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帯同カメラマン森山が撮る!〈前編〉

【あらすじ】
ある地方の公立中学校。2泊3日の修学旅行へと出発の朝、集合時間に30分も遅れて現れた帯同カメラマンは、2年部主任・田井中みゆきの中学時代の同級生「森山」だった。
遅刻をしてきたうえに酒臭い。ぼさぼさの髪に伸びた髭。最悪の再会となったみゆきと森山だったが、森山のカメラマンとしてのスキルの高さと人柄に皆だんだんと心を開いていく。
順調に進んでいた修学旅行2日目の朝、事件は起こった。


田井中みゆきはイライラしながら、腕時計と校舎にかかる時計とを交互に見ていた。
あと5分でこの出発式が終わり、バスに乗って移動しなければならないというのに帯同カメラマンが来ないのだ。

今日から2泊3日の修学旅行。
今年初めて学年主任になり、1番成功させたかった大イベント。
生徒もワクワクと緊張で眠れなかったようだが、私だって眠れなかった。
関口中学校2年生93名。夏休み明けで準備時間が思うように取れなかったこともあり、全員無事に帰って来られるよう、楽しい思い出が作れるよう、とにかく成功させたい思いで荷物としおりのチェックをしていたら朝になっていた。

いつもお願いしている写真店から「修学旅行シーズンで帯同カメラマンが足りない」と連絡を受けたのが1週間前のこと。在籍カメラマンは他校の修学旅行に帯同するので、関口中学校の修学旅行には臨時のカメラマンを手配すると。
写真店とうちの中学校はもう何十年もお付き合いがあるはずなのだが。こんなふうでは来年からは見直した方が良いかもしれないと思っていたところに、
「腕の良いカメラマンが見つかりました」と、ようやく連絡が入ったのが一昨日のことだった。

生徒は朝8時に学校の校庭に集合。点呼を終え、8時15分から出発式。それから3台のバスに乗り込み、8時40分には学校を出発する予定だ。
もちろんカメラマンにも8時までには集合してもらい、生徒たちの出発式の様子やバスに乗り込むところを撮ってもらおうと思っていた。

だが、現在8時30分。カメラマンがこない。私のイライラが添乗員に通じたのか
「写真店に電話してみましょうか」と問われたが、そんなことはもう30分前からとっくにやっている。留守電で応答なしだ。

代表の生徒が、見送りにきている職員と保護者たちに向かって「行ってきます!」の挨拶をし、出発式が終わった。
もうバスに乗り込む時間だ。
今年の修学旅行は出発式の写真なし。いや、さすがに数枚ずつは担任が撮っているはず…。あたりを見渡す。
撮って…ないみたいね。こうなったら私のスマホで撮る?
しかたなしにスマホをカメラモードに切り替えた瞬間、
背の高い、頭に寝癖をつけた男が裏門から走り込んできた。
肩には大きな鞄と飛び出た機材。首から立派なカメラをかけていた。
男は3台並んだバスを1台1台確認しながら歩き、私が立っているところまでやってきた。

「あのう…関口中の修学旅行ってここであってます?」
ハアハア息づかいの荒いまま、そう発した男の酒臭さに閉口した。飲みすぎて寝坊したのだろう。
私は怒りの感情でいっぱいになった。
遅刻してきてまだ酒が残っている。こんな男と2泊3日の修学旅行なんて生徒の道徳上大丈夫なのだろうか。
男は返事を待つようにマジマジと私を見つめた。犬のように小首を傾げて、自信なさげにこう問うた。
「っていうか…みゆき?」
男は驚きと懐かしさが入り混じった笑みを浮かべ私の名を呼んだ。
頭はボサボサで髭も残っている。酒臭い。でもなんとなくその優しい目元と笑顔に見覚えがあった。
「森山?」
遅刻してきた帯同カメラマンは私の中学時代のクラスメイトだった。

森山と会うのはいつぶりだろう。
成人式の日にみんなで集まって以来だから25年ぶりか。
バスには各クラスの担任と生徒。1号車には校長と副担任が、3号車には添乗員と養護教諭が乗るため、私と森山は2号車に乗り込んだ。
酒臭いオッサンが同じバス。2号車のみんな、ごめんなさい。

