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はじまりのうた

第1話

今から252年前、人類は、それぞれが小さなカプセルに入り、海に浮かぶことで難を逃れた。

荒れ狂う波にもまれながらも、小型の丸いそのカプセルは、実に多くの人々の命を救った。

ディープインパクト。

巨大隕石の衝突に際し、人々はその中で2年の生存が可能な『ノアの箱舟』を量産し、生き延びることに成功した。

そこから再び地上に集結した人々は、残された大地に新たな世界を築き上げた。

3日間続いた激しい暴風雨もようやく過ぎ去り、避難命令が解除された。

枕元で飛び跳ねる球状の小型パーソナルロボット、キャンビーに起こされて、俺はベッドから立ち上がる。

産まれたらすぐに支給される、この初めてのキャンビーを、俺は機種変更することなくずっと使い続けている。

久しぶりに、よく晴れた日の朝だ。

「おはようヘラルド、学校へ行く時間だよ」

もぞもぞと起き上がって、服を着替える。

「車を手配しようか? それとも歩いて行く?」

「せっかくだから、今日は歩いて行くよ」

厚い雲の流れる切れ間から、差し込む朝日がまぶしい。

外に出ると、俺は目の前にあった屋外のジューススタンドに手を伸ばした。

いくつか並んでいるその中から、お気に入りの赤っぽい色のジュースを口にする。

俺好みに少しずつカスタマイズされていったこの赤い飲み物は、体調や気温変化にも対応して、毎日微妙な変化をつけてくれる。

栄養もカロリーも計算済み。

何で出来ているかは知らないが、これなしでは、一日が始まらない。

あれだけの嵐の後でも、街はすっかりきれいに片付けられていた。

当たり前だ。

災害に備えた街作り、どこもかしこも全て、白く均一なパーツで統一され、取り替作業も簡単、強度も十分、暴風雨による抵抗を極力なくしたデザインの、安全設計の街だ。

復旧も楽だし、そもそも簡単に雨風で壊されるような作りではない。

道にはスピードの違う動く歩道が設置されていて、俺はゆっくりと流れる方の歩道に足を乗せた。

今日は少し出る時間が遅くなったせいか、珍しく路上に人の姿が見える。

いつもなら、スクールに着くまで、自分以外の人間の姿を目にすることはめったにない。

252年前の自然災害による人類滅亡の危機を乗り越えた人類も、その後の地球環境の変化に対応しきれず、徐々に数を減らしていた。

手にしていたカップを飲み終えて脇に放り投げると、すぐに清掃ロボットが現れて、それを片付ける。

白を基調として統一された街は、とても静かで穏やかだった。

均等に植えられた街路樹は、定期的に管理され、ほぼ全ての木が同じ形にカットされている。

「キャンビー、あの枝のツバメはどうなった?」

「識別番号48379B248-637、無事に巣を作り終えて、今は卵を温めています」

「そっか、よかった」

俺の目のちょうどいい高さに浮かんだキャンビーの画面に、街の定点カメラから転送されたツバメの映像が映し出される。

ズームアップされたその画像には、たしかに親鳥の腹の下から、白に茶色いまだらの、卵の一部が見え隠れしている。

背後から、改造ハンドリングロボの近づく音が聞こえた。

故意に空気を振動させ、本来なら出ないはずの爆音をかき立てている。

地上から15㎝ほど浮かんだバイク型の、それにまたがっていたのは、同じチームのレオンだった。

「またそんな派手な改造ロボに乗って、保安ロボに捕まるよ。この間も、捕まったばかりじゃないか」

「平気だって、お前も乗っていくか?」

彼はバイクの後ろを、親指で指した。

白い肌、短いくせっ毛の金色の髪に、緑の目がよく似合う。

「いい、俺は歩いて行くよ。お前と一緒に乗ってたら、どうせルール違反で捕まるだろうからな」

「その前に、スクールに入っちまえばいいんだろ?」

彼はワザとエンジン音を吹かす。

それを無視して、俺は歩き出した。

「じゃあな、先行ってるぞ」

あっさりしすぎる性格で、こだわりの少ないレオンは走り去ってゆく。

どんなチートツールを使って、支給されたハンドリングロボを改造したところで、定点カメラの映像から逃れることなんて、出来ないのにな。

どうしてそんなことも分からないんだろうかと、いつも思う。

後先を全く考えないところが、よくも悪くも、レオンの性格のクセだ。

俺たちの仲間で、スクールのリーダー的存在であるジャンたちのグループが開発したプログラム。

バイクタイプ使用時のハンドリングロボに規定された、モーター回転数の上限値を勝手に変更して、使用している。

もちろんルール違反だ。

だけど結局は公道を走ることで、ロボットの自動運転補助システムを利用している以上、見つからないと思っている連中の方が不思議だ。

俺は動く歩道を、低速帯から高速帯に乗り換えた。

案の定、少し進んだ先の四つ角停止ラインで、速度超過により自動停止させられたハンドリングロボは、保安ロボによって取り囲まれていた。

「おい、ヘラルド! ちょっと助けろって!」

「イヤだね」

『人間に危害を加えてはならない』

その絶対条件の下で、今や人間の数より街にはびこるロボットたちは、ルールを犯したレオンを相手に、強化プラスチックの透明な防護壁を張り巡らせている。

「お前だって、颯爽と街を駆け抜けたい気分の時があるだろ?」

「ないね」

俺はワザとらしく、大げさなジェスチャーで、首を横に振る。

「それをしたかったら、専用のサーキットに行くか、バーチャルゲームで体験すればいい。車やハンドリングロボなんて、実際の目的地に体を運んでくれさえすりゃ、それでいいんだよ」

レオンがあの鉄壁の包囲網を解こうと思ったら、個人識別番号表に、違反内容を書き込むことに同意しなければならない。

遅刻や違反内容は、すでに保安ロボによって、スクールの個人管理システムに送信済みだ。

「じゃあな、ジャンに何か言われたら、報告しておくよ。さっさとあきらめて、書き込みに同意しないと、無駄に時間を消費するだけだぞ」

「おい、ちょっと待ってって!」

俺は高速歩道帯の上で、足を速めた。


第2話

ドーム状に設計されたスクールに入ると、俺は自分の所属するチームの部屋に入る。

先に来ていたカズコが顔を上げた。

「レオンがまた捕まったって?」

「そ、懲りない奴だよね。すぐそこで保安ロボに囲まれてたよ」

部屋の掲示板には、『レオン遅刻』の文字が光る。

「ったく、ふざけるなよ!」

赤い髪をした、やや肌の浅黒いニールが、机に拳を叩きつけた。

「あいつこれで何回目だ? またアップデートがかかって、ソフト開発のやり直しじゃないか! いっつもいっつも、簡単に保安ロボなんかに捕まりやがって!」

「そんな無駄で無意味なことばっかり、やってるからよ」

カズコは、波打つ腰まで伸びた美しい金色の髪を、さらりとかき上げた。

「バカみたい」

「俺もカズコの意見に、全くの同意だね」

与えられた机に座って、システムを立ち上げた。

画面にはクリアしなければならないスクールの課題が、重要度順に並んでいる。

「こんなにシステムに監視されっぱなしじゃあ、息苦しくてしょうがないだろ? ちょっとはチートでも使って監視から逃れないと、やってらんないぜ」

「そんなこと言ったって、あんただって自分のキャンビー使ってるじゃない」

ニールの使うパーソナルアシストロボのキャンビーは、3Dホログラムタイプのピクシーだ。

「キャンビーを使っていながら、システムに監視されたくないって、しゃべりながら息をしたくないって、言ってるようなもんだわ」

その、早急にクリアしなければならない最重要課題であるにもかかわらず、ずっと放置されたまま警告を発し続けているのは、チーム内でのコミュニケーションをクリアする課題だった。

「ねぇ、このコミュニケーション類型Ⅱの課題3、どうするの?」

「お手て繋いで仲良くピクニックなんて、今さら誰が出来るんだよ」

俺の質問に、ニールは吐き捨てるようにして答えた。

「だけど、これをクリアしない事には、必須科目だから進級できない」

「そんなことより、レオンが帰ってきたら、次のハンドリングロボ大会の練習しようぜ。次のチーム戦に向けて、トレーニングプログラムを新しく作ったんだ」

「イヤよ」

カズコが即答で返す。

「メンバーが足りないじゃない。それに、そんな暇があったら、先にピクニックの予定を立ててよね、それからじゃなきゃ、絶対にやらないから」

カズコがツンと横を向いた。

一度こうなってしまったら、彼女はその望みが叶えられない限り、決して他のことには動かない。

「ニール、お願いするタイミングを間違えたね」

俺はカズコにウインクを送る。彼女は、にこっと笑った。

「あぁもう分かったよ、お前らで好きに計画しろ!」

人間の極端に減ったこの世界では、何よりも生身の人間同士での、直接的なコミュニケーション能力が最重要視されている。

だからこそこうやって、同年代の未成人同士をわざわざ1カ所に集め、そのスキルを磨くことを要求しているのだ。

「課題内容の訂正を申告しましょうよ、ピクニックには行くとしても、そこで話し合うテーマは環境保全と気体成分の構成変化じゃなくて、気候変動における植物の分布変化フィールド調査ってことにすれば、その辺の草を画像に収めてレポート報告すれば済むんじゃない?」

カズコの提案は分かる。

より簡単に済ませる内容にしたいだけだ。

ならばもっと効率よく課題をこなすようにすればいい。

「それよりも、倫理か道徳の分野からテーマを引っ張ってきた方がいんじゃない? 今回のレオンのこともあるし、このチームの、全体としてのモラル評価が下がっている」

「やっぱりあいつのせいだ」

ニールの吐き捨てたそれに、カズコは冷静に反論する。

「ニールがジャンたちと一緒になって、チートツールを作るからじゃない。それをレオンに渡すのが悪いのよ」

「だってさ、あいつ、もう簡単にはやられないって、何度も何度もしつこくてさ。昔っから何回約束させても、俺たちのアプリを勝手にハッキングして……」

部屋の扉が開いて、突然レオンが現れた。

「おい、なんか外で大変なことが起きてるぞ!」

彼はとても興奮していて、そのままのテンションで俺たちのところに駆け寄ってくる。

「大変なことって何よ、私たちの進級が誰かさんのせいで危ういってこと以上に、大変なこと?」

「ロボットたちがみんな、海の方に集まってる。緊急信号を盛大にならしてさ。非常事態宣言だよ。すごかったぜ、ロボットたちがみんな一斉に、同じ方向に向かって走ってくんだもん」

