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写真展「border」徹底ガイドvol.13 見えない明日へ(border | corona)

#31 Tokyo 2019

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12月、東京の朝。この頃はまだ新型コロナのことなど誰も知らなかったし、2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催されると思っていた。しかし同じ頃、中国内陸部の都市にある市場の片隅で、あのウイルスは生まれていたはずだ。それがこの国にもたらされるまでは、わずか1ヶ月ほどしかかからなかった。

霧に覆われた東京は、より不確実な未来へと流れていく。

#33 border | corona

写真展04

2020年3月29日から6月10日までの東京のスナップで構成された作品。展示構成をどうしようか悩んでいる時期が「緊急事態宣言」と重なったことで必然的に生まれた組写真である。
この時期、僕は駅やコンビニの新聞スタンドを意識的に撮るようにしていた。ウイルスという目に見えない存在は、ニュースを通じた情報として僕たちの前に具現化する。誰もいなくなった街、閉鎖された店、路上に打ち捨てられたマスク。テレビのニュース速報、ヤフーニュースの画面。2011年の春がそうだったように、そうした風景はやがて当たり前となり記憶の中から消えて行く。あの違和感が消えぬうちに、僕は街を撮り続けた。
そのころに書いたエッセイが雑誌に掲載されので、少々抜粋する。

ぼくたちは、何だかすべて忘れてしまう。

ぼくたちは、何だかすべて忘れてしまう。
ほんの数ヶ月前まで当たり前だったことを。電車に乗って遠い町を訪ねたことや、飛行機で遠い国へ旅をしたこと。ライブや講演、映画、人が集まって伝えたり伝えられたりすること。コンビニに行けば、いつでもマスクを買えたこと。そんな生活が当たり前だったことも驚くぐらいに簡単に忘れてしまう。
つい数ヶ月前の渋谷の映像を見て「密だな」と反応する自分がいる。気が付けば「密だ」という形容動詞がインストールされている。緊急事態宣言が延長戦に入った5月。窓の外とテレビの画面の写真ばかりを撮っている。

ゼロ年代、2001年9月11日の同時多発テロが世界の在り方を変えた。10年代、2011年3月11日の東日本大震災と原発事故が日本の在り方を変えた。世界的には「アラブの春」による難民の流れが世界の分断に拍車をかけた。
10年毎の区切りに意味があるとするのならば、20年代には何が起こるのか?昨年末からそんなことを考えてきた。結果的にそれは「2020年の新型コロナウイルス」であり、考えていたよりもずっと早くやってきた。

使い捨てマスクを洗濯しながら使い回し、ガラガラの電車にひっそりと乗る。人との接触を避け、家から出ないことが何よりも求められる4月。テレビの中に並んだ不自然なモニターもすっかり慣れてしまった。いつの間にこんなことになったのだろう。僕は少しあせりながらニュースを遡り、Googleカレンダーに記入する…という作業を始めた。
               「おやつマガジン vo.2」border | corona より

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自然の復権

もう一つ引用しておきたいのが、以下の記述だ。人間による支配が少しでも後退すると、あっという間に自然が復権するという現象。#32の石巻のポートレイトで伝えたかったものと共通のテーマでもある。

