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帯同カメラマン森山が撮る!〈後編〉


創作大賞2023「お仕事小説部門」応募作品。
前編はこちら↓

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修学旅行2日目の朝。
これから朝食会場で生徒を迎えようという時間に、学校で留守番をしているはずの教頭から着信があった。
教頭とはメールで密に連絡を取り合っていたし、学校の朝は忙しい。こんな早朝からわざわざ電話をかけてくるなんて嫌な予感しかない。
重い気持ちのまま電話に出ると、嫌な予感が当たったどころか、みゆきの想像の斜め上をいく内容だった。
「脅迫文が届いたんだけど」
教頭はドラマのセリフを棒読みしているかのように、そう言った。
「…は?」
「うん。いや、俺もね、は?と思ったよ。でもね、何度見ても事実届いてるんだよね、脅迫文」
「どこにですか?」
「俺個人の学校パソコンと学校代表のホームページに」
「え?教頭先生のメールと学校にだけ?」
「うん、まぁ、今から転送するわ」
「市や区の教育委員会には?」
「いや、届いてないと思う。届いてたら連絡くるはずなんだけど連絡ないし。あ、こっちから言わないといけないんだっけ?脅迫文届いた時って、届けみたいなの出すんだっけ?」
教頭もよほど気が動転しているのだろう。「脅迫文が届いたら速やかに連絡を、みたいなマニュアル…なかったよね?」と、ぶつぶつ言っている。
「どこから届いたのかわからないんですか?送信元」
「うーん、それがわかんないんだよな。送信元のアドレスとかもわからなくなってて、不思議だろ」
脅迫文マジックにかかってるのか、教頭は不思議だ不思議だと何度もつぶやいた。
「とにかくさ、見てみてよ。そしてこの脅迫文どうします?って校長先生につなげて」

みゆきは送られてきた画像を開き、呆然とした。

◯◯市立関口中学校2年生の修学旅行を
ただちに取りやめ、
9月11日中には帰ってくること。
帰ってこない場合は爆破する。


転送されてきた脅迫文はシンプルなものだった。シンプルすぎて、イタズラとも本気ともとれる。
最後の「爆破する」が、どこを、いつ、どう爆破するのか書かれていないところも怖い。

「爆破するそうなんだけどさ、どこを爆破するのかもわからんという…」
「生徒のイタズラ…ですかね?」
「それがわからないから怖いよな。生徒かもしれんし保護者かもしれんし、まったく関係ない近所の人かもしれんしな」
勘弁してくれ。
みゆきは脱力感でいっぱいになった。
全国的にも中学2年生での修学旅行はほぼ全日本人が通る道だ。しっかり準備して、本番を迎えて、一夜明けての2日目の朝にどうしてこんな脅迫を受けねばならないのか。
「本気、のやつだったら怖い」
「はい。本気だったら…怖いですね。爆破されますもんね」
「田井中先生、ふざけるんじゃないよ」
「ふざけてませんよ。本気ですよ。怖いです。爆破も、中学生の修学旅行にこんな脅迫文が届くこと自体も…」

朝食後は準備をしてすぐに班の自由行動にうつる予定だったが、急遽職員全員集合して、
教頭先生から電話があったこと、
教頭先生と学校宛てに脅迫文が送られてきたこと、そしてその内容をその場にいるみんなに共有した。
校長はみゆきのスマホ画面で、転送されてきた脅迫文を確認した瞬間「なんだ、これは…」と不機嫌そうに呟いた。
私はハッとして、森山を見た。
昨夜、木野先生を今日の新幹線で帰してやってくれと頼んできたじゃないか。私の返事が遅いから、学校に脅迫文を送った!?
疑いの目で森山を見ていると、森山は私に気づき
「ちがう、ちがう!俺じゃない!」と、大げさに手をパタパタさせた。
「まぁ、昨日の今日じゃ、俺を疑う気持ちもわかりますけど…俺は修学旅行の帯同カメラマンとしてここに来ているんです。こんなことしませんよ」
と、言いたげに口をパクパクさせている。
たしかに森山はそんなことはしないだろう。
じゃあ…