カズコはため息をついて、パソコン画面を検索した。

「いつよ? 今日の話?」

「今朝だよ今朝、たった今、すぐそこで!」

彼女の白く細い指が、キーボードを叩く。

「そんな情報、どこにも出てないわよ」

「マジで!? ウソだろ?」

レオンは、さらに目を丸くした。

「ヤバイよ、絶対普通じゃないって、アレは!」

「だから、そんな情報がどこにも出てないって言ってんだよ!」

ニールは、レオンの胸ぐらをつかんだ。

「保安ロボに捕まったあげく、俺たちにウソつくのか?」

「本当だって! ネット上にも上がってないってことは、マジでやばいって。早く行って現場を押さえないと、それこそこの事態がもみ消されるんじゃないのか?」

ニールはレオンに、グッと眉間にしわを寄せた顔を近づけた。

「お前の態度は、いつだっていい加減だもんな。手の平返すように、しょっちゅうコロコロしやがって。ちょっとは反省して見せろよ。ここに来て一番最初にすることは、俺に謝ることだろ? くだらないことばっかり言ってないで、さっさと謝れ!」

キャンビーから転送される、野外定点カメラの映像にもうつらない、ネット上にも情報が出てこない、そんな状況下で、レオンの言葉一つで物事を信じるわけにはいかなかった。

彼の言葉以外に、何一つ証拠がない状態だ。

俺たちには、もっと大事な進級がかかっている。

レオンは、ニールの手を振りほどいた。

「いいよ! 誰も信じないんだったら。俺一人だけで見に行ってくるから。後で後悔するなよ。じゃあな」

その場にいた全員の制止を振り切って、レオンが出て行こうとしている。

その扉の前に、ジャンが立ちふさがった。

「おい、レオン。お前、いい度胸してるじゃないか」

このスクールで、1、2番に背の高いジャンは、その見た目からもはっきりと分かる、アスリート種の体格をしていた。

太い腕に厚い胸板、純血種かと思われるほどの筋肉量と、高い運動能力を持つ彼に、わざわざ挑戦しようなどという人間は、ここにはいない。

「お前、また公道でハンドリングロボを乗り回して、捕まったらしいな。あれほど表では乗るなって、ガキの頃からずっと言ってんのに」

さすがのレオンも、彼にはたじろぐ。

「ち、違うんだってジャン、ちょっと新しい公道のカモフラージュ信号プログラムを作ってみたから、それをのっけて実際に使えるかどうか、試してみたかっただけなんだって」

「そんな言い分けも、本体のバイクロボがとられてたら、証拠がないよなぁ。その更新データってやつも、もちろんバックアップくらい、ちゃあんと、とってあるんだろ?」

「そ、そんなことよりさ、ジャン、外がヤバイことになってるんだって」

「ほう、今度はどんな言い分けだ?」

身長200㎝以上はあるジャンの、大きな体から伸びた太い腕が、レオンの頭に向かって伸びた。

「ジャン、外の様子が変だ!」

彼の仲間の一人が、飛び込んで来た。

早口でまくし立てる信用できる仲間からの話に、彼はレオンをつかんでいた腕を離す。

「おい、その内容は、本当か?」

「ジャン、確かにネット通信の一部が、どこかで阻害されてる。キャンプベースが何か隠しておきたい事実が、今どこかで起こっている事は、間違いないみたいだぜ」

ニールはレオンの発言の裏をとろうと、ずっとパソコンを操作していた。

「な? だから言ったろ?」

ジャンは、眉間にしわをよせる。

「案内しろ」

彼はレオンではなく、ニールと後から来た仲間と一緒に、出て行った。

「もう、これだからチームコミュニケーションの評価が、改善されないのよ」

カズコがため息をつく。

まったくだ。

ジャンは少し前に、このチームから他のチームへの移動が命じられ、移っていったばかりだった。

「なぁ、俺らも行ってみようぜ!」

レオンは勢いよく振り返る。

「ニールもいなくなったんだ。どうせここにいたって、課題なんか進まないよ。そんなことより、絶対今は、外を見に行った方が楽しいって!」

彼はその整った顔で、にっこりと微笑む。

「ね、みんなで行こう」

俺はカズコと目を合わせた。

彼女は赤らめた頬を斜めに傾け、視線を横に流す。

「仕方ないわね、ちょっと見たら、すぐに帰ってくるわよ」

彼女のその仕草に、俺は思わず笑ってしまった。

彼女も、好奇心には勝てない。

「やった! みんな大好き!」

カズコを先頭に、俺たちはスクールの外に出た。


第3話

レオンの言う通り、なにか重大な事件が起こっていることは、間違いないらしい。

乗り込んだ自動運転車は、告げた目的地まで、俺たちを運んでいこうとしなかった。

『一部、道路交通規制がかかっています』

その一言だけをくり返し、問題があったという海岸の手前までしか、運行できないと言う。

「な? おかしいだろ?」

俺たちは、車で行けるぎりぎりのところまで走らせると、そこから歩いて海岸線に向かった。

潮風と、頻繁に打ち寄せる高波のせいで、この辺りの設備には、どうしても部分的な錆びが目立つ。

どれだけ設備を充実させても、自然の持つ小さくも巨大な影響力には、あらがえないということなんだろう。

「歩道も動いていないだなんて、どういうこと?」

ほぼ全ての道に、一本は設置されているはずの動く歩道も、運転が停止していた。

人々が集まってくるのを、防止するつもりだったのだろうか。

それでも好奇心にかき立てられた人間は、いくらでも寄ってくる。

やがて俺たちは、噂を聞きつけた野次馬で溢れる岸壁の、すぐそばまでたどり着いた。

この周辺から集められた保安ロボが、さかんに退避勧告を発しているが、すでに溢れている人の波の間では、その能力を発揮できずにいる。

「ほら、こっちだ!」

レオンは、そんな保安ロボたちの横をすり抜けた。

あちこちで警告音が鳴り響いているが、それに従おうという人間は、どこにもいないらしい。

「カズコ、大丈夫?」

俺が手を差し出すと、彼女はそこに手を置いた。

「ヘラルドも、好奇心には勝てないのね」

彼女にそう言われて、俺も苦笑いするしかない。

「あたり」

「ふふ、私もそうよ」

少し手を引いて、彼女を群衆の前に出す。

人垣の合間から見えたものは、これだけの騒ぎを起こすのに、十分なものだった。

濃緑色の丸いカプセル、表面はクルミの殻のように波打った保護材に覆われていて、その凹凸のむこうに、バルブや細かい配管が無数に並んでいる。

小さな円形窓は暗くよどんでいて、中がどうなっているのかは分からない。

本来なら機能しているはずの無数の計器は、どれも動いていないようだった。

「やだ、アレって……」

「箱船だ」

252年前、人類を乗せて、絶望的な危機をくぐり抜けた避難カプセルが、今になってこの岸壁に打ち上げられたのだ。

この小さな生命維持装置は、どれだけの時間を波間に漂っていたのだろうか、カプセルの収集信号を発する赤いランプだけが、小さく点滅している。

「やべぇな、あのナカ、昔の人の死体でも入ってんのかな」

レオンがそうつぶやいた時、キャンプベース本部から来たと思われる一行がたどり着いた。

突然現れた白く大きな機動ボロによって、野次馬の人間たちは、そこからの後退を余儀なくされる。

「すげぇ、本部からの人間さまの登場だ」

数十体にも及ぶ機動ロボと保安ロボに囲まれて、大型の輸送車から降りてきたのは、3人の人間だった。

金髪の男女に黒い髪の男、いずれも成人したキャンプベースの役員だ。

俺たちには手の届かない存在、現実に生で見かけることすら珍しい種類の人間。

黒髪の男と金髪の女がカプセルに近寄ると、残りの一人が俺たちの前に立ちはだかった。

「さぁ、野次馬は帰るんだ」

彼らの周囲には、人間に対する攻撃禁忌レベルを引き下げた機動ロボがうごめいている。

コイツらを操ることができるのは、選ばれた一部の人間だけだ。

人型に近い、だけど人間よりすらりと背の高く、機動性に優れたデザインのそいつらを前にして、集まった人々は徐々に整理されていく。

人垣にようやく出来た隙間空間に、保安ロボが割り込んだ。

それを契機に、彼らによってあっという間に遮光帯が張られ、何も見えなくなってしまう。

「本物の箱船を、博物館以外で初めて見た」

俺がそうつぶやいたら、カズコもため息をつく。

「やだ、あの中身って、どうなっているのかしら」

それを想像するには、俺にはおぞましさと恐怖がつきまとう。

考えられない。

「さー、終わった終わった、帰ろうぜ!」

レオンは大きく背伸びをした。

カプセルの中身にまで、彼の興味は及ばないらしい。

散り始めた人垣の向こうに、遮光帯よりも背の高い輸送車の天井が見えた。

開いていたハッチのようなものが、ゆっくりと閉じてゆく。

「回収も終わったみたいだな」

「あとは、キャンプベース本部からの、公式発表を待つしかないわね」

見せ物が見えなくなってしまったので、俺たちは表通りに出て、配車の呼び出しをかけた。

さすがにこれだけの人間が集まると、自動運転車の配送も、すぐには回ってこない。

「ジャンたち、まだ見てるのかな」

ようやく目の前で扉を開けた車に乗り込み、まだ出発していない輸送車の天井部分を見た。

「こんなとこにいつまでも居たって、何にもならないのになぁ!」

レオンは笑う。

「さ、帰って私たちだけでも、先に課題を進めるわよ」

俺たちを乗せた車は、ゆっくりと動き出した。


第4話

それからの数日は、スクール内部の至るところで、この話題がもちきりだった。

噂を聞きつけて実際に見に行った連中と、話だけで実物を目にしていない連中とで、意見が対立していた。

「な? やっぱ見に行って、正解だっただろ?」

レオンは得意げに顔を上げる。

252年前に量産されたその遺物が、現在の岸壁にたどり着いたことを知らせる、公式な発表がどこからも発信されていなかった。

ネットでは、その情報であふれかえっていたけれども、その時野次馬で集まっていた誰かの、個人的に撮影した画像か、博物館サイトから借用したような、カプセルの画像を勝手に加工した、この騒ぎに便乗した悪質なデマばかりだった。

