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創作『月夜と銀のうろこ』

港町も近くの森も深い眠りにつく頃、黒猫のコガネは小さな灯台のふもとにいた。
「今日こそ、銀の魚をみるんだ」
しししとほころぶ口元を、両手の肉球で隠す。できるだけ静かにしていないと。だけどやっぱりわくわくが止まらなくてもう一度笑いがこぼれそうになったとき、背後から声がした。

「コガネ」
「にゃ゙っ」
びっくりして短い毛がぶわっと逆立つ。灯台の影から近づいてきたのは、港町の人から「おもち」と呼ばれている、白い体に背中だけ薄茶のぽっちゃり猫だった。
「びっくりしたぁ、急に大きな声出さないでよコガネ」
「びっくりしたのはわたしだ!ああもう、静かにしなきゃなのに」
コガネの金の目が睨むけれど、おもちはのんびりあくびをしながら黒猫のとなりに座った。膨らんだおもちみたいだ。
「コガネは信じてるの?漁師のおじさんが言ってたこと」
「……銀の魚のことだろ」
コガネはまんまるな黄金の目を、おもちから水面に戻した。彼女の目は中も外も金だ。黒目と呼ばれるところも全部金だから、いつしか名前はコガネになった。
この日は波のたたない静かな海で、海と空にはこの目のようにまんまるな月がぷっかり浮かんでいる。

満月の夜にだけこの海に、大きな銀の魚がやってくるという。
昼に帰ってきた船の漁師が、売れない小魚をくれたときについでに聞いた話だ。おもちがおすそ分けにがっついているとなりで、黒猫は魚を咥えたまま漁師を見る。
「なんだ?コガネはこの話が気になるか?」
返事はしない。ご飯が落ちるから。
「綺麗な満月の夜に見えるんだよ。海の中を泳ぐでっかい銀のうろこがさ」
お前もいつか見れるといいな!なんて言いながらがははと笑ったあと、彼は戦利品を売りに近くの市場へ向かった。

「別に信じてるとかじゃなくてさ、ほんとにいるなら見てみたいだけだよ」
黒猫はじっと海を見ながら応える。月の青白い光に照らされるきれいな目で。
おもちはのんびりした声で「ふーん」と言って、そのままぷっくり座っている。
「……なんでまだいるの」
「ひまだから?」
「変なやつだな」
「きみも変わらないよ」
しっぽをぱたぱたしながら、猫たちは灯台の下でひとときを過ごす。なんだか今夜はいつもより静かで、少しだけ怖いなと思った。

「やっと今日3度目の満月なんだ」
コガネは言う。ほんとうにただの興味なだけだから、出会えなければそれでいい。
別にわたしだってひまつぶしだ。
この前の満月のはずの日は雨風がひどくて月なんて姿形なく、船も出なくておすそ分けもなかった。その前は薄い雲に月が隠れておぼろげな満月で、輝きが弱かった。
「今日はあんなに立派な月なんだ」
つやつやで黄色くてまんまるで。
「クッキーみたいだよねぇ」
「食いしん坊猫め」
今夜は波が不気味なくらい穏やかで、月もぐらぐらせずに映っている。変なこと言われたからほんとうにクッキーに見えてきたなあ、とコガネがため息をつこうとしたときだった。

月がいちばん高いところまで登ったとき、海に浮かぶそれがぐらりとゆがむ。尻尾が水面から出たのだ。ちゃぷんと音をのせて。
「出っ、」
満月に煌々と照らされたのはきれいに並んだ銀のうろこで、その先には大きな尾ひれ。
「銀の魚だっ」
ほんとうに出会えたことに、今度はふたりで毛を逆立てる。
「すごいねコガネ、あんなおっきい尾ひれの魚初めてみたよ」
「わたしもだよ!…でもあれはまるで、」
まるで、魚じゃないみたいだ。

「あんなでかい魚なんているのか?」
目を海に向けたまま呟いた言葉に、おもちはうーんと考えるように片手の肉球をあごに当てる。
「漁師のおじさんがでっかいって言ってたんだし、そうなんじゃない?」
「おまえ、さっきは信じてなさそうだったのに」
「ちがうよコガネ、ぼくはひまなだけなんだ」
「ああそう、……あ、」
また、静かだった水面が揺れるのがわかった。ヒゲの先から気配が伝わってくる。
「こっちに来る」
コガネが言うが早いか、灯台がある小さな岬のすぐ下の水面にうろこが泳いだのが見えた。

