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終電に生かされた僕は、始発電車で死を選ぶ。【短編小説】



死のうと思っていた。

終電間際の電車を自宅の最寄駅でおりたぼくは、もう用のないプラットフォームにあるベンチへ腰をおろす。

ぼくの背面にもうひとつベンチがある。そこに座っているひとりと、ぼくだけしかいない駅のホームは、しんとした静けさを保ちながら最終電車の到着を待ち構えていた。

最終電車に飛び込み、ぼくは死ぬ。そう決めたのは、今日会社を出たときのこと。

日中は春がきたのかと思わせられる日差しに体を暖められたが、夜が深くなった今はそのことが虚構であったように寒い。

それは、気温のせいなのか。死をまえにしたぼくの心のありようのせいなのかは分からないけど。

場内アナウンスが流れる。

とても無機質な、なんの感情もない声が、ぼくの死の時刻をお知らせしている。

さあ、死のう。

ベンチからゆっくり立ち上がったぼくは、一歩まえに踏み出した。

「あ、あの!」

突然聞こえた声の方を反射的に振り替える。そこにはひとりの女性がぼくを見つめながらつったっていた。ぼくの座っていたベンチの後ろに座っていたひとだろうか。

「あなた、今から死ぬんですか?」

ぎょっとしたぼくは、すこし慌てた。面識はない、とおもう。いや、仮にあったとしてなぜそのことが分かる。ぼく以外にぼくが死ぬことは誰も知らないはずなのだから。

「なぜ死のうと思ったのですか?」

その女性はアラレちゃんのような大きなメガネをかけていた。見た目はぼくより4、5歳若くみえる。二十歳前後の大学生といったところだろう。

白いカッターシャツにエンジ色のカーディガンを羽織り、細身のデニムパンツを履いている彼女の印象はとても素朴だ。

しかし、大きなメガネに隠れている肌は雪のように白く、よく見るととても品のある美しい顔立ちをしている。

ショートカットに切られた黒髪と小柄な体格が、その秘めたる美しさのようなものをより一層惹きたてているようにも見えた。

「あなたが死ぬのは構わないんです。それは、あなたが決めることだから」

女性は手に持っていたはがきサイズ程度の何かをぼくに向ける。

そんなモノより重大な、何かとんでもないことを言われた気がしたが、ぼくは一先ず流すことにした。

「この本に出てくる主人公も自殺を図るんです。まあ、結局は死なない…いや、厳密にいうと死ねなかったというか。まあ、物語のなかでは死ななくて、現実の世界では死んじゃうんですけど」

彼女の手に握られたそれには『人間失格』と書かれていた。本を読まないぼくでも知っている本。確か、太宰治とかいう、有名なひとが書いたモノだった気がする。

「それで、読んでいるうちに死を決断する理由ってたくさんあるのかなと思って。そしたら死にそうなひとが近くにいて。だから、つい声をかけてしまったという訳です!」

変なことを元気よく発する彼女に、ぼくははじめてカオスというものを体験した。

少なくとも死のうとしている人間を目の前にしてやるべきことランキングにランクインするような一般的な話はされていない、ということだけは断言できる。

混沌とした状況にあたまが追い付かないぼくをよそに、彼女の表情は嬉しさをどんどん募らせていくように見える。

まるで新しいおもちゃを買ってもらう少年のよう、目はキラキラとした輝きを放出していた。

「とにかく!死ぬのは止めないです!ですが、どうせ死ぬなら、一日だけ遅らせて、今のあなたの気持ちを教えて頂けないでしょうか!?それが聞けたら、この本についてももっと深く知れる気がして…どうか!お願い致します!」

目から放たれるキラキラがぼくの目に向けられる。

どうやら彼女には、おかしなことを言っている自覚がまったくないようだ。でないとこんなにも純粋な目をすることはできないだろう。

ぼくは彼女の手元にある本をもう一度ながめた。

人間失格と書かれたその本。

人間失格なのはぼくなのか。死のうと思っている人間に、こんなことを平気で言ってしまう彼女の方ではないのか。

そんなことを考えながらふと辺りを眺めると、最終電車は次の駅を目指し、すでに出発したあとだった。




※※※




「すいません。生ビールお願いします」

死に損ねたぼくは、駅近にある居酒屋チェーンに入った。

突き出しの枝豆をひとつ手に取り、豆を鉄砲玉のようにはじき出し、口に入れる。ウマくもない。が、別段まずくもない味がする。

「それで、なぜあなたは死のうと思ったのですか?」

目のまえにすわる女性がぼくに問いかける。お酒は飲めないらしい彼女はウーロン茶を注文していた。

先ほど彼女のせいで死に損ねたぼくは、これから飲みませんかと彼女を誘った。そこで、その質問にお答えしましょうと。

おもちゃを目の前にした少年のような彼女は、自分の知的好奇心のおもむくまま、これに快諾した。

「なぜ死のうとしたのか。とくに理由はないんだ」

「何の理由もないのに死のうとしたんですか?」

ぼくは運ばれてきた生ビールを一口、ごくりと飲んだ。死ぬことに失敗したときでさえ、こいつのうまさは変わらないことを知った。

「何もないわけじゃない、と思う。でも、これといった答えもない。例えば、会社でいじめにあっているとか、彼女に振られたからといった、死のうと決断した明確な理由はぼくにはないんだ」