俺は確かに、謎のカプセルの存在をこの目で見た。

ネット上でいつでも検索出来る、人類のゆりかご、絶滅の危機を救った箱船と呼ばれるカプセルと、全く同じものだった。

だけど、それを裏付ける証拠が、どこからも出ていない。

「ヘラルドとカズコも、生で見てなかったら、絶対に信じなかっただろ?」

カズコは返事の代わりにため息をつく。

「だったら、お前らも協力しろよ!」

珍しく熱心にパソコンを操作し続けているニールが、背中越しに大声をあげる。

「キャンプベースが、アレをなかったことにしようとしてるんだぜ」

「そんなこと、するわけないでしょ」

カズコが呆れたように声を漏らす。

「だってさ、これだけ世間が騒いでるのに、一切反応がないどころか、次々に投稿画像が削除されてるんだぜ」

そう、この話題をもっとも盛り上げている張本人は、隠蔽体質のキャンプベース自身。

正式に何らかの発表を出しさえすれば、それで落ち着くだろうに。

「せめてさ、現在調査中とでも一言言えばそれで済むのに、それすらないどころか、情報操作までしてるんだぜ」

「私には、そんなことに夢中になってる人間の方が信じられないわ。なにか事情があるだけよ。放っておけばいいじゃない、何がそんなに気になるのかしら」

最初にこの話題を俺たちに提供したレオンは、鼻歌を歌いながら、得意の粘土を使った造形作品の製作に夢中になっている。

「レオンは、あの中身が気にならないのかよ」

ニールの問いかけも、彼の耳には届かないらしい。

「ヘラルド、お前も見に行ったんなら、キャンビーに画像の一つくらい撮らせてるだろ?」

「いや、撮ってない」

「なんでだよ、頭おかしいだろ」

なぜそんなことで、俺の頭がおかしいと認定されなければならないのか理解に苦しむが、彼の判断基準がそこにあるのならば、俺はそういうことになるのだろう。

俺に言わせれば、ニールやジャンの方が、頭がおかしいと思うのと同じことだ。

自分に関わりがあるのなら、気にするだろう、だけど、過去の遺物が海岸に漂着したところで、好奇心はそそられても、そこまで夢中になる意味が分からない。

「ニールやジャンたちが、歴史学に興味があるとは思わなかったよ」

「俺たちは、今のキャンプのやり方が気に入らないって言ってるだけだ!」

俺は、自分のキャンビーを呼んだ。

「キャンビー、海岸に行ったときの映像とか行動記録って、残ってる?」

飛び跳ねてきた丸いキャンビーを両手に挟んで、俺はそこに額をつけた。

「該当する関連データーは、キャンプベースによって、全て削除されました」

その言葉に、俺はカズコを振り返った。

カズコはブレスレット型のキャンビーを使っている。

「私のも削除されてるわ。ま、いらないデータはできるだけさっさと削除して、軽くしておきたいタイプだから、自分で消しちゃったのかもね」

彼女はその白い顔でつぶやく。

「別に、関係ないでしょ」

それでもジャンとニールは、不毛とも思える戦いを続け、それを横目に俺たちは、粛々と与えられた課題をこなしていた。

その間に3つの大きな嵐が来て、別の5つの大雨外出禁止令が出た。

世界はとても平和だった。

やがて、キャンプベースからの公式発表が行われた。

海岸での漂着事件発生から約半年、誰もがこの話題を、忘れかけていた頃だった。

「これ、解析できる奴いるのか?」

ニールにすら、そう言わせたカプセルの公開データは、ダウンロードするのに15分もかかるようなシロモノだった。

「くだらねー、カプセルの色とか一個一個の部品のサイズとか、そんなのどうでもいいだろ、問題はコレの中身だ」

なぜか俺も、ジャンにデータ解析班に加えられ、解読を手伝わされている。

これがキャンプの公式データでなかったら、『チームワーク』の評価には繋がらないからと、断っていただろう。

ありがたいのか迷惑なのか、よく分からない状態だ。

「いまさら、こんなことをする意味があるの?」

カズコの冷たい視線を受けながらも、ここで必要とされているのは『協調性』なのだから仕方がない。

「キャンプベースの解析を待ってもいいと思うんだけどね、彼らが人類史に興味があるなんて、知らなかったよ」

カズコの批難めいた小さな鼻息が、耳に痛い。

自分が都合よく使われているだけだって、そんなことはよく分かってるさ。

「見ろ、ここに温度表記がある!」

ニールが見つけたのは、カプセルの内部空間に関する項目だった。

「タンパク質の塊、総重量48.6kg、31.3℃」

画面にならんだその文字列に、俺は目を奪われる。

「体温にしちゃ、低すぎないか?」

「コレの中身が、生きてたってことだ」

ふいに、部屋の扉が開いた。


第5話

彼女は、この世界に生まれた時に、誰もがキャンプベースから最初に支給される、初めてのキャンビーを抱いて現れた。

肩先まで伸びたまっすぐな黒い髪に黒い瞳、白い肌にその黒い髪と目は、とても優秀なデザイナーによって設計された、ホログラム人形のようだった。

「あなた、どうしたの? みかけない顔ね」

突然の彼女の登場に、カズコが声をかける。

「こんにちは」

カズコにそう言われた彼女は、明らかに戸惑った様子で、それでもようやく、にこりと笑った。

「どこから来たの?」

彼女の抱えるキャンビーの目が、青く光る。

「キャンプベースから来ました。名前はルーシーです。よろしくね!」

その声は、彼女の声帯から発せられるであろう音声を真似て作られたのか、初期設定の、一律なキャンビーの声とは、わずかに違っている。

「ルーシー、ルーシーっていうのね?」

彼女は何度も小さくうなずく。

カズコは立ち上がり、彼女にその手を差し出した。

彼女はすぐに、その手を握りしめる。

「キャンプベースから来たのね、分かったわ、よろしく」

カズコがそう言ってにっこりと笑うと、彼女はようやく、ほっとしたような表情になった。

「ルーシー! かわいい名前だね、スクールに来るのは今日が初めて? このクラスのチームに配属されたの? 俺はレオン、よろしくね!」

レオンはすぐに彼女の手をとると、引きずり回すようにして、このフロアの説明を始めた。

キッチンの場所、共用スペース、個人ブースの使い方……、

彼に連れられて歩く、彼女のはにかんだ微笑みと、レオンの透き通る明るい笑い声が、空気中に響く。

「アイツ、例のカプセルの中身だろ」

ニールは、ぼそりとつぶやいた。

「だろうね、カプセルは今後の研究対象として保存され、人物には人権と保護を与えると、資料の中に書いてある」

「いいじゃない別に。キャンプの人工知能が、ここを最適と判断したのであれば、私たちはそれに従うだけの話よ」

カズコはにこりともせず、俺たちにふり向いた。

「本当は、未来がどうなるかなんて、誰にも予測不可能なのよ。そんなの、当たり前だわ」

彼女が時を越えてやってきた存在なのならば、彼女というその因子が、現代にどう影響するのかなんて、シミュレーションのしようがない。

そんな過去の例など、今までにないのだから。

レオンに、やや強引に連れ回されていたルーシーが、俺たちの前に戻ってきた。

「この黒髪がヘラルドで、赤いのがニールね」

ニールが黙ったまま小さく頭を下げたので、俺も同じように挨拶をする。

ルーシーは俺の横にあった、自分と同型のキャンビーに気がついた。

「あ、あ……」

一生懸命それを指で指し、両手をバタバタさせて、声にならない声を発している。

「そうだね、同じだね」

俺は、彼女が胸の前で自分のキャンビーを抱きかかえるのと同じポーズで、俺のキャンビーを抱えた。

その姿に、彼女はにっこりと微笑む。

「言葉が話せないのね」

「私は今、言葉の勉強をしています」

ルーシーの代わりに、彼女のキャンビーが答える。

彼女はそれを、ぎゅっと抱きしめた。

「よろしくね」

差し出した俺の右手を、彼女はそっと握り返した。

在留資格を与えられた彼女は、どうやらこのスクールの中に住むことを決めたらしい。

確かに外から通ってくることを考えれば、この中で全てを済ませてしまうのは、注目を集める彼女にとって、正解なのかもしれない。

252年前のカプセルに乗ってやってきたルーシーは、現代の生活になじみがなく、時折彼女が発する言葉は、少なくとも俺には何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

彼女の話す古語と思われる言葉は、キャンプのデータベースにも情報が残っていないらしい。

つまり、隕石衝突の前に、どこかの地方でわずかな少数民族によって使われていた、今は失われてしまった言語だということだ。

彼女に与えられたキャンビーが、彼女の発する言葉からその意味を推測し学習することによって、翻訳機としての機能を辛うじて果たしている。

どうりで彼女の情報放出まで、半年もの時間がかかったわけだ。

複雑で未学習な応答に関しては、答えられない彼女に代わって、キャンビーにあらかじめ設定された、無理のない返事が返ってくる。

「分かりません」とか、「すみません。理解出来ません」とかだ。

「ねぇ、今の時代のしくみとか、生活の話とかは、キャンプベースで習ったの?」

カズコはすっかり、そんな彼女のお姉さん役だ。

カズコの説明に、ルーシーは首を横に振る。

「そう。人類は、今3種類に分かれているのね、一番人数の多いスタンダードと、アスリート種、私みたいなリジェネレイティブね」

カズコは、にこっと小さく笑う。

「外見からじゃ、あんまり分からないわよね、種族が分かれるっていっても、元は同じホモ・サピエンスで、遺伝子の差異は有意に認められるけど、交配が不可能なほどかけ離れているわけではないわ」

カズコは、俺を見上げた。

「ヘラルドはスタンダードで、私はリジェネレイティブ、レオンはスタンダードだけど、リジェネレイティブっぽいところもあるわね。もしかしたら、半分スタンダードで、半分はリジェネレイティブかもね。ニールもそう、半分はアスリート種の血が混ざってるかも」

カズコは、くすくす笑う。

「ルーシーは、スタンダードなのよね」

彼女はうなずいた。ニールがこちらを振り返る。

「スタンダードと判定されるのは仕方ないかもしれないけど、分類としては今の時代の、進化したスタンダードと、同列にすべきではないな」

ニールは、頼み込んで彼女からもらった髪の毛から、自分で分析をかけたDNA情報を見ている。

「今の一般的なスタンダード種と、遺伝情報にも有意な違いが見られる。コイツは本当に、人類が3種に分かれる前に存在してた、太古の遺伝子を持つ古代人だ」

「そんなことを言ったって、その違いは今の私達と0.1%以下の違いよ、人の顔がそれぞれ個人で違うように、それくらいのレベルでの差異でしかないわ」

「根本が違うんだよ、顔形、髪や目の色なんてレベルの話じゃない」

レオンがルーシーに駆け寄る。

「だってさぁ、1%の遺伝子の変化に、500万年かかるんでしょー? よかったよ、ルーシーがそんなすっごい昔からタイムスリップしてきた人じゃなくって!」

レオンはすっかり、彼女を気に入ったようだ。

「そんな話はどうだっていいよ、それより、早くここの生活に慣れて、一緒にたくさんお出かけしよう、キャンプやスクールの中じゃ見られないような、外の世界を見せてあげる」