「今、1番大切なのはこの脅迫文が本気のものかどうかということです。本当に今日中に修学旅行を切り上げて帰らなければどこかを爆破されるのなら生徒の安全第一ですから、この脅迫文に従わなければなりません」
校長が妙に堂々とそう発した。
「でも!こんなのイタズラに決まってます!脅迫文が届いたからって言うことを聞いていたら、脅され損というか…やったもの勝ちみたいになっちゃうんじゃないですか?」
1組の小林先生が校長の発言にかぶせるように早口になって反論した。
「それに…いきなり今日中に帰ってこいって言われても、帰りのバスや新幹線の手配は…」
2組の佐々木先生が、そう言いながら添乗員を見る。
「それはっ!善処いたしますけど…。今から確認をとりますから!ただ今日中に帰れる座席を全員分確保できるかどうか…」
添乗員はそう言うと、バタバタとスマホを手に取り、店舗に連絡を取り始めた。
「いや、ちょっと待ってください」
森山が添乗員の電話を制止して、こう言った。
「せっかくの修学旅行、それもこれから自由行動のお楽しみが待ってるというのにそれを切り上げて脅迫文に従うんですか?」
「だって、もし本当だったら、生徒の身に危険が…」
震えが出てきた。何が起こっているのだろう。
「この脅迫文に従わなかった場合、本当に爆破されるかどうかがわかればいいわけですよね?」
それはそうなのだけど…。
「幸いといってはあれですけど、教育委員会の方には届いてないわけでしょ?だったら、我々の判断で修学旅行を続けることも、脅迫通り切り上げて帰ることもできる。そのためには、この脅迫文を出した犯人を見つければよいわけです」
至極当たり前のことを森山が言う。
「犯人を見つければよい」なんて、当たり前ではないか。
「あ!警察!警察には連絡しましたか?」
副担の白石先生が基本的なことを思い出した。
そうだ!犯人を探すのも見つけるのも捕まえるのも警察の仕事ではないか。
「いや、警察も必要ないんですよ。十中八九、生徒でも近所の人でも愉快犯でもないと思うんで…」
森山が少し考える素振りを見せた。
その場に居る大人9人。
それぞれが目を合わせることもできず、ただ、現実味のない現実にうちひしがれていた。