いちばん強い光を放つ満月に照らされた銀のうろこは妖しく美しかった。きらきらと光を反射して水面が空の星屑のように輝く。
自分がいるところのすぐ下だった。
「おいおまえ!おまえはほんとに魚なのか!?」
コガネは興奮して叫ぶ。声をあげる黒猫におもちは宥めながら話しかけた。
「そんなんじゃあっちが怖がって逃げちゃうよ」
「あっ、」
そうして少しだけ耳が垂れる黒猫。だけどその横でおもちもわくわくしている。いつも食べている魚とは比べ物にならないくらいの大きさだからだ。
うろこはきらきらと光りながら、足元のすぐそこにある海を右に行ったり左に行ったり。大きいのに姿がわからなかった。
「……ごめんよ魚、怒ったわけじゃないんだよ」
ただ、会えたのがうれしかったんだ。

ぱしゃん、
尾ひれがが返事するように跳ねる。すぅーっとゆっくりこちらに向かってきて、猫たちの下で止まった。
「おまえは、だれなの?」
コガネは、今度は静かに問いかけた。青く黒い海、今夜は灯りがつかない小さな灯台の水面に生まれる小さな波紋から、ぷくぷくと泡がのぼってくる。水の中のシャボン玉が空気に触れて割れてなくなるみたいだった。
その泡が大きくなった、と思ったすぐあとだった。
銀のうろこが顔をみせる。

黒猫のまんまるな金の双眸を見つめ返してくるあどけない瞳は、きれいな朝焼けの紫。美しいうろこと同じように輝く髪は、静かで穏やかな波にゆれている。
「こんなにきれいな魚、ほんとうにいたんだねぇ」
おもちが鼻をすんすん動かしながら前かがみに海をのぞく。さすがに食べないとは思うけれど、コガネはおかしくて緊張が少しほどけた。
「どう見たって人間だろ、こどもの」
「でも見てよ、こんなにキラキラな人間、この町にはいないよ」
「そうだけどさ」
でもどう見ても人間で、銀のうろこの魚のこどもの人間だった。それはまだ、黒猫を見つめている。

「もしかしておぼれてるのかな」
おもちがそんな事をいうから、コガネが「そうなのか?」と少し慌てたけれど。
「溺れてなんかないよ」
小さな、でも耳の奥まで響く声が返ってきた。
しゃべった、すごいなぁみたいなことをおもちは感心したように言っていて。
「泳ぐのぼく好きだから」
そうして朝焼け色の目が少し笑う。よく見たら顔にはないけれど、肩や首の根っこにも銀のうろこが少しついていた。
「こういう生き物もいるんだねぇ」
おもちがふぅむと考える風に言うと、少年は濡れた髪をゆらしながらうんうんとまた笑った。

コガネは生まれたときからこの小さな港町で暮らしてきた黒猫だ。だからこの町のことしか知らない。
こんなに美しい魚の人間がいたということも。
今宵は満月だ。満月には強い力があると、漁師はよく言っている。
ああそうか、だから今日出会ったのか。黄色く白く照り輝く月に導かれて。

この日の夜のことを、黒猫はずっと忘れないと思った。
「きみにやっと会えた」
これは、銀のうろこの少年がコガネにむけて言った言葉だった。この言葉の意味はわからなかったけれど、彼女も「やっと会えた」と思った。
ずっと会いたかったのだ。待ち焦がれていたんだ。

これは、不思議なほどに静かな港町のある夜の話。

『月夜と銀のうろこ』

泳ぐ自分をずっと見ていたのは、ふたつの毛むくじゃらだった。白っぽくてフグみたいなぷくぷくしたのと、黒くて目が金色の。
金色で美しいまんまるの。まるで月みたいだなと思ったのだ。

月は女神さまで、銀とは特別な関係だった。月の光を浴びて護られ、銀はさらに輝き美しくなれるのだ。
広い世界の何処かには、女神さまが力を与えたものたちがいる。
「もしいつか出会えたら、ふたりには特別な絆がうまれるんだよ」
少年が育った遠い海で幼い頃から聞かされていたお伽話だ。だけどお伽話じゃなかった。
出会えたんだ、女神さまの力を宿した目の……。
「ああ、きみがそうだったんだね」
ずっと探していたぼくの月。

銀のうろこは、海の中できらきらと光をこぼしながら揺らめいている。



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