強引に手を引かれて、ルーシーが連れていかれたのは、レオンの個人ブースだった。

彼は出来上がった粘土の造形を、彼女に見せながら得意げに何かを語っている。

「あれは放っといていいのか?」

「別に彼女自身が嫌がってないんだったら、それでいいんじゃない?」

俺の言葉にも、カズコはそっけない。

「そんなことより、ヘラルドも自分の課題をこなした方がいいわよ。レオンはなんだかんだで、賢く進めてるわよ」

「なんで俺たちがあんな骨董品の相手をしなくちゃならないんだ、これだからキャンプのAIなんて、あてにならねぇんだよ」

ニールは吐き出すように言う。

「仕方ないわよ、キャンプの指定したプログラムをクリアしないことには、結局どうにもならないんだもの、私たちは、協力するより仕方ないのよ」

レオンは今度は、自分で彫った木彫りのお面をかぶり、ルーシーにおどけて見せた。

ルーシーはそんな彼に戸惑いながらも、はにかみながら打ち解けようとしている。

レオンに連れ回されるルーシーを見ながら、俺は俺自身に言い聞かせるよう、つぶやく。

「俺たちが彼女にとって、最善の選択だとAIが判断したんだ、俺たちは上手くやれるさ」

「そういうこと」

カズコの言葉に、ニールは小さく舌打ちしてから、それでも自分の課題を始めた。


第6話

コミュニケーション類型Ⅱの課題3、要するに、指定された期日までに、俺たちはチームでピクニックに行かなければならない。

隕石衝突と環境破壊から始まった地球の気候変動によって、安全確保のため住民の外出日程と行き先は、細かく制限されている。

それがスクールの課題となったら、なおさらだ。

結局、カズコがスクールで指定されている公園の一つを予約し、そこへ行くことが決まった。

当日の天候は曇り、一年のうち晴れている日が100日以下、年間日照時間が1000時間を越えることがない時代だ。

上々の遠足日和といったところだろう。

スクールから出発する専用のキャンピングカーに、チームの全員が乗り込む。

ルーシーは、この世界にやって来てからの、初めての外出といっても過言ではないような状態だったらしい。

相棒のキャンビーを抱きかかえた彼女は、いつもよりやや興奮しているように見えた。

予定時刻ぴったりに出発した車内で、ルーシーは熱心に窓の外を見ている。

「外の様子が気になる?」

カズコが声をかける。

窓の外だなんて、キャンプの統一された規格にそった、住宅とショッピングモールが並んでいるだけの風景だ。

どこをどれだけながめても、さほど変化があるわけでもない。

レオンとニールは、昨日の夜遅くまで二人でゲームをして遊んでいたらしく、ぐっすり眠っている。

俺は今回の課題提出のための討論テーマを、ルーシーにも参加できるような内容にしようと頭を悩ませていた。

使用していた車内に設置されたパソコンの画面を、ふいに彼女がのぞき込む。

ルーシーのキラキラした目が、俺を見上げた。

「今日のピクニックの、準備をしているんだ」

とは言っても、画面に写っているのは、レポートとして提出しなければならない討論のテーマを検索している、文字だらけのページだ。

そういえば、この子はどれくらい言葉を覚えたのだろう。

俺は試しに、画面に写った『可能性』という文字を指でさした。

「これ、分かる?」

ルーシーは、その俺の指先を見つめてはいたが、何を問われているのかは分かっていないようだった。

「じゃあ、これは?」

次は『増える』という文字。

もっと簡単な単語の方がいいと分かってはいても、今開いている画面では、適切と思われる単語が他に見当たらない。

「『増える』です」

代わりに、ルーシーのキャンビーが答える。

「正解」

そう言って、俺がにこっと笑って見せると、彼女は満足したように自分のキャンビーを抱きしめた。

何に納得したのかは全くの不明だが、彼女は俺の目を見てしっかりとうなずくと、くるりと背を向けて、再びカズコの隣に腰を落ち着ける。

「ヘラルドの要求は、難しすぎるのよ」

カズコはくすくすと笑って、自分のパソコン画面を開く。

「ねぇ、これを見て? ルーシー」

二人は仲良く画面を見ながら、楽しそうに何かを話し始めた。

カズコは彼女に、時々文字や言葉を教えてやっていた。

だけど、ルーシーの口から発する言葉は、まだ言葉とは言い難い、音だけの発声といったところだ。

スクールからの課題に、彼女の語学の項目はあったはずだが、学習が全く進んでいない。

ニールが片目をあけた。

「ルーシーは自分で勉強してんだろ? カズコが手伝うことないじゃないか。うるさいからちょっと静かにして」

レオンは眠たそうな目をこすって、起き上がる。

「俺は別に平気だよ」

彼は、カズコと並んで座るルーシーの横に、腰を下ろした。

「俺も一緒に勉強するー」

急ににぎやかになった車内でニールはため息をつき、横になったまま再び目を閉じ背を向けた。

こうなったら、すぐにあきらめがつくのは、ニールのいいところでもある。

彼は基本的に、自分の興味のあることにしか興味がない。

俺は、討論テーマを選んでいた画面に視線を戻す。

『隕石衝突後からの地球気候の変動とその経過、今後の予測』

『電子情報化社会におけるエリア格差とコミュニケーション構築の問題点』

『花粉の飛散を支える物理的構造とその類似点』等々、

そうだよな、こんなテーマを持ってきたって、今のルーシーには、何も分からないだろうな。

ただ行って帰ってきただけの遠足に加点はない、終了の認定がもらえるだけだ。

それでは行く意味がない。

だけど、今の彼女にとって一番の最適解は、ただそこに行くことだけなのかもしれない。

その答えにようやくたどり着いた俺は、パソコンの画面を閉じた。

微かに伝わる車の振動と、カズコたちのにぎやかな声を背景に目をつむる。

それからもしばらく、走り続けた。

目的地への到着を知らせるアナウンスが聞こえ、車を降りると、目の前は芝生の広がる自然公園が広がっていた。

俺たち5人以外には、他に誰もいないいつもの静けさに、公園の中央を流れる人口小川のせせらぎが聞こえる。

周囲にはこの辺りの元自然林を再現した樹木が植えられていて、行き着く先の絶壁には、ぱっくりと開いた空が広がり、その向こうに海が広がっていた。

真っ先に車から飛び降りたルーシーは、その川に向かって駆けだしていく。

彼女に子犬のように付きそうキャンビーが、後を追いかけていった。

「討論のテーマは決まった?」

「今回はなし、ってことで」

そう答えた俺に、カズコは笑った。

「そうね、それがいいかも」

レオンがルーシーを追いかけて行く。

「川だー! 久しぶり!」

ようやく降りて来たニールは、大きなあくびをした。

「で、メシはいつにすんの?」

キャンピングカーから下りて来たケータリング専用のロボットが、調理を始めている。

こういう時だけは、全員が同じ物を食べる仕組みだ。

ルーシーの相手に飽きてしまったらしいレオンは、川に泳ぐ魚を捕まえるのに夢中になっている。

彼女は服に水がかかるのを嫌がって、そこから離れていってしまった。

「俺も魚とってこよ!」

ニールは川に向かって走る。

カズコは一人静かに座って、本を読み始めた。

ベビースクールからこっちに移って約13年、ずっと同じ時間を過ごす俺たちにとっては、当たり前の風景だ。


第7話

俺は、ルーシーに視線を向ける。

彼女は川から少し離れたところに咲いていた、背の低い林檎の木の花に手を伸ばしていた。

「それに触れてはいけません」

彼女に付きそう、キャンビーから警告が発せられる。

ルーシーは驚いて、一度は手を引っ込めたものの、再びその手を、白い花に伸ばした。

「それに触れてはいけません」

キャンビーからの警告の意味が分からないのか、警告は警告として理解しつつも、植物に触れてはいけないという、行為を禁止されていることが理解できないのか、彼女はとても不服そうな顔をして、何度も何度も、それに触れようとしてはキャンビーに注意されていた。