「あの…もう今日の出発予定時刻から30分過ぎてますから、一度生徒たちを見て回ったほうがよくないですかね?」
副担の白石が時計を見ながら提案した。
「じゃあ、班ごとに今日の自由行動のルート確認とバスの時間を調べてる班はズレが生じてるかもしれないので計画立て直しさせましょうか」
そう言いながら3組の木野が廊下に出ようとしたところに
「でも!これから帰るのに計画の確認や立て直しさせるのも生徒が可哀想じゃないですか?」
2組の佐々木が割って入る。
たしかに、待たされて計画を立て直しさせられたあげく結局帰ることになれば、それはあまりに酷である。
「とりあえず、各班の保健係に健康チェック表だけは先に持ってこさせましょうか」
養護教諭の佐藤が今1番必要なことを提案して、各担任が生徒たちの部屋へと散っていった。
急ぎ足で出ていく先生たちの後ろ姿を目で追う。途中、ズボンのポケットに入れていたスマホをチラッと確認した木野を見た瞬間(怪しい…)みゆきはそう思った。
担任たちが生徒の部屋に行った後、残された者たちの中にほんの数秒のことだったが沈黙の時間が流れた。みんなうまく考えがまとめられずにいるようだ。そうだ、今あの話をしなければ。
みゆきは勇気をふりしぼって校長に話しかけた。
「校長先生、ちょっとお話があるんですけども…」
「犯人の話?」
校長が今や刑事のような顔つきになって、みゆきを振り返る。
「いえ、木野先生の話です。奥様に昨日陣痛がきたらしいんですけど…」
森山から聞いた内容を校長に話す。
「ああ、そうか。予定ではもうちょっと後だと思ってたけど早くきたんですね」
校長も木野家の出産予定をご存知だったようだ。
「それであの…木野先生を今日これから帰すわけにはいかないでしょうか。まぁ、ただでさえ修学旅行は今こんな大変なことになってますから、みんな一緒に帰ることになるかもしれませんけど」
みゆきはそう話しながらもまだ気持ちに迷いがあった。担任が修学旅行の途中で帰るって…。そして、みゆきは「木野が脅迫文の犯人ではないか」と疑っていた。日頃からの覇気のなさ、スマホをチラチラ確認する動き、何もかもが怪しく感じられた。
「…もしかしたら、木野先生を帰せば脅迫文の件も落着するかもしれませんし」
そう口にした途端、
「いやいやいやいや、それはないよ!」
森山が割り込んでくる。
「木野先生が犯人ってことはない!」
「え!?木野先生が犯人?」校長が目を丸くして、森山とみゆきを交互に見た。
そして、森山の援護にまわる。
「うん。木野先生が犯人ってことはないよ、田井中先生」と校長。
「どうして犯人じゃないってわかるんですか!?」
2人に同時に否定され、みゆきはカッとなった。
修学旅行を2日目で切り上げて帰って来いだなんて、今それを1番欲しているのは木野先生ではないか。それに怪しい行動が目立っているのも事実だ。
そこで森山が口を開いた。
「木野先生って、競馬ファンって言ってたじゃん?奥様も一緒に騎手をリスペクトしてるって」

生徒たちの部屋へと急ぐ木野の背中に
「産まれそうなんだって?」と、小林香織が声をかけた。
「え!?ああ、なんで知ってるの?」
一瞬ビクッとなって振り返った木野が質問に質問で返した。
「昨日、カメラマンさんに聞いた」
小林香織がそう答えると
「ああ〜」と言って、木野が笑顔になる。
「あのカメラマンさんさ、ディープインパクトのぬいぐるみ持ってたんだよ。嬉しくなって喋りかけたらさ、競馬場で馬の写真を撮ってたこともあるって言うじゃない!それってすごいことなんだよね。あの人、多分相当うまいカメラマンさんだよ!…で、どういうわけだか気づいたら産まれそうだって喋っちゃってた」
いつもの木野より楽しそうだ。香織は嬉しくなって
「だから早めに木野先生を奥様のもとへ帰してやってくれって、カメラマンさんが田井中先生に頼みにきたの」
と早口で耳打ちした。
「え?」
木野はきょとんとして、香織を見つめる。
「俺、そんなつもりはないよ!」
「わかってる、わかってる!だって、そんなことしたら〜」
「そう!絶対ゆうこに怒られるよな!」
木野と小林は笑い合って各クラスの生徒たちの元へと急いだ。