「遅れてきてなんだけどさ、生徒全員分の名簿はある?」
さげていた鞄の中からゴソゴソとペンを取り出しながら、森山が問うてきた。
酒臭いわりにはいきなり仕事モードだ。
「ああ…3クラス分の…これが4月の集合写真と名簿。それと今回のしおり!」
「おお!サンキュ!」
森山は名簿と集合写真をチラチラ見ながら、後ろを向いて生徒たちを確認した。
「…と、いうことはこのバスは2組が乗ってるのか」
「そうそう!え?もうわかった?」
「 販売用と卒業アルバム用で多少変わってくるけどさ、基本的には全員を万遍なく撮るようにしてるから。自由行動の時とか、チェックポイントで班ごとに撮ったり、食事のシーンを撮ったりするっしょ。あれ、結構大変だから。俺、人の顔覚えるの得意なの」
なるほど。
そのわりにはすでに今回、出発式の写真がないのだが。

「2組の担任の先生が…」
「ああ、こちら、佐々木先生。教科は技術。バリバリの2年部のエース!」
2組の担任、佐々木和彦は甘いマスクで生徒や保護者から人気だ。バンド活動の経験もあり、授業中には歌ったり好きな音楽の話もしてくれるらしい。
佐々木は爽やかな笑顔で森山に会釈すると、生徒たちの方を振り返って
「お前たち、静かにしろ!」と叫んだ。
担任らしさを見せたかったようだ。
森山は「佐々木先生…技術。2組」と呟きながら、
「1号車に1組、小林先生。…3組が木野先生」と必死に覚えようとメモを取りながら名簿と写真を凝視していた。
「校長ってさ、あの人に似てるね」
「あの人って誰よ?」
「ほら、俳優の…よく学園モノで校長の役をやる人!」
校長は校長らしい顔をしているようだ。

森山の横顔を見る。
少し白髪も混じったボサボサの髪。当たり前か。私も森山も45才。白髪くらいはえる。でも変わらないな、この横顔。
懐かしさでいっぱいになりながら、森山を見つめていると
「…で、おまえは?なんで担任じゃないの?」
突然こちらに顔を向け、真顔でそう問う。
「ああ…私?」
私は昨年は2年生の担任だった。順調にいけば今年は3年担任の予定だったのだが、自分の子どもも今年、中3で卒業だ。我が子の卒業式にくらい出たいけど、自分が3年の担任を持っていたのではそれは難しいだろう。悩みに悩んで校長に相談し、今年は2年の学年主任になった。我が子をとったのだ。本当は3年に持ち上がって卒業させたかった。同じ市内の公立中学校だと卒業式がかぶる。卒業式だけじゃない。体育祭も入学式もかぶる。
仕事とプライベート。どちらをとるか。特に我が子も中学生であるこの3年間は苦渋の選択の連続だった。
そういう話を森山に小声でしていたら、佐々木先生が
「田井中先生のお知り合いですか?」と話に入ってきた。
「中学の同級生なんです」
森山が勝手に答える。
「へぇ!中学の同級生なら修学旅行も一緒に行かれたんですか?」
(どうだったっけ?)森山と私は互いに顔を見合った。
「2年の時ですよね…みゆき…いや、田井中先生とは同じ…」
「はい。同じクラスでした!行き先も…関西で今回と一緒です!」
「今ほど自由じゃないけどな」
そうそう。今の子どもたちほど自由ではなかった。いや、ちょっとは自由な時間もあった記憶があるけど…なんだったっけ。
「あ!ほら、俺たちの学年は1コ上の先輩たちがやらかしたから」
そうそうそうそう!思い出した。
「そうだわ!思い出した!本当はね、自由行動の日もあったんだけど、前年の先輩が自由行動日に抜け出して大変だったんだよね。それで私たちの年は先生からの監視が厳しくなっちゃって」
「そう!監視付きの自由、みたいな」
「へぇ!面白いっすね!何で抜け出したんですかね?その先輩は」
「面白くはないわよ!結局、後輩に迷惑がかかってるんだから!」
「ああ、ほら、あの先輩はたしかさ、好きなアイドルがいて。ちょうどその日、京都でライブがあったんだよな。そこに自由行動時間に行こうと抜け出して…」
「まんまと先生たちに捕まり、次年度の私たちの学年にまで被害が及んだという…ね」
森山の記憶力の良さには驚く。
そうだった。その話を聞いた時も思ったものだ。
(アイドルにそこまで夢中になれるものなのか)と。
「田舎だったからさ、こっちには滅多にライブに来ないわけ。だけど関西だったら行くでしょ。チケットが取れてるわけじゃないけど『憧れの人たちが来るんだったら、できるだけ近くで同じ空気を吸いたかった〜!』みたいな理由だったよね」
森山が懐かしそうに目を細めた。だんだんいろんなことを思い出してきたらしい。
「気持ち、わかりますよ!その先輩の1番の推しだったわけでしょ?そりゃ、行くっしょ!」
佐々木が興奮気味に私たちの先輩を擁護した。
「その話、佐々木先生だったら、ポメだよね!」
職員席の後ろに座っている生徒たちが話に入ってくる。
…ポメ?
「ポメは佐々木先生の1番の推しです!授業中によくポメの話をしてるもんね」
「うるさいよ!お前たちは話に入ってくんな!」
佐々木は苦笑いしながら生徒たちを手ではらうポーズをとり、こちらにペコリと頭をさげた。

