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HSPとはなんぞや

今話題になっているHSPですが、私はうつ病になってからカウンセラーの方からこういう体質の人がいると言われて知りました。

どういう状態なのかはきっと興味のある方なら、ご存知でしょう。程度の差はあれ、5人に1人の割合で存在するというHSP、WEB診断をしてみた結果です。

過去の経験で出来上がってしまった後天性の質なのか、はたまた元々生まれ持ったものなのか、合わせ技なのか。

なるほど、それは生きづらいな、自分。と思う。

音と光と匂いに過敏すぎるのはこれか。

とも納得しました。

昔から、家電のモーター音や食器の当たる音、足音や紙をめくる音など、ほんの小さな生活音がことごく気になり、時計の秒針の音があると眠れない。

家に車が近づいてくると、宅配なのか普通の近所の自家用車なのか、知らない車なのか分かります。

一人暮らしを始めてからは集合住宅の廊下や階段を上がる音で、だいたいどこの部屋の人かわかる。宅配がくるとクロネコか佐川かゆうパックか、ほぼ分かる。

ちなみに子供の頃からテレビの音が駄目で、特にバラエティ番組やCMは鬼門。家族がテレビ好きだったので、ほぼ自室に逃げ込んで押入れでスタンドライトで本を読んでいた。

おかげで今でも家にはテレビはないし、映画も相当覚悟しないと見られません。

よく休日の過ごし方は映画やドラマを見るといいますが、完全に無理でした。なら本読む。

匂いも他の人が「えっ、そんなに気になるほど?」という匂いにも反応してしまう。

電車やバスはそういう意味で鬼門です。

大好きなカフェに行っても近くに香水や柔軟剤がきつい人がいると酔うので、逃げるしかない。

自分がまとう匂いも同じくで、シャンプーやボディソープもなるべく無臭なのを選びます。洗濯洗剤も同じく。柔軟剤も必要なければ使わない。

とにかく匂いに酔う、これはしょっちゅうです。

にんにくとかスパイスの強い匂いも駄目で、おいしくても匂いで負ける。 

光も、日光などの自然光は大丈夫なのですか、ライトやテレビからの光の人工光は頭が痛くなる。

あんまり言えませんが、イルミネーションやテーマパークのパレードが苦手。音と光の洪水に溺れます。

変化することが苦手で、サプライズとかドッキリとかはもうパニックになる。

怒っている人、怒鳴っている人、イライラしている人、対象が自分でなくても自分に向いてる気がしてどきどきして苦しくなる。

泣いてる人や落ち込んでる人がそばにいると、悲しくなり、何もできない自分がとても悪い気に陥り、最終的には自分のせいなのではとなる。

日常茶飯事なのでもう諦めてます。

でも、これがHSPという心理的現象というか傾向として確立しているのだと知って、その上自分がその傾向が強いと分かると長年の謎が解けたような心持ちになりました。

しかし治るものでもない、というのも同時に知ったことになる。

精神的な病なら治療出来るのでは、と少し思っていた。けど付き合っていくしかないのだとお墨付きをもらってしまったわけで、あーそうかー…っていう。

ちなみに私はHSPに向いてない職業に身を置いてます。接客業でスピードと日々の変化球対応、クレームやお客様からの無理難題も日常です。

メンタルは仕事で大分鍛えられましたが、平気になったわけではなく、しかも鍛えられたというのはスルースキルが身に付いたとかではなく、【耐えるのに慣れた】だけです。

我慢することだけは毎日しているので得意になりました。頭からそのことが帰ってからも離れなくて、胃が痛くて眠れないのも通常運転です。

それでもこの仕事を続けているのは、他のことが出来そうにないとこともありますが(年齢的にも不器用で習得するまで時間がかかるというのもある)、できるだけ丁寧に笑顔で接することで、お客様にありがとうと言って貰える瞬間に、幸せになるからです。

それがたとえお世辞でも上辺でも、社会の歯車の一部として自分が機能していると思える。

他人に認めて貰うことで自己を確かめるのは、自己肯定感を他人に依存することになるのでしょうが、それはもうそれでいいやと思っています。

誰でも誰かの役に立っているんだ、という事実が欲しいものなのではないかな、と。

だから「ありがとう」という言葉が好きです。

自分からも少しでも感謝の気持ちが生まれたら惜しみなく、「ありがとう」を、出来れば笑顔で出す。

ありがとう、は自分にとっての「薬」です。

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