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【読書記録】きみは誤解している

「きみは誤解している」佐藤正午

競輪にまつわる短編集。
出てくる人は何かしら競輪に関わっている。いや、競輪場で賭け事をしている。負けている人もいれば、勝っている人もいる。様々な人生がある。真面目に働きながら賭け事をしている人もいれば、勝負に溺れてしまっている人もいる。
私はギャンブルはひとつもしたことがなく、また、今のところ興味もなく、その感情は理解できず、知識も一つもないのだけれど、
その一つ一つの人生はやはり面白く、興味深く読むことができた。

私の周りでいえば、幼い頃、父が時々パチンコをしていた記憶があるのだが、父もある時を境に辞めていた。
そんな父だけれど、「きみは誤解している」を読んでなぜだか父を思い出す。


「あなたのお父さんは山頭火みたいな人に憧れてたって、でも子供たちを育てるために放浪する夢を我慢して、定年までこつこつ働いて、働いたあげく癌にかかったのよ。」
「あなたは本当は今それをしたいと思ってるんでしょ?」
「あたしはずっと前から気づいてたわ、改札口であなたはあたしのことや列車に乗る人たちを毎日羨ましそうな目でみてる、そのうち自分もあの列車に乗ってどこかへ行きたいと願ってる、この街から出て行きたいといつも考えてる、あたしと一緒に年を取ることなんか本気で考えてやしない」

主人公が婚約者に言われるセリフだ。

私の父は真面目に働いてきたし、今も働いているし、ギャンブルもしないけれど、50を越えたぐらいから、「俺はこれからは好きなことをして生きたい」というようなことをしきりと言うようになった。自分の趣味を最優先させるようになった。
母からしたら「は?」の一言に尽きるようなことで、呆れていた。子どものわたしから見ても「うーん。そんなに好きなことを我慢しているようには見えなかったけれど」というような父だったけれど、ことあるごとに「残りの人生、好きなように生きる」とばかり言っている。
今も放浪の旅に出たとかそういうことではないので、極端なことではないけれど、「そういう人(感覚)もいる(ある)のかな」という感想を持った。
うちの夫も、ギャンブルはしないけれど、父と同じようなことを言う。「人生残り少ないから好きなことをしたい」と。「えーどこが我慢してるの?」とは思うのだけれど本人は本人なりに我慢していることもあるのでしょう。まあ夫は一人にはなれない人なので、一人で放浪の旅には出ないとは思うが…。

私にはそういう感覚は今のところない。年齢のせいなのか。持って生まれたものなのか。環境のせいなのか。それは分からない。

ギャンブルに関する感覚と、父や夫の「好きなことがしたいんだ」という感覚は別物だと思うのだが、なぜかそれを思い出した。

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ところで、本の最後に「付録」として、いわゆる「あとがき」が書かれている。そこに「坂本さん」が登場する。以前、読んだYuki Satohさんの記事がすぐに頭に浮かんだ。

「あの記事に出てきた人だ」と。
この「付録」がまた良かった。「あとがき」とせず、「付録」として、広辞苑風に語句の説明を載せ、そこには「坂本さん」との出会いが書かれている。さらに、彼に勧められたからと競輪の用語説明が続くのだが、用語説明になると急に説明口調になる。わざと醸し出されるような「やらさられてます」感…ちょっとひねくれたような佐藤さんのお人柄が伺える。(実際は知らないけれど)ますます佐藤さんに興味が湧いたので、YukiSatohさんの記事を読みつつ、楽しみたいと思う。

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