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金剛寺 ~アショーカ王から南朝まで歴史の伝説がある重要文化財だらけの河内長野有数の観光地~

 先日金剛寺の八重桜の花見の記事を紹介しました。河内長野では観心寺と並んで観光名所として名高い金剛寺は、調べれば調べるほど歴史のある仏教寺院。初めて行ったのが花見と重なりましたが、今回は桜以外の見どころを紹介します。

 周辺にはこの金剛寺のほか、金剛山とか金剛という駅、さらには金剛ニュータウンなど『金剛』というキーワードとは縁が深そうなイメージ。
 ところが金剛山と金剛寺は由来が違いました。金剛山は奈良県御所市にある金剛山転法輪寺と関係しています。それは日本書紀神武天皇の巻に、『葛の網をきせて土賊を掩い殺した』という由来からとか。
 また金剛寺が真言宗御室派で転法輪寺は真言宗醍醐派という微妙な違いもありました。
 

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 ところでこの金剛寺は、伝承では紀元前250年ごろに登場する、インドの阿育王(アショーカ王)が出てくるから驚きです。それは彼が8万4千鉄塔を投げた際のひとつがここに落ちたという。ちなみに金剛寺の名前の由来は解りませんでした。
 そもそも『金剛寺』という名前の寺の名前が全国に30以上もあります。真言宗が多いですが他の宗派もあるので、あまり深く調べる必要はなさそうです。
 余談ですが、金剛とは仏教用語で最も固いものの意味。金剛石はダイヤモンドのことです。

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 天野山バス停側から見た南大門。伝承では、アショーカ王の鉄塔が落ちたところということで、奈良時代に聖武天皇が勅願して行基が開きます。空海も修業をしたとありました。

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 これが全体の地図です。山の中にあるのに結構いろんな建物が残っていて壮観でした。

 平安時代の末期には、高野山にいた阿観(あかん)という僧がここにきて、後白河法皇とその妹の八条院の篤い帰依を受けたとあります。
 それがきっかけで、1180年に地元の武士「源貞弘」から土地が寄進されたり、建物を再建したりして、寺が再興しました。

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 これは楼門で、この中に金堂とかの建物が並んでいます。
 そして八条院の侍女と妹が阿観の弟子となって、この寺院の主に2代続けてなったことから、女性が参拝できるようになり『女人高野』と呼ばれるようになりました。

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 入り口で、有料のガイドがいます。このときはガイドを頼みませんでしたが、ガイドを頼むとより詳しい話が聞けるでしょう。


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 門左右でを守っているのは増永天立像と持國天立像。鎌倉時代の作で、いずれも重要文化財です。


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 楼門をくぐって右手にあるこちらは食堂(天野殿)です。食堂(じきどう)は僧が食事をするところで、一般的な食堂の語源がこの仏教用語。地図を見ただけでは、食べるところがあるのかと、危うく間違えそうです。

  詳しくはこの後書きますが、南朝・後村上天皇の政庁がここにありました。


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 こちらは多宝塔です。鎌倉時代には100ほどの塔頭(たっちゅう)という小さな寺院が境内にあったそうで、後醍醐天皇とも親しかったので、南朝の拠点として活躍しました。
 これは観心寺も同じで、河内長野のあたりは南朝の勢力圏だったんですね。

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 見落としがちなところにありましたが、これは経蔵(きょうぞう)です。仏教系の書物を補完するところですね。

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 これは正面にありました。サンスクリット文字の梵字(ぼんじ)の下には、最近の事象で犠牲になった人の霊を供養する内容が書かれた卒塔婆。

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 多宝塔や金堂のある所から一段高くなったところにあるのが、薬師堂です。

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 薬師堂の隣は建物同士が屋根のある廊下で結ばれていました。こちらが五仏堂です。この辺りは、安土桃山から江戸時代にかけて豊臣秀頼が再建しました。

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さらにその先にも廊下が続いていました。ひときわ高いところにあり、屋根が曲線を描くように斜めにせりあがっています。

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廊下の途中のところまで来れました。この先にあるのは観月亭と御影堂(左側)。

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 奥に見えるのが金堂です。建物が新しく見えますが、元々は平安時代に建てられた国の重要文化財。秀頼によって改造されたのち、実は平成21年から30年にかけて解体修理工事を行ったのでそう見えるだけです。そのときは、多宝塔なども同様に修復しました。

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 金堂の正面です。ここは上画れて建物の奥には撮影禁止でした。実は中には金剛界大日如来坐像、不動明王坐像、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)坐像があって、それらはいずれも国宝です。

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 金堂から観月亭方面を見てみました。後村上天皇がここで月見の宴を催したそうです。

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 ちなみにこの辺りの建物のほとんどが重要文化財に指定されています。歴史的にも文化的にも重要なところだったんですね。

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 さて薬師堂の左手にこのようなものを発見しました。40分かけて四国88か所霊場を回るコースのようです。

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 残念ながら山の大木が倒れたということで、立ち入り禁止でした。

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 そして金剛寺の境内はこれだけではありません。南朝だけでなく北朝ゆかりのものまであります。長くなるのでそのあたりはまた後日。

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 境内には、小さな天野川が流れていました。ちなみにこの川は、金剛寺から東北方向、河内長野でも一番北側のほうを流れていきます。そして最終的には大きな狭山池に到達。

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 境内にはいくつか橋が架かっていて、その先も金剛寺の建物です。講堂とか無量寿院などと繋がっていました。

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 清らかな川の流れです。

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 ということで、金剛寺は複数回に分けて紹介していきましょう。

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天野山金剛寺
大阪府河内長野市天野町996
0721-52-2046
入山時間:9:00~16:30
臨時拝観料:200円
アクセス:天野山バス停下車すぐ

金剛寺

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