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個人自由研究-言語の世界-

私は日本語、英語、韓国語のトリリンガルだ。自分が話す分には、コミュニケーションをとる分には不自由はそこまでないのだけれど

"〜を訳して!"と言われると、黙り込んでしまうときがある。
"うまく訳せないな…."

こんな場面が山ほどあって、その度に"バイリンガル、トリリンガルの人はポンポン訳せるものなのか?""自分の言語能力が足りないだけ??"というモヤっとした疑問があったのだけれど、この本を読んでかなりすっきりした。

多言語を話すということは1人の人の内部に2人や3人のモノリンガルが存在して、はっきりとした部分に容易に分割できるものではなく、全体として1つのコミュニケーションをとる存在であり…..

バイリンガルの世界へようこそ


多言語話者(Polyglot)は、それぞれの言語全てに"同等かつ完璧な能力を持つわけじゃない。"多言語話者、その時々"場面""相手""分野""目的"に合わせて柔軟に言語を使い分けるコミュニケーション主体であること。

わかる〜〜〜!わかりすぎる〜〜〜!図書館で借りてきた本だからマーカーはつけられないけれど、心の中でガンガンマーカーを引きまくりました。
この本を読んだら、自分の中に蓄積されていた言語に対する考え方がドーッと溢れ、書かずにはいられなくなったので書きます。

日常における言語の上がり下がり


私の3言語の能力は、生活の出来事に影響されて、活発に変化する。体調、気分にもかなり左右される。その1日にどの言語に一番触れたかが、私にとっては大きい。"はあ…..今日全然英語でないじゃん、韓国語でないじゃん"ってて落ち込むことも度々だけれどもう仕方なくないか、それは。人生の時間は限られているから毎日規則的に、平等に3つの言語に時間をかけるなんてことは、出来っこないんです。

気分と言語

私は毎日日記をつけている。日記を見返すと、自分の中に流れる言語が日々変化していることが見て取れる。英語にたくさん触れた日は英語で感情を綴り韓国語にたくさん触れた日は、韓国語で感情を綴る。自分が持ち合わせている3つの言語の中から自分の状態・感情・気分にぴったり合う表現を自由に選ぶ。(無意識に)だから私は日本人で、日本で生まれ、日本で育ち、日本の教育を受けたからといって私の人格全てを日本語で表すことができるかと言われれば、それは無理だろう。日本語だけでも、英語だけでも、韓国語だけでもダメなんだと思う。

"Set boundaries"
"Get the system"
"We are digging deep to expand the universe"
"We are on the same page"

最近私が日記に書いた言葉たち。これを日本語では訳せない、訳せたとしても気持ちの熱度・鮮度が微妙に変わってくる。

近い言語、遠い言語


バイリンガルから、トリリンガルへ。西洋の言語と、東洋の言語を学んだことで文化の近さと言語の学びやすさは比例すると、知った。Language and Culture go hand in hand.!(言語と文化は切っても切り離せない!)よく聞くでしょう?でも自分で実際に体感すると"オ〜〜〜〜!!!!"と叫びたくなる。近い文化の言語は学びやすい。遠い文化の言語は時間がかかる。

英語圏の文化と日本の文化はかなり違うものだ。いくら英語のテストで満点が取れたとしても、実際のネイティブと話すと頭にハテナマークを常に浮かべてたり、話せないとむしゃくしゃする自分がいた。そ 日本人の考え方にそもそもない表現がワンサカ湧くように出てくるんだもん。

きっちり文法と単語を身につけてある程度のところまで勉強したら、あとはネイティブと話した時にについていけなかったりしても気楽に構えればいいんじゃないかと思う。そこから先はもう文化の勉強だと割り切って。

ドイツにいた時に、多くの国の人がいる中で韓国人と仲良くなった。韓国語と日本語は文法は基本的に同じだし、単語も似ているものが多い。漢字圏の文化だから。

"(日本語脳:これを言いたい!)
→(韓国語脳検索:ヒット!ぴったりの語を発見!)
→(英語脳検索:該当なし。→違う言い回しに変換)
みたいになるわけですよ。母国語で感じる気持ちにぴったりの言葉があればあるほど自分の感情をより明確に表現でき、相手にもそのまま伝わるのだから。だから言語的・文化的に似ている韓国人とは仲良くなりやすいんだな〜と韓国語を勉強して納得。その当時は韓国語を一言も話せなかったが、母国語が似ていると英語で話したとしても"英語の言葉選び"も似てくるから、理解しやすかったんだ!

1つの単語や文に対して、一つのぴったりくる訳がくるのだろうと、考えている人もいると思うけれど、言語はそんな単純なものじゃない。

言語の仕事について


私の職業は今、日本語と英語の先生だ。振り返れば言語にまつわる仕事を色々やってた。(通訳、翻訳、大学の言語交換ルーム運営、英会話ラウンジ運営等々。)"自分の大好きな仕事をしているね" そんな風に言ってもらうことがあるけれど、私が一番好きなことは自分自身が"言語を学んだり、勝手に研究したりすること"。笑自分が韓国語とか英語を勉強していたり、話したりすることが何より大好き。笑別に教えること自体が元々大好きで、それを目指してきたわけじゃない。

私の"興味のバケツ"の、"言語に対する興味という水"。それが溢れて、仕事という形になってくれたという感じ。(これは、本当にありがたいことだけれど。)自分自身が永遠に学んでいる立場だから先生という立場でも生徒さんの気持ちに寄り添えたり、共感できたり、できるのだとも思う。だから、仕事が大切で、ありがたいものであることはその通りなんだけれど、仕事が自分、自分の幸せの全てではないと思っている。自分の"言語の世界を探求・追求、極めていく"過程の中に、仕事もある。そんな風に思っている。

発音について


発音がよかろうと、悪かろうと話せれば関係ない人もいるけれども、私は発音オタクだからこだわってしまう。発音が悪く聞こえるのは、その言語の習得初期で外国語の音に母国語の音をはめて覚えてしまったからだ。

안녕하세요 は アニョハセヨではなく、안녕하세요 であり、
Hello はハローではなくHello なのだ。

その国の表記で、音を自分の中に入れること。私は、舌・顔の筋肉・唇を細かくみてその音を出す練習をする超マニアックタイプ。我ながら超オタクすぎて笑う。外国語を学ぶときは、自分の母国語の音に当てないで、"新しいものとして"その音を受け入れて、練習していく。先生という立場で、日々生徒さんと接しているとそんな風に願うけれど、それは個人の好みの問題でもあるから、この考えを押し付けないようにしている。

今回の個人自由研究まとめ


(というかコメント)言語の世界は本当に奥が深いので、一生かかっても探求に終わりは来ないと思う。笑また探求して行くうちに、上に書いたことが"なんと浅はかな!"と思う日がくるだろう。笑その過程を面白がって、この世界を極めていきたいです。

I was born to do this!:)

この間見た、生命力溢れる空。

Minami


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