過去や未来がはっきり分かったら、はたしてそれは幸せなのだろうか
こんばんわ🌙今日は日記です😊
この日記は、3月に入ってすぐに書き始めたのだけど、4月の占いの執筆に追われて一旦下書きで眠っていたもの。
今夜は、その途中まで書いた内容に加筆して、気持ちを成仏させたいと思います笑
占星術基礎コースIIで、未来予測の方法を学びます。
東京アストロロジースクールで占星術基礎コースIを学び、
3月末に無事に修了し、出生時のホロスコープを読むことができるようになりました😊
そして、来週…というか明後日の4/10から、4月スタートの占星術基礎コースIIで、未来予測の方法を学んで行きます!
これまで静止画として止まった状態で考えていたホロスコープを、今度は時間を動かして、動いた惑星の配置から未来を予測するというもの。
これを学ぶことで、占星術で未来の可能性をホロスコープから読むことができるようになるそうで。とても楽しみです💕
若い頃は、自分の未来がはっきりと知りたかった
ところで、私は今よりもずっと若いころから(10代の頃とか)
自分の未来で起こることが、とても知りたいと思っていました。
だから、未来を知るための手段の一つとして、今学んでいる占いはもちろん興味があったけれど、人が元々持っている潜在的な能力を引き出すための手法や修行や訓練にもすごく興味があったの。
そう、映画「マトリックス」や「ルーシー」みたいに超人になれたら、なんでもできるようになって、私は怖いものがなくなって幸せになれるんじゃないかって、そう思ったりしていた。
だから、占いの他にも、一見ちょっと怪しげな潜在意識を書き換えるメソッドや、ヨガを学んだり、アカシックレコードリーディングの訓練を受けてみたりした。
それで実際に自分が体験してみることで、未来を知るということはどうゆうことかについて改めて考えたりしたら、 未来ははっきり分からない方が、人は幸せに生きることができる。って結論そう思えるようになった。 そして、人間らしく生きることの大切さや素晴らしさを実感できたことでも、色々試してみた価値はあったと思えたのです。
ちょっとネタバレが入ってしまうのだけど、人間の脳が100%覚醒してしまったらというお話の映画「ルーシー」がいい例だなって。
スカーレットヨハンソンが演じるルーシーが、徐々に能力を覚醒していって、超人になっていくのだけど、同時に喜怒哀楽を失っていく姿に、私はとても寂しさを感じた。
多分世界の全てが理解できて、時間まで超越できるようになって、過去や未来がはっきり分かってしまったら、不安や心配を考える思考もなくなるでしょう。
でも、その一方で、ルーシーは同時に無知だからこそ味わえる感覚を失っていくところが描かれているの。
その様子を見ていたら、ドキドキも感動も喜びも、無くなって、この世界は絶対に面白くないものになるに違いないと感じられた。
多分、曖昧で、よく分からなくて、理解したいと思うからこそ、人は知りたいと思ったり、心惹かれるのかもしれないと思ったの。
人間の曖昧さや、くだらない感情や、一見すると必要もないと思える感覚が、きっと人生や生きる上でのスパイスになっていたりするケースもあるのかもしれないと。
昔おばあちゃんから言われた言葉を思い出した。
「本当に、箸が転がっただけで、可笑しくて笑える歳なんだね。」って。
大人になることも、少しづつ世界が分かってくるから、感動が減ってしまっていってるのかもしれないよね。
この世界が新鮮で無くなって、全ての謎や理由が分かってしまったら、そこに面白さを感じられるのかと。
理由もわからず感動したり、抑えきれない怒りや感情が込み上げてきたり、そんな人間味溢れる、人間臭いような行動が私たちのこの人生を味わい深いものにしているのかもしれないと。
そう、私たちは人間に生まれた時から死ぬまで、人間ドラマを体験しているんだと。
占いは不確実で曖昧さがあるから面白い
じゃあ、何で未来を予測する占いをやっているの?と自問自答してみたら、
占いで分かる未来は象徴的で不確実性だからこそ良いんだと思えたのです。
そう、占いの良いところははっきり分かりすぎないところなんです。
だから、エンターテイメントとして楽しく未来に夢や希望を持つことができる。なんか、良いことありそうな明日なら、前向きに行動ができる。
確定ではなく、不確実だからそんな風に思える。
これは決して占いを軽んじている訳ではなく、占いで出た結果を「信じる」「信じない」の選択ができるということは、実は占う側にも占われる側にとっても良いことなんじゃないかって。
だって、占いが100発100中で当たっていたら、楽しむどころか怖くて仕方がないと思ってしまう。先日やっていたドラマ「不適切にもほどがある」もちょうど同じことを思って観ていました。
ネタバレ含むので詳しくは書けないけれど、タイムトラベルもので、自分の未来を知ってしまい、それでも生きていかなくてはならないという展開になって、知ってしまった未来までの時間をどう生きたらいいのかが課題となっていて、これもはっきりと未来が分かってしまうことの弊害なんだと思った。
以前、こちらの投稿で『生きることとは不確実性への対応』という話題について考えたのだけれど、
占いを楽しむということは、不確実性を楽しむことなんじゃないかって思えてきたのです。
ずっと怖かった不確実性、でも今は、よく分からないからこそ面白いし、だからこそ人は自分の夢や目標が叶うと信じて行動できるし、希望を持てたり努力したりすることができるんだと思う。
占いを自分の本音に気づいたり、夢や目標を実現するために活用して欲しい
占いは、その人の未来や過去を言い当てるものではなく、その人の内面を見つめたり、これからの夢や希望や目標を、自らで叶えて実現するために活用してもらえたらいいなと願うばかりです。
さっきのルーシーまではいかないまでも、人には自分で自分の夢や希望を叶えるための力が備わっていると信じています。
以前投稿した予言の自己成就だったり、
医師から余命宣告を受けたとしても、本人の生きたいという意志の力がプラスに作用して、長生きできているケースもあります。
人の潜在的な力、自分の可能性をどれだけその人自身が信じられるかどうか、思い込む力が鍵となるに違いないと思うのです。
だから、その力を自分から引き出すために、未来が楽しく希望が持てるように、占いを楽しく活用して欲しいです。
ただし、占いがたとえ良い結果だとしても、そこに本人の意識や行動、努力がなければきっと何も変わらないと私も思っています。
占いの言葉を読んだり聞いた時に、自分の心の動きによって本音に気づいたり、夢や目標を実現するための行動のきっかけなどに活用して欲しいです。
そして、これが、私が占いを勉強している理由なんだという結論に結びつきました。
さあ、そうこう書き続けていたら、今日もこんな時間になってしまいました💦早く寝なくては〜
少々長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました🙏
それではおやすみなさい🌙✨
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