人間の感情を食べて生きる者たち〜家畜としてのニンゲン、畜産場としての物質世界〜

もぅいまの世界(唯物論世界)は壊れかけているから、いままでなら絶対に公表できなかった情報も公開できる。


わたしからすれば、これは常識に類するような基本事項。読み手の皆さんからすれば、政府機関やマスメディアの公式発表は何もかもウソである時代、発信者が社会的に著名であることは何ら意味を持たない(むしろマイナス要因である)こんな時代に、どうしても必要な能力とは、

『相互に矛盾する情報を、無理に統合させようとせずに矛盾したままで収集して』

『それらの情報を素材として扱い、自分の思考力で料理する』能力、

つまり、

『結論は自分で考えて自分で出す』能力

ですね。



なので、これから与える情報を、信じてほしいわけでは、まったくありません。真偽はご自分でご検討ください。

ただし、これらは、わたしにとっては、ほぼ常識レベルに相当する、ただの事実であることは、申し添えておきます。



2020年に世界的に有名な感染症が流行し始めてからというもの、どうやらこの世界は、そうとう変な場所だ、ということに、多くの人が気づき始めたと思います。


それに関してネットで主流になっている見解では、

『悪の権力者が善なる人間たちを支配している』

とされ、それらは陰謀論と呼ばれています。そちらの世界観では、悪の権力者の名前や、人間を支配する方法論についても、かなり具体的なことが述べられていますね。


わたしも『陰謀論』には概ね賛成。

事実として、そのとおりだと思う。


が、わたしとしてはほかの誰かがすでに述べていることを繰り返す気は無くて。



わたしだけの独自の見解として、

『そもそも物質世界そのものが』

『造られた世界であり』

『ニセモノなのだ!』

────と主張しています。



物質は実在しない、

と述べているのではありません。

『物質だけが唯一の実在である』とする

『唯物論世界』はウソの世界だ、

と言っているのです。



みんな、なにかを考えるとき、

『物質』を基本前提にして考えてるのではないかな?

具体的には、

ニンゲンとは肉体である。

行動とは肉体の動きである。

近しい/離れているなどは物理的な距離のことである。

などなど。



いきなり、

『物質』とだけ言われてもピンと来ないかもしれないけど、『物理的空間』ないしは『三次元空間』と呼ばれるものを実在する唯一の空間であると捉えているのは事実でしょう?



いわゆる次元上昇をすると、

『三次元』を卒業して、

四次元へ行ける、

いや、五次元へ行ける、

などという話がありますが、

それ以前にそもそも、

『三次元空間こそが唯一の実在である』

という世界観に閉じ込められていることに

気づきましょう!





わたしが日ごろ述べている持論によると、

『三次元空間』すなわち『物質世界』は

ただの影絵にすぎず、

『思考と感情』こそが、実在であり、

『思考と感情』こそが、現実。




わたしの書いた記事を読んでくれている人なら、思考と感情こそが現実、という言い回しは何度も目にしていると思いますが、

それでもまだ、『思考と感情』は絵空事で、物理的な空間でできた『現実世界』と、そのなかにいる『肉体』としての自分自身のほうが【現実である】と思えるのではないかな??




でね。

『物質世界は実在する』と

あなたがたしかに思える根拠は、

(※ほんとうは唯物論に洗脳されて唯物論世界に閉じ込められているからなのですが、それは一旦脇に置いて)

『物質的な身体(=肉体)』が

『物質的な目(=肉眼)』を有していて、

『物質世界をたしかに視認できるから』

だと言えます。



同じように、

いまはまだ不可能でしょうけど、

(比喩的に言うと)

『感情世界の身体が』

『感情世界の視力を持ち』

『感情世界をこの目で見る』

ことができれば、

『感情世界はたしかに実在する』

と思えてくるはずです。




同じように、

(比喩的表現としては)

『思考世界の身体が』

『思考世界の視力を持ち』

『思考世界をこの目で見る』

ことができれば、

『思考世界はたしかに実在する』

と思えるはずです。


実際に思考の身体が思考世界を視認すると、


『似たような思考が集まって拡大してゆく』


さまを、目撃することになります。


物質世界での具体的な何かに擬らえるとしたら、木でてきたわりばしのまわりに、白いわたがしが、くるくるまわりながらまとわりついてきて、どんどんわたがしは大きくなっていく。そんな感じでしょうか。


