性的虐待を受けた「私」の話① 私が覚えている最初の記憶
はじめまして、水無月あおいと申します。
私は自分の名字も、親につけられた名前も大嫌いなので、Chat GPTさんと相談して私の新しい名前を決めました。
漢字で書けば、「あおい」は「葵」です。性別を問わず使える漢字だと思うし、何だか気に入っています。
タイトルの話だけど、以前と比べてニュースで聞く機会が増えたような気がします。私の気のせいでしょうか。
私は小学校の2年生から、家族に性的虐待を受けていました。
私と同じ目に合う人が減ればいいな。
そんな気持ちで書いていきます。
私が覚えている最初の記憶
東京のどこかの場所。
幼稚園に通っていたときの私は、友達が少ないけど・・・
そこそこ幸せだったと思います。
でも、毎日10分近く、家から一人で歩いて幼稚園まで通っていました。
数十年前とか昭和ではなく、平成の話です。
もしかしたら、古い時代や田舎だとそれが当たり前だったのかもしれません・・・。分かりませんけど。
でも、幼い私が住んでいたのは東京都の住宅街です。
自転車で送り迎えをしてもらえる・・・とか、親が付き添って・・・とか、そんなことはまったくありませんでした。
家から近いせいで送迎用の幼稚園バスも乗せてもらえなかった。
家から10分ぐらいの距離に図書館があったから、よく絵本を借りに行っていました。これも一人で。
想像してみて。
毎日、平日の同じような時間に幼稚園児が制服を着て一人で歩いてるんだよ。
大人にとってはたったの10分かもしれないけど、幼い私にとっては長い10分です。
車にひかれるとか、変な人に声を掛けられるとか、トラブルに巻き込まれることはなかったけど、これはとても幸運だったと思います。
お父さん、お母さんのみなさんは自分の5歳や6歳の子どもを一人で幼稚園に向かわせられますか?
小学校に入学してからも、私はランドセルを背負って一人で登校しました。集団登校がない学校だったので。
6歳の私に「悪い大人がいる」なんて想像もできない。
できるはずがない。
令和の今ほど個人情報に厳しくなかった時代だから、名札から「1年●組 名前 水無月あおい」と個人情報も丸見えです・・・。
結果的に運よくトラブルに巻き込まれることはなかったけど・・・。
どこからどう見ても悪い人の格好のターゲットだったし、万が一のことがあったら、私は悪い大人に簡単にだまされていたと思います。
脅されたら怖くて逃げられなかったと思う。