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あの日の私を救う大人になる

あと数日で、私は20歳になる。大人になる。

少し前まで、ずっと子供でいたいと思っていた。

理由はなんとなくで、歳を取りたくない、老けたくないとか、大人になると守ってもらえなくなるから、とか色々だけど、決定的な何かがあったわけではない。毎日電車に乗って、ヘトヘトになりながら働いて、気づけば心が死んでいて、自分はどうして働いているのかすら分からなくなるようになるのが大人だって、そんな勝手なイメージを抱いていた。

だから私は、大人になりたくなかった。
ずっと10代のままでいたかった。

かと言って、子供時代を心から楽しんでいたかというと決してそうではない。小学校〜高校のスクールカーストには、散々苦しんだ。学校というフィールドの中では定められたルールが絶対で、でもそのルールが縛り付けるのはあくまで風紀や生徒としての態度だけ。生徒同士のヒエラルキーやカーストから守ってくれるようなルールはない。

「今こんなにしんどいってことは、大人になったら絶対楽しくなるよな?」
学校から帰ると、キッチンで夕食を作る母に向かって何度も尋ねては、自分に暗示をかけた。そう思っていないと自分を保っていられなかった。

母はいつも「子供の頃にたくさん我慢をした人はきっと、大人になるにつれて人生が楽しくなるから大丈夫」と答えてくれた。

この狭くて暗くて窮屈な世界から飛び出せる。
ここ以外の何処かへ行ける。
心から分かり合える誰かと出会える。

未来への期待が、苦しい日々を生き抜く意味だった。

進学した大学では、芸術大学ということもあってか、互いの個性を認め合う環境に恵まれた。そこにはあの理不尽な格差はなく、やっと自分を受け入れてもらえる場所に辿り着けた。

ここでは堅苦しいルールに縛られることもない。何もかもを自分の手で選択できるようになった。逆に、自分にしか選択できなくなった。何だか「大人」っぽいなと思った。

大人になるのも悪くないのかも、大人って楽しそうだな。ずっと子供でいたかったはずの私が、いつしかそう思えるようになったのは「こんな大人になりたい」と思える憧れの人、尊敬できる人に出会えたおかげだと思う。

その人たちが心から「大人」を楽しんでいて、「大人になるのも意外と悪くないよ」と教えてくれた。

だから、大人になるのがすごくすごく楽しみになった!

大人になったからといって、子供心というやつを捨てる必要はないと思っていて。好きなものをただ好きと思える気持ちとか、美味しいものを素直に美味しいと言える気持ちとか、つらくなったら思いっきり泣くとか、そういう子供のような真っ直ぐさはすごく大切だと思うから、ずっと忘れないでいたい。何歳になっても感情は手放したくない。

私は、どんな子供だったんだろう。私は、どんな大人になるんだろう。

19歳から20歳になる瞬間は何をしよう。
考えるだけですごくドキドキしている。ワクワクしている。

大人の私を見て、子供の頃の私が涙を流して喜んでくれるくらいカッコいい大人になりたい。

いつか、あの日の私を救う大人になる。

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