そんなルーシーに、そっと近寄る。

「ここの動植物は全てキャンプによって管理されていて、採取にも許可が必要なんだ」

ルーシーは俺を見上げた。

再び伸ばそうとした手を、遠慮がちにおずおずと引っ込める。

林檎の花には、将来実が付く。

その栽培も、キャンプのロボットたちが全て生産の管理調整をしている。

ここに植えられている林檎だけではない、飛んでいる鳥も虫の数も、すべて調整されていた。

ルーシーは頬を紅潮させたまま、じっと花を見つめている。

彼女は、俺の顔を見上げては、その視線を花に戻すという往復運動を、ずっとくり返していた。

「どうしても、触ってみたいの?」

彼女からの返事はなかった。

言葉が不自由な彼女と、意志の疎通は難しい。ルーシーの手が再び白い花に伸びて、ついにキャンビーが、周囲に助けを求める警報音を鳴らした。

俺はすぐに彼女のキャンビーに手をかざして、その音を止める。

「大丈夫、君のキャンビーが壊れたわけじゃないんだ」

俺は、自分のキャンビーを呼び寄せた。

「3Dプリンターで、この花をスキャンして。触感重視で」

俺のキャンビーがレーザーでこの花の造形を取りこむのを、彼女は不思議そうに見ている。

「こっち、来て」

手招きの合図は、彼女にも理解出来るらしい。

俺は車に戻って、キャンビーから転送された立体造形を、プリンターから取りだした。

「はい、これなら触ってもいいよ」

俺の手の中にある、その合成樹脂で出来た林檎の花に、彼女はとてもうれしそうな顔をした。

差し出した手の平からそれを受け取ると、自分の髪に挿す。

ルーシーはくるくると回って、そのまま走り去ってしまった。

触りたかったんじゃなくて、欲しかったんだ。

俺はようやく、そのことに気がつく。

どうもそのあたりが、彼女とのコミュニケーションの取り方が難しいところだ。

意思疎通に、身体的要因で問題がある場合、今やそんなことは一切なんの問題にもならない。

彼らの意志を表明する方法は、いくらでも開発されているし、訓練もしっかり受けられる。

だけどルーシーにとって必要なのは、そういった類いのものではないのだ。

俺は彼女の、本当の気持ちを理解することが出来なかった。

そうするためには、どういった手段が必要なんだろう。

彼女は川に戻って、レオンとニールの仲間に入った。

小さな川で足元をすり抜ける魚に、一喜一憂している。

「ヘラルドにしては、気が利いてるじゃない」

カズコの横に腰を下ろすと、彼女はそう言った。

「そうかな、とてもそんな気がしない」

カズコが事前に予約したアユ、一人一匹で5匹の丸々と太ったのが泳いでいる。

それを全部捕まえたら、もう川に泳ぐ生き物はいない。

「今度は、果物の季節に予約すればいいんじゃない? リンゴとか。きっとルーシーも喜ぶわよ」

「俺の必須野外活動は、これで終わりだよ」

だから、これ以上のことを、彼女に対して何かしてやる必要は全くない。

彼女は彼女に与えられた課題をこなし、ゆっくりと成人していけばいい。

それが彼女へ与えられた人権であり、尊重されなければならない部分だ。

彼女は自分の意志で自分の行動を選択する。

俺が手を貸す必然性が、見当たらない。

彼女は彼女のままでいい。

川で遊んでいたレオンが、つかんだはずの魚を採り逃がして転倒した。

彼の右腕から肩から肘にかけ、ざっくりと切れ、血が流れてだす。

ここはできるだけ自然の風景を模した、学習用の公園だ。

通常の公園なら、安全に配慮した水路のような設計になっている川が、ここではごつごつとした岩肌が、川沿いにそのままむき出しになっている。

「レオン!」

すぐそばにいたニールが、水底に倒れたレオンを助け起こした。

膝丈ほどの水位とはいえ、大量の水を飲み込んだレオンは、激しく咳き込み、その場に倒れ込む。

「ちょっと、大変!」

「救急隊!」

俺の叫び声と、レオンの急変したバイタルサインに、その場にいた全員のキャンビーが即座に反応する。

警報音のなか、キャンピングカーから分離した救護ロボが駆けつけると、すぐにレオンの診断が始まった。

「大丈夫、俺、リジェネの遺伝子持ってるから」

流れ出ていた血液が、やがて自ら流出を停止した。

赤い傷口が、黄色みを帯びた傷口へと変わり、すぐにゼリー状に変化する。

レオンは、大きく息を吐いた。

「こういう時、この体は便利だよね」

リジェネレイティブは、その名の通り身体の再生能力や免疫力が高く、病気や怪我に強い体を持っている。

救護ロボの診断も、問題なしと出た。

モニターの画面に、ジャンの姿が映る。

「なんだよ、レオンか、驚かすな」

レオンが笑うと、ジャンは呆れたようにため息をついた。

モニター越しでも、そこからジャンが、ルーシーの姿を探しているのが分かる。

「お前らのチームは、いま何かと注目を集めてるんだから、大人しくしとけ」

ルーシーがこのチームに配属されたことは、瞬く間にスクールの人間全員に知られることになった。

なぜキャンプの人工知能が俺たちのチームを選んだのか、それは誰にも分からない。

だけど、注目を集めるルーシーの存在に、ジャンが気にならないわけがなかった。

彼はそんなことを一言も口に出してはいないが、彼女が自分のチームに入れられなかったことを、悔しく思っていることは間違いないと思う。

常に注目を浴びていたいのは、ジャンの持つ幼少期からの特性だ。

レオンが笑顔で手を振ると、彼からの通信が切れた。

ルーシーは、心配そうにレオンを見つめている。

「さ、お昼ご飯にしましょ、ニール、残りの魚も全部とって、調理機に放り込んで」

ニールは自分のキャンビーを使って、公園の管理機能を操作し、川の水を全てさらって魚を捕まえると、そのまま調理ロボに放り込んだ。

やがてそこから、魚を焼くいいにおいが漂ってくる。

ルーシーにも食べやすいようにと、骨を全て取り除いた切り身を、バターと香辛料で焼いたものが、オーブンから出てきた。

それを俺とカズコが皿に取り分ける。

「たまにはこうやって、外でみんなと食うのもいいな」

ニールがそう言って、みんなが笑った。

レオンも自分の怪我を気にしている様子もなく、ルーシーも楽しそうだ。

食事を終えてしまうと、本当にすることがなくなってしまった。

本来ならここで、討論のテーマを発表し、屋外でチームの交流を深めつつ、見識を深めるということになるのだが、言葉の理解が追いつかないルーシーがいる以上、そんなことは出来ない。

怪我をしたレオンは昼寝を始めてしまったし、カズコは読書の続きだ。

ニールは、自分のキャンビーを使って、何かのプログラミングをしている。

どこに行っても、いつもと変わらない光景だ。

ルーシーは、この小さな公園をあちこち見て回ったあと、川を越えて絶壁のそばに立ち、荒れた海を見ていた。

「海、が、気になる?」

俺はルーシーの隣に並んだ。

彼女は風に吹き上げられる髪を、両手で押さえた。

「ルーシーは、海からやって来たんだよね」

彼女は黙って、灰色の海を見ている。

「海は、好き?」

俺の言葉を、彼女はどこまで理解しているのだろう。

ちらりと俺を見上げただけで、彼女の目は相変わらすまっすぐに、前を向いていた。

海から吹き上げる風が、流れの速い雲とぶつかって渦を巻く。

何を話せばいいのだろう、どう言えば伝わるのだろう。

そもそも、俺はなにを伝えたかったのか、彼女からどんな言葉を聞いてみたかったのか、それすらも分からなくなって、同じように前を向いた。

大量の湿気を含んだ風が、ついにその重さに耐えきれず、突然その底が抜ける。

目の前に、ドンっと雷が落ちた。


第8話

まずい、これは、嵐がやってくる。

俺がルーシーの手をとった瞬間、風向きが変わって、雨が降り始めた。

「早く、車の中へ!」

激しい光と爆音の衝撃が、空気を激しく振動させる。

逃げ込もうとしたキャンピングカーは、激しく雷光に打ち付けられ、黒煙をあげた。

「シェルターは?」

ニールは、レオンに付き添ったカズコと俺に向かって叫ぶ。

「ここは海が近すぎて、シェルターまで遠すぎる」

天候の急変を察知して、公園を覆う雨よけのドームが動き始めた。

その強化プラスチックの板を、強風が激しい音をたててあおる。

ドームのモーター動力と強風のせめぎ合いで、独特のきしみ音が不気味に響いた。

その向こうで、すうっと一本の雲の筋が、触手のように空から伸びる。

「竜巻だ!」

空を覆おうとしていたドームの板が、一瞬にして吹き飛ぶ。

頭上に、バラバラと破片が降りそそいだ。

レオンが大きく腕を広げる。

ニールと俺とルーシーとの、三人を破片から守るように、彼はその上に覆い被さり、ぎゅっと抱きしめた。

そんな俺たちを背にして、カズコが空を見上げる。

ぐにゃりと曲がって倒れてくるドームの骨組みの前に、彼女は立ちはだかった。

カズコは冷静に、その倒れていく行き先を観察している。

「こっち!」

彼女はレオンごと俺たちを押しのけ、倒れた骨組みを避けた。

嵐の中に、不気味な倒壊音が鳴り響く。

ルーシーが声にならない声で叫んだ。

カズコは落下する防護板の破片を、自分を盾にすることで、俺たちの上に降りそそぐことを防いでいた。

はがれ落ちた大きなパネルの1枚が、カズコの体を押しつぶす。

「カズコ!」

彼女の左腕が潰れて、肉がそげ落ち骨まで見えている。

カズコがそうやって作った隙間で、俺たちはほぼ無傷で済んだ。

海から吹き上げる強風が波を巻き上げ、横殴りの雨と一緒になって叩きつけている。

ニールはレオンを押しのけた。

カズコに覆い被さる巨大なパネルをつかむと、彼はそれを力任せに引きずり下ろす。

ニールの、半アスリート種の力だ。

「ヘラルド!」

ニールが俺に、次の判断を求めている。

「公園の地下の管理ルームへ行こう、シェルター代わりになるはずだ」

「どこだ?」

カズコやレオンのようなリジェネレイティブの再生能力も、半アスリート種のニールのような高い身体能力も、持ち合わせていないスタンダードの俺に出来ることは、頭を使うことしかない。

景観に配慮された自然公園には、どこにも人工物が見当たらない。

キャンビーに検索をかけさせたとしても、この嵐では通信状態も不安定だし、そもそも間に合わない。

俺は、この公園の設計図を想像してみる。

公園を覆うドームの開閉口、そのモーター、地上に埋められた非常用の誘導ランプが、公園からの避難誘導ラインを示していた。

自分なら、どこに管理ルームを置く?

