後村上天皇陵 ~河内長野にゆかりある南朝2代目の天皇~
河内長野の観心寺には見どころが多く、先日紹介した楠木正成の首塚もそのひとつです。しかしそれに匹敵するものがありました。それは南朝の後村上天皇陵。歴史を感じるもうひとつのスポットです。
後村上天皇陵の手前。楠木正成首塚のとなりに崇徳・後白河両天皇の母親で、鳥羽天皇の皇后だった新得賢門院の墓がありました。
そこには「宮内庁」の文字があります。ここが真言宗の観心寺とは一線を画した場所であることを予感させられました。
ここから山道を上がります。横にある宮内庁の看板には「後村上天皇 檜尾陵」とありました。ここから先は宮内庁が管理しているエリア。何か結界のようなものを感じます。
このような山道を登っていきました。途中から石段もあり、実際には相当きついです。
最初のイメージでは比較的近くにあると思っていましたが、意外にも距離があります。10分近く歩いたでしょうか?
石段を登っていくとようやく、見えてきました。あと一息と踏ん張るところ。
こうして後村上天皇陵の前に来ました。この天皇は後醍醐天皇の第7皇子。父帝の遺志を継ぎ、南朝の2代目天皇として京都の奪還を図りながら各地を転々としました。
彼が皇居としたところは、吉野行宮をはじめ賀名生行宮、男山八幡行宮、住吉行宮そして河内長野市内にある金剛寺行宮と観心寺行宮です。在位期間は1339年から1368年と29年間。彼の跡を継いだのは子供の長慶天皇でした。