または、もともと地球は南北の地軸という、一本の棒だけの存在であった。地軸が果てしなく回転しつづけるうちに、大量の土を呼び寄せてしまい、やがては土の塊のような存在になった。なんて冗談を思いつくような。





でね。

今回のテーマは、

思考ではなく感情なので。




思考と感情を対比してみたとき。

思考は多様性だけの存在ですが、

感情にははっきりと優劣が伴います。


わかりやすく言えば、

将棋と囲碁とどちらが優れているか、

という問いは愚問ですが、

(※どちらも思考の結晶のようなゲームですね)

感情に関しては、

明るい感情と暗い感情のふたつしかない。


まるで酸性とアルカリ性のように、

感情とは

『明るさ度』を基準にした、

パラメータ。


感情にはいろいろな種類がありますね。

それはそのとおりなのですが、

すべての感情は、

『明るさ』という指標を用いて、

数値化できてしまいます。


エイブラハム、という『引き寄せの法則』を教えている連中がいて、そいつらの考案した『感情の22段階』は、どうやら好評らしく、出典元すらも明かさずにあちこちで引用されまくっているのですが。

(興味がある方はご自分でどうぞ)

わたしはそれ、大嫌いなので。


松村潔の水素論(グルジェフ水素)を援用して感情のレベルについて語ってみます。


松村潔の水素論を基準にすると、

感情の梯階は5段階になり、

H192/H96/H48/H24/H12


えーとね、

H48、とかの呼び名じたいが、

人間の感情の水準について表していて、

(※ほかに思考について、身体の動作についてもHで始まる数字で階層化します)

H48、

というのは平凡な平均的な人間の感情。

見ると、H48は5段階のまんなかですよね。

まんなかのH48が平均的人間。


ごくふつうの人間が、目の前の出来事に反応して、次々といろんな喜怒哀楽を体験してゆくさまは、(喜怒哀楽どれであっても)ぜんぶH48として表現される。


これだと話が早いんですよね。怒っているよりも喜んでいるほうが『明るい感情』だし、もちろん波動も高いことになるんだけど、そうだとしても、

『目の前の出来事に反応して感情を放つ』

という時点で、

ぜんぶH48

怒りも喜びも、目くそ鼻くそレベルの違いしかない!!



では上昇方向のH24

これは、目の前の出来事に左右されず、

『自分の感情を自分で放つことができる』

レベルの人間。

常に前向き。

感情H48を感情H24に引き上げることこそ、

人間として取り組むべき『修行』であり、

いわゆるアセンション/次元上昇のプロセスも

具体的修行内容としては、

感情H48を感情H24に引き上げることが、

もっとも手っ取り早いでしょう。




感情H24

をひとたび実現してしまった人間から見ると

感情とは自分の意思で生成できる物であり、

ある種、脳内や体内でのホルモン分泌を

『意図的に起こせる』のと、

同じ能力を持っていることになります。



まず、前向きな感情を自分で生成して、

それから、前向きな行動をする。

感情を伴うことなく、

行動だけするのは非能率ですから!!



あらゆる自己啓発&成功哲学が教えているのは、ようするに前向きな感情の生成の仕方であり、それ以上のことは、教えようがないんじゃないかな??



感情H24を実現できた人間が

感情H48にいる人間に対して

『一時的でもいいから』感情H24になる方法を教えているのが自己啓発&成功哲学の本質でしょう。

たしかに感情H48にいる受講生からは

感情H24にいるカリスマ講師は

すごい人に見えるはずです。




ところで。

この記事の本来の目的は感情を食糧にしている『非唯物論的生物🦎』について述べることですから。感情H24と感情H48の対比だけが徹底的に重要で、それ以外はあまり関係ないんですが。

せっかくなので述べておきます。



感情H96は、

その人自身の感情が、

その人にとってはっきり有害になってしまうレベルです。一時的にH96に低落するだけなら誰にでも(※H48の人には)あることですが、

常時、感情の水準が感情H96になってしまい、それが常態化してしまうと、まともな社会生活を営むのも不可能になります。まともな会話も通じないくらい暗い性格の人、取り付くシマもないくらいいつも怒っている人、アル中、ヤク中、ノイローゼ、現在ならば重度のコ口ナ脳も含まれる。



感情H192とは、

『感情が結晶化して病気になった』レベル。

自分で自分を害するような感情を常時、放っていると、いずれは臓器がやられます。胆石はその人自身の悪感情が結晶化したものだって知ってましたか??

