【36歳初産の出産レポ】なんでもない日が、特別な日に変わった日
なんでもない日が突然、一年で一番大切な日に変わった。
それは11月23日、勤労感謝の日。
今まで見向きもしなかった祝日が、これからは毎年祝福する日になる。
このnoteは、普通分娩の出産記録です。出産前、いろんな人の分娩記録を読み、参考にさせていただきました。私の記録も誰かのお役に立てれば嬉しいです。
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嘘みたいな話だけど、その日の夜中2時。「よーい、スタート」という声で目が覚めた。
焦って目を開き、お腹がやんわりと痛いのを確認。
いつもと変わらない痛さに思えたけど、先ほどの声が私を焦らせた。(あの声は何だったんだろう?夢かなぁ)
鼓動が激しくなり、パニックになりそうになる。
いつ出産になってもおかしくない「正期産」だと理解していたはずなのに、全く心の準備ができていないことに気付く。
とにかく心を落ち着けるため、体を起こして、お手洗いへ。
「お腹の痛みもなくなったし、これは陣痛じゃないだろう」と安心し、ベッドに戻った。
あとは朝を待てばいい。
そしたら、いつも通り朝ごはんを食べて、ユニクロの感謝祭に行くつもりだ。帰りにラーメンも食べてこよう。
そんなことを思いつつ、すぐには眠れなくて、漫画「コウノドリ」を読んだり、出産のブログを読んだりした。
そろそろ寝ようかと、ウトウトしていた早朝4時過ぎ。
「プツン」という音とともに、下半身にじわっとしたものを感じた。
瞬時にこれが破水だと分かった。
主人をすぐ起こすと、かなり慌てた様子で飛び起きた。
私は意外にも冷静だった。
だって、破水がきたらもう逃れられない。
あと数時間後、もしくは1,2日後には分娩が必ずある。
お手洗いに行き、下着を替えナプキンを充てた。
その間も薄いピンクの水は止まらない。
変な体勢になりながら、病院に電話した。
陣痛タクシーは主人が呼んでくれて「5分で行けます。」とのこと。
慌てて仕度しながら「まさか破水から始まるとはねー!」と話す余裕がまだまだあった。
前日の検診で「6割くらいは陣痛から始まる」と聞いたところだったから、自分も陣痛から始まるものだと思い込んでいた。
だから陣痛が始まったら「お風呂に入ろう」とか「ヨガのポーズをしよう」とか、少しばかりの準備はあったんだけどな。
まさか破水から始まるとは。
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早朝5時過ぎ、陣痛タクシーに乗り込んだ。
あたりはまだ真っ暗で、徒歩20分のいつもの道をタクシーで向かう。
励ましてもらいたくて、母へ電話。
自分の声が震えていて、緊張しているんだなってことが分かった。
なぜか涙が溢れてきて、それに気付いた主人が励ましてくれた。
そして病院へ到着。PCR検査をしてから、陣痛室へ通された。
薄暗い部屋には3つのベッドがあり、仕切りの奥にひとり、妊婦さんの影が見えた。
6時。手術着に着替え内診。
子宮口は、指一本分しか開いていないことがわかった。
それでもNSTでは、陣痛の波が5分ごとに来ている。
「これくらいの痛みなら耐えられるかも」と呑気に思った。
8時過ぎ、エコー。
そこで、やっぱり赤ちゃんが小さめなこと。さらに、臍の緒が首のまわりに二、三重に巻かれていることが判明。
「体外受精だよね?」と確認もされ、不安になる。
体外受精だと何かあるのだろうか…?
それから、帝王切開の可能性も出てきたから、レントゲンを撮られた。
帝王切開でもなんでも、赤ちゃんが無事に生まれてきてくれたらなんでもいい。
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9時。担当の先生が来る。
ちょうど今日はシフトに入っていたとのことで、見慣れた顔にホッとした。
けど、初めて内診グリグリをされ号泣。
痛いと人間、涙が出るようだ。ポロポロ涙が止まらなくなって、助産師さんが励ましてくれた。優しい。
5分ごとの陣痛が割と痛くなってきたところで、促進剤開始。
臍の緒も巻き付いているし、完全破水もしていることもあり、早々と促進剤が使われたようだ。
確実に痛みが強くなっていくであろうこの先に、恐怖を感じた。
でも、やるしかない。
これからの分娩に備えて、何か食べたかった。
助産師さんに何度も聞いたけど、促進剤も始まったし、食事は我慢してほしいとのこと。
その時点ではまだ、生理痛の延長だと思える痛みだった。
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けど10時以降。
メモを取る暇もないほどの痛みが到来。
ここからは記憶を辿ってみる。
とにかく尿意がすごくて、何度もお手洗いに行った。
陣痛の波を何度もやり過ごしながら、何度もお手洗いを往復。
自分でも「またトイレ?もー!面倒臭い!」と思ったけど、仕方がない。
(あとから聞いたら「このトイレの往復で赤ちゃんが一気に降りてきたのでは?」と言われた。)
それから痛みが本格的になり、体勢を色々変えようと努力。
四つ這いになったり、バランスボールを使ったり。
「どうしましょう?」「痛いです」を何度言っただろう。
あまりの痛さに、逃げ出したくなった。
けど、まだ子宮口は指一本くらい。12時の時点で、朝からそんなに変わっていない…
痛みは強まってるのに。
「早くても夜中くらいに会えるかな」と言われて、絶望する。
この痛みをまだ12時間も耐えなきゃいけないの…?