昨日体調を崩していた生徒たちも今日は元気なようだ。班の自由行動に向けて準備万端と見える。
全員分の健康シートをチェックしながら養護教諭の佐藤が「生徒たちは問題ないみたいです。発熱者、腹痛を訴える生徒もゼロです」と弾む声で報告をした。
さて、そうなるといよいよ脅迫文の犯人探しである。
生徒の様子を見に行き、健康チェックシートを手にして担任勢が戻ってきたため、再びそこにはカメラマンの森山と添乗員を含む9人の職員が集った。
「ちょっと先生方、脅迫文の話の前にひとつお話したいことがあるんです」
校長がかしこまって話を始めた。
「修学旅行をこのまま続けるか、脅迫どおりに今日切り上げて帰るか、その判断はまだついていないのですが、木野先生、あなたは今から帰りなさい」
驚いたのは木野である。少し遅れて2組担任の佐々木も驚いた。
「どうしてですか?」
「産まれそうらしいじゃないか。急がないと!私の経験上、これを逃すと一生グチグチ言われますからね。あなた、あの子が生まれた時いなかったじゃないの~ってね」
木野は慌てて
「いえ!修学旅行中ですし、3組のみんなのこともありますし。妻もその辺のことはよくわかってくれています」と、校長からの提案をやんわりと断った。
その場にいる担任勢以外がニヤニヤした。みゆきと目が合い、森山が口を開いた。
「最初は木野先生が脅迫文の犯人だって疑ってた人もいるんですけど…」
「え?私が、ですか?」
木野がショックの声をあげ、みゆきは気まずくなり下を向いた。
「俺はそれはないだろうなと思ってまして。木野先生はご夫婦で競馬がお好きだと聞いたので。その木野先生が大事な仕事の途中で帰ることはないと思ったんですよ。騎手は土日のレースのために調整ルームに入る時、通信機器は預けることになってますよね」
競馬の話になると木野の表情が緩む。
「そうなんです!騎手は金曜日の夜から日曜のレースが終わるまでは家族とも連絡がとれないようになっているんです!」
「だからきっと、その騎手に憧れていらっしゃる木野先生は奥様からのメールを見ることはあってもご自分が返信することも、ましてや仕事途中で帰るなんてことはないと思いまして」
みゆきにはサッパリその気持ちがわからないが、木野は嬉しそうにしている。
森山が言うには、レース開催期間中の騎手は外部との接触を遮断するために通信機器を持ち込んではいけないことになっているらしい。たとえ騎手の奥さんが土日に産気づいても連絡はとれない、そういう世界なのだと。
だからと言って、騎手と木野先生は違うと思うのだが…。
「本当は届いたメールをチラチラ見るのもよくないんですけどね、どうしても気になっちゃって。でも僕からは返信してないんです。半分だけ騎手を見習ってます」
木野が元気良くそう言うと、1組の小林香織が
「それに木野先生の奥様は同じ教員として、仕事中に自分のために帰ってきてなんて言う人じゃないです。むしろ夫が途中で修学旅行をほっぽり出して帰ってきたら怒りだしそうな…そういう人です」
と、付け加えた。
なるほど。そういうタイプの奥様か。
「ふむ。木野先生が修学旅行の途中で帰ったら、奥様に怒られるのか。そりゃ大変だけども帰りなさい。3組の生徒のことは…」
校長が難しい顔をしながら、副担の白石を見た。
「はい!私が!私が3組の担任として修学旅行終了まで頑張ります!」
白石が手を挙げた。
「昨年、私が休職した時に木野先生にはずいぶんお世話になったので。恩返しといってはアレですけど…それに実は私、今年担任を持てなかったのがショックで。やりたかったんです。2年生の担任で修学旅行に行きたかったんです」
みゆきも白石先生が昨年体調を崩して休職をしたことは知っていたが他学年だったこともあり、あまりその後の詳細は知らずにきた。
木野先生は私から見たらイマイチやる気が感じられない人だけど、わりと信頼されているらしい。そのことに少し驚く。
「それで…まぁ、多分、脅迫文の犯人は木野先生じゃないと思うし、出産には間に合うように帰った方がよいんじゃないかと」
