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自分軸と自己中心的との違いがわからない

私は自分で考えて自分を信じて行動するという点がまったく育っていないまま、大人になったんだなとようやく気がついたのは鬱のおかげです。

なにかに依存したり(それは物であったり人であったり事柄であったり)、あの人がこうしろううしろっていうから、と自己責任を持ちたくないがばかりに他人軸で生きてきました。おそらく今もそうです。


なぜそうなったのか、と。ずーっと考えていたところ、随分子供の頃のことを思い出しました。

私は周りの大人から「変わった子」「突拍子もないことを言う子」「大人に口ごたえばかりする」「一言多い」と言われまくってました。小学校低学年くらいまで。

特に私自身はそういうつもりがなく、思ったことや感じたことをそのまま素直に伝えて共感して貰いたかったのだと思いますが、ほぼ全否定でした。

最初はふーん、で済んでいたものが、小学二年の頃の同級生に大人と同じように「何を考えてるか分からない」「変だ」と言われだして黙ることを覚えました。

同時に「そうか私の考えることはおかしいんだ」と思いました。

以後、話をしたり誰かとなにかを共有したいと思わなくなったのです。

基本、自分の考えはおかしいので、自分以外の人の言うことが正しくて、その考えや言うことに従うのがよいことなのだ、と理解?してしまったのです。

ここらあたりから、考えることを放棄したような気がします。分かってもらいたいとかも思わなくなった。だってそういう独自の考えを出すことで嫌厭されたり否定されたら苦しい。

ならばなるべく自分が辛くないように、人に従う、他人軸で行動し、自分で考えないように考えないようにしていったほうが「私」が楽なのです。

だから私は自分の保身や、自分が辛くないように自己中心的な思考で生きています。変化したらそれに合わせるのが辛い自分がいるので、変化が苦手で、意見を求められても自分の考えはおかしいので言いたくないのでお茶を濁し呆れられる。でも否定されるより其のほうが傷つかないのです。

どこかで鬱や精神疾患になる人は自分のことばかり考えてる人が多い、という一文を見て、ああそうかもなぁと思いました。

人のことを考えているようで、自分を守ることばかりに執心しているから、殻に閉じこもってしまうということでしょうか。

自分の意見を軸にして、考えを信じて行動出来るようになれば、肯定感も育つのでしょうか。それとも実は自己肯定感MAXなのだろうか。自分勝手な人間なだけではないのだろうか。

そうであれば、自分はなんと救いようのない人間としていまここにいるのだろうか。

自分軸、他人軸、自己中心的な思考、社会貢献出来る人間としての思考、それぞれの違いが理解出来なくて、ぐるぐるしています。

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