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信州・戸隠神社に行ってきた。そして……

こちらで発表したキャンペーンは中止とします。改めて違う形にしてお伝えしますね。どうぞよろしくお願いします。なぜか、この記事だけ異様にアクセス数があるという、とても不思議な現象が起きています。ワタシにとって嬉しいような困るような現象ですが、これがどういう意味に繋がるのかは、とても楽しみです。



さて、昨日、オットと戸隠神社に行きました。
山岳信仰として聖地だった戸隠神社が、明治の「大々的な宗教改革」である「神仏習合」で、その山岳信仰である天台宗を捨て、戸隠神社としての道を選んだことは、情報として知っていはいました。
山岳信仰っていうのは、修験道が山で修行をする信仰のことです。

興味があるなぁって方で、小説がお好きなかたにはこちら。浅田次郎氏の小説をぜしぜし。

「鉄道員」などで有名な浅田次郎氏は、奥多摩の御岳山という山岳信仰で高名な山の修験者の末裔だそう。
物語は、御岳山を信仰してきた普通の人々の営みがリアルに描かれてています。奇異なこと、非科学的なことが起きたりするんだけど、素晴らしい洞察力と視点で描かれた名作。ワタシ的には、これが日本の心の原風景だと思うな。って実感した一冊でした。

修験道とか山岳信仰については、たくさんの本がありますが、一押しはこちら。

民俗学者・宮本架裟雄先生の著書です。民俗学を学びたくなって先生のゼミに通わせていただいた、ご縁のあった一冊です。


戸隠神社は、いまは神社です。っていうか日本の神社とお寺はながいことずっと、両面を持っていたところが多いんですよね。
それが明治政府が「神仏習合」を命じて、仏教を落とし、神道を上げようとした「廃仏毀釈」の中、戸隠は、お寺としての存在を捨て、神社として生きることを選んだんだそうです。
その選択を迫られた当時の責任者の方たちのことを想像しただけで、ツラくなっちゃった。
本当辛すぎる……奈良・興福寺の苦悩は漫画かエッセイで読んだことあったけど、考えてみたらどの寺社も全てそうだったんだよね……
明治政府にも理由があったからそれだけの政策をしたとはいえ、当時の宗教者の方たちは、よくぞ内乱とか革命とか起こすことなく、過ごしてくださったものだと思います。
戦争って宗教からだもんね。もし起きていたら……想像すらできませんが。

そして、その下された新価値観を、ぬるっとというかw まるっと新生活に溶け込ませた庶民たちの「新発想・バランス感覚」にも、本当に感心と感謝しかありません。
そのおかげで、ワタシは楽しく御朱印帳集めも、お墓参りも。なーんの矛盾なく日常の中に取り込めていて、しかもクリスマスやハロウィンまで楽しめているのですから。

昔からどこの家にも、お仏壇と神棚が当たり前に同居し、クリスマスツリーまで飾ったりしますよね。
そんな宗教観があるから、「何を信仰していますか?」って聞かれたとき、日本人の多くが「無宗教です」って答えがちらしいですが、じつはそんなことなくて、
属してはいなくても、庶民は庶民らしくありとあらゆるアンテナをたてて感じ取り、暮らしの中に上手に活かしてきてるんですよね。
っていうことを学ぶのが、民俗学でした。
日本人は、言い換えれば、矛盾に強い。と言えるのでしょうかね?


で、昨日の戸隠神社ですが……

5つの神社を全て回り切りました。半日で……(予想以上にキツカッタ)
最後の奥の院は、急な山道を40分以上かけて登り切った秘境みたいなところにありました。だから、もう、感動的に山岳信仰体験……
山頂付近に鳥居があり、拝殿があり、尊い御朱印をいただけました。
見渡す限りの山々が、悟りへの道だったのか……と想像したくなるような岩々そして岩々。
その岩場を清らかな雪解け水が走り、神がいると思えるくらいに美しい落差があって、そこが滝になり、まるで永遠を感じさせてくれる空間が、そこにある。

奥宮の全景は、岩・清流・窪・木々・滝……

その山の裾野では、数百年、いえ千年の時を経て人々が暮らし、信仰のために訪れる人々を守っていたんだそうです。
戦国時代の乱世の30年だけそこを離れ、そののちはまた戻ってきてこの聖地を守りながら営みを続けてきた集落だという説明書きを読み、
ワタシ、心の中で号泣しちゃった。素晴らしいものに触れたときに流れる涙でした。

どんな聖地でも、そこに住む人たちのこうした尊すぎる営みがなかったら、未来という今日に、その地は存在していなんだもん!!!!
政府のチカラとか、省庁の仕事だけで、存在してないし、
観光客や参拝者だけじゃ、成立しない。
氏子っていうのかしら? それとか、地元の人たちの信仰心があるからこその、聖地巡礼……。

と、いうわけで、戸隠そばを食し、家族と友達へのお土産に十割蕎麦を買い、竹細工の民芸品を買い、次に来るときはどの宿坊に泊ってみたいか下調べをし、地元の方たちの信仰心に敬意を払って帰宅しました。

あ、あと、体験としては……
もうね。脚が震えるほど疲れ果て、息も絶え絶えに到着したわけですが、そこで手を合わせたとき、本当に無心でしたw

無心っていうか、無思考。無言語。無願望。無挨拶。無祈願。

もしかして、この体験の先に、天狗への道があるのかも!!
とか本気で思えました。

天狗がいると思っているワタシには、ときどき、天狗が飛んだから吹いたのかしら??って思うような風を感じたりしました。鳴いていた鳥たちが、一斉に静かになったときも、あら天狗? とかね。

いやもう、すっかり置き去りにしていた、「日本人の心ってどういうものかを土着信仰や民間信仰から探る学問への関心」がふつふつと湧き上がった一日となりました。

18000歩を歩き切りってにした一日分の悟りは
「ワタシはいつだって未熟だけど、そこをしっかり自覚して受け止めて、未熟者としての最大限の力を出して生きていこう。」

でした。

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