見出し画像

11月11日早朝イワオが死んだ


大切だった。人生で一番愛した動物だった。沢山色々飼ってきたけど、イワオ程大切だった鳥は居ない。
そりゃあ、いつかはイワオも死ぬ。でもイワオはまだ7ヶ月で、死ぬのは何十年も先の事で「今」ではないはずだった。
自給自足で生きていくと決めた時点で全ての家畜は、最終的に「肉」になる事が前提だから、最終的にはイワオだってそうなった。

早朝に騒動があった。イノシシが数頭小屋の近くまで来ていて、それに驚いたイワオが柵を超えて飛び出した。エミューはパニックを起こすと暴走する。だから柵の作りは頑丈でなければいけない。高さも必要だし、柵には足が掛けられる場所を作ってはいけない。足が掛かれば柵に高さがあっても超えてくるからだ。
だから柵を作る前にオヤジ(元旦那)に言った。「イワオ達の柵は頑丈で完璧に作らなきゃダメだよ。」と。
私が小屋に不在の時や夕暮れから明け方までの時間に今回のような事が起こった場合、イワオ達の生命に危険が及ぶからだ。
これまでもオヤジの「手抜き・いい加減・家畜に対する意識や思いの低さ」によって、たくさんの家畜を失ってきた。野生動物に小屋に侵入されて一晩で4羽失った事もあった。妊娠していて出産が迫っていた羊もオヤジの管理が甘かったせいで死んだ。それだけじゃない。畑もダメになり種も何もなくなり、積み上げてきた事が一瞬で消え去った。本当に書き尽くせないほど失った。
イワオだけは失いたくなかったから執拗に「柵作り」については言ってきた。
で、このざまになった。
オヤジは自分の失敗や手抜きを認めない。どんなに私がそれらによって心が痛んでも絶望しても他人事にしかすぎない。そんなクソと27年も一緒に居たんだから自分も本当にクソだと思う。
いつかは変わってくれると思っていた。いつかは足取りが揃うはずだと信じていた。

11月11日、まだ辺りが暗いうちにその騒動が起こって私は飛び起きた。「音と振動」でイワオが柵から出た事が直ぐに分かったから外へ出たけど暗くて周りが見えない。でも、イワオの気配が近くには無い事は確かだった。犬のテツはイワオを追って行った。それも「音と振動」で分かっていたから、大変な事にはならないだろうと思って少しだけその場で待っていた。だんだん明るくなり、私は”最悪の事態”に備えてナイフを持ってイワオを探し始めた。どれだけ探したか分からないけどテツが現れた。
「テツ、イワオは?どこに居るの?連れてって!」というとゆっくりと動き始めイワオが居る場所に案内してくれた。イワオは首にケガをしていて、それは致命的なレベルのものだった。何があったかはわからない。
”最悪の事態”というのはそういうことだ。致命的な事が起こった場合は早く楽にしてやれるように・・・・そういう意味でナイフを持ってきた。
今にも消えそうなイワオの命。早く楽に・・・・ナイフを首に付ける。出来ない。どうしても出来ない。これがほかの家畜だったら躊躇いなどない。これまでもそうしてきたのだから。
ナイフを握る手にも力が入らない。力が入らないと分厚いエミューの皮は切り裂けない。
小屋に連れて帰るにしたって、重いイワオを私は運べない。
オヤジに電話してすぐに来いと言った。(山奥は電波が悪く電話・メールはできるけどネットは使えない)
オヤジが来る前にイワオは死んだ。叫ぶように泣いている私にゴメンでもなきゃ慰めるでもない。
「おまえのせいだ!お前は私の大切な物全部奪って台無しにしてボロボロにするんだ!おまえが殺したようなもんだろ!だから柵はしっかり作れって言ったんだ!」
黙っていた。次の台詞は決まっている。その台詞でこれまでも責任逃れをしてきた。
「なんとも思わないのかよ!お前がいい加減なせいで!」:
「だったら自分で柵作ればよかったじゃん。人任せにするのが悪いよね」でた。いつもの台詞。このセリフをこれまで何度聞いてきただろう。立場が悪くなるといつもコレだ。
長い夫婦生活で「だったら自分でやればいいじゃん」が出るたび思ったし、言ってきた。全部自分でやるんなら「てめぇはじゃあ何をやるんだよ?てめぇの役割ってなんだよ?てめぇが居る意味ってなんだよ?」と。協力し助け合うのが夫婦なのに、そういう事が平気で言える家畜以下の人種なんだ。
それに自分の無力さも実感した。なんでもできるだけのスキルさえあれば(鳥小屋作りも柵作りもなにもかも)こんなクソと関わらずに人生もっと楽しかったはずなのに・イワオも死なずに済んだのに。
私たちは世間一般の「離婚」というカタチではなく、生活・家畜の面での協力体制というのは崩せない。それはお互いに承知の上。今回はソレをクソな台詞に組み込んできた。「離婚してるんだし、イワオが死んだのは俺のせいとは言い切れない」
全く意味が分からない。とにかく責任逃れをして過ちは認めたくない。それがオヤジ。
 オヤジに小屋迄イワオの遺体を運ばせ、泣きながらイワオを解体した。正気では出来ないからウオッカをジュースのようにがばがばと飲んだ。
イワオの首を斧で落とし血抜きし毛を毟り、片足さばき始めた位から冷静さを取り戻した。それでも涙が止まらなかった。
イワオの解体には5時間ほどかかった。鶏とはくらべものにならない大きさだから、いつも使っているナイフでは厳しかった。
夕方オヤジが来ることになっていた。ある程度解体したけどダメな部分胴体の骨などは下界の家でやるしかなく、肉の保存も山では出来ないから下界の家の冷蔵庫を復活させることにした。夕方に下界に来たら山へは戻れない。だから、昨夜は下界に泊った。
私は苦しんで暴れるイワオに蹴られて大怪我し、イワオを失ったショックが大きく当分は山小屋には戻れそうにない。
山に居る家畜達の世話はオヤジがとうぶんやる。
イワオが死んでしまっても現実は変わらない。変わったのは私の心だけ。チヨもサザレも生きているのに、それは私の慰めにはならない。
もう、こんな気持ちになる位なら山奥暮らしも自給自足もやめてしまいたい。その二つは私の信念でもあるし、そうじゃなければ生きられないのに、今回はその部分が大きく揺らいでいる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?