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舞台 千と千尋の神隠し in東京

2022年3月29日
舞台『千と千尋の神隠し』帝国劇場 千穐楽
おめでとうございます!!

このご時世様々なことが起こる中、無事に幕が上がりますようにと祈り続けた毎日。正直何が起きてもおかしくないと覚悟していた部分があったなかで、東京公演を走り抜けた千と千尋カンパニー。この先無事に大千穐楽まで駆け抜けられますようにと願っている。


この先 大阪、博多、札幌、名古屋と公演を行うなかでさらに進化していくことが予想されるので、ひとまずここに帝国劇場で観劇した際に思ったことを書いておくことにする。

※演出に関するネタバレは極力書かないように気をつけていますが、まっさらな状態で観劇されたい方は読まないことをおすすめします。

※レポというより、観ながら舞台の世界に没入していくタイプの人間が書いているのでご承知おきを。

私が観劇したのは、3/18ソワレと3/28マチネ。

2022.3.18 ソワレ  キャスト
2022.3.28 マチネ  キャスト


千尋役と釜爺役以外はWキャストどちらも観劇することができた。

ハク役が変わることでかなり作品から伝わってくるものも異なっていたので、後半そのことに触れたいと思う。


舞台だからこそ見えたもの

原作アニメの円盤を持っているくらい、千と千尋の神隠しの大ファンなわたし。

正直、、プレビュー初日からたくさんの賞賛の声を見ながらも、ワクワクすると同時に一体どんな世界が目の前に現れるのか不安も大きかった。

そんなワクワクと不安を抱えながら観劇日を迎えたわけだが、そんな私の観劇後の第一声は
「舞台って面白い!!」
人間の想像力と創造力。
見えているものを見ず、見えないものを見る力。
見えないものを見せる力。
そんな人間の持つ力を存分に味わえる舞台だった。

そして私は、この舞台化はただの再現では無いのだと思った。確かに映画のシーンを余すところなく舞台上で表現しているし、舞台オリジナルの場面というのはほとんどない。しかし、原作アニメを見ていた時にはあまりなかった感情が沸き上がってきた。

たとえば以下のふたつのシーン。
・両親が豚になってムチで叩かれているところ
・千(千尋)が湯女たちからいびられているところ

ハクに戻れと言われ、戻ってみたら料理を食べていたはずの両親は豚になり、ムチで打たれている。この場面の千尋のもはや絶叫に近い叫び…。

観ている私も思わず「やめてくれ」と叫びたくなった。萌音千尋の全身から溢れ出る不安と恐怖に支配されている心情が突き刺さる。
あっという間に心掴まれ、私は千と千尋の世界にいた。

私が千と千尋の神隠しを知ったのは、小学校の図書室に置いてあったアニメ絵本がきっかけだった。その後アニメ版も観たわけだが、もともと冒険ものの小説が大好きだった私は両親が豚になるシーンもそれほど怖がることなく、むしろ異世界に迷い込めた千尋を羨ましいとさえ思っていた。

昔からジブリ作品のなかでもパンダコパンダとトトロが好きで、大雨が降れば「雨降りサーカス」のようにベッドを水に浮かべたいと言い出したり、庭の畑に夜どんぐりを植えてみたり、森に入れば大きな穴の空いている大木を探したりするような子供だった。


だが… あれから10年以上が経ち
今回舞台を見ながらこの千尋はまだ“たったの”10歳なのだということを突きつけられた気がした。

ファンタジーの世界を超えて、リアルな世界で異世界に迷い込んだ10歳の千尋。想像の世界で異世界に迷い込む分には確かに面白いかもしれないが、本当に迷い込み、目の前で両親がムチで叩かれていたら…それはとてつもなく怖くて恐ろしいだろう。
舞台上に創造された世界にはリアルが広がっていた。

ふたつ目に挙げた、千が湯女たちからいびられているシーン。

目の前で生きている人が表現しているからこそ伝わってくる、嫌な感情。アニメ版を観ている時には、そこまで千が除け者にされているような感覚は無かった。だが、アニメでも「人間臭い」と確かにヒソヒソ言われている。