感情→身体、

すなわち、感情の状態が悪すぎるから身体も悪くなった(病気になった)というパターンのほかに、

身体→感情

というパターンもありえます。

身体の状態が良くないと、感情にも反映されるのがふつうですから。コ口ナワクチンの副反応で臓器に重篤な障害が出たあと、悲観的で破滅的な感情しか持てなくなってしまった人は、感情H192になってしまっているかもしれません。


また、インドの聖者などの例ですが、身体が重篤な病に冒されていても、感情の状態がまったく悪化しない人もいて、やはりそういう人は尊敬されますね。ごくふつうの人でも、余命宣告が出てしまって、身体は治らなくても、感情の状態は高くなることもあります。死の直前まで人生に感謝し、まわりの人間に感謝しながら亡くなってゆく人の死に様には、やはり言葉にできない感銘を受けます。


『身体の状態と感情の状態は連動する』

という一般的パターンを、

克服できる人も、

いないわけではないのです。






では、さいごに残った

感情H12について。

これは敬虔な宗教家が神と遭遇したときの恍惚感、とか、そんなレベルの感情です。言語に絶する感激。エクスタシー。オーガズム。

感情H96やH192は感情が暗くて重苦しい方向へと悪化して、しまいには病気になる、という方向性ですが、

感情H12は、感情が明るくなりすぎて『白とびする』レベルです。感情が『高まりすぎて』発狂することがあるので、危険性もそれなりにある。仏教でもキリスト教でも(おそらくイスラム教でも)本気で修行している修行僧たちの僧院では、修行者がとつぜん感情H12による発狂・錯乱状態になったときの対処法も知られていたらしいですね。

感情H24が、前向きな、自分自身が前に進んでゆくイメージの感情の状態であるのに対して、

感情H12は『向こうからやってくる』感じ。自分自身は動くことはできなくて、真っ白な何かを避けようがなく頭から浴びせられるイメージ。

わたしは恋愛感情を通じて感情H12を毎日『浴びていた』のですが、慣れないうちは、これは、ほんとうに、気が狂う。

感情H24が前向きさを伴う『万能感・全能感』だとすると、

感情H12は自分では全く微動だにできない感じになりむしろ『聖なる無力感』ですね。

まったく微動だにできないわたしが、真っ白な感情の『滝を浴びている』ような。

『微動だにできない』感情H12が常態化してしまった今では、行動とか動きとかの概念が完全に抜け落ちてしまい、物理的に移動していても自分が動いたとは思えず、移動すること行動することへの興味もまったくない。

わたしは歌を歌うことにかなり本気なのですが、自分の歌声を高く評価している一方で、自分が歌っているという実感がまるでない。真顔で『この子だれなんだろ??』とか言ってる始末。


恋愛感情から始めて感情H12まで到達するのはほとんど例がないだろうし、修行法としてはかなり危険だと思います。通常、人間の恋愛感情は肉欲を含んでいるし、また、相手がいるものである以上、相手の言動にも振り回されるのがふつうだから。

とはいえ、スピリチュアルな修行の道を成就した(完遂した)、という観点からすると、わたしの恋の相手はマスター(導師)だったことになり、そのとおりわたしはあの人のことを恋人でも彼女でもなく『主人』と呼んでいます。(※女性です)


わたしを感情H12まで連れていってくれたあの人は、本人にはその自覚は無くても、本来的には彼女自身もそのレベルの存在であり、彼女があたしに宛ててくれた詩を読むと、思考と感情の高貴さに打たれます。感情の純度の高さ、美しさ。







さて。

感情H12を実現すると、

(※瞬間風速ではなく感情H12が常態化すると)

この世界からは独立できます。


この世界、とは、

何度も言いますが、

『唯物論世界』であり、

『唯物論世界』の本質は搾取ですから。

感情H12が常態化すると、この世の外からやってくる『なにか』を常時浴びている状態になりますから。この世の搾取者/簒奪者とは接点が無くなる。


『この世の外からやってくるナニカ』なんて表現を使うのは、わたしは神とか宇宙とかのワードがキライだからで。よく知られた用語を使うなら、神を実現した、宇宙に突き抜けた、ということです。





でね、

感情H12の位置にずっといると、

『下の世界』の様相もはっきり見えます。

丘の上から高みの見物のようなもんだ!



なので、

ものすごく重要なことを指摘したい。

感情H24の前向きさを、

『人間としての本来の状態』としたとき。


感情H24というのは、

自分で放つ感情は、自分の意思で自由に選べる状態であり、ひとたびその状態になってしまえば、それは当然のことに思えるはずです。

自分の手足を動かすのと同じ自由度で、

自分で自分の感情を動かす。

それは本来、人間として当然の権利です!





