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烏帽子形八幡神社  ~河内長野に存在した山城の鎮護のために祀られた神~

 先日紹介した高野街道。河内長野の中心部から天野酒のある酒蔵通りを越えた先、小さな石川をこえるとかつて山城があった烏帽子形公園があります。
 その山(公園)の東斜面中腹にあるのが烏帽子形八幡神社(えぼしがたはちまんじんじゃ)。今日はこちらを取り上げます。

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 入り口は東正面の高野街道から上っていく場合と、南側から入れるパターンがあります。今回は南側の道から神社の境内に入っていきました。

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 竹林に覆われた山道を歩いていきます。道路は舗装されているので歩くのに問題ありません。

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 山を覆っている竹林。この神社は楠木正成の一族と大きくかかわります。
烏帽子形城自体は、正成が上赤坂城の支城として築城しましたが、神社を創祀したのは楠小二郎とあります。
 この人物を調べると、どうやら楠木正氏のようで(楠木弥四郎、和田小二郎という異名がある)正成の弟もしくは甥という伝承が残っています。

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 境内の開けたところに来ると、赤い鳥居が並んでいます。これは烏帽子形稲荷社。

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 恵比寿社を正面からこのほか白山社、平野社、恵比寿社という摂社が境内にありました。

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こちらが同じく摂社の恵比寿社。

烏帽子形八幡神社は、八幡宮なので15代の応神天皇が主祭神ですが、ほかにも次の3柱が同じく主祭神として祀られています。

素盞鳴命(スサノオノミコト)
足仲彦命(応神天皇の父:14代仲哀天皇)
神功皇后(応神天皇の母)

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 こちらが本殿です。楠一族が作った神社は、一時荒廃しましたが、1480年に河内源氏の末裔・石川八郎という人物が母屋造りの社殿を建立しました。
(昭和の解体修理時にその記録に当たる墨書を発見)

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本殿を正面から、下に説明文がありますが、国指定の重要文化財です。

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 この告知板にも書いていますが、江戸時代初期の旗本、甲斐庄 正房 (かいのしょう まさふさ)。彼は小田原征伐のころから徳川家康に仕えて、関ヶ原や大阪の陣で活躍しました。
 その功績により烏帽子形城を家康から承ります。そして四天王寺の改修で余った材木で神社を改修しました。

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 拝殿です。割拝殿(わりはいでん)と呼ばれる形式で、本殿の前まで通り抜けできます。

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 正面の参道は急な階段になっていました。間違ってこちらから入ろうとしたら、上がるまでずいぶん苦労したでしょうね。

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 どうにか降りてきました。山の中にある神社は周りの雰囲気も神々しい雰囲気に満ちています。

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 高野街道に面した正面の入り口です。石段と緑に囲まれてこの位置から拝殿などは見えません。印象的だったのは、石段を下りていく際に、複数の地元の人がこの前で立って一礼した姿。信仰心の厚さがうかがえました。

烏帽子形神社

烏帽子形八幡神社

住所:河内長野市喜多町305
電話番号:0721-63-0027
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩15分

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