佐々木先生は若い。中学卒業からまだ10年しか経っていない。
生徒たちの中に入っていても、先生というよりお兄さんぐらいに見える。佐々木クラスは和気藹々としていていつも楽しそうだ。そんなことを考えていると
「おい、みゆき。2組と1組に双子がいるよな?」と、森山が小声で問うてきた。
居る。
女子の一卵性だ。菅本リナとカナ。
「こっち(2組)の菅本がカナだろ」
「うん。こっちがカナ」
「いや、こっちにいるの、さっきの…リナじゃない?」
森山にそう言われ、私は慌てて後ろの生徒たちを振り返った。
さっき、私たちにポメの情報をくれたのが菅本カナ。その周りの女子たちがニヤついているのが目に入った。菅本カナはリナより少しだけ目が切れ長だが比べないとよくわからないレベルだ。カナ?リナ?…リナだ!
「佐々木先生!菅本!入れ替わってる!」
佐々木先生は一瞬キョトンとしたが、意味がわかったのか、その場に立ち上がって
「菅本!お前、リナか!?」
と叫んだ。
慌てて、1組の担任である小林先生に連絡をする。
「あ、小林先生?そっちの菅本…そう。…うん。やっぱりそうか。わかった。よろしく」
1組のバス内では2組より先に菅本の入れ替わりがバレていたらしい。
「今、罰として菅本カナは私の隣に座らせてます!」
小林先生は怒りで低くなった声でそう言った。

あと10分程で駅に着く。そこから乗り換えて新幹線だ。乗り換え…嫌だな。自分たちだけの空間から一般の人も大勢いる空間へ。緊張感が増す。
腕時計に目をやると、時間には余裕があり、ホッとした。
しかし…双子の入れ替わりを見抜けなかったなんてなんたる失態。本当だったら出発式やバスに乗り込む時に確認しておかないといけないことだったのに。
(始まったばかりでこんな…)私は重くなった気持ちに潰されないよう、しおりに目をうつした。
「別にさ、入れ替わってたからって何かあったわけじゃないんだからさ、そんなに落ち込むなって」
森山が私の落ち込みを察知して話しかけてきた。
「俺なんて、慌ててたから着替えを全部忘れてきたみたいだ」
荷物をガサゴソと片手で探りながら森山が笑う。
「パンツも?」
「パンツも!靴下も!全部ない!!あっちで買うから、まぁいいけど」
更に豪快にニッと笑って森山は生徒たちの方を振り返った。
「はーい!2組さーん!そして、1人だけ本当は1組の菅本さーん!バスの写真撮りますよー」
生徒たちが思い思いのポーズをとる。
菅本リナもピースをしている。
そんなもんか…。私はバカらしくなって目を閉じた。

