現代ミステリのトークイベントを拝聴してきました!
2023年7月8日土曜日、京都市上京区にあるCAVABooKSさんで開催された『現代ミステリとは何か 二〇一〇年代の探偵作家たち』の刊行記念イベント
「法月綸太郎×限界研ミステリ―塾 京都編 テン年代の向こう側」
という、現代ミステリを語るトークイベントを拝聴してきました!
【ご注意】以降の記事は、ただの感想であって、ミステリの自論やイベントの詳細レポートではありません。「いや、イベント内容が知りたいねん!」てなると思うのですが、そういうのは期待できないことをあらかじめご了承ください……。(オフレコ部分以外はOKとのことでしたが)
テン年代ミステリ、全然読めてない私が参加した理由
今回のイベントは、TwitterのタイムラインにフォロワさんのRTで回ってきたことで知りました。
コロナ禍少し前、ミステリ―文学資料館(現在は閉館)に行った際に、偶然手に取ったのが『21世紀探偵小説 ポスト新本格と倫理の崩壊』で、すぐポチって読んで、面白かった記憶が残っていたので、その続編的な本が刊行されていること、そして、トークイベントが開かれること、さらに、法月先生が登壇されること(……!!!)を知って脳死で申し込みました。
2010年代、全然ミステリ読めてなかったのに、だよ( ゚Д゚)
まあ、そんな状態なので、まともなレポが出来る訳もなく、行ってきた! 楽しかった! だけの記録になるわけですが、せっかく最近note付け始めたので、備忘録的に残しておこうかと。
前作にあたる『21世紀探偵小説』の方は、本格、新本格、メフィスト系を中心に、小説以外のメディアのミステリとして、コナン、金田一、デスノ、かまいたち、ひぐらし、ダンロン、くらいまでを押さえてあれば、例に挙がる作品も解ったので、心の親指立てつつ頷きながら読めたりしたのですが、今作『現代ミステリとは何か』は、論じられている作家の半分しか知らない上に、読んだことあるのが3名だけという状態で、ホント、自分でもオマエよく行ったなこのイベントて。都合つかなくてイベント行けなかった人に申し訳なさ過ぎるんじゃよ……。
ちなみに、本書で論じられている作家(敬称略)は、円居挽、森川智喜、深緑野分、青崎勇吾、白井智之、井上真偽、陸秋傞、斜線堂有紀、阿津川辰海、今村昌弘の10名。(掲載順)
太字が私の既読の作家なんですが、今書いてて気づいたのが、見事に『○○の殺人』てタイトルばっかやなって……。わかりやすいな、私。無意識って怖い。
あ、でも、未読の作家の論も論旨は理解できますし、作品の具体例も丁寧に解説されているので本は面白く読めました!(その辺はまた後述します)
そんなクソボロ状態でも参加した理由は大きく分けて3つで、
・全然読めてないからこそ、見聞を広めるためにも登壇される方々の話を聞きに行く。
・ミステリの話できる人が周りにいないので、ミステリの話が聞こえるだけで滋養に良い。
・法月先生を拝みに行く。
です。
3つ目の動機が不純ですけど、大まじめです。
ここ数年、ずっと近代文学ばっか読んできてて思うんですよ。
私がどれだけ漱石や芥川の作品を読んで面白いって思っても、もう永久に新作は出ないし、昔から愛読してます!とか、次回作も楽しみに待ってます!って伝えることも叶わんのです。(近文は亡くなってるからこそ自作で扱えるというのもあるので一長一短ではありますけど)
近い将来AIが進歩して、アンドロイド漱石が『明暗』の続き書いてくれる日が来たりするかもしれないし、それはそれで読むだろうけど、それは漱石本人ではないし、漱石の作品でもないわけで。
作家を肉眼で見ることや、肉声が聞けるなんてことは、同時代に生きているから可能な奇跡なんですよ。
ましてや、ランドセル背負ってた頃に小遣いで本買って読んでた作家が目の前でミステリの話をするってんだから、そりゃ網膜に焼き付けに行くし、鼓膜震わせに行くやろ。
小学校高学年の頃、既にプロぼっちだった私は、毎日50円づつくらい溜めて、毎週1冊講談社文庫のミステリか角川ホラー文庫を買うというのが楽しみでした。法月先生は私が新本格沼にハマるきっかけになった、レジェンド作家のお一人です。
