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マイノリティ?されどマジョリティな私が逃げてはいけないこと

「普通」じゃない、「普通」のあり方では少し生きづらく感じた…
そんな私は異性愛者でも「マイノリティ」と言えるか?と最近考えたていた時、いや、そう単純な話ではない!あぶない!とハッとしました。
その経験をアウトプットしようと思います。

こんにちは。
私は恋人とオープンリレーションシップ、恋人と合意のもとでお互いに他の人とセックスしてもOKという付き合い方をしています。
オープンリレーションシップについて詳しくは以下の自己紹介記事にて↓

「普通」じゃない=マイノリティ?

社会の中で、普通の恋愛ってどんな風に考えられているのでしょうか?
・男と女がする
・2人の人間の間で発生する
・自分の相手だけを一番愛する
・浮気しない(恋人以外の異性と親しくしない)
・ずっと一緒にいたら、いつか結婚する
・結婚したら子供を作って家庭を築く
・死ぬまで添い遂げる
…などなど。他にも「恋愛って普通こうでしょ」と誰かが言うだろうポイントは沢山あるでしょう。

私の恋愛のやり方は、上記のポイントに当てはめて考えると「2人の人間の間で発生する」「浮気しない」を破っています。
この時点で、社会的にはもう普通ではないと判断されるでしょう。

初投稿記事でも書きましたが、私には社会の普通の恋愛はしっくりきませんでした。しかし、ずっと普通以外のやり方を知らなかったので、1対1の恋愛関係を持っていましたし、恋人がいながら他の人に興味が向く自分は不誠実で間違っていて、それはいつか矯正しないと普通に結婚して幸せになれないと考えていました。

しかし、運良く大学でジェンダー学と出会ったことや、オープンリレーションシップをしている人と友達になったこと、似た感覚の男性と出会いお互い好きになったこと…色々な幸運が重なって、今はもっと自分に合ったやり方の恋愛に辿り着きました。

待て!それでもお前(私)はマジョリティだ!

さて、本記事の本題である「普通の恋愛をしていないから、私はマイノリティか?」という問いに対し、私が出した結論から言うと「それでもマジョリティであることを忘れるな」です。

ここでいうマジョリティとは、単に数が多い(多数派)という意味ではなくより多くのパワー(権力)をもっている側を指す概念です。マジョリティには様々な切り取り方があります。
例えば、性別においては男性、性的指向でいえば異性愛者、学歴では高学歴、身体・精神の面では健常者が、そして海外では白人が人種的マジョリティです。

オープンリレーションシップを実践する私のセクシュアリティにマイノリティ性があるのは事実でしょう。
しかし、ここで重要なポイントがあります。私は自分のセクシュアリティによって社会的に不利益を負っているかどうか、です。

私は生まれた身体も性自認も女性であり、恋愛・性的対象は異性である男性です。
恋人とは男女カップルであるため、親や友人にカミングアウトしなければ紹介できないわけでもない。ラブホテルの利用や各種サービスのカップル割引で問題はない。デート中に心無い視線や言葉をぶつけられる心配もなく、もし結婚したいと思ったら法的にも問題なく結婚できるわけです。

これを当たり前と思う人もいるでしょう、寧ろほとんどの人がそうだと思います。
しかし、これは社会においてマジョリティが持つ「特権性」というものです。そして特権性の厄介なところは、持っている人間にとっては当たり前の日常であるために、それを持っていることに無自覚になってしまうこと、それ故に特権を持たないマイノリティの存在が見えづらくなることです。
マイノリティが見えない存在になればなるほど、社会はマジョリティにとって圧倒的に有利であり続け、差別や格差の解消は遠くなっていきます。

社会的に何の身の危険も感じることなく恋愛ができる、これは異性愛者というマジョリティである私が持つ特権です。
このことを私自身が忘れることは、自分のセクシュアリティに従って生きることで実際に社会的に抑圧され苦しむ人達の不可視化に加担するという加害性を持つのです。

自戒とまとめ

マジョリティの特権性と、それに無自覚であることの加害性。
この2つは、例え私がマイノリティの要素を持っていようが、マジョリティ側にある人間として逃れることができない責任なのだと、自戒を込めてまとめとします。

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