【覚書】修学旅行を辿る
春休み、広島へ行ってきた。
広島は息子の修学旅行先だった。
修学旅行当日に微熱を出した息子はみんなと一緒に行くことができなかった。
でも、広島は行っておくべきだよね、と夫婦で話し合い、
家族で行くことにした。
まずは原爆ドーム。
そして、平和記念公園。
それから、平和記念資料館。
照明を落とした館内で、たくさんの悲痛な叫びが展示されている。
娘が「怖い」と言い、「じゃあ、パパと先に出ていようか」ということになった。
息子も「怖い」と言い、「『先生が、見たくなかったら見なくてもいいんだよ』と言ってたから…」と言う。
「そうだね。怖くて見られなかったっていうことを覚えていたら、いいよ。」と、夫婦で言って、出ようか、ということになったが、
私は「ママは広島初めてだし、せっかくだから最後まで見てから出るね。」と声をかける。
私の通っていた中学校の社会科の先生は戦争教育に大変熱心な先生で、
修学旅行は長崎だった。
長崎の平和記念公園には行ったことがある。
戦争体験者のお話も伺った。
広島には機会がなくて行ったことがなかった。
これを逃してはいけない。
すると、「じゃあ、僕も残る」と息子。
二人で、進むことに。
ひとつひとつの体験記を読むこと、写真を見ることは
非常に辛いことだった。
私には写真よりも、手記であったり、体験された方が書いた絵の方が
なぜかよりリアルに感じられた。
そこには「念」のようなものが乗っかっていて、
切り取ったものよりも
恐ろしさがもっと真に迫ってきた。
暗い暗い館内を不安な気持ちで進んでいくと、
やがて明るい廊下に出る。
廊下は一方がガラス張りになっていて、
平和記念公園が眼下に見渡せる。
そこには、平和があった。
同じ気持ちで手を合わせる。
私たちはそういう国にいる。
いつまでも、そう願い、そう信じ、そう生きていく。
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