色々あってなんとか成人したものの、生活だけでキャパぎちぎちでミステリはおろか小説を読まなくなっていました。そんな期間を経て、『生首に聞いてみろ』を読み、ミステリを読むことの楽しみを思い出させてもらった。(他にも同時期に、ゲーム『かまいたちの夜』の続編やメフィスト系作家の作品でミステリ沼に戻ってき始めていたけど、子どもの頃の読書体験と縁が深い『生首』は特に思い入れが強い作品のひとつ)
思い出話みたいになりましたが、自分にとっていかに貴重な機会であるかを書いておきたくて。
なので、以下にオタクの悲鳴が混じっていても、生温かな目で見てやってください。
当日のことなど
勝手知ったる土地なので、気になった喫茶店やミスドで本を読みながら時間まで過ごす。
天気が良かったら京都御苑や下鴨神社にでも行くんですが、雨降るか微妙な感じだったので。
豆大福で有名な、出町ふたばさんの行列を横目に商店街へ。
開場10分前の受付開始時刻ちょうどに到着。
写真は昼に場所の確認時に撮っておいたので人は映っていませんが、イベント参加されるぽい方が店からはみ出てチラホラと。30人はいるんだから、そらそうだ。観光客ぽい外国の方が、何事かと店内に迷い込んでいらした。
まあ、予想はしてましたが、男性多っ。(会場内の女性3人)
桃色な書店以外で、本屋のワンフロア男性でぎっしり埋まることある? って不思議な光景でした。(桃色な書店でもぎっしりはないだろ)
ミステリ作家さんが登壇するトークイベントでも、登壇者のファン層やトークテーマによって男女比が変わるの面白いなって。(石川で参加したトークイベントはゲームタイアップの効果もあって男女比2:8くらいだった)
いや、正直言うと、寂しいから、もう少し女性がいて欲しかった感はあるっちゃある。(3分の1くらいは)
ミステリの話に性別も年齢もあんま関係ないんで、これもデータとしての記録ですけど。
年齢層は、10代はいなさそうでしたが20代前半?くらいの方もいて、今回のトークテーマである、テン年代ミステリで育ってきたリアル世代はどんな風に読んでいて、どういうところに興味持って聞きに来ているんだろ! って興味が湧きました。
もちろん、法月先生の作品を読んで育ったであろう新本格世代の方も多くいて、同世代の方は近年の<特殊設定ミステリ>をどんな風に読んでいるんだろうと内心思っておりました。
会場は3階だったので、書店のバックヤードを横目に階段を上っていくと、壁面の本棚にちょこんとモルカーが3匹(単位コレであってるのか?)置かれていて、今日ミステリのイベントやるからなのかなwって思ってしまった(そんなわけない)
受付で会費を払い、会場の中に視線をやると、演者側の席に5名、参加者の方に椅子がズラリと並んでいて、既に半分以上が埋まっている状態でした。
奥から、司会の蔓葉信博さん、法月綸太郎先生、孔田多紀さん、坂嶋竜さん、琳さん、という並びでした。私は全員お顔を知らない状態で行ったので、紹介があってから知ったのですが、法月先生は雰囲気でわかりました。
全席自由席でしたが、幸い一番後ろの席もまだ空いていて、片側が壁の席に座りました。意欲的じゃないワケじゃないんです。人混み苦手っていうのもありますが、オタクって推しを前にすると溶ける性質じゃないですか。そこが先生から対角線上一番遠い席だから、脈も安定するだろうと思って。視力良いので十分見えるし、話が入ってこないといけないからね。
席の隣が物販だったので、限界研の本と登壇者の方の同人誌が置いてありました。チラチラ見ていたら持ってる本とか、文フリ岩手行けてたら買いたかった本が並んでて、あっ!ってなった。
『現代ミステリとは何か』を読んでいて、坂嶋竜さんのお名前どっかで知ってるハズなんだよな……ってずっと思っていたのが繋がりました。そりゃそうだ、ウチに岩手で買った本あるもんな。(『幻影復興 メフィスト・リブースト』という清涼院流水先生の特集アンソロで覚えてた)
↓の写真は帰りがけに買った、今回の戦利品。
トークイベント開始。
まずは自己紹介から、ということで、司会の蔓葉さんから順に、略歴や読書傾向、イベント参加への切欠などを簡単にお話されていきました。