駅に到着後、添乗員に案内された場所で点呼。各クラス並んで、班長が全員の集合を伝えにきた。
「いよいよ、今から新幹線に乗ります。新幹線の中にもトイレはありますが、数に限りがあるので行ける人は今のうちに行っておいてください。10分休憩!」
バス酔いをした生徒が養護教諭に促されてベンチに腰掛けている。酔い止めの薬を飲むのを忘れたらしい。持参していた酔い止めを飲ませてよいか保護者に連絡。良かった。少し落ち着いてきたようだ。
そこに1組担任の小林香織がプリプリしながら近寄ってきた。小林先生は39歳。頼りになる妹のような存在だ。
「菅本がどうして入れ替わってたか、知ってます!?」
勢いがすごい。
「いや。そこまで聞かなかった。菅本、なんだって?」
「ほら!うちのクラスの渡辺のことが好きじゃないですか!カナは!」
「へぇ。初耳。カナは渡辺が好きなの?」
「好きなんですよ!それは有名なんです!」
有名なのか…。知らなかった。
「それで、バスの時間のちょっとの間だけ、渡辺と同じクラス気分を味わいたかったんですって」
「怒られるのに?」
「怒られるのに。カナ曰く『すぐにバレると思ってたけど、意外にバスに乗れちゃって〜。ラッキーだった〜』って」
小林がカナの声マネをする。
「そうか。入れ替わりに気づかなかったもんね、私」
また落ち込む。
「いや!それは田井中先生のせいじゃないですから!菅本姉妹がアホなんですよ!!」
「それであれだろう?リナはリナで2組の近本が好きなんだろ?」
いつのまにか話に入りこんでくる森山。
「え!?そうなの!?」
「そうですよ!え?田井中先生、知らなかったんですか?」
「小林先生はいいけど、なんで森山が知ってるのよ!」
「見てたらわかるよ。見たろ!近本の隣であの全力のピース。目を見開いてチラチラ見てたもん、近本のこと」
すごいな、森山。
「だから菅本姉妹の入れ替わりは、お互いのクラスに好きな人がいるからwin-win。多少怒られても、好きな人と同じバスに乗れただけでラッキーなんですよ」
小林先生に菅本姉妹のwin-win話を聞いて目眩がした。若者、やるなぁ。恋に貪欲だわ。
「でも、これ!バスだったからまだ良かったですけど、夜の部屋で入れ替わりされたら大変ですから!気をつけましょうね!」
そうだ。夜の見回りを強化せねば。

平日の駅はまだ人も少なく修学旅行組でも難なく進んだ。ありがたいことに1車両は我が校だけで座れるようだが生徒が一般の方々に迷惑をかけないよう、車両の1番前と後ろは教員席で固めた。
「これ、班ごとに座ってる?」
森山は荷物を置くとカメラだけを手にして聞いてきた。
「うん!班ごと。クラス順。前から1組…」
私が話終わらないうちに森山は1番前の席まで走っていった。元気だ。
「はーい!ここ、1組1班さーん、みんな揃って〜、いい顔〜」
1組1班はまだ荷物を棚にあげている途中だったのに振り返ってポーズをとる。対応力がすごい。
「はーい!ここは1組2班さーん、お!ちゃんと元の位置に戻ったか!菅本リナ!」
えへへ、という顔をしてリナがポーズをとる。反省は…していないようだ。
副担任の白石先生もしおりを持って生徒がしっかり座席についたかのチェックをしてまわってくれている。
ホッとして、ふと窓の外を見る。なんだかんだあるけど良い天気だ。晴れてくれただけでありがたいではないか。
少しだけ幸せな気分にひたっていると校長と目が合った。
「田井中先生!次は新神戸で降りて、震災のセンターでしたよね」
「そうです!『人と防災未来センター』です!」
「そうそう、そのセンターで、わしは挨拶はあるんだったかな」
校長は自分の挨拶のタイミングを気にしているようだ。
「いえ、センターでは代表生徒が挨拶するだけであとは…センターの方のお話を聞くのがメインですので校長先生のお話はありません」
「え?なかった?じゃあ、ホテル?ホテルであったかな」
「いえ、ホテルでも代表の生徒が…」
「代表の生徒だらけじゃないか!!」
「…はい。明日も1日自由行動ですから特に校長先生からの挨拶は…」
「もういいよ。挨拶必要になったら教えて」
今年、教育センターから異動してきたばかりの校長は挨拶が好きだ。校長先生らしい顔をしていて、校長先生らしい喋り方をする。態度も大きい。まだ付き合いが浅いため、何を考えているのか、頼りになる人なのか、そこらへんはわからない。ただ、いかにもな校長感を出しているので、どこにいても校長だとわかる。
新幹線の席が校長の隣だったのでなんだか気まずくなり、私も副担任の先生と一緒に生徒たちのチェックをすることにした。
新幹線の座席表が載ったしおりを手に1番後ろの3組からチェックしていく。

