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石上露子  ~寺内町の重要文化財になる旧家に生まれ育った 幻の歌人~

 先日行った富田林寺内町シリーズの続編です。室町時代に形成された富田林寺内町。その中で重要文化財と指定されているのが旧杉山家住宅です。その模様は先日下記の記事にしましたが、今回はこの住宅に関わるひとりの歌人のことに触れてみましょう。それは石上露子(いそのかみ つゆこ)という人です。

旧杉山家住宅はこちら。

 富田林寺内町についてはこちらをご覧ください。

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 旧杉山家住宅の入り口です。その隣にこのような看板がありました。

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 1882(明治15)年から1959(昭和34)年まで生きた石上露子の本名は、杉山孝(すぎやまたか)という名前の人で、この旧杉山家住宅で生まれました。

 当時の杉山家は作り酒屋をしていた大地主の娘で長女ということもあり、裕福な生活と様々な習い事をしたそうです。

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 そして1903年に与謝野鉄幹が主宰する新詩社の社友となりました。石上露子というペンネームで新詩社が出していた雑誌・明星に短歌を寄稿するようになり、その他複数との出版社に文章作品を出しています。
 その代表作が、1907(明治40)年に発表された「小板橋」という作品でした。

 ところが思わぬ事態が起こります。男子がいなかったため、家の跡を継ぐ必要がありました。そして旧家同士の縁組で婿養子をもらいます。ところが夫は文筆に関しては無理解。そのため新詩社をやめさせられてしまいます。

 一説には、露子の代表作は好きだった恋人のことを綴ったとか。それが夫の不興を買ったとも言われます。

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 本人の意思とは無関係に断筆させられてしまい、結婚生活はあまり明るいいものではなかった模様。また活動期間が短かったので「幻の歌人」との異名をのこします。

 時代が時代だけに、仕方がなかったのかもしれません。もしこの人が今の時代に生きていたら、簡単に断筆という流れになったかどうか? 多分違ったでしょうね。

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 その後子供をふたり設けますが、夫婦関係は悪くなり、気が付けば夫は投機に失敗。旧家を没落させてしまいました。それが原因で別居します。
 それから作家活動を再開。「冬柏」という雑誌で短歌の寄稿を再開しました。

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 晩年は自ら生まれたこの旧杉山家住宅に戻って余生を過ごします。
1959(昭和34)年に78歳の生涯を閉じました。

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 彼女の生まれた旧杉山家住宅では、彼女の足跡(資料やビデオ映像)が見られます。
 これらを見てここで紹介しながら、もし石上露子がこの時代に生きていたとして、noteを知っていたらどんな作品を書いて投稿するだろうかとふと考えました。

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