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逃げるように会社を辞めていた独立前のリアル

すぐさん、もう心では決めてる気がするケド?

独立前のマイコーチとのセッションより

仕事を辞める2ヶ月前の2022年の8月、僕は沖縄うるま市の浜比嘉島というところにワーケーションに来ていた。

LACという全国の宿泊施設にサブスクで泊まれるサービスで、沖縄はうるまに1拠点ある場所だ。元々友人が長期滞在していて、ずっと行きたかったけど、歯医者が長引いて、ついに行くことができた場所だった。

コーチングスクールで、自分自身の変容に向き合い、プロコースを修了した後だった。その過程でも自分のキャリアについて本気で向き合っていた。

答えがわからないからこそ、全力で今立ち上がることに取り組んだ。自分の本音や心の声に従って、取り組んでいた。

ふとある日、段々と自分が信じていること、今いる環境の仲間が信じていることが異なっていることに気づき始めた。これは言葉にすることは難しい。でも、明らかに自分が求めていることが、周りの求めていることといろんな場面で異なることに気づき始めてしまった。

愛という名の呪いで獲得したもの

大学生の頃からスタートアップの立ち上げに参画したり、休学してベンチャーで働く中で、全然仕事ができなかった。「今の君に特出した才能は感じられないから愛嬌だけでも磨きなさい」という(呪い)が、目の前の上司、周りの環境が求めることにGiveする能力を培っていった。

デザインという行為においては、それは大いに役立つ。正解がない中で意思決定するのは上司であり、評価するのはレビュワーであり、究極的にはユーザーのために物事を組み立てることなので、相手が、世界が求めることを察知し、読み解かなければ、そもそもできない行為である。それが本質的かはさておき。

新卒で入った会社でも、それは大いに役立った。過去に相手との関わり方で失敗し、できないやつのレッテルを貼られた経験から、特に1年目は周りの信頼を集めることに徹していた。1年目の可愛い新卒ではなく、自分は無能ではなく、できる奴だと認められるように頑張っていた。それは功を正したと思う。

実際、インハウスのスタートアップでデザイナー1人で働いていた経験は、確実にリソースになっていたし、デザインシステムという新しい領域で難易度の高い改修プロジェクトを任せてもらえるようになっていたから、それはきっと事実である。

というのも、デジタル領域は歴史が浅く、煌びやかなデザイナーがやりたがらない、toBのUIデザインはデザイン歴の長い人に対しても情報感度と実務経験が高ければ勝る。

それは一方で、自分が足を止めればすぐ抜かれてしまうことも意味する。

信頼を得られたであろう2年目は副業にもチャレンジしたし、チームで自分というポジションも得られていた。世界に存在していい理由ができていた。

常にキャリアについては迷っていた。でも、置かれた場所で咲くことが自分にとってできることだし、チームにも求められている期待もあったし、自分にとってもデザイナーのキャリアとして確実に大切な経験になっていた。

しかし、本気で取り組めば取り組むほど、それは違和感に変わっていってしまった。組織の歪みや、穴を埋めること、みんなが前を向けるようにデザイナーとしてプレイヤーの立場から働きかけること。それは自分だからこそできることだと思っていたし、実際そうだったと思う。

しかし、やってみて、それが自分の好きなことなのかと自問しながら、トライし続けると、それは「違う」ということに気づくようになっていた。周りのニーズを汲み取ることは得意だ。しかし、それは、僕が獲得した能力であって、克服のための行為だった。受け入れてもらうための、手段であった。

元々、新卒で入った会社は本当に行きたい会社ではなかった。でも、その時に与えられた選択の中で、ベストなのはそこだった。どれだけ抗っても他の選択肢は現れなかったから、仕方なく進んでいった。

しかし、コーチングに出会って、本当にやりたいことが見つかったからこそ、違和感が顕在化したとも言えるだろう。


情熱を注いでいるのに、魂がすり減るような感覚

そんな悶々とした中、キャリアを考える上で、転職するのか、今の環境で得た地位を伸ばしていくのか、どうしても答えは出せないので、訪れたのが浜比嘉島だった。

この島は、沖縄の神様が生まれた島と言われるパワースポットとしても有名な場所だったと、着いてから知った。

1ヶ月の滞在の中で、いろんなことが起きた。2年ほどライフワークとして取り組んでいたプロジェクトが崩壊寸前になり、疲弊した。チームメンバーのことは大好きだったから、そのチームで穴になっていることを自分が埋めるようにしていた。その時も、それは大いに役立った。