『現代ミステリとは何か』で書かれた登壇者の論は以下です。
蔓葉信博さん:青崎勇吾論
孔田多紀さん:森川智喜論
坂嶋竜さん:陸秋傞論
琳さん:円居挽論、今村昌弘論
司会の蔓葉さんは、論者の一人でもあり、編集という立場ですが、今回のイベントでは司会進行に徹する形で、まとめやトークを促す質問に専念されていました。(本書の青崎論にも繋がる展開にはなっていたので、全くご意見が伺えなかったわけではないです)
主に、孔田さん、坂嶋さん、琳さんの論から、法月先生が注目した点についてトークを広げていく感じの流れでした。
法月先生が以前書かれた『フェアプレイの向こう側』で論じきれなかった部分や、ある作品の中で破綻している箇所が自分の中で落とし込めていなかった部分を、登壇者の方々の論を読んで腑に落ちたことなどを話されたりと、裏話を聞いている気分でドキドキしました。
その発言を受けて、琳さんの論は『法月綸太郎の消息』からヒントをもらったというお話も聞けて、登壇者同士で相互に影響を与え合っていることにも感動しました。
備忘録程度になりますが、お話の内容も少し残しておきます。
テン年代ミステリの特色である<特殊設定>についてを主軸に、<特殊設定ミステリ>の代表作(『虚構推理』や『屍人荘の殺人』)などを取り上げ、<特殊と日常の境界>とその<組み合わせ>で展開できる可能性、ゲームやアニメというメディアと組み合わせた効果、海外作品では表現できない日本語のもつ特殊性など、それぞれソコもっと詳しく聞きたい……というお話が続出でした。
<特殊と日常の組み合わせ>では、舞台と人物を主軸に、舞台が特殊(異世界など)×普通の探偵役、日常の舞台×特殊な探偵(異能など)、でヒットした例をおさらいしつつ幅広いお話が展開されていきました。そのヒットした例に挙がった作品も、映画やドラマ、アニメなどのメディアミックスがされていて、そこにはSNSなどの現代ならではのメディア展開と、受容や影響の形が見られて面白いなと感じました。
中でも一番盛り上がっていた話題は、キャラクター論でした。
新本格やメフィスト世代には、<強力な探偵役>が一瞬にして解決!という、超人探偵の出てくるミステリが目立っていた印象があります。(御手洗潔、九十九十九など)
たしかに、現代ミステリの探偵役はリアルタイムで起こる事件を、みんなの協力で解決するものも多い気がします。(あまり読んでない私が言うのもですが、テン年代で私が読んだものはそういう傾向だった)
<強力な探偵役>というキーワードから、琳さんの論(「シャーロック・セミオシスー円居挽論」)が中心の流れになると、ホームズという世界共通の記号として成り立つ強力なキャラクターのマルチバース性、プラットホーム性についての話が広がっていきました。
こうしたお話を聞くと、改めてホームズという記号の万能性を思い知ります。作者の都合で一度死んで復活しているのにも関わらず、実在の人物という体で受容されたり、ホームズそのものではなく記号としての展開も、現代の青年としてリメイクされたり、辮髪になったり、三毛猫になったりと幅広い……。聖典(原作)読んだことない人でも通じる、万国共通の強力な名探偵はホームズだけでは?という話で盛り上がっていました。(金田一や明智なども原作未読の人でも通じる記号ではありますが、万国共通レベルかというと、他の探偵と比べてホームズは飛び抜けてますもんね)
お話を聞きながら、メモを取り、自分の中で考えながらだったので、登壇者の方の言いたいこととは大なり小なりズレがあると思うので、ここからはキャラ論のお話とそれを受けての個人的な感想です。
特殊設定ミステリで舞台が特殊なパターン、たとえば異世界だと、その世界のルール(何がNGなのかなど)を頭に入れるのがハードルになり、そこに特殊な探偵役となると結構しんどくて、特殊×特殊の組み合わせは書くのも読むのも難しいと思いますが、そういう共通記号を持つキャラであれば、そのハードルを越えてくれる気もします。
