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コンプレックスと家族と、マグロ丼

また泣いてしまいそうだった、マグロ丼のせいで。




こないだ、ずっと気にしている自分のコンプレックスを家族にからかわれた。それがすごくショックで悔しくて仕方なくて、でもどうしようもなくて。

その場で涙が溢れそうになったのをぐっと堪えて自分の部屋へ駆け込み、ベッドの上で水色のタオルケットに包まった。

その瞬間、我慢していた涙が溢れ出した。傷口をえぐられたような、そんな感覚がただただ辛かった。

自分でも驚くほど本気で泣いてしまった。

もう大学生だし、グズグズ泣くなんてかっこ悪い、情けない。心のどこかでそう思っているのに、どうしてか涙を止めることができなかった。


家族といえど、人と人だ。血が繋がっているからといって、人のコンプレックスをバカにしていいわけじゃない。

”コンプレックス”というものは、その本人が過度に気にしすぎているだけで他の人からするとどうでもいいものなのかもしれない。

でも、当人にとっては本当に大きな問題なのであって、何がどうあれそれを他人がからかったり、ばかにしていい理由にはならない。

家族には、コンプレックスをバカにするんじゃなくて「そんなに気にすることないよ、大丈夫だよ」って、声をかけてもらいたかった。そして、家族だけはそう言ってくれると心のどこかで思い込んでいたのだと思う。

一番身近な存在のはずなのに、たった一瞬で心の距離が一気に遠のいた気がした。

でもそれ以上に、人のコンプレックスを平気で笑えてしまう家族の無神経さにがっかりした気持ちの方が大きかったのかもしれない。

人の心の弱いところを笑ったり、バカにするような人でいて欲しくなかったんだ。人の心の痛みを分かる人でいて欲しかった。

きっと、それだけだった。


泣き止んでから、私はパソコンに向かって作業をしていた。

リビングから聞こえる家族の話し声を、どうしても聞きたくないとイヤホンで耳を塞いでいた。一人きりの空間がよかった。

少しすると、母がそっと部屋に入ってきて、私のクローゼットに洗濯物をポン、と置いた。私は知らんぷりをした。


母は眉を下げて少し申し訳そうな顔をして、
何も言わずに私の髪を撫でて、部屋から出ていった。


子供より、大人の方がずっと「謝る」ことが下手くそだ。




翌日は目を泣き腫らしてしまったせいで、メイクが上手くできなかった。

いつも以上に腫れぼったい自分の目を鏡で見て、なんともいえない気持ちになった。メイクが上手くいかなかったことと昨日のことがぐちゃぐちゃに混ざり合って、どうも気分が上がらない。

家族と言葉を交わさず家を出て、もやもやと浮かない気持ちのままで私は電車に揺られて大学へ向かった。


昨日の出来事は確実に、ズルズルと尾を引いていた。

一番近かったはずの家族との隔たりが突然自分の中にできて、どうすれば良いのか分からなくなってしまっていた。

「大丈夫」「気にすることない」、そう言ってくれると思っていたのに。

誰かに話して心を軽くしたかったのだけれど、誰に話せば良いのかがわからなかった。というより、誰にも話せなかった。

友人に話だけでも聞いてもらおう、と思ったものの、起こったことの経緯を話すとなるとコンプレックスの話を友人にもしなければならない。そう考えるとどうも話す気になれず、結局自分の中で消化してしまうほかなかった。


授業が午前中に終わり、帰り道にショッピングモールで買い物をしていた。フードコートの前を通り掛かると、海鮮丼のお店が目に入った。

海鮮が大好物な私は心を一瞬にして掴まれてしまった。

嫌なことがあったときは好きなものを食べるか寝るに限る。

悩む間も無く勢いのままでレジへ向かった。メニューの一覧を見て、真っ先に目に惹かれたマグロづくし丼を注文。フードコートは注文から料理が届くまでのスピードに無駄がなくて、なんだか好きだ。

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4人掛けのテーブルに1人で座って、隣の椅子にカバンを置いた。いただきます、と手を合わせて割り箸をパキッと割った。

騒がしいお昼間のフードコートで女子大生が1人で黙々とマグロ丼を食べている、という状況は側から見ると少しシュールだったかもしれないけれど、そんなこと、あの時の私にはどうでもよかった。


マグロ丼があまりに美味しくて、じーんと心に染みた。

昨日はあんなにも悲しかったのに、あんなにも辛かったはずなのに。こんな時でもマグロ丼は美味しくて美味しくて仕方なかった。

辛くてもご飯は美味しいなあ、と訳も分からず泣きそうになった。昨日あんなに泣いたのに、また泣きそうだった。マグロ丼に泣かされそうだった。


どれだけ辛くてもしんどくてもどん底でも、美味しいものは美味しい。

人間の体は本当に正直でとってもおもしろい。


フードコートの1000円のマグロ丼にすっかり感動して、食べ終わった頃にはどんよりした気持ちも何処かへ行ってしまった。

私は人ではなく、マグロ丼に心を救われた。




「ただいま」『おかえり〜』

家に帰って、家族とはいつも通りに接した。

もう当分の間は口を利きたくないなんて思っていたけれど、そんなことをしても結局何も変わらないなあと考えていた。

別に家族のことを嫌いになってしまったわけではない。人を意識的に避けて生きるのは自分自身がしんどくなってしまうだけなのでやめてしまった。

また同じようなことが起きたら、その時は「人のことをそんな風に笑ったりしないで」、とちゃんと伝えよう。そう決めた。


コンプレックスはやっぱり嫌だけど、コンプレックスを持っていると人の心の弱さが分かる気がする。人に優しくなれる気がする。痛みがわかる人でいられる気がする。だから、悪いことばかりじゃないと思う。

嫌なこともいっぱいあるだろうし、また泣くこともあるかもしれないけど、その時はまたマグロ丼を食べればいい。

そしたらきっと、マグロ丼が何度でも私を励ましてくれるはずだから。



2020.10.2

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