しかし、やることに対しては納得感を持てなくなっていた。しかし、僕はどんどん疲弊していた。

仕事においても、そのプロジェクトにおいても、周りが求めることをなすというスキルは役立ったけど、同時に自分の心が限界を迎えていた。

管理画面のUIデザインは複雑なものを読み解きシンプルにしていく工程は楽しかったけど、リモートワークで味気ない時間を送ることに、カレンダーに詰まっていくMTGの数々に疲れてきていた。

「なぜ僕はこんなことに魂を注がなければならないのだろうか?」

この言葉を聞く時、あなたは何を思うだろうか?昔の僕なら「いやいや、言い訳ばかりしてないで目の前のことを全力でやろうよ!」と言っていただろう。

しかし、実際僕は目の前のことを誠意を持って、僕は取り組んでいた。目の前の人、チームのことを考えていた。真面目すぎたのだろうか?本音を伝えていなかっただろうか?リモート環境が人を分断していたのだろうか?

どんな理由にせよ、仕事をしても、何かが届いていない気がした。いいものを作ろうとしているのに、結果としてその働きかけは共創ではなく、対立しているような感覚だった。意見を出すことをやめても、思いっきり意見を出しても、それが相手を攻撃してしまうような感覚になることに嫌気がした。

だからこそ、魂がすり減るような感覚を覚えた。裏を返せば、それじゃないということがわかり出し、やりたいことが見つかっていたということだった。

今までの人生ずっとやりたいことがわからなかった。デザインという行為はとても素晴らしいことだし、探求のしがいがあるものだ。それが自分の強みとして、周りに認知してもらえることはとてもうれしかった。

でも、それは手段であって、情熱を注ぎたい対象ではなかった。コーチングをしている時、相手の目の前で正対し、心に触れられる、心で会話できる時間に驚愕した。これを突き詰めたい。そう思った。

プロジェクトがうまくいかなくなり、限界を感じて僕は逃げるようにその場を去った。その時、宿から5分の海の音は僕の心を癒してくれた。もし、それが東京の自宅だったとしたら、仕事も何もかもうまくいかなくなっていたと思う。

宿にいる人たちの会話も自分を癒したくれた。それも一人暮らしでは得られなかったことだ。


人生の処方箋

滞在している宿には、やまと式かずたま術という、生年月日と名前から自分自身について知ることのできる鑑定をやってくれる人がいた。僕は占いの類はどちらかというと懐疑的だった(ただし、生年月日で占う動物占いは当たる!)けど、それは自分の素質を知るのに大いに役立った。

占いという言葉として一般的に認知されている曖昧なものではなく、過去の人類が積み上げてきた分析の叡智として活用するのは、神への冒涜ではなく、人類と自然、科学への感謝だと今なら少し思うている。

盲目的に信じるのではなく、自分の人生という船の梶切る上で、羅針盤として活用することはとっても大事だと思う。自分の人生を生きるのは、誰でもなく自分である。あらゆることを考えて、選択するのは自分だ。舵を握るのは自分なのだ。

その宿には、自分の人生をピュアに真意に考えている人がいっぱいいた。もちろん悩んでいる人もいたけれど、その人たちは迷って迷走するのではなく、素直な心の感覚に従っているように僕には見えた。

独立前のマイコーチとのセッション

ずっと月一でコーチングを受ける中で、初めてキャリアについてをテーマにすることにした。前日にいっぱいジャーナリングして、自分が考えれていないことを潰して、コーチングの時間を最大化できるように望んだ。

自分一人で選択肢し切れる自信もなかったし、ましてや仕事仲間に相談することも難しかった。会社の人に相談しても、もやもやは極まるだけだと思ったし、そもそも自分と同じ感覚の人がいる心地がなかった。だから、ずっと寄り添ってくれ、伴走してくれ、視点を投げかけてくれるコーチの存在は、それはそれは尊かったと今思う。

セッションの冒頭、初めてコーチに「今日はキャリアのことについて話したいです」と伝えると、「すぐさん、キャリアで悩んでるの…?」と言われて「そういうテーマでもいいですかね?」と答えると、「もちろんいいけど、、、とりあえず話してみて?」というような会話だったと思う。

