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スープを食べて南米に飛んだ

食べることは、文化を食べることだなと、最近よく思う。もしくは料理してくれた人の芸術を食べているような感覚。Artesania、民芸品を食べているような。

昨日、ダニエルがチリのスープ、Cazuela(カスエラ)を作ってくれた。使う材料は、どこでも手に入るようなベーシック野菜。

人参、じゃがいも、とうもろこし、かぼちゃ、骨つき肉、オレガノ、玉ねぎ。仕上げに、パクチー。味付けは塩。

こんなシンプルで親しみがある材料なのに、その組み合わせ方や、ちょっとした料理の仕方で、びっくりしたような味になる。北海道の野菜たちが、混ざり合い、出来上がったスープを一口食べて、チリに吹っ飛んだ。サンティアゴの市場の隅で、腹ごしらえにと、モンセとモンセのお母さんと一緒に、カスエラ(スープ)をハフハフ食べたのを思い出す。10数年前の記憶が、カスエラと共に戻ってきた。

ダニエルが作ったカスエラ

カスエラを食べる時は、まずスープを飲んで、ゴロゴロとした野菜やお肉は平皿に取り出す。そこに付け合わせのサラダなどを盛り合わせて、一緒に食べる。スープだけど、食べ方には二つのステップがある。もちろんスープだけで食べても美味しいけど、スープの味が染み込んだ野菜やお肉とサラダを組み合わせて食べると、確かに美味しい。

この食べ方というのも面白い。食べ方というと、食べる際のマナーのことばかり考えがちだったが、実はそれ以上の意味合いを持っているような気がする。それぞれ料理には、美味しく食べる方法がある。もちろん、好きに食べれば良いが、まずはその地のしきたりに従って食べるとびっくりすることがある。ちょっとした食べ方の違いで、びっくりするような味になる。例えば、ベトナムのフォーは、スプーンの中に麺とスープを入れて、一緒に口に含ませるのが断然美味しい。オーストリアの友達が、フォーのスープを全部飲み干して、伸び切った麺を食べていた時は少し驚いた。そっちの方が美味しいって言っているのだから、いいんだけど!

カスエラは疲れた労働者が、あたたかくて、お腹に溜まる、そして健康的な具材を食べて、午後からの労働に備えるスープとのこと。家庭によって味が違って、おばあちゃんの味を引き継ぐらしい。普段TikTokで情報収集しているダニエルも、カスエラの作り方はお母さんから聞いていた。やっぱり一皿の中に沢山の知恵や文化、工夫、趣向が凝らされている。冷蔵庫の残り野菜を炒めて食べているのとは、異なる行為。食べるという同じ行為でも、違う。栄養補給と、心補給。

となると、やはりその土地の食べ物が口に合わないというのも少し引っかかる。だって食べ物は文化なんだから。チェコの料理は、チェコ人と食べると美味しく感じるが、チェコ人以外の友達と食べると文句ばかり出る。日本に一時帰国する前、彼がチェコ料理を振舞ってくれたが、風邪気味だったことも重なり、フライト中、その料理を思い出しては気持ち悪さが込み上げてしまった。アーメン。芋、肉、小麦、チーズのパラダイス。チェコスロバキア時代、牛肉が貴重だったのでカツレツを作るのにチーズを代用して作った、揚げチーズはレストランの定番食。酸っぱくて、スパイシーでクリーミーなグラーシュも、不味いとも言えるが、癖にもなる。海がないんだから、こんな料理にもなるさ。チェコを愛するように、チェコ料理もひねくれた形で愛する。

私の母は料理が上手だ。素朴で繊細で愛らしいご飯を作る。それは母そのもの。パスタやご飯に野菜をぶち込む料理はほどほどにして、自分が詰まった料理を少しずつ作っていきたいものである。とにかくカスエラ、美味しかったナァ。


こっちはダニエルのお母さんのカスエラ




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