3組担任の木野豊は39歳。1組担任の小林香織と同い年。39歳といえばバリバリの働きざかりのイメージがあるが、木野はどこかいつも自信なげで、おどおどとした印象だ。特に今年は2組担任の佐々木が元気で人気者なだけに何かと比較され影のような存在になっていた。
スマホを片手にぽーっとして座っている木野に向かって
「木野先生、3組はみんな大丈夫ですか?」と聞いたら
「何がですか?」
と返ってきた。
「何がって、みんな揃ってます?みんな元気ですか?」
「ああ…多分…」
担任が1番心配だ。
木野が頼りにならないので、みゆきは3組の人数を数えはじめた。
(ここからの席が3組。1.2.3…ちゃんと班ごとに座ってるわね)
2度指差し確認をして、きちんと在籍人数である31人いることがわかりホッとする。
みんなの顔は概ね笑顔。よし!元気そうだ。
1番元気じゃないのは…
担任の木野だけが顔面蒼白だった。
木野は車窓に目をやっていたかと思うと目を閉じた。
羨ましい。
修学旅行の、しかも担任を持っている身で目を閉じられるその余裕。私にも少し分けてほしい。
そんなことを考えていると、
「おーい!田井中先生〜、2組の子…高田?具合悪そう!」
そう森山の声がして、みゆきは慌てて声の方へと走った。

関口中学校2年3組の担任、木野豊は焦っていた。
妻が初めての子を妊娠中で出産予定日まであと2週間。そのタイミングでこの修学旅行。まさかとは思っていたが「陣痛らしきものがきた」とメールが届いたのが、新幹線に乗ってすぐのことだった。
妻とは9年前、同じ学校に勤務したのが縁で結婚した。子ども好き同士が結婚して、早い段階から子宝を望んだがお互いに多忙な日々が続いたため、9年かかって、やっと今回の妊娠に至った。
今年の担当学年が決まった時にまず1番に気になったのが年間行事だった。
「出産予定日と学校行事がかぶりませんように!」
祈るような気持ちで修学旅行の日程を確認したのを覚えている。
9月10〜12日に修学旅行の予定が入っていた。
延期の場合は12月1〜3日。
出産予定日は9月下旬だったので、ギリギリセーフというところか…。でも臨月の妻を置いて2泊も家をあけるわけにはいかない。当日はお義母さんにきてもらおう。
4月の段階でここまで考えていた木野だったが、今回まさかの早めの陣痛。初産は予定が狂うとは聞いていたけどこんな時に…。
3組の生徒たちの顔を見るとみんな笑っていた。それはそうだよな。楽しみにしてたもんな、修学旅行。
待ち望んだ初子が生まれるのと、生徒たちにとっては一生に一度の中学の修学旅行。
それはきっと同じくらい重く、価値がある。
そんなことを考えていると学年主任の田井中先生がやってきた。「大丈夫ですか?」と聞かれて(どうして妻の陣痛のことを知ってるんだ?)と思ったらクラスの生徒たちのことだった。
田井中先生が眉間に皺を寄せながら俺のことを見ている。きっと、頼りない担任だとでも思われているのだろう。

新神戸駅で降りてからは順調に行程が進んでいった。
「人と未来防災センター」での話は震災に備えるうえで大変勉強になったし、しおりにメモをとりながら話に聞き入る生徒の姿も見られて良かったと思う。
(こういうのが修学旅行の正しい形なんだろうな)と、教員歴2年目の白石由美は胸が熱くなった。
高校の時に出会った先生に憧れて、教師を目指した由美は大学卒業と同時に早速採用されたが、頑張りすぎて過労で倒れた。自分では2〜3日休めばすぐに戻れると思っていたのが状態は思っていた以上に悪く、結局休職。数ヶ月休んで今年度から復帰したものの体調面でもメンタル面でも不安があると思われたのだろう。私は担任を持たせてもらえなかった。
最初は悔しかったが、私の使命は副担として頑張ることだとすぐに気持ちを切り替えた。昨年の私のように体調をくずしたり助けが必要な先生をうまくフォローしていく。それを目標に今年度は2年部の副担として頑張っている。
学年主任の田井中先生はシングルマザーで中学生のお子さんを育てながら頑張っている。今年は本当は3年生を受け持ちたかったのにお子さんの卒業とかぶるからと2年部配属になったそうだ。
こういう泊まりの仕事の日は先生のお母さんに助っ人に来てもらっているとおっしゃっていた。みんなそれぞれいろいろある中で頑張っているんだな、そう思うと昨年の自分が情けなく感じられた。