<強力な探偵役>の使用方法として、この人物ならこういうことはしないからこの可能性はない、などの「読者がメタ推理をしながら読む」という事を利用して、推理の破綻(他の否定しきれない可能性)や舞台独自のルールを上手く収束して受け入れさせることが可能になるというか。
私が子どもの頃から思っていたこともそれに繋がる話だなと思いました。
ズボンの裾が濡れていた=水たまりの上を歩いた=雨が降っていた。という推理も、水まきしてた家主に引っ掛けられた可能性を消しきれなくても、<強力な探偵役>が、雨が降っていた根拠を挙げていき、他の可能性であることを証明できる根拠が乏しい場合、一番可能性の高いものを真実として受け入れさせてくれる。(この記号の共通認識が違うと、鬼の首を取ったみたいに指摘してしまう人が湧いてくるのですが、作家も承知の上で書いているわけで)
特撮ヒーローもので名乗り中は攻撃しないのは、そのジャンルでの<お約束>であり、゛「そういうもの」にツッコむのは外野の素人”みたいに言われることがありますが、それと似てるけど少し違うんだなと。
私は色んな可能性を考えながら自分なりに推理して読むタイプですが、他の可能性があることに気づいていても、今まで探偵役が導き出した真実に異論を唱えることはほぼ無かった(一度もないわけではない)ですし、ツッコむ人に対して逆にモヤモヤしていました。
今まで私が探偵役の導く真実に納得できていたのは、ミステリが「そういうものだから」ではなく、真実を探偵役のキャラクターが保証しているから、他の可能性が残っていても受け入れられたんだなと。(受け入れられない人もいると思うけど)
その辺の話は本書(特に琳さんの論)でも論じられていましたが、より解りやすい例と登壇者のみなさまの様々な見解を経て、改めて腑におちました。
他には、坂嶋竜さんの論(「我們の時代ー陸秋傞論」)から派生した、日本独自の表現として、ルビの問題についての話が面白かったです。
本来その言葉が持つ意味を超えた範囲の意味を持たせることができ、同時並行で読者に伝えることが出来る……という、この特殊な表現方法の可能性や、ルビを詰める詰めないで変わってくる印象の問題というのも、作家側の視点で法月先生が語られたのも興味深かったです。
あと、陸秋傞に代表される<華文ミステリ>の隆盛と、中国での<新本格>受容のお話も、ほぼ触れずにきているので勉強になりました。
<華文ミステリ>の話題の中で出た、海外文化と日本文化の違いから自然発生的に<特殊設定>の舞台となりえるという視点もとても頷けるものでした。
また個人的な感想になりますが、最近は近代文学ばかり読んでいたので、明治・大正の文化って、現代人にとっては、海外文化や異世界文化のような文化の壁があって、そこに書かれた人物も、私たちと似ているけど違うルールの中で生きている人たちとして認識しながら読まなければ誤読を生む<特殊設定>だと思っていました。
なので、近年文豪ミステリ的なもの(『文スト』や『啄木鳥』など)が増えてきたのも、異文化の舞台×共通記号のキャラクターという<特殊設定ミステリ>の流れにある必然のブームだったんだなと思いました。
上記の中で話題に挙がったり、私が思ったりしたことは、孔田多紀さんの論(「燃ゆる闘魂ー森川智喜論」)の冒頭「<特殊設定ミステリ>私見」で、まとめて下さっていることにも繋がっているなと感じます。(短い文量で解りやすく<特殊設定ミステリ>についてまとめられているので、本書未読で私のように現代ミステリに疎い方は、まえがきの次に読むのをオススメします)
孔田さんの論が、そういった<特殊設定ミステリ>の特徴を幅広くカバーするものだったので、終始質問や話題が集中しやすかった気もします。(時間が許すならもっと深く聞きたい!ってことが湧いてくる気持ちわかる……)
最後に、参加者からの質問コーナーがありました。
アニメ化などのメディアミックスのミステリについてや、SNSが普及した世代のミステリについて質問が上がり、思わぬ方向の答えが出たりして面白かったです。(質問が正確に聞き取れていないので割愛)
そういった質問の流れで、作家がSNSを使って発信する時代のミステリについて、当日の登壇者ではなかったですが、詩舞澤沙衣さんの論(「作家だって一生推してろー斜線堂有紀論」)に絡めてたお話も面白かった。
