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元100kg 過食嘔吐の母と祖父と私の新たな生活
〜100kgだった私の簡単な紹介〜
私は20年ほど前の高校1年生のときに体重が100kgになりました。
今は37kgなので、今の2.7倍以上の体重があったことになります。
100kgになったときのことを複数回に渡り振り返ってみようと思います。
なぜ100kgにまでなったのか。
そのときどう思って生活していたのか。
周りとの関わり方はどうだったのか。
自分自身についてどう思っていたのか。
こういったことを掘り下げていこうと思います。
今のわたしは、幸せを実感して生活しています。
こうなるまでどういう過程があったのかを棚卸しすることで誰かの役に立てばと思います。
元100kg 過食嘔吐の母と祖父と私の新たな生活
中学校入学時には70kg近くあり、卒業する頃には90kg近くありました。
高校入学後100kgになり、その後1年間で100kg→70kgと30kgの減量をしました。
その後1年で20kgのリバウンドをし、過食嘔吐が始まりました。
過食嘔吐は20年ほど続きました。
高校卒業時、67kg。
大学卒業時、53kg。
東京に就職→退職時 47kg
東京に就職→退職時 47kg
退職半年後 40kg
24歳 43kg
24歳の秋、母、祖父、私と3人の生活が始まりました。
父は亡くなる前からあまり家にいなかったので、家の中は女性しかいないことがほとんどでした。
祖父と暮らすようになり、男性が一人家の中に増えることでそれまでの生活とは変わってきます。
掃除
洗濯
食事の準備
など
今まではそれぞれが自らやっていたことが、自分以外に対してやることが増えました。
また価値観の違いにより衝突も起きます。
祖父は頑固ではありません。
しかし長年一人でいたので、譲れない部分も持っています。
こだわりの強い母は、それを受け入れることが難しいようでした。
母がイライラしている姿を良く見ました。
祖父と私の関係。
私の過食嘔吐はあまりわかっていないようでした。
また、精神的な病気というものは「気の持ちよう」という考えだったか、余計な事は言いませんでした。
一緒にZARDのライブDVDを見てくれたり、一緒に散歩にたまに行ったりと、余計な事は言わず一緒に時間を過ごしてくれていました。
私にとって唯一無二な大切な存在です。
祖父と私の間ではそれでも価値観の違いで衝突が起きることもありました。
3人での新たな生活私の精神的不安は継続していました。
拒食はなくなり、過食嘔吐で毎日、時間、お金が消費されていきました。
側にいてくれる家族がいる。
それでも良くならない自分に自己嫌悪を更に感じるようになりました。
この時、申し訳無さを思うことは一旦おいて、もっと素直になっていれば3人での生活に幸せを感じられていたのだろうな、と思います。
こんな私でも受け入れて側にいてくれた家族。
当時はその有り難みがわかってませんでした。
今は健康で過ごしている母、祖父に毎日感謝しています。
両親、祖父母、ご先祖さま、ありがとうございます。
自然の恩恵に感謝できるようになれて幸せです。
誰にでも幸せは訪れます。
過去100kgあっても今充実し、幸せに満ち溢れた毎日を過ごしています。
体型に自信がない自己嫌悪を抱えて生活しているこんな状況も思い続けていれば必ず幸せになれます。
思いは実現します。私の今までの経験が誰かの役に立てばという思いから、過去の体験を載せていきます。
直接話しをしたい方、気軽にご連絡ください
min.blg.0404@gmail.com
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