「おーい!白石先生〜!1組の集合写真に入って入って〜!!」
帯同カメラマンがこちらに手を振りながら私を呼んでいる。
防災センター前で1回目の集合写真の撮影中だったが、生徒たちと一緒に写るのは校長と担任だけかと思っていた。
「私も良いんですか?」
慌てて、集合写真におさまる。
「1組に白石先生、2組にみゆ…田井中先生、3組に養護教諭の佐藤先生に入ってもらうから」
このカメラマンさんは面白い。
朝は遅刻してきたし、酒臭かったのに仕事はバリバリにこなす。あっという間に生徒の顔と名前、私たちのことも頭に入ったようだ。
少々強引に話をすすめてくるけど。
昨年途中で休職したから初めての宿泊行事。「担任じゃない」というだけで蚊帳の外な気持ちでいたから、こうして集合写真に混ぜてもらえるのは正直嬉しい。
「なんで森山が勝手に集合写真の職員割り振りしてるのよー!」
田井中先生が笑いながら2組の輪に入っている。
佐藤先生も涼しい顔をして3組におさまる。
カメラマンは肩からかけていた大きな鞄の中から、馬のぬいぐるみを取り出した。
「はーい!みなさーん!このディープくんを見てくださーい」
ぬいぐるみを胸元で振るカメラマン。
「パカッパカッパカッパカッ、ヒヒーン!」
胸元でふっていたディープくんを左から右に走らせたかと思うと自分のボサボサの頭の上にひょいと乗せた。みんながディープくんを目で追う。頭の上にディープくんがおさまった瞬間、堪えられずにみんな笑った。
その瞬間を逃さないカメラマン。
「よーし!良い笑顔撮れました〜。次は真面目な顔して〜。絶対笑わないで真面目な顔〜」
みんな必死に真面目な顔をしようとするがディープくんがまだ頭上だ。
カメラマンが慌てて、ディープくんを隠す。それでまたみんなが笑った。

(替えのパンツも忘れてきたと言っていたのに、あの馬のぬいぐるみは持ってきてるんだ。カメラマンにとって大事な小道具なのかしら)
田井中みゆきは自在にディープくんを操って生徒の心をわしづかみにしている森山を見ていた。
3組までの集合写真撮影が無事に終わり、出発まで10分間のトイレタイム。今からまたバスに乗り込み、2泊3日お世話になる宿へと向かう。
カメラ自体はミラーレスでずいぶん軽量になったようだが、それでも三脚やらバッテリーやら小道具を片付けている森山を見ていると帯同カメラマンの仕事のハードさを感じた。
そこに3組の木野が駆け寄っていくのが見えた。笑顔である。
森山に何か話しかけて、2人でワッと笑い合っている。あんなに笑顔の木野先生を初めて見た。さっきの新幹線での表情を思うと別人のようだ。
(何の話をしているのだろう?)
気になったが自分もトイレに行っておいた方がよいと思い、慌ててその場をあとにした。

今回宿泊予定のホテルは古めの団体旅行御用達宿だが感染対策がしっかりされているし改装直後だったせいか、新しさを感じる。清潔な良いホテルだ。
部屋への移動と夕食を終え、次は入浴タイム。以前は大浴場を利用していたが今回は感染対策として生徒も教師も部屋のシャワーを使うことになっていた。大浴場だと一斉に入れるので時間短縮にはなるが、女子同士は下着を見せ合いっこしたり、男子はお互いの成長をからかいあって大変なことになるので、見張り役の職員は常に大声で脱衣場にたまらないよう促したものだった。時間はかかっても個人個人で入ることになった風呂タイムのなんと静かでスムーズなことか。
時代の流れを感じながら、班長会議に向けての準備をしていると、部屋をノックする音が聞こえた。
(生徒かな?何かあった?)
「はーい!待ってて!」
1組担任の小林と同室になった田井中みゆきは慌ててドアを開けた。
そこには森山が立っていた。