「こっちだ!」

そこは、何もない緑の芝生だった。

この辺りと目星をつけた位置を手で探る。

地面の一部が1箇所だけ、不自然にくぼんでいた。

そこに手をかけ、持ちあげる。

公園設備、管理、点検用の地下室への扉が開いた。

ニールは、動けなくなったカズコの体を抱き上げた。

細かな破片を全身に受けて、傷だらけのレオンはルーシーを引き寄せる。

吹き付ける嵐の中、地下室へ降りようとした時だった。

大きな波が、全員の足元をすくった。

流されそうになるルーシーの手を、ニールがつかむ。

辛うじてその場に踏みとどまった俺たちは、地下道への階段を見下ろした。

もう一度、大きな波が頭上から襲いかかる。

人間が3人も入れば一杯になってしまうような管理ルームの床は、もう水浸しになっていた。

「もうここはダメだ、遠くてもシェルターを目指そう」

俺の判断に、皆は黙って従う意志を示した。

ルーシーの手を、今度は俺が握る。

横殴りの強い風と雨が、視界を遮る。

何度も押し寄せる高潮が、公園出口までの短い距離を、さらに遠くしていた。

レオンが足を滑らせる。

カズコを抱いたニールが、レオンの腰をつかんで片手で持ちあげた。

せめてこの波の届かないところまで行かなければと、そう思う背中を、さらに波が襲う。

嵐の中、突如現れたバイク型ハンドリングロボの操縦者が、レオンの体をすくい上げた。

「ニール!」

「ジャン!」

ニールは、Uターンしたバイクのジャンに、カズコを投げ渡す。

ジャンがうまく受け取ったのを見届けると、彼はそのままルーシーを抱き上げた。

嵐の中を、ジャンのハンドリングバイクが走る。

「こっちだ」

ジャンは緊急避難命令の、セキュリティブロックを突破してやって来たんだ。

外は激しい豪雨、一般人の外出は禁じられているし、こんな状況下で動くバイクなんてありえない。

公道でのハンドリングバイクを操縦する、サポートシステムが作動していない状態で、あんな難しい乗り物を乗りこなすには、高い運転技術が必要だ。

公道まで走り出た俺に、ジャンが一枚のカードを投げた。

目の前には、安全のため外部からの解除を禁じられたシェルターの扉、そこに渡されたカードを差し込む。

ハッキングされようとしている扉のセキュリティーが、パスワードを要求してきた。

俺は、ジャンを見上げる。

彼が設定しそうなパスワードは、コレだ。

「**************」

扉が開いた。

真っ先にジャンのハンドリングバイクが飛び込む。

ルーシーを抱きかかえたニールが入ったのを見届けると、俺はシェルターの扉を閉めた。

バイクから降りたジャンが、大声で笑った。

ニールと2人、ハイタッチを交わす。

「腕は平気か?」

「まぁまぁだね」

そのまま二人は、シェルターに設置された備蓄用の食料品を漁り始める。

ルーシーは、意識なく床に投げ出されたカズコを抱き上げた。

「大丈夫だよ、カズコは、リジェネだから」

そう言った俺を、彼女は批難するような涙目で見上げる。

「レオン、改造バイクってのはな、こういう時に使うんだよ」

ジャンの言葉に、レオンは傷ついた体でにこりと笑って、片手をあげた。

シェルターに備え付けの救護ロボを作動させて、カズコを診察させようとした俺に、ジャンは言う。

「そんなことより、こっちきてお前も何か食えよ」

「うん、ありがとう。だけど、カズコの状態を、先にセンター送っておきたいんだ」

その後、さらに強さを増して荒れ狂った嵐は、朝になってようやく静かになった。


第9話

避難命令解除の通知が行われ、俺たちは外へ出た。

事前に連絡した救急車両が、カズコとレオンを乗せていく。

「じゃ、俺たちは先に戻ってるぞ」

改造バイクにジャンとニールはまたがって、走り去ってしまった。

俺はルーシーを振り返る。

「帰ろっか」

避難命令が解除されたとはいえ、猛烈な嵐の去った直後だ、荒れ果てた街に人通りはない。

公道を掃除する清掃ロボットと、保守点検のための自動ロボだけが、忙しそうに動き回っている。

俺は、静かな街を歩き始めた。

嵐の後は、決まって空が晴れている。

それだけが、この世界にとっての唯一の救いだ。

ルーシーは不安そうに、キャンビーを抱えて後からついてくる。

何て声をかけようか。

「カズコは大丈夫だよ、レオンもね」

そんな言葉が、彼女にとっても単なる気休めでしかないことは、俺にだって分かっていた。

彼女は自分のキャンビーを抱きしめる。

その腕の中で、彼女が頼るこの丸い汎用型機械は、何を思うのだろう。

この状況下において、彼女に声をかけてやれるのは、今は俺しかいない。

ずっと黙っていた彼女のキャンビーが、不意に息を吹き返した。

「ルーシー! 大丈夫だった?」

画面には、カプセルが漂着した時に見かけた、金髪に緑の目をした美女が映っていた。

まっすぐな長い髪が、サラサラと流れる。

キャンプベース本部からの直通映像だ。

ルーシーは今にも泣き出しそうな顔で、画面を見つめる。

「他に、回りに、誰もいないの?」

彼女は首を横にふる。俺はカメラをのぞきこんだ。

「スクールで、同じチームのヘラルドです」

「そう、ならよかったわ」

それだけでもう、彼女の興味は俺になくなってしまったらしい。

その目は、ルーシーだけに向けられている。

「じゃあ、これからスクールに戻るのね、安心したわ」

ルーシーの方は、相変わらず泣きそうな顔をしていた。

何かを伝えたいのに、伝えられない、伝わらない感情に、彼女が苦しめられている。

口をぱくぱくさせ、意味のない発語をくり返す彼女に、画面の中の女性は静かに微笑んだ。

「あなたなら、きっと大丈夫よ。この世界でも、ちゃんと上手くやれるわ」

一方的に通信がきれる。ルーシーは涙を振り払う。

あの程度の会話で、本当に互いの意思疎通が出来たのだろうか、俺にはそれが不思議でならない。

彼女の中で、何があったのかは分からないが、ルーシーはまっすぐに顔を上げ、力強く歩き始めた。

歩きながら隣に並んだ俺を見上げて、にっと微笑む。

何にも変わらない、何も俺には分からない、彼女を取り巻く現状は何も変わらないのに、どうして何に納得して、彼女はここにいるんだろう。

俺にはその笑顔が、何か特別なもののように感じられた。

スクールに戻ると、中はちょっとした騒ぎになっていた。

ジャンに科せられた警告が、ついに累積許容範囲の上限をオーバーしてしまっていたのだ。

彼のスクール内部での個人認証が、全て無効化されている。

こうなると、スクールを統括するキャンプベース本部に自ら出頭していかなければ、彼の権利が取り戻される事はない。

建物の中には入れたものの、ジャンは校内の警備ロボに囲まれていた。

スクール内では、高度な自治が認められている。

ジャンのアスリート種特有のカリスマ性が、彼をこのスクールのリーダーに押し上げていた。

「あぁ、すっかり警告たまってたの忘れてたよ。面倒くせぇことになっちまったなぁ」

ジャンはそう言って、ニヤリと笑う。

その横にいるニールも、同じ不敵な笑みを浮かべた。

彼らは、手に電圧を自在に操れる特殊な警棒を所持していた。

高圧の電流を流すか、逆に吸い上げて低圧電流で誤作動を起こし、暴走したロボットの動きを強制終了させるためのものだ。

「ジャン、待て!」

いくらジャンでも、スクールの規則をこれ以上破ったら、ここにはいられなくなる。

1m20㎝のロボット3体が、ジャンの動きを封じようと捕獲態勢に入った。

もう少しで、横に長く伸びたアームが合体し、彼らを取り囲み逃げ場を奪う。

彼を助けたい気持ちはあるが、ルールを犯したジャンを更正施設に送ろうとする警備ロボに対して、俺たちにはその手段がない。

細く華奢なアーム同士の距離が、徐々に近づいていく。

ジャンがいなくなれば、このスクールはどうなるのだろう。

パァン!

突然の破裂音、割れた陶器の破片と、土塊がぼろぼろと崩れ落ちる。

ルーシーが観葉植物の植木鉢を、ロボットに投げつけた音だ。

「ダメだよ、ルーシー!」

その言葉の意味が、彼女に通じなかったのか、ルーシーはそのロボットの一体につかみかかった。

人間の力でどうにかなるようなロボットではないのに、それでも彼女は果敢に警備ロボの動きを封じようとしている。

『機械は、決して人間を傷つけてはならない』

スクールの在籍資格を奪われた不審者のジャンに対してなら出来る行動原則も、正式な資格を持つルーシーには適応されない。

彼女が抱きついたロボットは、危険を察知して緊急停止した。

ジャンたちを取り囲んでいたロボットたちの方が、作戦の変更を余儀なくされる。

「不審者発見、不審者発見、在校生は、今すぐ退避して下さい」

ジャンを取り押さえようとしていたロボットたちが、そう警告を発しながら後ろに下がった。

ジャンを守ろうと思っているのか、ルーシーはそのロボットに抱きついて、俺たちには理解不能な何かの言葉を発しながら、握った拳を何度も打ち付けている。

ルーシーを止めようと駆け寄った俺と、ジャンの目があった。

彼は手にしていた警棒を床に放り出し、豪快に笑う。

「あはは、こいつおもしろいな」

ルーシーに抱きつかれたロボは、すぐに動かなくなった。

彼女はきっと、それを自分が停止させたと思っているのだろう。

誇らしげな顔で、ジャンを見上げる。

「ありがとよ、ルーシー、助けてくれて」

彼が手を差し出すと、彼女は胸を張ってそれを握り返した。

スクール内の警備ロボが、人間には絶対に危害を加えないよう、設定されていることは誰だって知っている。

だけど、もし誰かがルーシーと同じような行動をとれば、その行為はペナルティとして記録され、処分が科せられる。

卒業が遅れ、成人認定の資格を得るまでに、余計な時間をかけることになる。

成人することを第一の目的にしている俺たちにとって、それは自滅行為に等しい。

でもそんなことなんて、彼女にしてみれば自分の理解を超えた、全く意味のない条件だったのかもしれない。

そんな背景を理解している、していないに関わらず、彼女は目の前にいた、困っているだろう友人を助けた。

それだけだ。

俺はため息が出ると同時に、全身の力が抜け落ちる。

きっと彼女には、この世界がもっとずっと単純に見えていて、分かりやすいに違いない。

最後までその場に生き残っていたロボット1体の、通信モニターが光る。

「随分と派手なマネをしてくれたな」

その男は、短い黒髪をぴったりと左右に撫で付けていた。

鋭く細い目が、ルーシーを探している。

「無事にスクールにたどり着いたのか」

この男は、ルーシーの回収に来ていたキャンプベースの成人の一人だ。

彼は画面越しに、彼女の姿を確認する。

ふっと息を漏らした。

「君たちの行為は容認し難いものたが、今回は目をつぶろう。人命救助のための特別措置だったとして、これに限り減点は見送る。今後は、よりいっそうの適切かつ的確な判断を、自分たち自身に下すことを要求する」

その一言で、ジャンの処分が取り消され、警備ロボのアップデートが行われたのだろうか。

さっきまでジャンを捕らえようとしていたロボットたちが、何事もなかったかのように俺たちの間をすり抜けていく。

その様子を画像で確認したらしい彼は、そのまま通信を切った。

「全く、好き勝手やってくれるもんだな。キャンプベースの、お前らのことだよ」

ようやく一息ついて、ジャンと目があった。

彼は俺の肩にポンと手を置くと、そのまま廊下の奥へと消えていく。

ルーシーは上機嫌なまま、満面の笑みで俺を見上げた。

「もう、危ないから、あんなことしちゃダメだよ」

そう言うと、彼女はにっこりと笑った。


第10話

静けさの戻ったスクールで、俺は課題に追われていた。

16の歳までに終わらせるべき課題が、まだ山のように残っていた。

17になるまであと半年だというのに、残りの課題は半分も終わっていない。

もちろん、これらの課題を次の誕生日までに、全て終わらせなければならないわけではない。

だけど、やるべき課題をやるべき時にこなしていかなければ、このスクールを卒業し、成人して世界から認められ、出て行くことが出来ない。

俺は2時間に及ぶ物理化学の個人テストを受け終え、チームの部屋に戻ってきたところだった。

扉が開き、中に足を踏み入れると、ルーシーがカズコの机に座っていた。

その視線は、ずっとニールの背中に注がれている。

「だから、レオンとカズコの心配より、自分のことを考えろって!」

そう言って、やや怒り気味に振り返った彼と、俺は目が合った。

「あぁ、ちょうどいいところに帰ってきた。ヘラルド、こいつにカズコたちの心配はいらないって、説明してやってくれ」

俺はため息をつく。

ニールはジャンたちと一緒になって、キャンプベースの役員が、遠隔操作で累積ペナルティを消した方法を解明するのに、一生懸命になっていた。

そんなことに時間を費やすくらいなら、最初っから警告を重ねないようにすればいいと思うが、どうもそういう考えは、彼らには浮かばないらしい。

ルーシーは俺の手を取ると、カズコの机の上に俺の手の平を押しつけた。

何度もぎゅうぎゅうと押しつけては、彼女の不在を訴える。

「カズコは、病院だ」

彼女は次に、レオンの机に引っ張っていく。

そして同じように、手の平を机に押しつけた。

「うん、レオンも病院」

ルーシーには、テレビ通信で何度かカズコやレオンとも話をさせている。

どうしてそこにいるのか、どうしてここにいないのか、それくらいは彼女にも分かっているはずだ。

だけど、何をそんなに訴えようとしているのか、それが分からない。

「いる、ほしい、どこ?」

突然の透き通ったその声に、俺は耳を疑った。

ニールも驚いた表情で、こっちを振り返る。

「どこ? ここ、どこ?」

彼女の手が、俺の手をカズコの机に押しつける。

「カズコのことを言ってるの?」

彼女はキャンビーの頭を叩いた。

モニター画面に、タッチパネルが表示される。

彼女はそこを指で押した。

いつの間に撮影したのか、カズコやレオン、チーム全員で写った画像が現れる。

彼女は、一生懸命にカズコとレオンを、交互に指差した。

「どこ? いる、ほしい!」

「あぁ、分かったよ、二人に会いたいんだね」

彼女は、何度も小さくうなずく。

「分かったよ、じゃあ、今から会いに行く?」

俺は、カズコとレオンを順番に指差し、それから教室の扉を指した。

彼女は急に神妙な表情になると、さっと立ち上がる。

どうやら、本当に行く気まんまんらしい。

「今から? すぐに?」

彼女はうなずく。

「じゃあな、行ってらっしゃい」

ニールは、やかましいルーシーからようやく解放されることにほっとして、にやにや俺を見上げる。

「お前も一緒に来いよ」

「イヤだね、俺は忙しい」

ニールはさっと背を向けた。

あらゆる病気や怪我、感染症に耐性の強いリジェネレイティブだ。

彼らの体を心配するような人間は、ここにはいない。

この二人に関しても、もうすぐ退院できるという連絡をすでにもらっている。

何も心配する必要はないのに、彼女にはそれが分からないから仕方がない。

部屋の扉の前に立ったルーシーは、こちらを振り返ってじっと待っていた。

俺は、ため息をつく。

「ちょっと待っててね、今から車を手配するから」

彼女はとてもとても、力強くうなずいた。

病院へ着くと、俺たちはすぐにカズコのいる部屋へと案内された。

ルーシーは、真っ先にそこへ飛び込んで行く。

「あら、本当にお見舞いに来てくれたのね、ありがとう」

カズコは静かに、ベッドの上に座っていた。

「もう大丈夫なんだろ?」

「うん、スクールの課題はこっちでも出来るし、何の問題もないわ」

介助ロボと看護ロボが、何もかもカズコの世話をしている。

レオンに至っては、ワザと退院を引き延ばして、院内のリラクゼーションルームで、ギターを片手に歌を歌っていた。

すっかりアイドル気取りだ。

ルーシーは心配そうに、カズコの手を握る。

そんな彼女に、カズコは微笑んだ。

「誰かにこうやって手を握られるのって、久しぶりのような気がする」

カズコもその手を、そっとルーシーの手に重ね合わせた。

リジェネレイティブは、現代に存在する3つの人種のなかでも、独特な経緯をもって産まれた種族だ。

かつて、医療技術が未発達だったころ、先天的な病気や障害、当時においては不治の病といわれた症状や怪我を負った人たちは、世界の片隅でひっそりと寄り添いあって生きていた。