森山が口を開く。
「ここからは俺の勝手な推理なんだけど…犯人は大体わかった。でもわからないことが2つあって…」
「え!?」
みゆきは自分の声の大きさに自分で驚いた。
「あ、すみません。大きな声出ちゃって…。あの、え?今…犯人がわかった、って言いました?」
「言いました。でもわからないことがあるんです。犯人の動機と、なぜ今日帰ってこないといけないのか、というところがわからないんです」
「どういうことですか?」
珍しく養護教諭の佐藤が口を挟む。
「いえ、学校のパソコンと教頭先生に送信元をわからなくして脅迫文を送ることができる人物って限られているんですよ。教頭先生が朝イチに学校に来て、早朝からパソコンを開くことも知っている内部の人間で。どこの学校でも大体、学校のホームページとか通信機器関係の管理をしているのは…技術の先生かなと思うのですが…」
「技術の先生…」
みんなが一斉に2組の担任、担当教科技術の佐々木を見た。
森山の言葉を受けて集まった自分への視線に動揺した佐々木が
「え…」と言ったまま動かない。
こういう時、いつもならすぐに爽やかに返すキャラクターの佐々木が何も返してこないことにみゆきは驚いて、森山を見た。
「技術の先生からしたら、学校のホームページに何かを書き込んだり、学校の個人パソコンのアドレスにメールを送るのは朝めし前ですよね。普段ご自分で更新しているくらいですから」
慌てて木野が助っ人に入った。
「でも!佐々木先生と僕は昨晩同じ部屋でしたけど、怪しいところはありませんでしたよ!お互い、スマホを見たり触ったりする時間くらいはありましたが、そこで脅迫文を送るようなことはなかったと思うんですけど…」
それを受け、森山は静かに頷きながらこう返した。
「うん。だからこそ協力者がいると思います。外部に。多分、佐々木先生が事前に準備したものを指定時刻に送信した協力者が」
「外部…」
外部という言葉にその場の空気が少しだけゆるんだ。
「俺がわからないのは、どうしてわざわざ2日目に帰ってくるよう言っているのか。この修学旅行中に何かあるなら、出発前から何か事を起こすはずじゃないですか?最初から中止にさせて、延期にした方が手っ取り早いし生徒たちにも迷惑がかからないと思うんだけど…」
たしかにそうだ。
せっかくの修学旅行。出発させるだけさせておいて、途中で帰らせるなんて。
「だから今のところわかっていることは、この9月10日から12日の修学旅行中に…特に今日帰ってこいと指定されてますから、動機となるような何かが今日か明日にあるんでしょうけど、なぜ最初から延期させなかったのかが謎で…」
「そうですよね!今回ダメだったら延期で12月の…何日でしたっけ?もう延期日も決まってますよね」
小林香織が泣きそうな顔になりながら、添乗員の方を見た。
「あ、はい!今回が延期の場合は12月1日から3日までをお取りしてました。12月は寒いですし、風邪が流行る時期でもあるんですけど、その分人気がなくて予約が取りやすいんで」
森山が少し考えるようなそぶりを見せて
「今回のように1泊して帰る場合はどうなります?もう一回、12月にも行かせてもらえるんですか?」
と聞いた。
「いえ、それは…」
添乗員が言いにくそうに私を見たので、
「もう出発して、移動して、宿にもしっかり1泊してるんだから延期はできないと思う。交通費も1泊でも2泊でも関係なくかかってることだし」
そう言って顔をあげると、森山はハッとして、何かをスマホで調べ始めた。
「12月の…1日と、2日と…」
「何を調べてるの?」みゆきが覗き込む。
「あ!」
一同が息をのんで森山を見つめた。
「ポメラニアンズ…」
佐々木が下を向いた。
「ポ?ポメラって何かね!?」
校長が待ちきれないというように森山に先をうながした。
「ポメラニアンズというのは、佐々木先生の1番の推しって言ってた、ポメのことですか?」
森山が佐々木に問いかける。
佐々木は俯いたまま、小さく頷いた。