そして、自分が仕事をやめるか、続けるか選択しきれないということを伝えた時、コーチから言われたのは「すぐさん、もう心では決めてる気がするケド?」という言葉だった。相談して5分か10分くらいのメッセージだったと思う。

僕はそれを聞いた時、確か真っ白になって、ちょっと笑ってしまっていたと思う。仕事をやめるメリットや、自分のビジョンを改めての深めた上で、選択する予定だっただけに、そのAnswerは想定してなかった。

その後のセッションのことはあんまりよく覚えてない。ただ、ネクストアクションは「自分の心の声に従う」と決めたことだけ覚えている。

心というのは、時に曖昧である。嫌なことからは逃げるし、恐れがあれば、心は叫び出す。しかし、心は素直である。今の仕事を続けるか否かで心躍るか聞いてみた時、その返答はNoだった。

その時も、海に歩いていって、波の音と対話していた。そろそろ自分の人生は自分で決める時かもな。そう思った。その会社に入ったのも、自分で選択しきっていなかった。

今まで休学したり、いろんなことにチャレンジしたり、その中でしっかりと選択はしていたと思う。でも、責任を自分でとっていたかと言われると、いくつかの選択の中で、周りのニーズを汲み取って自分の中で選択を合わせていた気がする。

仕事を辞めるというのは、今の環境を否定することではなく、初めて自分の人生について舵を切ることなんじゃないかと思えるようになった。


若い上司に退職の意を伝える

心を決めて、上司の1on1で退職の意を伝えることにした。有給なども計算して、辞める2ヶ月前には伝えるようにしなきゃと思っていた。1on1の時に、何点か相談したいことがありますと伝え、2、3点相談事項を伝えた上で、最後に放り込んでみた。

上司はフリーズしていた。というのもその上司は、最近リーダーになったばかりで、以前まではチームメンバーの先輩というような存在だった。

「おー、まじですか。おー、、、、ちょっと待ってくださいね」そんな感じだった。「ちょっと今は考えられないですね…(笑)」。ごめんあの時の上司。

今まで出会った中で、たぶん一番優しくて、相談しやすくて、快適に仕事をさせてくれる人だった。その人柄に対しては最大のリスペクトがあった。

若手としてたくさん期待をしてくれていたのも感じたし、仕事も任せようとしてくれてたし、いろいろ根回しして、次の期から昇給できるようにいろいろ手配してくれているようだった。以前は、僕もそれを期待していたし、お願いしていた。だけど、その時期にはit's too lateだった。

転職したいというニーズだったら、そこには交渉の余地があった。でも、ベクトルが全く変わっていた。

その後の上司との1on1は毎回離れようとする自分と、気を変えようとしたい上司のギクシャクした会話だった。不満がなかったわけではなかったから、引き止められるようとすると、自分のAnswerがこれまた反発になってしまうので、出したくなかった。

部門長との2on1で、その旨も伝えると、「湧いているもの全て出してもらって構いません」と言われ、自分が抑えていた奥底のありのままをを全て伝えてみた。

部門長は、それを受け取った上で、いろいろ提案してくれた。僕はそれはとてもうれしいと伝え、でもやりたいことが見つかったんだと伝えることができた。期待を裏切るような感覚がとっても嫌だった。悲しかった。でも、自分のニーズもわかって欲しかった。

部門長は「決意は固いというのがわかりました(にっこり)」そんな返答だったので、この人はとっても懐が深いなと思った。

その後の上司との会話で、素直にごめんなさいと謝った。

それまでの会話はシャドーとシャドーのぶつかり合いだった。影の自分の思いを出してしまったら傷つけてしまうだろうと、それを出すのを抑えていた。

だけど、引き止めようとすればするほど、その自分は反射的に牙を出してしまう。僕はメタ認知がとっても高いけれど、湧き上がる思いを分離することは体と心の状態が健やかじゃないと難しい。あ、今反射的に喋ってしまっている。と認知できても、影になっている自分であればあるほど、抑制できなかった。

でも、それを出したからこそ、分かり合えないことを分かり合えたし、最後に感謝も伝えられた。最後の最後で心で会話できたのが、僕にはとってもうれしかった。これは必要なプロセスだったのかもしれない。

