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離島で気づいた、デザインとアートと米

こんにちは。やっと第2回目です!2回目の今回はわりとすらすら書けそうな気がします。やはり、初めの一歩って大きいですよね。1st ペンギンや月での一歩。踏み出すまでは大変だけど、踏み出しちゃえば意外と「なーんだ」って事がほとんどです。

転職だって、移住だって、2回目以降はたいした事ないですもんね、きっと。だから逆に1回目の経験って大事にしたいのかもしれませんね。

月に数回の不定期で書いていこうと思っていますが、少しずつ文章も上手くなればいいと思っています。今回もよろしくお願いします。



さて、前回はデザインについて考えている事を少し書きました。僕の考えるデザインということは「答え」。では「アート」は?

デザインとアート、僕は似て非なるものと考えています。デザインにもアート的要素は必要だし、共通点は多いのですが、その性質は真逆と捉え、


アートは「問い」と考えています。


抽象画がわかりやすいと思うのですが、見る人・見る時によってさまざまな解釈を問いかけるのがアートかなと思っています。その時自分のもっている課題や感情によってそれは例えば、花にも顔にも猫にも空にも宇宙にも見えるかもしれません。そんな自分に問いかけてくるのがアートだと思っています。

一言でいうと、デザインは「!」、アートは「?」。かなと今は思って創作活動をしています。

みなさんはどんな視点でデザインやアートを見ているでしょう?

どちらも、人それぞれが良いと思ってます。正解なんてないけど、全部正解。それが創作の面白さかもしれませんね。


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なぜこんなことを考え出したのかというと、海士町に来てデザインの研修をさせてもらうことも増え、その時にデザインを説明するために、アートということを考えだしたのがきっかけです。東京にいる時はそんなことをしっかり考えることもなかったので、海士町に来たおかげで成長することができたなとしみじみ思います。


そんな原点、東京から移住したての頃のクリエイティブを振り返ってみたいなと思います。

移住後に初めてデザインしたモノはお米のパッケージ、「本気米」です。僕が海士町に来たのが2016年の春。移住して間もなく、田んぼを見るのも久しぶり、お米の事なんてほとんどわからないの都会人が米のブランディングに参画させてもらいました。

巡の環(現・風と土と)のメンバーと共に、コンセプトづくりからネーミング制作、ブランド米とするためのブランディングを進め、デザインもさせてもらいました。


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当時、米作りなんて全くわからない僕は、地元の農家さんからワークショップなどを通じて話を聞き、米の基本的な作り方や特徴、コメ作りへの思い、未来の夢なんかをたっぷり聞かせてもらいました。

これは東京でアートディレクターをしているときからクライアントの気持ちを引き出し、それをデザインの軸にするというやり方で、今でも僕のものづくりの考え方のベースになっています。


そのため農家さん達に農繁期の最中、毎週のように時間をとってもらい、打ち合わせをしていくと「もうプロに任せるから自由に売れるものを作ってくれたらそれでいい」というようなことを言われました。そりゃそうですよね。ただでさえ忙しい時期の上に、この打ち合わせややりとりになんの意味があるのか。おっしゃる通りだと思います。


でも、そうじゃないんです。僕がなんとなくかっこいいものを作れたとしても、そこには血が通わないんです。かっこいいデザインで目は引けるかもしれませんが、魂が入ってないとブランドとして成り立たない。

なにより、作り手の農家さんの気持ちの入っていないデザインでは、農家さんも本気で作り続けることや本気で売っていこうと思わないだろうと思っていたからです。

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だから、巡の環のみなさんと根気強く、たっぷりと議論を交わし、たくさんのアイデアが生まれました。ネーミング案の中には方言を使った「わがとこ(自分のところ・アイデンティティ)」というような案などもあったのですが、農家さん達が選んだのは「本氣米」でした。

こうなったら本気でやっていこう。海士町の本気を売っていこうというという事で決定しました。(氣の中が米というのも一つのポイントでした)作った年には銀座のデパートで一番高い価格で取り扱ってくれたと聞いています。思いが届いた証拠かもしれません。


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(こうやって振り返ると、かなりコンセプト重視のデザインづくりだったんだなーと思い返しました。最近はコンセプトはなんとなく考えて、後から整え・進化していくように流動的に作ることも増えました。風の時代ですね。笑)


それから、今年で5年が経ち、今でも本氣米は続いています。言霊というのはきっとあって、「本気・本気」と言っていれば本気になっていくと思います。そしてこの米を見た人も「本気?」「何が?」と「問い」を受ける。そこに気づいた人はきっと気になって聞いたり調べたりして、「海士町の本気」を知り、それに賛同して購入してくれる。

そんなブランディングができたからこそ今でも作って売っていっているのかもしれません。そうだったらいいなーと思います。



もちろん、商品なので売るためのデザインなのですが、今振り返ると、美味しさや機能を売りにしたブランディングではなく、「思いや問い」に重点をおいたネーミング/パッケージだったなと思います。

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この時はまだ「デザイン」と「アート」の違いを意識していたわけではなかったですが、そう言った意味で「アート」なパッケージですよね。これがもし大手企業だったら、こんなワークショップにはならず、きっと本氣米のような表現やブランディングにはならなかったと思います。

制作者としても色々と新しい刺激のある楽しい(時には辛い)制作作業でした。


そんな仕事ができるのが海士町の面白さ。顔の見える生産者さんのつくったほんとに美味しいお米をデザインで応援しサポートできるのはデザイナーとしてもとてもやりがいのある仕事です。

(そうそう、海士町のお米、ほんとに美味しいんです!東京からだと西日本のお米を食べる機会ってあまりなかったのですが、島でこんなに美味しいお米ができるなんてびっくりしました。土も水もいいんだと思います)



東京の代理店時代ではアートディレクターという肩書きで、デザイナーやコピーライター。時にはイラストレーターにカメラマン。戦略を立てるストプラや営業プロデューサーなどなどと「チーム」を組んでプロジェクトを進行していました。クライアントも大手企業で、市場に対して売れるような「答え」を模索してデザインしてきたんだな。と、


海士町に来てからは、チームを組めるようなクリエーターはほとんどいないので一人で何役もして、今まで出会ったことのない面白い人たちと出会う機会が増えました。頭の回路の振り幅が大きくなって固定観念がいい意味で壊れ、より本質に沿った思考ができるようになっています。きっと。


さらに「自立・挑戦・交流」と「ないものはない」を掲げている海士町では「売るための答え」より、「思いや余白」を表現するのが合っていて、だからその中で「問い」をデザインすることが増えてきたんだと思いました。


デザイン・アートとは別軸ですが、最近、海士町のOwned Media ニュースアプリ「あまとめ」を作りまして、不具合等を更新したバージョンをリリースしました。これが結構便利で面白いので、もしよければDLして見てみてください。人口2200人の離島・海士町でなぜ?その制作背景はまたゆっくりと書きたいなと思っています。


読んでいただきありがとうございます。次回もよろしければぜひ!

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