この舞台を見ながら、千は勿論千を助けているリンも相当しんどい立場だな…と。

人間(今回はナメクジ女(湯女)だが)の持つ醜い感情。表に出す出さないはあるとして、誰しもが持っている感情だと思う。嫉妬、苦手意識、誰かにムカついたりといったあらゆる負の感情。そして、これは少なからず向けられた事のある感情でもあると思う。

湯女たちが千に「人間臭い」「くっさ」と言ったり、千を助けるリンにちょっかい出したり馬鹿にしたり… ピリリと心にトゲが刺さる。

これらのふたつのシーンを見ながら、心抉られるようだった。アニメを観ている時にこのような感覚になったことはほとんどなく、舞台だからこそ、生きている人間が創造する世界だからこそ、観ていた私は心抉られたのだと思う。


また、湯屋『油屋』がどういう所なのかという描写。

アニメではかなりデフォルメされているように思うが、舞台では夜が更ける油屋の寝室でどこか虚ろな顔をした湯女たち。ああ、やはりそういう場所なのかと。

舞台化されたことで、わたしの中の『千と千尋の神隠し』はかなり奥行きが増した。


好きなシーン

私がこの舞台で特に好きなのが、千とカオナシ、そして坊ネズミとハエドリが電車に乗って銭婆に会いにいくシーン。

3/28のマチネではB席ながら2階の目の前を遮るものが何も無い場所で観劇することができ、この場面で気づけば泣いていた。

私は余韻や余白を大事にする作品が大好きだ。
なんでも説明するのではなく、その場面にいる人物の表情だったり、光と影の具合だったりで伝わってくるものがある。

今回挙げたシーンは、この作品が心情を歌い上げるミュージカルではない、ストレートプレイの舞台だったからこそ実現したのかもしれないと思った。

帝劇が静寂に包まれ、電車の音が響くだけ。帝劇に時折響く地下鉄の振動音も良い味を出していた。

そして、この場面には舞台ならではのオリジナルシーンがある。詳しくは大千穐楽後にまたnoteに書こうと思うが、、影の女の子とカオナシのシーン、凄く好き。

以下の記事にあるように、この電車のシーンはカットするという話も出たそうだ。

このシーンにゆったりたっぷり時間を割いてくれたことに、ありがとうと言いたい。

元々山に囲まれ、自然と暮らし、静寂の中に響くししおどしの音を美しいと感じる、侘び寂びという文化のある日本だからこそ生まれたシーンなのかな。ジブリはこういう描写が多い気がする。

何かに追われるように日々生きているからこそ、響くものがあったのだろうか。

海を走る電車を見ながら、なぜだか寂しさと切なさが込み上げ、アニメを観ていたとき以上に影の人々を想った。


ふたりのハク

冒頭でも少し触れたように、今回ハク役が変わることで、舞台から伝わってくるものも異なっていた。

▹萌音千尋×三浦ハク 《ハク役 : 三浦宏規》

この三浦ハクと萌音千尋は所謂恋愛的な愛を超えた、お互いのとても大切な人へ向けた“愛”を感じた。
私の元々持っている千尋×ハクのイメージはわりとこちらの組み合わせに近かった。

千尋にとって、異世界に迷い込んで最初に味方になってくれた人。三浦ハクは千尋を助けてくれた、憧れのお兄さんのような存在のように見えた。そして、ただ助けてもらう立場だった千尋は油屋で様々なことを学び吸収し、成長していく中で傷ついたハクを助けようとする。

ハクと千尋の関係は、後半になるにつれて物語序盤と比べると対等に近くなってはいるけども、やはりハクの方がお兄さん。(そして神様。)そして千尋はまだ10歳の小学生。舞台ならではの身長差もあり、その関係は最後まで決して崩れないように見えた。

私はこの舞台ならではの身長差がとても好き。

また、三浦ハクは本当に身体の使い方が美しい。
萌音千尋と三浦ハク 身体能力の高い2人だからなのか、走り抜けるシーンやスローモーションのシーンなどとにかく自然で美しかった。


▹萌音千尋 × 醍醐ハク  《ハク役 : 醍醐虎汰朗》

三浦ハクと萌音千尋から“人間愛”というようなものを感じたのに対して(ハクは人間というより神様だが)、醍醐ハクと萌音千尋からは“恋愛的な愛”を感じた。

それも、ハクが千尋に惚れているような…
あのおにぎりのシーンのハクや、序盤からのハクの声音のなんと優しいこと。

ここからは私の完全なる想像の話だが、、
初めてハクの川に千尋が落ちたときにハクは千尋に惚れて、無意識的に油屋のある世界に千尋を呼び寄せてしまったんじゃないかと。
醍醐ハクを観ながらそんな気にさえなった。