作家自身が、強力なキャラを持つ記号であり、プラットホームでもある、みたいなことは、確かにありますし。(京極先生のような強キャラ作家の作品を作家ごと読むみたいな例もある)
論の中で問われていた、作家が小説を書く事だけを求められていない時代について、法月先生が、お笑いの人が書いた小説が求められ受容されるのもそういった時代の流れにあるからで、逆に作家もお笑いのネタとか書くのも面白いかも……?みたいなことを話された、まさにその時、司会の蔓葉さんから(Twitter上でトーク内容のまとめを実況されていた)「蘇部健一先生がキングオブコントに出場されるとTwitterで呟かれてますwww」という発表があり、現代ミステリの今後の展開に見事なオチがついて、トークイベントは閉幕しましたw
蘇部先生が全部持ってったね、なんて言いながらの和やかな雰囲気の中での解散でしたが、進行表から大きく外れ、時間も超過するほどの楽しい時間で、京都の夏以上に熱い夜でした。
登壇者の方々に一言お礼を言ってから去ろうと思いましたが、先生の前に立つと涙堪えながらになり、上手くお礼が言えなかった……。
イベントが楽しかったことと、今後もお体を大切に、作品や評論を書き続けて欲しいという思いだけ伝わっていればいいなと思います。
今回のイベントでの話題を踏まえて、未読のテン年代作品読まないとなって思うと同時に、『法月綸太郎の消息』や殊能将之作品(クトゥルフ関連の流れで話題に挙がった)を読み返したくなって、読書中は時間が止まる特殊能力に目覚めないかなって心底思いました……_(:3 」∠)_
おまけ。文学さんぽ恒例のグルメコーナー。
イベント前の腹ごなしに入った喫茶店。
同志社大学のキャンパスが近いので学生さんが多いのと、下鴨神社や京都御苑の観光客が休憩に入るのにちょうどいいカフェがそこかしこにあるので、この辺来ると、どこに入るかいつも迷うのですが、今回はこちらに。
学生さんや家族連れなど地元の方がメインな印象でしたが、落ち着いた静かな雰囲気で、私の他にも読書しながらの食事といったソロ客も半分くらいいらした。
パスタセットやカレーも迷いましたが、選べるキッシュのバリエーションの豊富さに軍配があがりました。
この、パンプキンミートのキッシュが美味いったら…。
ほくほくのカボチャがゴロゴロ入っていて、あつあつミートソースとトロトロチーズが絡んで……っていうしあわせ勝確な具を、焼き立てサックサクの香ばしい生地と同時に口に入れる……どうなるかもう想像できますね、ハイ、おいしい!
小さめに見えますが、結構ボリュームありました。ので、完食に時間かかりましたが、冷めても美味しい。
日替わりスープはオニオンスープ。濃厚なのにスッと消える油が舌の上に広がって、最後にコショウの風味が香る感じ。具もいい感じに火が通してあるので、くたっとしてなくてシャキッとした歯ごたえが残るの嬉しかった。
セットで付くケーキって、チーズケーキとか、ガトーショコラとか、ロールケーキとか、だいたい具の無いシンプルケーキじゃないですか。
ここ、セットのケーキがどれもセットぽく無くてビックリ。
うっそ、メロン選べるの? ってなるよね。そして、迷わず頼んだよね。
アルミホイルで包んであるのが、喫茶店のケーキぽくて嬉しい。(勝手なイメージ)
こういうのの上に乗ってるメロン、メロンとは名ばかりの瓜、ってパターンあるから期待せずにいたんですが、裏切ってきましたね、いい意味で。
めっちゃ甘い! 熟してる! ちゃんとメロンだ!(当たり前)
スポンジはしっとり系で甘さ控えめのミルク感のあるクリームと一緒に、メロンの果汁と混ざり合って、口の中でなくなっていくのがたまらない。
他のケーキへの期待が止まらなくなる……!
けど、流石に食いすぎだし、イベント中にトイレ常駐とかなったら流石に心が死ぬので断念。
夏の納涼古本市で下鴨神社に行くから、また寄ってみたいなと思いました! ごちそうさまです!
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