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12年前の被災者が遺す、「すずめの戸締り」の感想文

もう時効だと思うので、

以前Twitterで載せたネタバレ有り
「すずめの戸締り」の感想文をこちらにも載せておきます。
(いつふせったーが使えなくなるのか怖いので)

元ツイート

以下、ネタバレ注意です


#すずめの戸締まり  感想【訂正版】

すずめの戸締まり、予告だと「不思議な世界に通じる扉を開けてはならない」みたいなお話かな?と思ってたけど
実際のテーマは『辛い過去とどう向き合うか』だと思いました

福島県出身 20代

結論から言うと、心が軽くなる映画でした。
今も膿んでいる11年前の傷を癒してくれる映画だと思いました。

「ハウルみたいな儚いイケメンが椅子に変わってドッタンバッタン健気に頑張る新海誠監督の特殊性癖」
「ヒロインがイケメン」
「芹澤という新海誠監督とcv神木隆之介が生み出した性癖ブローカーの男」
「令和のジブリ」
など、すでに色々な感想を公開2日目にして拝見しておりますが
福島県民の私はやっぱり3.11が絡むシーンが印象的でした。

私事ですが、3.11が起こった当時まだ学生で
福島県の学校に通ってました。
家は農家で、2011年の3月18日から沖縄に旅行に行こうと約束してました。
地震が起きた時は数学の授業を受けていて、
今まで体験したことのない、ぐわんぐわんする長い横揺れ。隣のクラスから聞こえる泣き叫ぶ悲鳴。「やばくね…?」と言いつつも「まあ別に大したことないんじゃね?」と、不安を見せないように無理して笑っているクラスメイト。私も本当は怖かった気がするのですが、不安に襲われまいと、から元気に笑っていたことは覚えています。
その数時間後、原発の爆破。臨時で避難させるために両親から愛知行きの飛行機に乗らされ、1ヶ月叔母がいる愛知県へ避難をしました。
叔母は歓迎ムードでしたが、叔父と従兄弟は「放射能で汚染された人間」として見ていい顔をしなかったのも覚えています。
3.11から数年後、除染作業もある程度終わって農業も復活した頃。毎年親戚に実家で取れた野菜や米を送ることになっていましたが
親戚が放った言葉は「そんな汚染された野菜なんて食えるか」。テレビやネット上では「風評被害」が問題視されて、しばしば「風評被害」に関する賛否両論の意見が流れていました。
他県の人に「福島県出身です」と伝えると苦笑いをされ、気まずくなり、空気が重くなるのが嫌で、「震災?まあ大変だったですかね笑」「原発のことは、なんかよくわからないので笑もし嫌だったら近づかないで大丈夫ですよ!慣れてるので笑」。震災のことをブラックジョークにして、笑って誤魔化して。
震災の記憶は、今思い返すと私から忘れようと努めてたんだと思います。

見に行った時は予告編だけを見た状態で鑑賞しました。
予告編から察するに「異世界へ通じる扉を間違えて入ったすずめちゃんを助けるイケメンとのラブストーリーか」と思ってました。
映画が地震にまつわることを冒頭に示唆して
「今回も、前作前々作と通じる『天災』をどう解決、ないしどう男女の恋愛と繋げるのかな?」とワクワクしつつ
椅子に変えられたイケメンの四苦八苦するコミカルなシーンや、すずめの旅の道中で出会う温かい人々の交流にほっこりしました。
この「すずめの旅の中で出会った、第三者との温かい交流が、綺麗な思い出になる」という解釈もできる気がして。

終盤から3.11を示唆するシーンから
すずめちゃんが要所要所で言っていた「死ぬのは怖くない」っていう台詞、幼少期に誰も予想できなかった地震と津波で大勢の人が亡くなった、ある意味「死の淵」を見たからこそ出てきた台詞なのかなと思うし、
3.11、私自身も、家に帰ったら大事にしていたディズニーのスーベニアのコップが全部壊れてて、壊れるのはあっけない、死ぬのはいつかわからない、何気ない日常の中で突然死ぬ、というのを感じていたから
すずめちゃんがサラッと「死ぬのは怖くない」と言うセリフがとても深みがありました。