虚構の愛を受け取らない宣言

最初に、昔お世話になった上司というか、上の位の人に1on1を入れ込んだ。正直に言って、入り方をミスった。

退職が決まったという旨を伝えたつもりが、相手には迷っているというふうに捉えられ、必死に引き止められた。それは僕が求めているものと違っていた。

しまいには、「今の会社の君というものがなくなるんだよ?」とか、「今の年齢でコーチングとか始めても、若い人には勝てないよ?」とか、「君はいつも自分が自分がっていってて、主語がいつも自分だよね。何か君らしいよ」とか、言われた。

それを言われた時、驚きと、反発と、悲しみの気持ちがここでも湧いてきた。僕の中のシャドーが「それは古いおじさんの考え方」と言っているし、実際今もそう思っている。けど、それを伝えても意味がない。僕は誰とでも本音でわかりあいたい。それを伝えることは対立を生む。

僕はやりたいことが見つかったからただ道を変えるし、その環境ではしなきゃいけないと思っていたからそれをしていたし、それを理解してもらえてないのが、とっても悲しかった。

その人は引き止めるつもりで、過去の経験から自分に苦労しないように、愛からそれを伝えようとしていたのだろうと思う。今までの自分ならそれは愛からきている優しさと捉えていたけど、今の自分では正直その思いは僕は受け取れないのです。ごめんなさい。

最後の最後に、「君には、まだまだこの環境で学べることがあると思っていたけど、やりたいことが違うならしょうがないと思います。会社を辞めても繋がりは消えないよ」みたいなことを言われたと思う。

それに対しても、僕はレスポンスをしそうになったけど、笑顔だけ返すようにした。その思いには感謝の気持ちがあるけれど、あなたの期待には応えられない。だってそれは僕が学びたいことではないのだから。僕のことを考えてくれて、ありがとう。またいつの日か。

この文章はあくまで、僕の視点の世界線。僕の内的世界で起きていることである。相手の世界線では、僕がその人をまるで攻撃しているように見えたかもしれないし、僕が世界を歪めて言葉を受け取っている可能性もある。

だから、正しさのために書いているのではない。僕の内的世界に調和をもたらすために書いている。どうかわかってほしいのは、だれかを攻撃したいから書いているわけではない。僕が癒されたいから書いているのだ。


チームメンバーとの1on1他己分析

退職の方針が決まって、お世話になった人たちに一人一人に、謝罪と感謝を伝えることにした。

謝罪というのは、普段の業務で僕は自分が経験からそれがワークしなかったり、違和感があることは、新卒という立場でもリーダーシップを発揮して、放り込むという姿勢に対してだった。

自分自身にも、若手なのに、新卒入社したグレードとしてもまだまだなのに、それを言えてしまう自分に嫌気がさしていた。自分より上の人がそれを言って欲しかったのに、物申さないから自分が言うしかないと言う感覚だった。それに、チームの人は、組織の人はとても優しかった。

僕という存在が仮に後輩だったら、生意気なやつだと思うかもしれないし、威勢のいい若手と思うかもしれない。どちらもあり得るだろう。そんなことはなんかどうでもいい気がする。

「入社して間もないのに、いつも調子乗ったことを言っていたかもしれないです。仕事やりずらいと思うこともあったかもしれないです。ごめんなさい。」そう伝えた。その上で、やりたいことができたという話をした。

驚いたことに、本音を伝えるとチームメンバーのみんなは応援してくれた。というか、それは君の長所だよとほとんどの人が言ってくれた。僕はその言葉に救われた。「やりたいことが見つかってよかったね…!」と、驚くことにみんな言ってくれたことが僕には本当にびっくりだった。

やまと式かずたま術を受けた時に、鑑定士から言われたアドバイスは、あくまでこれは内面や性質をみるものだから、実際に発揮できていない可能性もあるし、他の人の視点をもらうと気づくこともいっぱいあると思うよ、と言われ、会社の1on1で他己分析をお願いすることにした。

FBには驚くことがいっぱいあった。自分が嫌だと思っていたことが、他の人から見た長所だと言わわれたり、社長に向いている、とか、もっとパッションとかビジョンを伝えてほしいとか、「え、それやっていいの?」みたいな愛のあるFBばかりだった。