藤子・F・不二雄のSF短編集に「みどりの守り神」という一編がある。飛行機事故に巻き込まれた主人公の少女は、生き残りの青年とともに生存者を探す旅に出る。辿り着いたのは広大なジャングル。しかしその向こうには高層ビル群が見える。そこは植物に覆い尽くされた新宿だったのだ。ホテルのロビーで見つけた新聞で、二人は世界に起こった事実を知る。
「世界各地に奇病発生」から始まり、「爆発的伝染力」が伝えられ、「感染後一週間以内に死亡」と記事は進む。「どこかの国が秘密兵器として培養した新種が何かのはずみで外部に漏れた」という描写も、昨今のトランプ政権の主張によれば正しいのかもしれない。
そして世界中がコロナ自粛をすることによって、この短編に見られるような「自然の復権」が各地で報告されている。環境悪化が深刻化していたベネチアの歴史地区では、濁っていた運河が透き通り、水の底が見えるようになった。ロイター通信によると世界のCO2排出量は前年比で5%以上減ると予測する研究者もいて、これほどの排出源は第二次大戦以降初めてだという。COP25でいくら話しても結論の出なかったCO2削減が、新型コロナウイルスによってあっという間に達成されたことになる。CNNによるとインドのニューデリーでPM2.5が60%低下、ソウルで54%減、ロサンゼルスは31%と、それぞれ減少しているのだという。先日、渋谷のスクランブル交差点付近の水たまりで、水を飲み続けている鳩がいた。人がいなくなった街は、すぐに自然に奪い返される。
               「おやつマガジン vo.2」border | corona より

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「サピエンス全史」で知られる歴史家のユヴァル・ノア・ハラリは新型コロナウイルス後の社会を考察し、こう語っている。「新型コロナの嵐はやがて過ぎ去り、人類は生き残るだろう。しかしその時私たちは今とは異なる世界に住むことになる」。
異なる世界とは何か?ハラリ氏がいくつかのインタビューで語った内容は多岐にわたるが、彼が今懸念しているのは独裁者の出現だ。「独裁者は効率がいいし、迅速に行動できる」ことから、民主主義社会が独裁者を選ぶ可能性があるというのだ。

そう言われて思い出すのが4月上旬、日本に漂っていたムードだ。感染者が増え続ける中、多くの人が政府による「緊急事態宣言」を望んでいたのである。新型インフルエンザ特措法に基づく緊急事態宣言は、今の日本で出来る最大限の「行動抑制」を可能にする。アベノマスクを批判しながらも多くの人は「緊急事態宣言」を求めた。政治主導で大阪を引っ張る吉村府知事の人気も高まっている。まさにハラリ氏が指摘した通りだ。

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新型コロナウイルスの流行が2020年ではなかったら、どうなっていたのだろう。例えば80年代に発生していたら、黒電話を駆使しながらテレワークをしていただろうか。90年代であれば、ファクスとポケペルであろうか。STAY HOMEの中でもリモートワークを続けられるのは、Wi-Fiとスマホが当たり前になった時代だったからに他ならない。オンライン会議、オンライン授業、オンライン飲み会。わずか数ヶ月で新しい文化が生まれた。
IT技術が社会生活を繋ぎ止める一方中国や韓国の実例でわかるのは、スマホと監視カメラによる監視社会が、ウイルス拡散を防ぐ道具となるということだ。

5月4日、国の専門家会議は「新しい生活様式」を提示した。曰く、人との距離はできるだけ2メートル開ける。遊びに行くなら屋内より屋外。食事は料理に集中し、おしゃべりは控え目に…などといった項目が並ぶ。「スマホの行動履歴をオンにする」という項目も最後まで検討されていた。自由と安全を天秤にかければ、多くの人は安全を選択するだろう。政府にスマホの行動履歴を披瀝し、大量の監視カメラを受け入れる社会。それもまた、逆戻りできないポストコロナの時代の姿なのだろう。

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その予言的なもの

新聞スタンドの写真を撮り続ける中で気になったものがあった。東京都ではまだ緊急事態宣言が続いていた5月26日の夕刊紙。「安倍内閣が8月24日に退陣する」という見出しが躍っている。結果として安倍首相は8月28日の記者会見で退陣を発表するのだが、当時は安倍氏本人もこの記事を書いた記者すらも本当に退陣するとは思っていなかっただろう。

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今回の展示期間中にこの「8月24日」を迎えることもあり、僕は組写真にこの一枚を加えた。8月24日も(それは、安倍政権が佐藤栄作政権を抜いて史上最長の政権となる日だった)安倍政権も過去のものとなった9月、いよいよ東京都写真美術館での展示も終わろうとしている。



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