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「気にしい」な人ほど編集者に向いている

今日は「気にしい」な人ほど、編集者に向いているのではないか?と思ったので、その話をします。

WORDSの編集者である竹村さんも柿内さんも、すごく「気にしい」なんです。

「トイレのドアノブ」のことを気にする人

今日、トイレのドアノブの話になりました。

せっかくトイレで手を洗うのに、その後ドアノブを触ってしまったら意味がないのではないか?」という話です。

コロナも怖いし、ドアノブに極力触りたくない。入るときに引いて、出るときに押すドアなら、手を使わずに体で押せるからまだいい。でも、出るときに引くドアだと、どうしても手を使わざるを得ない。

おそらくこれまでは、出るときに押すドアだと向こう側に人がいたときに危ないから、出るときに引くドアが主流だったのではないか。でもコロナが流行ったから、これからは手洗い後にドアノブを触らなくていい、「出るとき押すドア」が主流になるのではないか。

……と。

トイレのドアノブの話だけでここまで広がるって、すごいですよね!?

普通に生活していたら、「ちょっと気になるなぁ」と思ったとしても「まぁそんなもんか」と思ってすぐに忘れてしまいます。そもそも私は「トイレのドアに出るとき押すタイプと引くタイプがある」ということすら意識していませんでした。

この話をしたとき、柿内さんが「これこそが編集者だよね!」とおっしゃっていたんです。

細かいことが気になる人は、編集者に向いている

一瞬「どういうこと!?」と思うかもしれません。でも確かに「細かいことが気になる人」でないと、編集はできないのです。

編集者は、まだレビューもなにもない、世に出る前の原稿に対して、自分の感性だけで「おもしろいかどうか」判断しなければなりません。

もっといい伝え方があるのではないか?

これは本当におもしろいのだろうか?

と、つねに自問自答することになります。

世の中のことがあんまりなにも気にならない、ぼんやりした人では、「目の前のものが面白いかどうか」なんて判断できませんよね。

竹村さんも柿内さんも、その判断の鋭さが本当にすごいんです。だから、次々とヒット作を生み出すことができるのだと思います。

目の前のものを常に疑って、「もっと良くできるのではないか?」と考え続けること。それが編集者には必要なのだと感じました。

ずっと「気にしい」でいられるのはすごいこと

人間は放っておくと、どんどん鈍くなっていくと思います。歳をとるにつれて、神経がずぶとくなっていく。

生きているとたくさんつらいことがあって、そのすべてを繊細な心で受け止めていたら、メンタルがもたないからです。

私も中学や高校の時のほうが「あの人は私の悪口を言っているんじゃないか」とか「SNSでこんなことを言ったらどう思われるだろう」と、いろんなことを気にしていました。

竹村さんとお話していると、「Twitterでこんなことを言ったらこういう人に怒られるかな」とか「Messengerでこう送ったら、ちょっと強すぎるかな」と、よく気にされています。

ずっと「気にしつづけられる」って、本当にすごいです。しんどくならないのかな!?とよく思います。

そういう、普通の人が気にしないような細かいところにまで神経を配っているからこそ、誰が読んでもわかりやすく、おもしろい文章を生み出せるのだなと感じました。

私は今、どちらかというと鈍感になってしまっていると思うので、「竹村さんならどう思うかな?」「柿内さんならどう思うかな?」と意識しながら生活することで、編集者の視点を身に付けていきたいです!


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