彼らは彼らだけの優しい世界で生き、それでもたくましく子孫を繋いでいった。

そんな中で、遺伝的な病気、持って生まれた身心の障害、数ある遺伝的環境を乗り越え、健康に生まれ育った子供たちは、驚異的な能力を身につけていた。

その子孫は、どんな遺伝子エラーを抱えていても、それを発症させずに成長し、子孫を残し続けた。

やがて受け継がれていったその能力は、誰よりも病気や怪我に強く、不屈の精神を持ち、生命力の強い種族として確立される。

「誰かにこんなにも気にかけてもらえるなんて、うれしいものね」

カズコが微笑むと、ルーシーも嬉しそうに笑った。

リジェネレイティブの体調や怪我を心配するのは、明日はやって来ないかもしれないと、心配するようなものだ。

「そうだ、カズコ。ルーシーはここに来たいって、初めて俺たちにしゃべったんだ」

「まぁ、本当に?」

ルーシーは彼女の中にある感情を、どういう言葉で表現したらいいのか、的確な選択肢が思いつかないようだった。

彼女はしばらく両手を胸の前で、もぞもぞさせていたが、ついに何かをひらめいたらしい。

「いる、まつ、あっち」

ルーシーは、ふいに窓の外を指差す。

その仕草に、俺とカズコは笑ってしまった。

「ありがとう、早く元気になって、スクールに戻るね」

「カズコ!」

ルーシーはその両腕をカズコの首に回し、彼女に抱きついた。

ルーシーが、カズコの名前を呼んだ。

その思わぬ一言に、俺は驚く。

みんなの名前を、彼女は覚えたんだ。

カズコ自身も思わぬこの出来事に、動揺している。

「あ、ありがとうルーシー、ルーシーも、元気でね」

ルーシーの体調管理は、キャンプベースから支給されるキャンビーによって、毎日定時にチェックされている。

彼女だけじゃない、スクールの人間全員のバイタルチェックは、大切な日常業務のうちの一つだ。

誰でも閲覧できるそのデータベースがあることを、分かっていながら「元気でね」なんて、そんなおかしな挨拶が出てくる時点で、カズコのルーシーに対する驚き具合がよく分かる。

ルーシーは元気よく立ち上がると、扉に手をかけた。

そこから振り返って、カズコに手を振る。

「これはもう、帰るってことなのかな」

「そうじゃない?」

「じゃあ、帰るよ。カズコも、早く元気になれよ、待ってるから」

俺がそう言うと、彼女は赤らめたままの頬で、小さくうなずいた。

俺はルーシーと二人で、部屋の外に出る。

俺自身も、自分の顔の皮膚表面が紅潮していることが、鏡で確認しなくても分かる。

誰かに向かって誰かを思う意志を示すのに、こんなにも簡単な言葉で表現したのは、久しぶりだったかもしれない。

ルーシーは、出入り口のロビーにいたレオンにも手を振った。

彼は観葉植物の並ぶ広いロビーで、観客の前で弾いていたギターの手をとめ、こちらに振り返す。

そうか、言葉にしなくても、こんなことでもいいんだ。

俺たちは彼らを見送って、病院の外に出た。

目の前のロータリーには、自動運転の車が列をなして待っている。

その乗車口に向かおうとした俺を、彼女はあっさりと追い越していってしまった。

俺はその後ろ姿に声をかけ、呼び止めようとして、やめた。

今日は珍しく晴れている。

キャンビーを抱きかかえて、颯爽と歩く彼女の横に、俺も並ぶ。

「あぁ、ここから歩いて帰るのは、とても遠いよ」

彼女はちらりとこちらを見上げて、にっと笑った。

俺は一人で、くすりと笑う。

彼女が歩き疲れたら、頑張れって励まそう。

途中で休憩したっていい。

それでももう歩けないって言う時には、その時にはちゃんと俺が連れて帰ろう。

そうすれば、それでいいんだ。


第11話

カズコも無事に退院し、レオンと二人でスクールに復帰した。

俺は自分の課題に追われ、ルーシーは退屈そうにこの世界の勉強を続けている。

「出来たぞ!」

そんなチームの部屋に、喜々として駆け込んできたのは、ニールだった。

「今度の試合で使う最新のプログラムだ。お前らのキャンビーに入れてやるから、全員こっちに持ってこい!」

ニールは自分のパソコンを立ち上げると、そこにキャンビーをつないだ。

「今度の試合って、なによ」

カズコはめんどくさそうに、ニールを振り返る。

「約束してただろ? 遠足ミッションをクリアしたら、俺につき合うって」

「そんな約束、してたっけ?」

「ハンドリングロボの大会だよ!」

「あぁ」

カズコはそう言って、ため息をついた。

「ねぇニール、あなたはあなたで、ハンドリングロボのサークルに入ってるんだから、そっちで頑張ればいいじゃない。なんで私たちまで巻き込もうとするのよ」

「スクールのチーム対抗戦なんだから、しょうがないだろ!」

「そんなの、適当に参加して、ポイントだけもらえばそれでいいのに」

カズコのそっけない態度にも、ニールはへこたれない。

「な、レオン、お前のも持ってこいよ」

ニールは勝手にカズコのキャンビーを転送装置につないだ。

それでもカズコは何も言わず、無視して自分の課題を進めているのは、ある意味いつものお約束風景。

レオンはニールの隣に立って、嬉しそうに話す彼の説明を、にこにこと聞いていた。

レオンがその説明を、どこまで適切に聞き取っているのかは、分からないけど。

ルーシーが、おずおずと俺の横に立つ。

あぁ、彼女にはきっと、この状況が理解出来ていない。

「これから、ハンドリングロボのカスタマイズをするんだ」

彼女は、転送装置の上に置かれたカズコの子猫型のキャンビーが、チカチカと目を光らせているのを不安げに見ている。

「ヘラルド、お前のもよこせ」

「キャンビー、ニールの指示に従って」

ルーシーと同じ型の俺のキャンビーは、ぴょんぴょんと跳びはねて転送機の上に乗った。

「ハンドリングバイクは知ってるだろ?」

俺はパソコンを操作して、試合のルール説明の画面を出す。

「これから、この練習をみんなでするんだ」

ルーシーは、小さく首をかしげた。

科学技術の発達した現在において、人間の生活に必要な最低限の仕事は、すべて機械が肩代わりしている。

農業、工業に限らず、あらゆる生産活動において、生身の人間が主要な労働力として働くことは、まずない。

もちろん本人が望めば、いくらでも好きに楽しめる。

代わりに、人間に求められるようになった能力が、高い自律能力と倫理観、寛容と協調性だ。

知識という記憶や記録は、いくらでもキャンビーが持っていて、日々更新されていく。

新しい思考回路の発見は、日常での必要性によって産まれるものだ。

一般的な基礎学力は当然として、スクールで学ぶべき最重要項目は、自律・倫理・協調とされている。

そのためのカリキュラムの一つとして組まれているのが、このハンドリングロボを使って行われるチーム戦だ。

今回は1チーム5人、折りたたんで120㎝四方に収まる、搭乗型ロボットでのトーナメント戦になっている。

ロボットの形状や仕様に制限はなく、自由な設計とプログラミングが行われる。

フィールド内には1つだけ試合球が置かれていて、それを常に浮遊し移動する直径30㎝のゴールエリアに、接触させればいい。

ゴールエリアの移動ルートは決まっていて、使用する試合球は、誰かがそれをつかんだ瞬間から、30秒後には爆発し消滅する。

クラッシュボールと呼ばれるそのボールの特徴から、競技の名前もそのままクラッシュボールと名付けられた。

無制限に再出現するそのボールを、より多くエリアにぶつけた方が勝ちだ。

「これが今回のルートだ」

ニールは、120m×90mのフィールドに浮かぶ、ゴールラインを画面に映し出した。

8の字状にループするゴールは、試合時間の15分間に、2周することになっている。

「カズコはいつものやつだよね?」

「それしか使わないわよ」

「だろうと思って、新しいコントロールプログラムを作ったんだ。ちょっとそれでシュミレーションしておいて」

ニールの言葉に、カズコはしぶしぶ自分のキャンビーを受け取った。

この大会は、体育の授業に加点されるから、まぁ、出ても損はない。

「ヘラルドはディフェンダーね、作戦のオペレーションは俺がやるから。お前なら俺たちの次の行動が、大体読めるだろ?」

ニールはいつも、作戦のプログラムを担当する。

それに従って、レオンは新しいロボを作ったり、補助したりする役目だ。

レオンとニールの息の合った連携プレーは、後ろで見ている俺ですら、ほれぼれするような絶妙な動きをする。

「あれ、ルーシーの機体は?」

「ルーシー用の搭乗機は、これから考える」

ニールが苦笑いを浮かべる。

新しく来たルーシーは、この試合の仕組みが、分かっているんだろうか?