なので、ここで質問。

自分の手足を動かすのと同じ自由さで、

自分の放つ感情を自由に決められるのが

人間の本来の姿だとしたら、

感情H48以下、

『自分で自分の感情を決められない』って

どうゆうことですか??

どうしたらそんなことが起こるのか??!?






感情H48では、どのような感情が湧くかは、まわりの状況(いわゆる現実世界/物質世界での出来事)に左右され、

感情H96では、もはや出来事とは関係なく、自分で自分を害するような感情しか持てなくなる。感情H192では自分の感情で自分自身を害しつづけた結果として『目に見える』身体そのものも病気になる。


あのね。

ここでよく考えてみてほしいのよ。

①本来、人間は自分で自分の感情を選べる

②悪感情は自分で自分を害する効果しかない

③人間は自分の感情で自爆テロを好む???



あのさ、

自分で自分を害しても、

良い事なんてひとつもない。

自分で自分を攻撃することなんて、

本来ありえないはずなのよ!?



どうしてこうなるの??

考えてみて!!




(※スクロールするまえに実際に考えてみてください)
































はい。

答えを言います。

『野生の人間は』自分で自分を害することなど決してしません。

感情H12を実現できたわたしは、

野生化したニンゲンのメスです。



感情H24でも、まだ人工的な要素は残っているものの、自分の境遇は自分で創れるので。自分の運命は自分で切り拓けばいいですね!





感情H48の人間は、

じつは牧場で飼われる家畜なのです。



物質世界の牧場(畜産場)では、

牛や豚が

『物理的に』檻に入れられ、

『物理的な』その身体を搾取されていますが


感情世界というものがもしも目に見えるなら

感情世界の牧場では

感情H48の人間が飼われており、

具体的な出来事への反応という形で、

具体的な感情を放つと、

それは牧場主たちにとっての収穫物です。


人間の恐怖心は、感情世界ではかなり高級な食材として重宝されており、

感情H48人間から恐怖心を搾取(搾乳?)するために、感情H48人間がたくさん恐怖心を発するようにと、

いわゆる『現実世界』では、恐怖すべき出来事がたくさん起こります。

2020年に世界的に有名な感染症が流行しはじめて。片方にはそれを本気で恐れる人がいて、もう片方にはそれは実在せず報道詐欺にすぎないと見抜く人もいる。

しかし、感情世界の感情牧場の所有者たちにとっては、それはどちらでも良いのです。

人間の感情は『感情世界の生き物たち』にとっては、収穫物であり商品であり製品です。

とくに人間の恐怖心は貴重です。

なので、

コ口ナを恐れる人も

ありもしない感染症を全世界に広めてワクチンによる大量殺戮を実行している権力者たちを恐れる人も、

とにかく恐怖心を持ってくれさえすれば、

感情世界の牧場主にとっては、

等しく貴重な食糧です💖


感情H96人間は『具体的な出来事とは関係なく』悪感情を放っているわけですから、彼らは感情の身体にパイプのようなものを取り付けられてしまって、感情エネルギーを吸い出されている状態です。あ、こっちのほうが、乳牛の搾乳そのものかも!?

感情H192人間は感情が悪化しすぎて身体を害している状態ですから、もはや捕獲され屠殺され解体されていると言ってよいでしょう。



感情H48人間はまだ放牧に近い状態ですが

感情H96では狭い檻に囲われて常時搾乳状態

感情H192の人は屠殺され解体されています



感情世界から見ると

この世界は牧場であり畜産場であり

感情H48以下の人間は家畜であり畜産品



唯物論はウソであり

唯物論世界は牢獄であると

わたしが全力で叫びつづける理由は



唯物論世界を造りこんでいる張本人たちが

物質がすべてなどとはそもそも思っておらず

人間の感情を食糧として搾取するためにこそ

ありもしない/信じてもいない『唯物論』を

『唯一の真実』であるかのように演じて、

感情なんて脳内妄想にすぎないかのような

ありえない大ウソを信じさせて、

人間たちを畜産場に押し込んでしまったから。



あたしなりに、

ヤツらの暴挙に、

憤慨してるのよ!💢💢


あたし自身は

ヤツらに飼われる可能性は

もぅ完全にゼロですけどね💕💕




※※※※※※※※※

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