12月1日と2日に人気ロックバンド「ポメラニアンズ」のドーム公演が予定されていた。
ポメラニアンズ、通称ポメの大ファンである佐々木はどうしてもそのライブに行きたくて既にチケットも取得済みだという。
しかし、2年の担任となり、運の悪いことに修学旅行の延期日とポメのドーム公演日が重なってしまった。これは修学旅行を延期させるわけにはいかない。それで予定通り出発させて、延期にならないように現地に着き1泊させてから帰るよう指示したのだと言う。
「え?いや、待ってください。12月の延期日にライブに行きたいから延期にならないようにって、それじゃあ普通に今回の修学旅行を実施させればよい話じゃないですか?延期日はあくまで延期した場合の設定日ですよね?」
白石がきょとんとしたまま、たずねるように皆に投げかけた。
「今日9月11日か…12日にも、何かあるってことでしょ?」
森山が覗き込むように佐々木に聞く。
「今日が…」
「今日が?」
みんな、早く先を聞きたいらしい。
「彼女の誕生日でして…」
「彼女の誕生日!?」
おとなしく聞いていた添乗員が急に大きな声で聞き返した。
「はい。僕の…彼女の…2ヶ月前にできた彼女の誕生日です」
「え?だから?」
私は状況が飲み込めずにいた。佐々木先生の彼女の誕生日と脅迫文と、どう関係があるというのか。
「その…あの…もしかして、なんですけど…」
木野がおそるおそるという感じで口を開いた。
「その佐々木先生の彼女さんに、誕生日当日を祝ってほしいと言われてるんですか?」
佐々木が「はい」と小さく返事をするのと、1組の小林が「そんなわけないでしょー!」と叫ぶのが同時だった。小林の声の方が大きく、佐々木の声はかき消された。
「え!?修学旅行の予定日どちらにも個人的な予定が入ってて、それを優先させたってことですか?」
小林が自分の声にも佐々木の返事にも驚いて、佐々木を睨む。
また少しの静寂。
生徒が廊下に出て動き回っている気配がした。バレていないと思っているだろうが、そのコソコソした忍び足がうるさい。
「生徒ももう待ちきれないようですし、脅迫文を出したのは佐々木先生だったということで…」
校長が穏やかにまとめに入り出した。
「いやいや、待ってください!私、まだよくわからなくて!」
みゆきは正直にそう声に出した。
「あの…彼女の誕生日を祝うって、それであの、脅迫文ってどういう…」
森山が寂しそうな顔をして、
「それぞれ価値観みたいなものってあるじゃん。優先させたいものがある。それが出ただけの話だよ」
「すみません。彼女はまだ大学を出たばかりのOLで。教員の仕事への理解がイマイチでして」
佐々木が人ごとのように彼女の説明をし始めた。
「僕も修学旅行は休めないって言ったんですけど、私のこと好きなら帰ってきてお祝いしてって。じゃないと別れるって」
震えがきた。
2年部の職員全員で今日のこの日まで修学旅行の準備を頑張ってきた。たしか佐々木先生は去年、下見にも行ったはずである。生徒たちが自由行動の計画をたて、みんなで良い思い出が作れるようにと願ってこの日を迎えたことを誰よりも近くで見てきたはずだ。
佐々木を頑張る良い先生だと信頼していただけにショックだった。
「でもね、佐々木先生。あなたの価値観が、生徒の楽しみを奪ってまで優先したかった大切なことが、彼女と推しのライブだったとして…自分の頭の中だけで考えているのと、実際に脅迫文を出しちゃうのとでは違ってくると思うんです。行動にうつしてしまって、これね、実際に脅迫したわけですからね」
森山が佐々木の方を向きながらそう言った。
「でも、木野先生は奥さんのために今から帰れるわけでしょ?僕も正直に頼めばよかったんですか?」
ああ…多分、このままどれだけ話しても佐々木とは分かり合えないだろう。何か決定的なところが、根本のところが違う。
「確認…なんですけど、その佐々木先生の共犯?っていうのかな、協力者は彼女さんでいいんですか?」
白石が話をすすめる。
「はい。僕が準備して。彼女がポチッとするだけで届くようにしておいたので、それを彼女が2箇所に送信してくれました」
やたら素直に認めてくれた。
「じゃあ、爆破するっていうのは…」
「いやぁ、何か大きなことを書きたかっただけなので『爆破』にしようかなーと思っただけで。本気じゃないですよ〜」
佐々木が朗らかに笑う。
その朗らかさが怖い。
「だいぶ生徒を待たせてしまったな。木野先生は今から3組の生徒たちに説明をしたあと帰りなさい。我々は今日は各チェックポイントで待機だったはず。あ、田井中先生、佐々木先生のチェックポイントはどこだったかな?私も佐々木先生の場所に一緒につく」
校長が静かながらも誰からの言葉を寄せつけないような強めの早口でそう言った。
みゆきは慌ててしおりを確認し、
「佐々木先生は清水寺のチェックポイントです」と答えた。
「全部の班がまわってくる場所はある?たとえば金閣寺とか銀閣寺とか、生徒に人気のスポットは」
「ああ、それですと金閣寺にはどの班も行く予定になってます。到着時間や順番はバラバラですけど…」
白石が自由行動表を森山に渡した。
「じゃあ、俺は金閣寺に待機して班の写真を撮ります。どなたか一緒に行かれます?」
「あ…金閣寺は私の待機場所になってます」
みゆきが手を挙げる。
おかしい。手に力が入らない。
校長が
「田井中先生、先生は学年主任としてよくやってくれています。先生お一人お一人、先生である前に人間ですから、自分の中に何か譲れないものを持っているはずです。それがたまたま佐々木先生の場合は『彼女』と『ライブ』だったんです。今はそれがいいとか悪いとかは一旦忘れてください。このことはこれから佐々木先生と私とで話し合います。田井中先生はこの修学旅行からみんなが笑顔で帰れることだけを考えてください。あ、それと教頭先生に連絡も。爆破は大丈夫ですって。予定通りに明日帰りますと伝えてください」
そうだ、あまりのことに教頭先生のことを忘れていた。
「犯人は佐々木先生でした」って、伝えてもよいものか…。
森山が
「校長、なかなかやるじゃん」と耳打ちしてきたが、みゆきは何か夢を見ているような感覚に陥り、スマホで学校に連絡したくてもなぜかうまく画面をタップできなかった。

