

昔のゲームのお姫さまは、さらわれるのが仕事だった。
「じゃ、冒険の動機付けのためにさらわれてくるッス」みたいにカジュアルにさらわれていた。

だけど、現代のインド人の感性では「誘拐」が軽いものではない。

「ラジィ古の伝説」というゲームを買いました。

開発はインドのNODDING HEADS GAMES。テヨンジャパンが配信。
インド舞台だとボリウッド映画イメージの陽気なものや、貧困層のつらい現実をテーマにしたものと両極端になるけど、本作はちょっとファンタジー風味があって、美しく外国人にもわかりやすい、インドの神話に興味を持つきっかけになりそうなロマンチックな世界観だ。

曲芸師の主人公は、悪霊にさらわれた弟を助けるために、シヴァやヴィシュヌといった、無知なぼくにも聞き覚えのある神々に弓や槍をさずかって戦う。

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神は壁画と声で登場して力を授けてくれる。特殊なパワーが自分の中じゃなくて壁の絵に溜まっていくのが新鮮。

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「マンダラパズル」など簡単な謎解きもインド感を入れてきておもしろい。神々自身が登場しなくて、人の描いた絵や声でのみ表現される(現時点では)神と人との距離感がほかとちがう気がする。

神々と人間の関係性の違い

テレビゲームには、かんたんに神様が出てきて人を助けてくれるけど、「ラジィ」は神々がとてもえらい。

当たり前や!と思いそうだけど、
欧米のゲームだと神や悪魔本人を操作するし、
日本のゲームだと神様が現代社会に顔を出すイメージ。
ラジィはカメラ引きぎみの「ゴッド・オブ・ウォー」みたいな操作で、ボタンの組み合わせでいろんな武器の振り方ができる。
ゴッド・オブ・ウォーは北欧神話ベースで神自身を動かす。インド的感性だと「それはない」んじゃないか。

難易度は選択不可。壁蹴りを使った多彩なアクションでザコ敵は一掃。ボスは距離によって攻撃方法を切り替えて、何度も倒れながら突破口を探す。苦難のさきに神々のお慈悲があるのだ…。

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マリオはもう誘拐事件に慣れている

「ブート・バザールの少年探偵」の知識でしかないけど、インドでは子供の誘拐が深刻だし、アメリカでもスクールバス登校が当たり前になっている。

それに比べるのもなんだけど、ファミコン時代に、ピーチ姫がさらわれたり、魔界村でもドラゴンクエストでもお姫さまがさらわれていたけど、プレイする子も「誘拐は時間がたつほど生存率が…!」とか深刻に考えたことなかったのは、牧歌的な時代で良いというか、子供がそんなこと言い出したらら怖い。

さらわれた人は、悪者を倒したら帰ってくるのが当たり前で、身代金とか安否の心配をしたことがない。
(ロックマンが、暴走した兄弟ロボットたちを破壊しないといけない哀しい筋書きにしたことはもっと評価されていい。博士がさらわれた、でも別にいいのに)

ラジィがさらわれた弟の乗った馬車を見つけて、追いつけずに名前を叫ぶシーンがある。ピーチ姫がさらわれるのと、インドで家族がさらわれることは別物。映画ではありそうな場面だけど、アクションゲームではすごく新鮮。

ちょっとした演出やセリフ回しにお国柄が見えるのが面白い。
アクションと同じぐらい面白い。そういうのを見ることが、知らない海外のゲームを買う理由だったりする。

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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。