すずめちゃんの幼少期の3.11の日記が黒かったのも、絶望の現れで、気持ちが痛いほどわかりました。

すずめちゃんが最後に訪れる場所の道中で、おそらく福島県の海沿いの町で
芹澤が「綺麗だなー」と言った反面すずめちゃんが「綺麗じゃないですよ」と言ったのも
昔は栄えてた海の街が、今は気持ち悪いくらいに災害予防をされた、端々に見える汚染された土壌の袋、変に現実味がない違和感のある綺麗な空間が広がっていて私も「綺麗じゃない」と思ってるので共感できました。

これでもかというほど、3.11に真正面から向き合って
3.11を世間が忘れかけている11年後の今
古傷を抉るように当時の再現度を突き詰めて
「恋愛モノとRADWINPSだけじゃない新海誠監督」をひしひしとかんじて、圧巻でした。

最後、すずめちゃんが幼い頃のすずめちゃんに「私は明日のすずめ」「今は辛くても…いつかちゃんと大人になるよ」という言葉で、救われた気がすると同時にいかに私が3.11から目を背けていたことを痛感しました。
3.11とそれに通じる記憶は、楽しくはなかったし思い出したくないことばかりだし、正直辛い、映画も最後の方は辛かった。
でもすずめちゃんが「今は辛くても」と言ってくれたおかげで
3.11から自分の辛い気持ちや悲しい気持ちや、押し殺してた11年間の感情が爆発して涙が止まりませんでした。

3.11という、今でも腫れ物を扱うようなテーマ。絶対的に賛否両論わかれることを覚悟してもなお、「いつか誰かが向き合わなければならない歴史的事象」に「それに日本の民俗学」という難しい題材を含めて
真正面から向き合った新海誠監督の覚悟を受け取りました。

3.11は今でも私の中で大きな膿のままで
触ると痛い、見た目は悪い、でもどうやって治すのかわからない。どうしようもない苦しみだから、3.11をあえて忘れようとして見ないふりをして、膿を抱えたまま誤魔化してこの11年間生きてきました。
でも新海誠監督の「過去は辛かったと認めていい」「天災は誰も悪くない」「辛い過去を抱えながらも、11年間生き抜いたあなたは、きっといつか生きていることに幸せだと感じる時がくるから」「明日に絶望しないで」と慰めてくれた気がしました。

長くなりましたが、被災者目線の「すずめの戸締まり」の感想になります。
新海誠監督はじめ、制作に関わってくれた皆さんに感謝の意を表したいと思います。
ありがとうございました。


今見ても、この時の文章力はどうかしていたと思います。いい意味で。

12年の間で、俗に言う(かどうかは難しいですが)「震災文学」は出ていました。
タイトルを忘れてしまいましたが、
原発で働くことを題材にした漫画と、
3.11発生当時の原発所内での人間偶像劇の映画など。
他にも出ていましたが、
おそらく今までの「震災文学」は震災というより「原発を使うことに対しての是非」ばかりで
すずめの戸締り」がはじめて「被災者」に焦点をしっかりと当てた作品じゃないかなと感じています。
今までの3.11を取り扱った作品はどれも「なんか、違うんだよな。そう言うことを、被災者は言いたいんじゃないんだよな」と、私は摂食障害を起こしていました。
でも「すずめの戸締り」では、誰のせいでもない、誰も責められない“天災”を、上手に丁寧に描いてくれていました。
こういうのを待ってました。

原発の是非を考えなくて良いのか?帰宅困難者はまだいるのに、汚水処理の問題もあるだろ、そろそろ被災者が子供を産む世代になったな、放射能の影響で奇形児が産まれるのかどうかも考えろ、
とかではなくて

どうしようもできない事象で突然日常を奪われる。
直近だと“コロナ”もそうですよね。(災害とは少しズレていますが)

私たち人間ではどうしようも太刀打ちできないことが起こって
太刀打ちできなかった後にどうやって明日への希望を見出すか。
その一つの解釈を、新海誠監督は描いてくれたと思います。

改めて、「すずめの戸締り」を制作してくれたスタッフの皆さんに
声を大にして感謝を述べたいです。

ありがとうございます。

行ってきます。


福島県民 20代

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