そこからの修学旅行は予定通り順調に進んだ。
森山は金閣寺にやってくる生徒たちの顔を完璧に覚えていて、名前を呼びかけながら笑顔の写真を撮りまくっていた。
私は佐々木先生のことがショック過ぎて、しばらくぼんやりしていたが、木野先生の代わりに頑張る白石先生の姿が嬉しかったし、佐々木先生にピッタリくっついて何かコンコンと話して聞かせている校長に癒された。いつもと変わらぬ様子で愚痴を言いにくる小林先生にもホッとする。
ありがたいことに怪我人も病人も出ず、みんな元気に自由行動から帰ってきた。

夕食後、先に帰った木野から連絡が入った。
生まれた、らしい。
奇跡のタイミングで出産に間に合ったと、いつもの木野の声より高く早口で報告してくれた。その声色からどれだけ嬉しく興奮しているのかが伝わってきた。しきりに感謝を口にする木野。スピーカーにして、3組のみんなのところにスマホを持っていく。
「みんなー!生まれたよー!ありがとー!そしてごめんー!明日学校で待ってるから元気に帰ってこいよー!」
木野が3組の生徒たちに声を張り上げてメッセージを送る。それを聞いて生徒も大盛り上がりだ。「先生、おめでとー!こっちはみんな元気でーす」「赤ちゃんの写真送ってくださーい」と返す生徒たちを見ていると、3組の学級経営はうまくいってるんだなと感心した。
2組はどうだろうか。
2組も変わりはなかった。佐々木先生は学校にいる間は今まで私が見てきた通りの熱心な良い先生なのだ。休日返上で部活も頑張って指導していたし、授業も手を抜かず、修学旅行の準備も頑張ってくれていた。
ただ、今回、自分の大切なものを優先させた。心の中で(こうなったらいいな)と思うだけじゃなく、行動にうつした。その行動はアウトだ。
佐々木先生の中では「彼女」と「推しのライブ」が仕事より勝った。それだけのことだけど、そしてその譲れないことや大切なものは誰にでもあるけれど、その線引きってなんだろう。
私の1番は子どもだな。1番は自分の子ども。2番が仕事。だから今年、3年に上がらず2年に残った。みんなそれぞれに1番がある中で、日々の生活や仕事を頑張っているのだとわかった気がしたし、またわからなくもなった。


