#逆ソクラテス written by 伊坂幸太郎
1度この本については感想を書いたことがあるが、#読書の秋2020 の課題図書となっていたので以前書いたものを再編してみる。
*
伊坂幸太郎の作品を数多く読んできた中でこの本はトップ3を争うレベルで"読みやすい"作品だと思う。
逆に読みやすい作品であるがゆえに、作者の真意を読み取りたくなるのだ。
1. 逆ソクラテス
題名にもなっているこの話。
自分の考えは正しいと信じてやまない、物事を決めつけて、それを周囲の人へも押し付ける。そんな人のお話だ。
あなたの周りにこういう人はいるだろうか。
完璧な人間などいるはずがないのに、自分は完璧だと思い込んでいる人。
自分は間違っていない、自分の考えや判断は正しい、と思っている人。
こういう人間が存在しちゃいけないとか、そんなことは言わないが この物語に出てくるこういう人間は、1人の"教師"だ。
教師ともあろう人間が、自分の考えを信じてやまず、それを生徒に押しつけていくというようなことは、あってはならない とは言いたい。
ソクラテスは言ったらしい。
自分は何も知らない、ってことを知ってるだけ、自分はマシだ。と。
どうせなら何でも知っていると思い込むような人間ではなく、何も知らない、自分は完全ではないと考えられる人間でいたい。
「知っている」はある意味怖い。それ以上知ろうとはしないかもしれない。社会の変化の中で常に更新し続けていくべきである。「知っている情報」も。
知らないならば、知らないなりに「知る」チャンスはあるはずである。
もちろんチャンスをただ待っているだけでは「知ることができない」ことがあるからこそ、興味や好奇心のアンテナを立てていかなければならない。
「知る」ことは義務ではないけれど、「知ったかぶり」の状態になることは、もうやめませんか。
2.スロウではない
あなたは許せるだろうか。
例えば自分の親友がクラスの誰かにいじめられていたとする。
いじめの加害者を、あなたは許せるだろうか。
例えば自分自身がクラスの誰かにいじめられていたとする。
いじめの加害者を、あなたは許せるだろうか。
あなたはとある学校のとあるクラスにいる生徒だとする。
そこに、転校生がやってきた。転校生が、いじめの「被害者」であるがゆえに、学校を変えようと転校してきたらどうだろうか。
転校生がいじめられっ子だったら、何か変わるだろうか。
転校生が、いじめの「加害者」であるがゆえに、人生をやり直そうと転校してきたらどうだろうか。
転校生がいじめっ子だったら、何か変わるだろうか。
自分なりの答えを書いてみる。
いじめられっ子だったら、きっと何も変わらない。
その子自身を理解し、受け入れてあげられれば良い。
いじめっ子だったら、きっと何か変わる。
その子の「人生をやり直したい」という気持ちを、理解してあげられる自信がない。
だってその子は、「加害者」だから。
その子のせいで傷ついた誰かが、今でもその傷を背負って生きているんだから。
ドン・コルレオーネ、いじめっ子は許されるんでしょうか。
3. 非オプマティス 4. 逆ワシントン
人間関係、特に学校や会社のような「集団」の中では、常に"評判"というものが誰にでもつきまとう。それは良いものかもしれないし、悪いものかもしれない。
学校のような場所での評判というのは、案外大人になってからもそのコミュニティ内ではつきまとうものであるかもしれない。
だからこそ人は自分のことを知らない人が多い世界に行きたいと思うかもしれないし、現に私自身も地元の大学には進学したいと思わなかった。
「人間関係の一掃」っていうやつだろうか。
評判が君たちを助けてくれる。君の立派さが評判をつくる。
間違えれば、評判が君たちを邪魔してくる。他者からの「評判」なんていうものに、一喜一憂する必要はないかもしれない。でも大人数の集団内での「評判」は、嫌でも自分の人生に付きまとってくることがある。
人間関係を一掃しても、過去を清算しても、誰かからの"評判"や" イメージ"なんていうものは、なかなか なくならないのだ。悲しいことに。
人が人と関わって生活する中で、他者から「評価」されてしまうのはしょうがないのだ。他者からの客観的評価の影響を受けざるを得ない部分がきっとあるのだと、私は思っている。
この物語に出てくる先生の主張はこうだ。
"人は自分が気づかないうちに誰かを傷つけたり、迷惑をかけていたりすることがある。それに気づいた時、自分は悪くないと開き直ることもできる。
でも、悪いことをしてしまった、と反省できる人の方が 立派な人間なのかもしれない。"
*
人間関係っていうのは案外狭かったりもする。自分の知り合い同士が知り合いなんてこともある。
地元を離れて遠くに行っても、人間関係の繋がりが少しでもあれば評判がつきまとうこともある。
だからこそ、誰かをバカにしたあり、いじめたりしてはいけない。
いつそのことがバレるかもわからないのに、将来の自分をハードモードにしてしまっている。
将来、自分が成功や幸せを掴む時に襲いかかってくるかこの振る舞いや過ちが、少しでも少ないといい。
未来なんてどうなるかわからない。
だからこそ逆に言えば、覚えておけば良い。
自分をいじめてきた誰かを、自分を苦しめてきた誰かを。
将来その人にまた別の形で、出会うかもしれないから。
いつかの反撃のために。
自分が他者を見ている分だけ、自分は他者からも見られている。
そんな気がした。