「風呂の時間にごめんな。ちょっと相談があってさ」
いくら同級生でも男性を女性だけの部屋に入れるのは憚られる。
「大事な話?ここでこのまま聞ける話?」
「…いや、ちょっとここは。みんなに聞こえないところがいいんだけど」
小林先生の方を振り返ると
「私も一緒に聞いて大丈夫な話だったら、カメラマンさんに部屋に入ってもらったらいいですよ!」と返ってきた。
「あ!小林先生、ありがとーございまーす」
そう言いながら森山は少々強引に部屋に入り、ドアをしめた。
「木野先生の話なんですけど…」
「ああ、はい。3組の」
「木野先生の奥様が今、臨月で…」
「え!?そうなの?」
小林先生の方に振り返ると、小林はコクンと頷いた。木野先生の奥様と小林は同勤していたことがあり親しいのだと以前聞いたことがある。
「木野先生の奥様はたしかに今、妊娠中で…。そうですね!予定日まであと2週間くらいですから臨月ですよね。木野先生も修学旅行とかぶるんじゃないかってずいぶん心配されてましたから」
「それが…早めにきちゃったみたいなんですよね。陣痛」
森山が小林先生の後を追って状況を説明した。
知らぬは私ばかりだったようだ。
「新幹線に乗った時点で陣痛がきたって連絡があったそうで。でもその後にまだまだ陣痛の間隔が長いし一旦落ち着いたからとりあえず家に帰されたって、さっき…」
「なんでそんなプライベートなことを森山が知ってるのよ?」
自分だけ知らなかったことにも腹を立てながら森山を見ると、
「さっき、ディープくんを出して撮影したでしょ。それで話しかけにきてくれたんだ。」
ああ、たしかにさっき木野が笑顔で駆け寄っていたことを思い出した。
「競馬ファンらしいんだよ、木野先生。ディープインパクトのぬいぐるみに大興奮して。俺も競馬場で馬の写真を撮ってたことがあるから意気投合してね。そしたら木野先生の奥様も騎手になりたかったくらい競馬が好きで、夫婦2人でさ、騎手をリスペクトしてるらしいよ。で、奥様の話になったら今陣痛がきててもうすぐ生まれるんですって話に」
初耳なことだらけで少し面食らったが、そのことと森山の相談はどうつながるのだろう。少し冷静になったみゆきは
「で?相談って?」と単刀直入に聞いてみた。
「相談というのは…木野先生をさ、明日の朝の新幹線で帰らせてあげられないかなって思って」
「は!?」
「いや、やっと生まれてくる初子でしょ。奥さんのことも心配だろうし、ついていてあげたいだろ」
「それ、木野先生にお願いされたの?」
「いやいやいや、木野先生からは別にそんなことは頼まれてないけどさ、やっぱり聞いちゃった以上はさ、力になってあげたいなぁって」
さすがにそれは…。
木野先生は年齢的にもバリバリ世代の男性。しかも担任で2年生のメインイベントである修学旅行の引率だ。いくら初子の誕生とはいえ、仕事よりそちらをとるというのか…。
そんなこと、生徒にも保護者にもしめしがつかない。
それをそのまま言葉にしようとした瞬間、みゆきはハッとした。
私が子どもの卒業式に出たいからと3年部に上がらなかったことと何が違うというのか。同じことではないのか。
木野先生は予定日まで2週間あるから修学旅行に参加した。きちんと仕事をしている。しかし予想外に陣痛がはやく来た。我が子の誕生の瞬間に立ち会いたいと思う気持ちも私が卒業式に出たい気持ちも一緒じゃないか。
しばらく沈黙があったが、小林先生の
「あ!班長会議始まっちゃう!」の声で我に返った。
「ごめん!森山!木野先生のことはちょっと考えさせて!校長先生に相談してみる!!」
3人で廊下に出て、班長会議が開かれる予定の場所に急いだ。
結局、自分の中の思い、学年主任としてどうすべきなのかがまとまらないまま就寝時間を迎えた。


事件は翌朝起こった。

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#創作大賞2023 #お仕事小説部門


こんなところまで読んでいただけていることがまず嬉しいです。そのうえサポート!!ひいいっ!!嬉しくて舞い上がって大変なことになりそうです。