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動物的な感覚を取り戻すために

思うところあり、SNSの断捨離をした。
放置になっていたいろんなアプリ、LINEのアカウント内、インスタのフォローなど、一気に整理した。

実はこのnoteもどうしようか悩み中。
私の毎日の楽しみであるのは確か。

これから実践したいのが、情報を目に入れない耳に入れないようにして生活してみたいということ。

本を読まない。
テレビを見ない。
SNSを見ない(家族のインスタと友人たちのlineだけ)

まずはそんなところから。

本にしても、テレビにしても、SNSにしても、すべて人の考え。人の考えをまるで自分の考えであるかのように勘違いしながら生きているのを感じる。

私の内面から自然と湧き上がる感覚を取り戻したいと願う。
それだけで生きるとどうなるのか。その実験。

ホリエモンが、「情報がすべて」と書いていた。とにかく情報におぼれろ!くらいの勢いだった気がする。自分の知っていることなんてたかが知れてる、という意味だったかな。ちゃんとホリエモンの言葉では覚えていないけど。ちゃんと覚えてないので、いい悪いではなく。

私は、自分の知っていることはたかが知れているようで、本当は5%しか知らないんだから、自分が本当は分かっているけど知覚していない95%を知りたいとずっと願っている。
耳を澄ませて、内面から来る感覚をキャッチしたい。誰かに聞いたようなことと自分の考えがごちゃ混ぜになっているところから分離したい。感覚を研ぎ澄まして、深く自分の内面に入って行きたいから、一旦情報は遮断したいと思う。

その実験の経過は、noteに書き記していきたい。結局noteは続けるんや、と自分のツッコミが聞こえるが、書く場所、自分の記録を残す場所としてありがたくその恩恵を享受させていただきたい。

何か変わるのか、大して変わらないのか。もともと、ニュースはほとんど見ていないから、表面上はあまり変わらないのかも。

オットに、そんな風にしたいと話すと、なんのために?と聞かれた。
何かが起きたから、とか何かのために、という大局と言うか目的があって動くのではなくて、自分自身の手や皮膚や耳、目、鼻、舌といった人に備わった動物的ともいえる感覚で直接、生で捉えたものを「自分にとっての本物の現実」として、それをフルに稼働させて、それを動機として動きたい。それだけを、という方がいいかな・・・

温かいからこうしよう。うるさいと感じるからこうしよう。きれいだと思うからこうしよう。おいしいからこうしよう。ざらざらするからこうしよう。

そんな風に。そうして感覚を研ぎ澄ませている中で、ランチタイムになったから食欲ないのに何か食べなきゃ、と食堂に行って、食べたいと思うものがないのに無理に何か食べて、、、といった日常が変わるだろう。

なんとなく時節の挨拶をしていた受講生さんの顔をきちんと見て、目を見て、顔色を見て、「今日もお元気そうですね!」という声掛けに変わるだろう。

なんでここきちんとしない?なんでこれ、こうなってる?とミスを見つけては「なんとかしなくては」と修正方法を考えていたが、そんな仕事の仕方は気持ちがザラ付くのを感じて、「どうすれば皆がラク?」「もっと快適に仕事するには?」と考えられるのではないか。

自分自身が95%の自分を意識して、春風に「喜んでいる自分」や、朝の仕事に向かう人たちの雑踏の中で、「みんな頑張って生きてるんだ」と感じるゆとりや、真剣に仕事をしている人たちの顔を見て感動したり、「今」の気分、「今」の感覚を大切にできるのではないか。

そして、五感をフルに生かして生きていれば、第六感も自然と備わるのでは?というか、普通に感じられるようになるのではないかな。

ということで、自分の内面から、すべてのことをスタートしたいと強く願っているので、やってみます。

この休みの間、リビングにはいつもオットがリモートで仕事していて、息抜きの時間にはテレビをつけているから、私の耳にも否が応でもニュースなどが入ってくる。なので、私はずっと2階の自分の部屋に籠っていたのですが、私の部屋は田んぼとその向こうは大きな川の堤防で、畑仕事をする人たちがいて、鳥が飛び交うくらいなので、自分の感覚だけに浸ろうと思うと可能でした。

それは本当に安心できる世界。毎日きちんと朝日が昇り、星が出て、月が見える。静かな世界。

そこからスタートしなおす。自分の感覚だけで始める。
自分の感覚に素直にきちんと向き合うことで、近くにいる人たちの気持ちにもきちんと沿えるような自分でありたい。優しい自分を取り戻したいです。
一人一人がそうであれば、世界は変わるのかも。

一番の社会貢献は「自分自身でご機嫌でいること」

それは変わらず思っています。

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