YouTubeの陣痛逃しを試すも、全然効かず。ヨガをやる暇なんてなかった。
「深呼吸して」と言われるけど無理…
体全体が、最強にこわばっているのを感じた。
これは確実に、人生で今まで経験したことのない痛みだった。
例えるなら、体内でドリルをゆーっくり回されてるみたいな感じ。腰をダンプで轢かれている感じ。
ついには「もう帝王切開にしてください」と懇願した。(絶対言いたくないと思っていたのに、言ってしまった…)
でも助産師さんに「まだ早いよ〜」と言われ、また絶望。まだその段階にもなっていないのか…!
主人は私が苦しんでいる間も、懸命にマッサージをしてくれた。
最初は足の裏のマッサージが気持ち良くて、痛みの波に合わせて、足の裏を強く押してもらった。
ピーク時は覚えていないけど、ベテランの助産師さんいわく「過去ベスト10に入るくらい、気が効く旦那さんですね!」とのことだった。
さすが主人…!
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それから、急にいきみたい衝動にかられる。
「いきみ逃しが辛い」と聞いてたので「これがそうか!」と思う。
助産師さんに「💩が出そうです!」と何回も言ったと思う。(今思うと恥ずかしいけど、本当に必死だった)
とにかく、何かが肛門あたりに詰まっている感じ。早く出したくて仕方がない。
助産師さんが痛みの波とともに肛門を押してくれて、それがまだ痛みを緩和させてくれた。(持っていったテニスボールは全く役に立たなかった)
でもとにかく痛い。
休む間もなく、次の陣痛の波がすぐやってきた。
この痛みから解放されたい。
「トイレに篭りたいです!」と言っても「それ、多分赤ちゃんだからダメ」と言われた。
けれど、我慢できなくて。「まだイキんじゃダメですか?」と何度も聞いた。
その間、私がジタバタと動くから、NSTの機械が何度もズレてしまい、赤ちゃんの心音がとれていなかった。
助産師さんは慌てていた。
何度も装置を付け直されたけど、私はそれよりも痛みを堪えるのに必死だった。
そしてしばらくイキみたい衝動と戦い、ようやく。
「じゃあイキんでみましょうか」との言葉が!
なんと想像以上に、赤ちゃんが下に降りてきていたそう!(想像以上に降りていたから、なかなか心音がとれなかったようだ)
そこで、ベッドに横向きで横たわり、イキみを開始。
「腰をそらずに膝をみて!」と言われる。
何度もイキんでいるけど、苦しくて痛くて。早く分娩室に行きたい。
「分娩室はまだですか?」と何度も懇願した。
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そしてようやく。
「分娩室に行きましょう」と、助産師さんが車椅子を持って来てくれた。
けれど私は、車椅子でノロノロ向かう余裕はない。
スリッパも履かずに、分娩室へ走る。(あとから、助産師さんに「あれは素早かった!笑」と言われたほど。)
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分娩室へ入ってからは、早かったようだ。
自分では永遠と続くように思われたけれど、実際はイキんで5回。時間にすると15分。
ものすごい声を出して、全身の力を込めてイキんで。
「次で生まれるよ」と言われて号泣。
もうすぐ会える。
でも「泣くと力が出ないよ」と言われ、なんとか最後の力を振り絞り…
ズルンという感覚があった瞬間、ようやく
会えた。
少しの間があき、泣き声が聞こえた。
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その声を聞いた瞬間の気持ちは、本当に言葉にするのが難しい。
こんな感動したことは、今までない。
これまで色んな国へいき、色んなことを経験して来た。
ボリビアのウユニ塩湖。アルゼンチンのイグアスの滝。ケニアのサファリ。
でも、これまで感動して涙が出た景色も、全く敵わない。
圧倒的な感動。
初めて言葉をかけるのにも、涙が止まらなくて、なかなか言葉が出てこなかった。
私はずっと嗚咽しながら泣いていた。
ずっと、ずっと。私たちはあなたを待っていたんだよ。
あなたが私たちの元に来てくれて、本当に本当に嬉しい。
生まれた瞬間は「もう2度とこんな痛みは経験したくない」と思ったけれど、同時に「こんな経験をさせてくれてありがとう」とも思った。
私はなんて幸せなんだろう。
この経験を一生忘れずに、心の中の宝物にしておきたい。
※初産婦で分娩時間は7時間半。「安産ですね」と褒められた。ちなみに出血は多め(輸血はなし)会陰切開はあった。臍の緒は3周首に巻き付いていたけど、ひっかかることなく経膣分娩で生まれてきてくれた。
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