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本当の幸せなんていらない


銀河鉄道の夜を読んだ。

さっぱり意味が分からない。それが率直な感想だ。

え、これって何かの数式ですか?これがフェルマーの最終定理ってやつですか?と思ってしまうほど難しかった。

「今日の晩ご飯はどう?」と嫁に聞かれ、「あんまり旨くない」と返答すると、急激に機嫌が悪くなった嫁ぐらい、意味が分からなかった。

嫁は昔、確かにこう言った。

「ウソは嫌いや」と。


あまりに理解できなかったので一度昼寝を挟むことにした。いつか読んだ本に、「人間は寝ている間に思考が整理される」と書かれていた。それを思い出したぼくは30分ほど横になった。30分後、世界は何ひとつ変わらなかった。

多分、ものすごくおおざっぱに言うと「本当の幸せって何なのだろう?」ということについて書かれているのが本書なんだと思う(Siriに聞いてみても、だいたい皆そんなこと言うてますねと教えてくれた)

「ほんとうのさいわいは、一体何だろう」と言うジョバンニに、「僕わからない」と答えるカムパネルラ。きっと、本書を読んでこの部分にフセンを貼り付けたのはぼくだけではないはずだ。


本当の幸せとは何なのだろう。

もう一度本書を読み返してみた。すると、本書が伝えたかったのは、「そんなものはない」ということではないだろうかとふと思った。

さっきも少し触れた、幸せについて問われたカムパネルラが「分からない」と答えるあのシーン。あれは、本当の幸せとは何なのかが分からないのではなく、そんなものが本当にあるのかどうかさえ分からない、と言っているのではないかと。

何事も、幸せが先にやってくることはない。

何かの出来事が生じて、その出来事に対するひとつの感情が「幸せ」というモノのような気がぼくにはする。

自分のろくでもない人生を思い返してもそう感じる。友だちとロックフェスに行ったとき。何となく手にした本が面白すぎたとき。陽の光に体を暖めながら昼寝をするとき。娘がはじめてこの世に顔を出したとき。

本当に幸せなのか、あんまり幸せじゃなかったのか。極論、そんなことはその瞬間になってみないと分からないのだ。それに、そのときの状況や自分の気分によって何がいちばん幸せなのかも変わってくる。

だから、幸せとは、そもそも本当とか嘘とかで測れるものではないと宮沢さんは言いたかったのではないのかなと。


本当の幸せなんかない。

仮にこの仮説が正しいとして、何だかネガティブだな、希望がないなと感じるひともいるかもしれない。が、それはまったく違うとぼくは思う。

本当の幸せなんかない。これは、言い換えると「どんなことも自分次第で本当の幸せにできる」とも読めるからだ。

本当に幸せかどうかは、自分がその出来事についてどれだけ幸せを感じられるかの深度であって、それを自ら深めてやれば、何事も本当の幸せになる。

本当の幸せを決めるカギは、起きた出来事に対して、自分がどれだけ幸せだと捉えることができるか。

つまり、幸せとは、思い込みなのだ。

そんなことをジェバンニとカムパネルラを通して、宮沢さんは伝えたかったのではと思ったのだった。

そもそも幸せだと感じる起伏や尺度はひとによって違う。だから、仮に本当の幸せなんてものがあったとして、それはひとの数だけあるのが自然だとぼくは思う。であるなら、一個人が勝手に限定できるような代物ではない。そう、ぼくは感じました。


あくまで個人的な解釈なので、膝がなくなるほどの大ゴケをかました誤読になっているかもしれない。

ルフィたちとワンピースを目指していたのに、たどり着いたは大阪ミナミのたこ焼き屋ぐらい、まちがった航路を進んでしまったかもしれない。

でも、それはもう仕方がないことなのだ。宮沢さん宮沢さんと馴れ馴れしく言っているが、何を隠そう、宮沢賢治を読むのは、ぼくにとってこれがはじめてなのだから。

本書を読んでから少し、本書について調べてみた。すると出てきたのは、銀河鉄道の夜は法華経の第二十七をモチーフに書かれたのではないかなど、ケミオばりにスワイプして消したくなる難解な文章がスマホに踊った。一読して丸ごと飲み込まるような作品ではないのだ。

それでも、カッコつけて知的ぶって、分かってないことをさも分かっていることのように振る舞うことはできる。適当な引用を引っ張って、エセ知識人になることはできる。何なら、ちょっとそうしようかとも思ったりした。

しかし、そんなダサいことをするよりは自分のありのままを伝えた方がいくらかマシだと思い、代えの効かない備え付けのポンコツ脳を駆使して、今自分が考えられる最大の正直をここに綴った。


本当の幸せなんかない。それはポジティブなことである。だから本当の幸せなんてむしろいらない。仮にあるとすれば、それは、自分でその都度何とかする、何とかできる類のもの。

本当の幸せなんていらない。


何年後かにこれを読んだぼくは、まったく違うことを思っているのかもしれない。でも、それはそれでいいと思ってる。

自分の至らぬ思考、読解力に未来のぼくが絶句する。そういう一連の行為が、読書感想を書く楽しさでもある。言い訳かもしれないが、ぼくにはそんな気がする。

だから未来の自分よ。

どうかこの中二病が爆裂した一言を今一度読んで、死にたくなるほど赤面して、何なら鼻血でも吹かして、浴びるように酒でも煽ってください。

本当の幸せなんていらない。

それはとても、素敵なことである。

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