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ただ電車に乗っていただけ

 午後二時、京王線線上り各駅停車、6号車左から4つ目のドア、一番端の席。私は『堕落論』を開く。顔を下に向け本を読むのは首が痛く疲れる。分倍河原でドアが開くと五、六十歳あたりの男性が私の隣に腰をかける。この時間帯でもこんなに込むものなのだな、と田舎町のような余裕の持った乗車は夢のまた夢だと思い知らされる。男性の着ている上着は元はもっと彩度の高い緑であったのだろうが今はもうしらっちゃけている。無造作に広がった髪を掻きながらタバコの匂いを隣で撒き散らしているのは、正直不快に思ってしまう。これから仲の良い友人に久しぶりに会うというのに、もし私にタバコの匂いがついてしまったら嫌われてしまうではないか。しかしながら、この男性は悪くはない。誰がどう生活しようとその人の勝手であるし、私が嫌だとしても、男性がその場を退く義理はない。私が退くのが筋。しかし分倍河原から目的の新宿まで数十分はかかる。ここで退くわけにはいかない。
 流石に、本を読む首が痛さに耐えれなくなり『堕落論』を持つ手を上にあげようとする。しかし、肘が隣の男性に当たることに申し訳ないが嫌悪感を覚えてしまい断念する。その時目に入った文章が「いささか天命と諦めて観念の目を閉じる気持ちになった」であったため私はそれに従った。首の痛みに耐えながら読み進めていると調布に到着。そうするを男性は腿に乗せたバッグを持ち直したので、シメた、と思うと、案の定男性は立ち上がりドアの前に立った。ドアが開いて半数近くの人が下車すると、車内に開放感が訪れる。しかしその間も短くまたその空間は人で埋められることになる。
 ドアから入ってくる人の流れの中で目がついたのは背が高く、顔の小さいにバケットハットを被せた女性。その女性がいくつか空いている席の中で私の隣を選んだことが勝手ながら嬉しく思った。しかしながら、容姿の良い女性が自分の隣に座り、私の袖が触れてしまうのがどうも悪いことをしている気がしてしまい、席の端についている板に体を寄せ、もう片方の肩をを浮かせ当たらないように気をかける。あからさまに避けるこの姿勢は、相手に失礼に当たるかもしれないが、私の無罪を主張するためには仕方がない。女性に対して僅かに背ける姿勢になった私は、そのバケットハットで隠れてしまっている顔がどんな顔なのか気になりながらも『堕落論』を読み進める。しかし、この姿勢もなかなか辛く、しかしこれも天命のようで。
 
 最初は私が汚れたくなかったのであったが、最後は私が汚したくなかった。なんだか私の存在が一瞬で変身したかのようで面白い。

 ただそれだけ。

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