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不真面目に生きればよかった

 初めて登校拒否をしたのは幼稚園の時だった。なぜかいじめられっ子にロックオンされてその子に近づくたびに睨まれて威圧感のある無視をされていた。それで嫌になって幼稚園を休んだが、数日ですぐ親に幼稚園に連れていかされた。登園したら隣のクラスの先生にニヤニヤしながら「幼稚園いやだって言ったんだって?」と話しかけられた。
笑い事じゃねぇ!幼児の微笑ましいぐずりなんかじゃねぇ!と思ったが大人にはわからないかもしれない。しかしあの時の私は必死だった。

 初めて自殺を考えたのは小学校3年生か4年生ぐらいの時だった。遺書を書いていたら涙があふれて書けなくなったので、早々に死んでしまおうと天井の蛍光灯にぶら下がっている紐を丸くくくって頭を通そうとした。しかし紐が短くてなかなか頭を通らない。苦戦している時に母親に見つかってこう言われた。

「蛍光灯が壊れるからやめて!」

ああ私より蛍光灯が大事なんだと落胆した。

 中学3年生の時は「問題児」を集められたクラスに入れらた。私がそのクラスに入った理由はたぶん、夏休みの登校日を宿題をやっていないからという理由で休んだからだろう…。ミスった。
そのクラスは氷のような表情の子か不良かのどちらかしかおらずすさまじく地獄だった。いじめられた。登校拒否した。


 今思えば学生の時なんて大人が悪いとブンブン振り回されるし、なんか上から物言われるし、真面目に受けてるのに痛い目に合う。ホント理不尽すぎることだらけ。クラスメイトも趣味も性格も合わないような人間の寄せ集めだったりして、いいクラスに当たるのも運しだい。転職サイト張りに転校サイトみたいのがあればいいのに学生は入ったら終わりな感じが否めない。地獄だ。

小中高で12年間学生をしている中でもたまにパラダイスのように楽しい時もあった。それは好きな人がいた時と仲いい友達がいた時。先生がダメであってもある程度結束できるから楽しめた。親がダメであっても「親がダメ」を共感できる友達がいると安心できた。やっぱり人との繋がり次第だったなぁと思う。

 現在結婚して子供ができ、わりと幸せに暮らすことができたのは「地獄の環境」から脱却したからだと思う。家族問題でも長年悩まされた私は家族から離れる事が出来なかった。満たされず「無い」ものを得たくて探し求めてずっと家族に囚われていた。満たされてない思いは非常に苦しく悲しく周りが見えなくなり辛かった。
だから本当…親にはちゃんと育てて欲しかったなぁ!!

 それもあり本当は自分も親になるのはとても怖かった。荒れ狂った家族環境がまた始まってしまったらどうしよう。私が私の母のようになってしまったらどうしよう。また繰り返されるのであれば家族はいらないと思った。妊娠した後も「産まない」を選択しようかと悩んだ。

 しかし産んでしまうと子供は可愛くて可愛くてしかたないもので、私がこんなにも普通の日常を送り幸せを感じられるとは思わなかった。孫を見ることで私の家族もだいぶ人間らしくなり、環境が変わることってこんなに自分も人も変えるんだなーと感心する。

ハッピーに生きられることが最優先で問題を解決するのがいいとは限らなかったのだ。

この先人生のステージが変わって新たな苦悩もあるかもしれないけどなるべく楽観的に楽しく向き合っていきたい。

学生はなかなか環境から逃げることは難しいかもしれないけど、なるべく理解したい。もし私の子供がいじめ等々で学校行きたくないといい始めたら一緒にディズニーランドでも行ってみようかな~なんて思う。ま、ケースバイケースで。

とにかく辛い事なら逃げる選択肢もいいかなと。

いや、ほんと、私の場合は結婚するまで本当に死ぬほど辛かった。今の問題ももちろん色々あるけど比じゃないぐらいに辛かった。

ああ、幸せになれてよかった。一旦めでたしめでたし。

結局生きててよかったよ。

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