帰りのバスは静かだった。
注意して見ていたが、もう菅本姉妹の入れ替わりもない。
「帰りのバスはさ、みんな疲れ果てて寝ちゃうんだよね。静かなもんだな」
森山が小声でそう耳打ちしてきた。
振り返って見渡してみると、たしかに生徒たちの首が前にも横にも垂れていた。
中学生は無限に元気があるものだと思っていたけど、そりゃあ疲れるだろう。朝から新幹線だバスだと移動して、友だちと同じ部屋で寝て食べて。私たち以上に緊張しただろうし、ストレスもたまったかもしれない。
私は疲れているはずなのに眠くはならなかった。
「さっき、新幹線で校長先生にさ、カメラマンさんの1番大切にしてるものは何ですか?って聞かれたんだよね。先生たちそれぞれの1番優先したいことを知りたいから俺の意見も聞いておきたいんだって言って」
「へぇ。校長先生がそんなことを。森山はなんて答えたの?1番優先したいことは何?」
森山は体を少し下にずらし、座高を低くして椅子に座り直した。生徒に聞かれたら恥ずかしい内緒話をするように、顔をみゆきの耳に近づけた。
「俺は今、独身で家族もいないし。やっぱり1番は良い写真を撮ることなんだよ」
「カメラマンなんだから当たり前でしょ」
みゆきが笑うと、少しむっとしたような顔をして森山が続ける。
「俺が今撮った笑顔の写真はさ、この先何十年も残り続けるんだぜ。今14才の生徒たちが俺たちくらいの年齢になっても。ずーっと。笑顔の楽しかった記憶がそこに残る」
「うん」
「みんないろいろあるじゃん?学校でも家庭でも。勉強とか部活とか、嫌なことや辛いことの方が多いし。でも、楽しかったり嬉しかったりした笑顔の写真は残っていくんだよ。いつかそれを見た時に少しでもその瞬間の楽しかった自分を思い出せたらなぁって」
「うん」
「だからそれが1番。みんなの良い時の良い写真を撮る。それが俺の1番優先したい大事なことかな。そのためにはみんなを笑顔にする小道具にはこだわってるの。今回は…生徒より木野先生の笑顔が釣れたけど」
「パンツは忘れたのにね、ディープくんは持ってきてたもんね」
みゆきはふきだした。
「あれはね、プロの小道具ですよ!大事な仕事道具!他にもいっぱいあるんだぜ!」
カバンの中から、他のゆるキャラのぬいぐるみをチラ見せしてくれた。こんなに持ってきていたのか。
「それでさ、一応、俺も校長先生に聞いたわけ。校長先生の1番は何ですかって」
「うん」
「なんだったと思う?」
「そんな校長先生の1番大事なものなんてわかんないよ。早く教えてよ」
「あいさつ、だってさ」
「あいさつ!?」
思わず大きな声が出た。
「うん。挨拶するの好きなんだって。みんなの前で喋るやつ。あれが気持ちよくて、いっぱいみんなの前で喋りたくて校長にまでなったんだって。良い話を聞いたり思いついたりしたら、すぐにみんなに話したくなるってさ」
「それが1番?」
「大真面目にそう言ってたもん。多分、本気で1番なんだと思う」
校長先生が挨拶好きなのは知っていたけど、まさか1番だったとは。この修学旅行ではその機会がなくて可哀想なことをした。学校に着いたら帰校式でおもいっきり挨拶してもらおう。

バスが学校の門をくぐる。
夕日に照らされて一瞬まぶしくて見えなかったが、運動場には他学年の先生方がみんな出てきてくれていた。
教頭先生の姿も見えた。木野先生も手を振っている。
みんな笑顔だ。夕方の忙しい時間帯にこうしてみんなで迎えてくれる。
ただいま。
あれ、おかしいな。
涙が出てきた。
みゆきは溢れてくる涙をぬぐうこともせず、運動場で手をふる同僚たちをしばらくぼんやりと見つめていた。

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