また、醍醐ハクは声がまさにあのアニメのハクの声だった。特に第一声。
「ハクがいる…!!!!」と。


三浦ハクと醍醐ハク。
キャストが違うだけで、物語全体から見えてくるものもかなり変わってくる。ありがたいことに、このあとの地方公演でも2人を見ることができるので、どう進化していくのかとても楽しみで仕方がない。


アンサンブルさん

この舞台、本当にアンサンブルさんが凄い。

パペットに命を吹き込み、ときには花々や壺になったり、油屋の従業員として働いたり…

舞台中に出てくるパペットの龍だが、2回目の3/28に観劇した際、物凄く“生”を感じた。
特に、傷ついたハク龍が湯婆婆の部屋で穴に落とされそうになっている場面。穴に落とされないように必死に守ろうとしている千にハク龍が無意識に縋っているように見えて泣けてきてしまった。
本当に生きているような動きをしていた。

アンサンブルさん方のことをもっと知りたい。

アンサンブルさん方の働きを含めたこの舞台の特集など放送されないかなと密かに期待している。


上白石萌音さんの千尋

24歳の上白石萌音さんはそこに存在していなかった。最初から最後まで、目の前にいるのは10歳の千尋であり千だった。ただ映画を再現しているわけではなく、千尋は生きていた。

萌音さんの千尋、舞台の中で成長していく様子がとても自然だ。

作品の序盤、迷い込んだ千尋の心細く不安な心情が手に取るように伝わってきた。

まだたったの10歳。自分のことで精一杯な中、“働く”ということがどういう事なのかも分からない状態で油屋で働きながら成長していく千尋。

そして先程も少し触れたが、千尋が銭婆の家へ電車で向かうシーン。

萌音千尋が銭婆の家へ行く時にカオナシや坊ネズミたちへ向けた“愛”が印象的だった。

自分のことで精一杯だった千尋がハクやリン、釜爺の“愛”を受け、徐々に仲間ができ、やがて自分の外へも目を向けられるようになる。それでもやはり千尋まだ10歳だから、カオナシたちへ向ける表情は、どこかおませなお姉さんになった千尋という印象を受けた。

小学生の頃、特に小学4年生の頃は自分より年下の子とかペットに妙にお姉さんぶったりしてたなぁとカオナシやハエドリ、坊ねずみに優しく声を掛けてる千尋見ながら思い出した。

とてもリアル。

そう。萌音さんの演じる千尋は、演じているという感じがしない。ただ、生きている。

勿論 萌音さんが演じるからこそ、物語の中で成長した千尋の中に芯の強さや優しさが見えてくるのだと思うが、「上白石萌音」という個人は透けて見えてこない。だから観ていて物語にスっと入り込める。観ている側は自然と千尋の心情とシンクロし始める。

3/18の時点でも既に凄かったが、3/28に見た時には更に進化していた。

初めて舞台で萌音さんを見た時、彼女の声にハッとした。柔らかい声なのに、中に芯がある。そして、透明感がありながらスっと届く。

今回の千と千尋の神隠しでも、最初の声音で我々を物語へと惹き込んできた。彼女の声の波長がたまらなく好きだ。

キャストが違えばそれに呼応するように変化しているのが凄いなぁ面白いなぁと。
この先どんな千尋を見られるのかとても楽しみ。


そして最後に…
この舞台『千と千尋の神隠し』は生オケの音と共に物語が進んでいく。あの久石譲さんの音楽を生のオーケストラで聴くことができる。

舞台を観ながら、この作品に久石譲さんの音楽は無くてはならないものだと改めて実感した。


大千穐楽まで無事に駆け抜けられますように。
日々進化するカンパニーが最後にはどのような世界を見せてくれるのか…

大千穐楽はHuluで配信されるとのことで、今から楽しみで仕方がない。生で観劇することが叶わなかった橋本環奈さんの千尋も配信で観られるのがとても嬉しい。

たくさんの人にこの作品が届くといいな。

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