「なるほど。ちょっと待ってください」

彼女はカバンから一冊のノートを取り出し、ペンを走らせた。

ノートの上には『死のうと決断するための明確な理由はない』と一文字づつ記されていく。何だか取材を受けているみたいで、こそばゆい感じがした。

「なんていうのかな、あくまで総合的に、全体的に自分の人生を考えた結果、死のうとおもったんだと思う」

「自分には生きる価値がないとか、そういうことですか?」

「ちょっと違うかな。こんなことをいうのもなんだけど、ぼくはそれなりに仕事もできるから生きる価値はあると思ってる。実際、給料は人並み以上にもらっているしね」

「その価値に対する根拠って何なのですか?自分をお高く見積もっている可能性は、そこにないのでしょうか?あなたに生きる価値は、本当にあるのでしょうか?」

話す人によれば一瞬にしてぶっ飛ばされそうなことを彼女は平然と言う。きっと、何の悪意もないのだろう。だからかして、不思議と苛立ちや怒りという感情はぼくの中にも生まれなかった。

「うーん。可能性という話ならゼロではないだろうけど、わりにちゃんと客観視できている答えだとおもう。客観的にみることは、ぼくの得意なことでもあるから」

「なるほど」

ノートには新たに、『生きる価値がなくて死のうとしたのではない(あくまで本人の主観の粋をでないが…)』と書きしるされた。後半の文章が余計だ。

「生きる価値ではなく、生きる意味がないと思ったからが正解に近いかもしれない」

大きなメガネを人差し指でくいっと上げる彼女に、ぼくはつぶやくように答えた。

「生きる意味、ですか?」

「うん。生活に困っている訳でもない。人間付き合いにそれほど苦労している訳でもない。でも、それとおなじぐらい、ぼくにはやりたいことや叶えたいこともない。生きることに意味を感じないから、ぼくは死のうと思ったのかもしれない」

口さみしさにもう一口ビールをのむ。苦さが先ほどより増したのは気のせいだろうか。

「まあ、あくまで理由を述べるならってぐらいの感覚だけどね。はじめに言った特に理由はないが、きっと一番本音に近い答えだと思うよ」

そのあとも同じような質疑がつづき、『なぜぼくは死のうとしたのか問題』について一通り話し終えたぼくはもう一杯ビールを注文した。

話し終えたのを境に、彼女は考える人の像のよう、手にあごをのせながら何かを考えている。少しの沈黙がたったあと、不意に彼女は言った。

「東野圭吾の白夜行はご存じですか?」

「いや、知らないね。東野圭吾って名前はよく聞くけど。確か本を書いているひと、だよね?」

急な話の展開に、彼女の意図するものが何なのかは分からなかったが、ひとまずぼくは正直に答えた。

「それじゃあゲルニカという絵画は?」

「知らない。というか、絵画なんて一度もみたことがないよ」

「鬼滅の刃はどうですか?」

「それなら知ってるよ。最近売れてるマンガでしょ?ニュースにもなってるあれだよね。読んだことはないけど」

「読んでいないは知らないと同義です。その分だと、やりたいこと以前に趣味程度のものですらないのではないですか?」

首をかしげながら彼女は言う。一通りあたまのなかを探したぼくは、これにも正直に答えた。

「ああ、ないね」

「やっぱり…」

何かをつかんだのか、彼女は頭をうんうんと振った。大きなメガネがまたずれ落ちている。

「あなた、生きる意味がないから死のうとしたのではなくて、生きる意味を見出すことができないから死のうとしたんですよ!」

言っている意味をいまひとつ飲みこめなかったぼくは、率直にその疑問をぶつける。

「どっちも同じなんじゃないの?」

「全然違いますよ。前者には主体性を感じとることもできるけれど、後者にはそれが一切ない」

「主体性?」

「そう。主体性です。本来生きる意味がないとは、生きる意味を見出すためにいろいろ模索した結果、それでもみつからなかったときに使われるべきコトバ、のような気がします。でもあなたの場合、その点が決定的に欠落している」

「なぜそんなことが分かる」

「だってあなた、白夜行もゲルニカも鬼滅の刃も、何も知らないじゃないですか」

「それらを知っていれば幸せになれるとでも?えらく偏った考え方だね」

傲慢ともとれる彼女の態度に、ぼくは少しむっとした。それを諭すように彼女は言う。

「話の要点はそこじゃありません。例えば、今あげたのが魚の種類とかスポーツ観戦とか、何でもいいのです。要は自分から生きる意味を見出す作業を怠っている、ということです」

彼女はカバンから何かをとりだし、そっと机にのせる。ハガキ程度のそれには見覚えがある。

「素晴らしいモノがこの世にはたくさんあります。私にとって、この本もそのひとつで、この素晴らしい本を読めることに、私は生きる意味を感じることができます」

まっすぐな彼女の目には、とても力強い、生命力のようなものを感じさせられる。

「そう感じてもらえるためにつくられたモノやコトはたくさんあります。そのことに触れもせず、知ろうともせず生きる意味がないは、お門違いもいいところです。素晴らしいモノを創造するひとたちや、誰かに何かしらの感動を与えるひと。また、素敵なモノを残してくれたわたしたちの先祖に、とても失礼です」

