そもそもなんでナチスの人気がでたの?
第一次世界大戦敗退の煽りを受けてドイツ国内は不況となっていた。(ヴェルサイユ条約の影響)
エッカートは国の再建をかけて救世主を望んだ。
エッカート率いるドイツ労働党が、ある酒場で反ユダヤ主義や反共産主義について議論していた。
それを盗聴するようにドイツ軍から命じられた人物はスパイの立場であるにも関わらず、その思想を魅力的に思った。
その人物こそヒトラーだった。
ヒトラーは演説における才能があり、これにエッカートは惚れ込んだ。彼こそ救世主だと。
それからエッカートが演説の元になる文章を書き、それをヒトラーが演説することで党を成長させようとした。
しかし、うまくいかず、クーデターを起こす。
が、失敗し、ヒトラーは監獄へ。死刑も予想されてたが、裁判中に質問には答えずここでも演説を繰り返し、裁判席の人物達の同情を集め、刑期の短縮に成功した。
ヒトラーの服役中に、側近が再度クーデターを起こすために人を集める。しかしヒトラーは刑務所内で、武力で訴えても意味がない、選挙だ!と、方向転換。ヒトラーは早期釈放が揺らぐ恐れがあるため軍を危険視していた。
この夏ヒトラーは一度ナチ党から離脱。
そのあと冬に釈放されるが、この頃アメリカからの貸付金によりドイツ経済は安定。
経済が安定している時には救世主は必要とされない。
この頃のナチ党支持率は3%ほど。
しかし、ヒトラーは権力の引き継ぎのあとに革命は起こると信じ、党を再建した。
ちなみに、この再建に伴い軍隊がいるだろうということでヒムラーを中心にSSが作られた。軍隊は外見的特徴を大切にし、祖先までアーリア人かどうか辿り当てはまる者が入隊できた。
党再建後、広範囲にわたる普及活動を行ったが1928年の選挙で大敗。ドイツ国民は経済の立て直し後だったため、ヴェルサイユ条約など掲げるナチ党は眼中にもなかった。
しかし1929年世界大恐慌が起こる。アメリカはドイツに貸付金の返済を求め、ドイツ国内は一晩にして失業の嵐。
ヒトラーはそれを予言していた(ヴェルサイユ条約撤廃を掲げてた理由に、他国の経済に依存していてはダメだという主旨も入っていた)
ヒトラーは政治家から預言者へ。
1930年に連立政権が崩壊し、再び選挙が行われた。
ここでナチスは650万票得て、議席も12から107へ拡大した。
ここから暗黒の時代が始まる。
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