僕はとっても嬉しかった。一方で心の片隅で、こういうキャリアのハザマにいないと深い話ができないのは少し悲しかった。だけど、みんなには感謝の気持ちしかない。

15人ぐらいに1on1して、ほとんどがポジティブな時間だった。

ネガティブなのは、さっきのお世話になった上の位の人と、元上司だった。

元上司に他己分析をお願いした時、「君正直応援してほしいでしょ?それは上司としてのFB?それとも1個人としての?」と聞かれ、どちらも大丈夫です。と伝えると、「正直生意気だし、承認欲求強いし、その上繊細で弱いし…etc」などと言われた。

その時間は、なんというか呆然としていた。この時もあー聞かなきゃよかった。ミスったなぁと思った。正直聞きたくなかったけど、上司という形でお世話になっていたし、能力はとても優れている人だったからお願いした。

それも心配からくる愛のFBなんだよなぁなんて思ったし、それは誰にも共通していた。みんな心配してくれるからこそ、レスポンスをくれる。それは間違いなかった。

でもよく見てみると、暖かさではなく、根底には暗い恐れからきているように僕には見える。それは愛の循環からくるものではなく、恐れの反応からくる心配のプロセスに見える。

だから、ただ「ありがとうございます。」と伝えた気がする。でも、僕は、それを受け取ってしまうと傷つくから、受け取らないし、もう聞こうともしない。離れたいし、離れる。

でも、関わった人たち一人一人が心から幸せになってほしい。それが僕の本音だし、自分もそうありたい。願わくば、みんなと最高のプロダクトを作って、最高のチームだったと言ってお酒を交わしたかった。それが僕の願いであり、僕の中のリアルだ。


繊細で不器用な僕の独立後のリアル

いろんな出来事があって、最後の最後まで僕は言葉を間違わないように、それはとても慎重になっていた。上司の人たちとの、分かり合えなさから亀裂が入るのが、とっても僕には痛かったし、そこからたくさんのことを学んだ。

伝え方を一つ間違えれば、亀裂が入る。だから、大事な選択をする時は、どうせわかってもらえないと投げやりになるのではなく、丁寧に伝えなければならない。

仕事を辞める決意をして、まるでたくさんの引き戻そうとする手から、僕は必死に捕まらぬようにと逃げるように、進んでいた。

会社を辞めた後に感じたのは、安堵だった。助かった。なんとかうまくいった。そんな感じだった。

その後、過去の人生を振り返るnoteを書いた。驚くことに、個人DMをくれた人たちが何人かいて、書いてよかったなって思えた。長い文章なのに、よく読んだなって思ったけど、それを読んでくれたことがうれしかった。そしてこの文章もナガイ。

仕事を辞めるまで、家族に退職のことは言わなかった。相談してもよかったけど、自分一人で悩みたかった。というか、辞めることについては、あまり誰にも相談してなかったと思う。それが良いのか悪いのかはわからない。

仕事を辞めて、父に電話した。驚かれるかなぁとか、心配されるかなぁとか思っていたけど、「すぐならいつか辞めると思っていたよ」と言わた。想定外の言葉と、自分のことを理解してもらえているのが、とってもうれしかった。

フリーランスになって5ヶ月経った。組織から離れて、自分の居場所は世界にないような痛みを感じることが増えた。でも、同時に仕事を通じて、居場所をもらっている感覚が増えた。ここから僕はどこへ向かっていくのだろう?

僕が抱えていたのは、どうせ自分のことはわかってもらえないという痛みだ。この仕事を辞めるプロセスの中で、「自分の本音を伝える」ということをもっと大切にしようと思う。それはとてもセンシティブなことなので、丁寧に伝える必要があるけれど。

フリーになってから、引き戻そうとする手から逃げてから、世界に自分の居場所はなくなり、自分から居場所を作り出す必要が生まれた。居場所がなくなって、仕事を通じて自分は生かされていることに気づくことが多くなった。

これを書いている今、またご縁があって仕事を辞める決断をした沖縄の浜比嘉島に来ている。沖縄のリアルなビジネスを高校生が改善していく修学旅行のメンターのお仕事を終えて、また自分の至らなさや、不器用さを感じるばかりである。

人生なかなか上手くいかない、自分は社会に馴染めない、という本当か嘘かわからない内なる声が、まるで輪廻のプロセスがまた襲いかかってきている。

僕は繊細で、弱くて、不器用である。そんな自分を少し許してあげる必要がある。これが独立直前と、独立後のありのままの僕のリアルだ。


いただいたサポートは健やかな生活と、人生の探求の道に使わせていただき、noteでその記録をお届けします。