「自由」はどこへ
たまにこういう文章を書きたくなってしまう。追い求め続けても手に入れられないと分かっているのに。手に入らないと分かっているものほどいつまでも手を伸ばしたくなってしまう。
私は自分を「自由」な人間であるとまぁまぁ思っている。それなりに「自由」にさせてもらってきたし、ある程度「自由」が認められた環境で育ってこれたのだろうなと感謝する気持ちもある。
でもそれでも欲しいと思うような自由はどんどん私を囲い込んでくる。
もっと綺麗な世界があるよ、届くかもしれないよ、と誘惑してくる。
私の父親は本当に厳しい。そして私とは価値観がとことん合わない。たとえ家族でも、分かり合えないものは確かに存在するのだと実感させられる。
私が長期インターンを今の会社で始めることに関してもなかなか許してもらえなかった。最終的には認めてもらえたから働いてはいるのだけれど。割と厳しい条件がついている。
自分で働いて稼ぐということが自由にできるようになるまでに何年もかかった。大学1年の時はバイトなんてとてもじゃないが許してもらえなかったし。
うまくいかないなぁ、と思う。いつまでも親に縛られている気分になる。
大手かベンチャーだったらベンチャーの方が良い、と私が考えていたとして。知名度が全てだと思っている父親には分かってもらえないのだろう。望んだ会社に就職できない理由に親が絡んでくることはこの先嫌でもあるのだろうな。
もっと「自由」になりたいと思ってしまう。私は「選択肢がたくさんある」ことが自由だと思っている節があるので。もっと自分の意思で選択できる未来があることを望んでしまう。
どうしても欲しい未来がある。手に入らないとしても手を伸ばして掴みたいと思い続けていたい夢がある。
この前ずっと憧れていた人と顔を合わせた時、私はこの先どんなに頑張ってもこの人を超えられないのだろうな、と圧倒されたことがあった。
でもその人に近づきたいとも思ったんだよね。近づくための努力をするしかないんだろうなって選択肢しか残らなかったんだよね。
いつか必ず欲しいものを手に入れることができる選択をするために、私は今を一生懸命踏ん張って生きるしかないのだ。