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河内長野・寺ヶ池 ~丘の上の住宅地に佇む江戸時代のため池~

 1月に引っ越しする先の徒歩圏内に、散歩に最適なスポットがあります。それは寺ヶ池。全長2キロメートルというこの池の周辺は散策できるので、正式に引っ越ししたら、ほぼ毎日散歩しようと思っています。
 今でも現地に行くときには一度は回っているこの池は、私のアイコン写真にも使っているほど。本当に美しく和める住宅地に囲まれたオアシスなのです。

丘の上にある寺ヶ池の概要

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 寺ヶ池は、アースダムと呼ばれる形式で、北堤防と南堤防があります。池のある所は今は住宅地になっていますが丘陵地帯で、河内長野の中心部からは坂を上らなければなりません。丘の上は住宅地ですが、ここだけ別世界のように自然が広がっていました。

 写真は北堤防からの風景で、トップページは南堤防側からの風景。近くを流れる石川から用水路があり水が池に流入しており、春から夏にかけて周辺の水田に水を供給しています。

 用水路は池を囲むようにある寺ヶ池公園の菖蒲園付近から流入。また池からはさらに北東にある別のため池灰原池に通じています。それからこの池は釣りが禁止。ちなみに総貯水容量は 600,000 立方メートルです。

寺ヶ池は江戸時代に作られた池

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 寺ヶ池は、自然にできた池ではなく、人工的に作られた、ため池です。歴史をみると江戸時代にさかのぼります。新田を開発するための水源を目的として、この地の庄屋・中村與次兵衛(なかむらよじべえ)中心となって作りました。

 ここには元々小さな池があったそうで、それを拡張。またその際に山の斜面を切り開いて作りました。ある伝承によれば提灯を使って遠くから水路予定地を確認しつつ、高低差を測りながら作られたそうです。

 また堤防の中央部にはふくらみを持たせ、水圧による決壊などを防ぐための工夫も行われました。工事は1633年から1649年と完成までに16年かけたそうです。延べ4万人の人が動員されました。

 史実をみると、寺ヶ池が完成した1649(慶安2)年に、重要なあるできごとがありました。江戸幕府が「慶安御触書」を出したのです。これは、百姓(農民)に対して、ぜいたくをせずに農業に精を出すように指示したものでした。

 これが年貢制度を強化する内容であったのか、その因果関係はわかりません。しかしため池の完成は、この幕府の命令に即せるもので、タイミングが良かったといえます。


20世紀の改修工事と遊歩道の整備

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 江戸時代にできた寺ヶ池は、20世紀になり改修が行われました。1944年に用水路をコンクリートに改築し、1966年から池の改築工事が始まりました。その間に、寺ヶ池取水塔が出来ています。

 また並行するように寺ヶ池周辺を総合公園として整備する都市計画が決まりました。その結果としてできた寺ヶ池公園には、市営プール、野球場、テニスコートといった市民の憩いとなる施設も併設。そして1995年から99年にかけて遊歩道が整備されました。

 池だけでは立ち寄り難いですが、河内長野市唯一の総合公園として整備され、遊歩道もあるので、より親しみをもって池の景色を楽しめそうです。

丘の上にあるオアシスは新河内長野八景にも選出


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 先日、寺ヶ池公園を散策すると上のような看板がありました。新河内長野八景のひとつとして寺ヶ池公園の借景が認定されているようです。河内長野はこのほかにも見どころが豊富なので、正式にこちらに移り住んでから次々と訪問できればと思います。

あの花火大会の見学スポットとしても有名

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 この池の先を見ると山が見えますが、右寄りに白い塔のようなものが見えるかと思います。これは大平和祈念塔(PLの塔)と呼ばれるもので、パーフェクト リバティー(PL)教団の建物。ここでは毎年8月に「教祖祭PL花火芸術(PL花火大会)」が行われる会場です。

 大規模な花火が打ち上げられることで有名ですが、この寺ヶ池公園から見られるとのこと。2021年にもし花火大会が開催されれば、ぜひ見てみたいです。

正式に住んでから四季の寺ヶ池を追いかけます

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 寺ヶ池公園は引っ越し先から徒歩圏内。池の周りを徒歩で周囲30分という距離も、健康のためのウォーキングには最適です。
 だから毎日のように通いそうなところ。すでにこれまでに何度か行きましたが、公園は自然の木々があって、四季折々の花が見られそうな雰囲気です。おそらくこちらでも寺ヶ池の写真は季節ごとに追いかけて紹介していこうと思います。

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