はなしを聞かせてくれと言われたぼくの方が怒られることになるとは夢にも思わなかった。だけど、彼女の言い分にぼくは何も言い返すことができなかった。

確かに、ぼくは自分の人生に意味を与える努力を怠っていたのかもしれない。というより、そのことに主体性が必要だと考えたことすらなかったのかもしれない。


生きる意味は、誰かに与えてもらうモノのではなく、自分で見つけるモノ。


今までのぼくの考えはただの思い込みで、本質はその全く逆。そう思った瞬間、新しい扉が開けたような、見たことのない景色を見たような気がした。

彼女の言い分は、どうやらぼくにとっても正しいみたいだ。悔しいことに、カラダの奥のほう、心のずっと深いところで、そう感じてしまったのだから。


「確かにそうかもしれない」

「何がですか?」

「生きる意味をみつける努力を怠った。それがぼくの今で、死のうとした原因だよ。君の話を聞いて、妙に納得させられてしまったから」

「そうですか!良かった!」

真剣な目つきが緩み、笑みを浮かべる彼女。ひとを傷つけてもおかしくない物言いをしていたとは微塵もおもっていない。その素直さが恐ろしい。しかし、同時に美しくも見えた。

改めてペンを持った彼女は再度ノートに目を落とす。

『死因:生きる意味を見つけるための努力不足』

そう締めくくられたノートにぼくは思わずツッコむ。

「いやいや、ぼくまだ死んでいないから」

不思議そうな表情を浮かべ、彼女は顔をあげる。

「え、でも、もう死ぬんですよね?だったら同じじゃないですか。私はもう聞きたいことが聞けたので大丈夫です。どうぞ、やすらかに死んでください」

ノートをとりおえた彼女は、授業が終わった大学生のように筆記用具を片付けはじめる。

非日常的言動と日常的行動が混ざり合う彼女に、ぼくは社会に一足先に出ている先輩として一言申し立てることにした。このまま舐められて帰すわけにはいかない。

「あのさ、自殺しようとするひとが目の前にいたら、とりあえずひきとめるのが一般的じゃない?安らかに死んでくださいって、なんかこう、そうだな…もうちょっとこう、なんかあるだろう?」

何一つまとめきれなかったぼくは、大人としてカッコイイ一言をぶちかます計画の失敗を即座に理解した。

どう考えても稚拙なコトバに、彼女はふふふと笑いながら言う。

「それではひきとめましょうか?」

「はいそうしてください」と言うには何かがおかしい気がしてならない。

うーんと首をかしげたぼく。そんなぼくをまた笑いながら見つめる彼女は、そっと机にある本をぼくにさし出した。

「じゃ、これあげます」

人間失格という本と、ウーロン茶代を置き去りに、彼女は店を出ていった。

ため息をついたぼくは、生ビールをまた、ごくりと一口飲んだ。いつもよりほんの少し、身に染みる味がした。




※※※




次の日の朝。

ぼくは最寄り駅のプラットホームのベンチに座っている。昨日死にきれなかった場所で、ぼくは始発電車を待っている。

今日、ぼくはここで死ぬ。

そう決めたのは、昨日ひとりの女性に出会ったときだ。

物理的に死ぬ、ということではない。

今までの自分を捨て、新しい自分を生きる、というような意味だ。

生きることに意味を感じなかったぼく。そのことが理由で死のうとしたぼく。だけど、その本当のところは、生きることに意味を見つけようともしなかったことにある。

ひとりの女性にそう指摘されたぼくは、もう少し生きてみようと思ったのだ。


彼女とのひとときをふと思いかえす。

素朴な美しさをもっていた彼女。大きな、アラレちゃんのようなメガネをかけていた彼女。

その雰囲気とは似ても似つかないほど歯に衣着せぬ、素直すぎる人格を併せもっていた彼女。

顏と性格は一致しないものなんだなと、日の出を迎える準備すらまだ整っていない、肌寒いホームでぼくは独り言ちる。

始発電車が滑りこむように到着する。誰もいない車内に乗り込み、座席へ座る。

カバンからあるものを取り出す。

人間失格と書かれたそれは、昨日彼女からもらったモノ。彼女にとっては生きる意味にもなりうるモノ。

なぜこの本をくれたのか。その真意は分からない。

だけど、この本を読むことから、ぼくの新たな人生ははじまる。そのことだけは、なぜか明確な気がした。

どんな本なのかは分からない。しかし、そんなことは、この際何の関係もない。そう思いながら、ぼくは本を開いた。


場内アナウンスが流れる。

ぷしゅう、という音と共に扉がしまる。

新たなスタートを切るぼくと歩調を合わせるように、始発電車はゆっくりと走りだす。




【第二話】
速読と遅読と、大きなメガネの女の子と。


我に缶ビールを。