「チームでの参加が条件だからな、久しぶりに5人揃ったんだ。俺は絶対に出場したいんだよ」

同じスクール内の人間同士、チームの入れ替えは時折起こる。

ジャンの移動前に、ここにいた人間も、別の所へ移ってしまった。

ニールはルーシーの胸に抱えられたキャンビーの頭を、わしづかみにする。

「お前用にプログラムを作ってみたんだ。今から入れるから、それで試乗してみてくれ」

一瞬、彼女の腕が強く締まって、ニールに取り上げられそうなキャンビーを守った。

だけど、ニールの強固な視線に、彼女は腕を緩め、キャンビーは誘拐されていく。

転送機に乗せられたルーシーのキャンビーは、誰かに助けを求めるかのように、目をチカチカさせた。

不安そうに腕をつかんできたルーシーに、俺は微笑む。

「大丈夫、これから君も一緒に、練習に参加するんだよ」

もう一度、ハンドリングロボの大会動画を彼女に見せる。

「ルーシー、みんな、一緒に、これを、する」

ルーシーのキャンビーに、プログラムの転送が終了した合図がなった。

「よし、競技場に行って練習だ!」

俺たちは、スクール最上階の競技場へと向かった。


第12話

ニールが秘密特訓とかで事前予約を入れておいたらしく、広大な競技場には、俺たち5人の他に誰もいなかった。

スクール構内の、いたるところに張り巡らされた搬送用トンネルから、チームの使用するロボットが運ばれてくる。

それぞれの特性に合わせてカスタマイズされた、自慢のライド型ロボットだ。

俺は自分のロボットの機体に、そっと手を添えた。

「あぁ、でもやっぱり、試合となるとワクワクしてくるよね」

「ルーシーのはこっちだ」

彼女のために用意されていたのは、初心者向けボックスタイプのロボットだった。

スクールの内部から貸し出しを受けたらしい。

ボックスの扉を開けると、一人乗り用の席があり、モニター画面と操縦用のハンドルがある。

彼女専用にカスタマイズしたものを、注文、製造するには、時間が間に合わないし、自分好みのロボットを作り上げるのは、今後の彼女自身の、楽しみでもあるはずだ。

ニールはルーシーのキャンビーを、ライドロボに繋いだ。

ルーシーは、実際のフィールドと、自分のために用意されたロボットを見て、ようやく事態を理解したらしい。

彼女はニールに出入り口の扉を開けてもらい、喜々としてそこに乗り込んだ。

「とりあえず、最初はプロモーション運転ね」

ルーシーが、シートベルトを装着した瞬間だった。

彼女を乗せたライドロボは、フィールドを一直線に舞い上がった。

「きゃあぁぁぁっっっ!」

ルーシーの悲鳴が空から響く。

全自動のジェットコースターのように、彼女を乗せた機体は高速で空中を駆け抜ける。

「ニール、いきなりやりすぎ」

泣き叫ぶルーシーを見て笑い転げるニールに、カズコは言った。

「あれで怖がって、もう乗らないって言われたら、どうするのよ」

「それでも乗ってもらうよ」

本来の操縦桿は、もはや彼女が機体から振り落とされないように、握りしめる手すりでしかなくなっている。

「ルーシー! モニター画面を見るんだ! その画面の指示通りに、手を動かしてみろ!」

「習うより慣れろなんてやり方は、彼女には合わないんじゃないの?」

ニールの隣で、俺は自分のロボットにまたがった。

機動スイッチを入れ、そこに操縦をサポートするキャンビーを繋ぐ。

「キャンビー、ルーシーの機体画面を、モニターに出して」

エンジンがかかる。

機体が軽く振動し、やがてそれも静かになる。

俺は息を取り戻した機体の、操縦桿を握った。

「発進!」

浮かび上がった俺の体に、心地よい重力の圧がかかる。

ニールの作ったプログラムに従って、空中をふらふらと飛び続ける、ルーシーの横に並んだ。

「ルーシー落ち着いて、聞こえる?」

自分の機体を彼女の機体に押しつけ、ゆっくりと横に流す。

「画面を見て、そこに写っているのと同じ操作をするんだ。いま君が乗っているそのロボットは、そういう操作をすると、そういう動きをするんだ」

彼女は、操縦桿を握り直した。

「少し、スピードを落とそう」

俺は自分の機体から、彼女の機体を操作する。

ニールが設定していた速度を、半分にまで落とした。

「これで、少しは落ち着いて画面が見られるだろ?」

彼女は操縦席でうなずく。

「大丈夫、今はニールのプログラム通りに動いていて、絶対に落下することはないから。とりあえず、そのガイドと同じように動かして」

俺は彼女の機体から離れる。

再びプログラム通りに動き出した機体に合わせて、彼女も操縦桿を操作する。

機体の動きと、彼女の操縦操作とのシンクロ率が、ようやくモニター画面に表示された。

「そうそう、上手だよルーシー」

俺はルーシーのモニター画面を見ながら、ゆっくりと彼女の機体を追尾する。

そうやってしばらく練習を続けていると、必死の形相で運転していた彼女の顔にも、こちらを振り返って、ふと微笑む程度の余裕が出てきた。

「少し、休憩しようか」

そう言うと、彼女はうなずいた。

自分の機体と彼女の機体を連動させ、ゆっくりとフィールドに降り立つ。

機体から降りたルーシーは、満足そうな顔でほっと息を吐き出した。

「どうやらニールは、ルーシーから嫌われずにすんだようね」

カズコが笑った。

「作戦のプログラムと操縦訓練の内容は、ルーシーのキャンビーに入れてあるから。じゃあ後は頼んだぞ、ヘラルド!」

そう言うと、ニールとレオンは飛び立っていってしまった。

さっそく激しい空中戦を繰り広げる彼らを見上げ、ため息をつく。

「さて、どうするかな」

先ほどのデータを見ても、機体と操縦の平均シンクロ率は28.2%。

お世辞にも、良い成績とは言えない。

「とりあえず、自分で操縦しても、墜落しないようにするしかないわよ」

カズコはルーシーの機体に乗り込むと、画面を操作し、ニールの製作したプログラムから、より一般的な初心者用操縦プログラムに切り替えた。

「まずは空中でバランスをとって、安定して浮かべるようになってからね」

俺とカズコによる、ルーシーの特訓が始まった。


第13話

それから毎日少しずつ、時間をとってルーシーの特訓に励んだ。

競技場の隅や、スクール構内の屋外広場など、機体を運べるところへ運んでいって、そこで訓練を重ねる。

ルーシーは、ライドロボの練習が、特に嫌いというわけではなさそうだった。

誘えば素直に付いてきたし、言われたことはちゃんとする。

ただし、それが上達に繋がるかどうかと言われれば、それはまた別の話だった。

自動水平装置がついているので、そう簡単にひっくり返って、振り落とされるようなことはない。

しかし、激しいバトルを繰り広げる試合会場で、彼女のような楽しいお散歩感覚でのライドでは、チームの一員というよりも、場内に浮遊する障害物でしかないような飛び方だった。

カズコと話し合って、練習のメニューもあれこれ考えた。

ルーシーには、試合のルールがよく飲み込めていないのか、それとも、誰かに勝つとか、勝負とか、そういったことが理解出来ないのか、彼女には闘争心というものが乏しい。

まぁ、この試合に勝とうが負けようが、何らかの問題が発生するわけではないから、かまわないんだけど。

カズコがため息をつく。

「ニールには見せられないわね」

「別に、ニールに見せるために、やってるんじゃないさ」

スクールの屋外で、ライドロボから樹上の鳥の巣をのぞいたりしているルーシーは、とても楽しそうだ。

俺のキャンビーが鳴った。

「ルーシーの調整はどうだ」

ニールからの通信だ。

「別に。上手くいってるよ」

「そうか、じゃあ今日の午後から、競技場で仕上がりを見せてくれ」

カズコは俺と目を合わせ、ふうと息を吐いた。

予想通り、競技場で彼女が見せた演技は、とうていニールの納得がいくものではなかった。

「まぁいいよ。どうせこんなもんだろうと思ってたしな」

ルーシーの、競技場上空を移動するゴールエリアを追いかけるだけで精一杯のライドに、ニールは特に落胆もしていないようだった。

彼は自分のパソコンを開くと、彼女の機体に搭載する新たなプログラムを転送し始めた。

「最初はカズコの子機の一部にしてやろうかと思ったんだけど、それでも負担が大きいかなーと思ってさ。だから、ヘラルドとのミラープログラムにしたんだ」

「俺と?」

「そう」

「精度はどれくらい?」

「それはお前に任す。上手く使えよ」

ニールはパソコンを閉じると、自分の機体に乗り込む。

「15分後には、全体練習な」

俺は渋々、自分の機体に乗り込んだ。

機体の整備や調整も、この大会の楽しみの一つではある。

だけど、もう何年もかけて培ってきた、俺のクセを学習し尽くした、愛機とも言えるこのライドロボを、ルーシーのために改造し直そうなんて、そんな気はさすがに起こらない。

「いいや、それはそれで、また考えよう」

俺は彼女の機体の支配率を、とりあえず30%に設定した。

後はやってみてからだ。

もうずっと、俺たちは長いあいだ組んできたチームだ。作戦なんて、言われなくても分かる。

俺はこの、ニールの作ったミラープログラムを使って、ルーシーの機体を操ればいい。

「ルーシー!」

俺は自分のハンドリングロボにまたがると、ふわふわと飛んでいた彼女の元に向かった。

「今から俺と君はコンビだ。フォーメーションの練習をしよう」

彼女はまず、スピードに慣れないといけない。

俺はルーシーの機体の位置と、自分の機体との位置の、バランスをとりながら飛んだ。

「ついてきて」

スピードを上げる。ミラープログラムになっているから、彼女が自分で操作しなくても、30%のシンクロ率で、俺の動きと一致する。

ルーシーは突然、引っ張られるような動きをした自分の機体に、驚いたようだった。

「落ち着いて。俺がちょっとだけ、君のライドロボを操ってるんだ。アームのボタンは分かるよね、ロボットの、アームを出して」

まずは自分の機体から、アームを出して見せる。

ぐるぐると空中を不規則に旋回しながら、ルーシーもアームを出した。

「じゃあ、ボールを投げるよ。それを受け取ったら、すぐにこっちにパスして」

ゆっくり、少しずつ。

それから徐々に、機体の間隔を広げ、スピードも上げていく。

このクラッシュボール専用のハンドリングロボには、キャッチセンサーがついているので、本戦並の、よほど乱暴なパスでもないかぎり、ロボットがボールを取り損なうことはない。

だいぶ操作に慣れてきたルーシーに、俺は声をかけた。

「じゃあ、今度はそのボールを俺にぶつけてみて、キャッチされずに、うまくぶつけられたら、今日の練習はそこでお終いだ」

彼女に身振り手振りと、動画を送って説明をする。

ルーシーが、気合いの入った顔で大きくうなずいた。

「じゃ、スタート!」

強めに投げたボールを、それでも彼女は上手くキャッチした。

俺は少し考えて、シンクロ率を15%にまで下げる。

これならほぼ、彼女の操作が主体の動きになるだろう。

飛んでくるボールを受け取って、ワザと乱暴に返す。

上手く受け取れないこともあったけど、動きはほぼ完璧だ。

「そろそろ本気出すよ」

機体のスピードをあげる。

投げ返すボールのコースを、ワザと外す。

操作が、より煩雑になった。

急上昇からの急降下、ポイントセンサーの性能を生かして、どれだけ正確にボールを発射できるか、腕の見せどころだ。

彼女の投げたボールが、俺の機体をかすめた。

「はは、危ない。もうちょっとだね」

機体をぐるりと一回転させて、真横に飛んだ。

「ほら、もうちょっとだ!」

彼女の機体も速度を上げる。

とたんに、ルーシーの機体は速度を落とした。

コントロールを失い、安全装置が作動したのか、ふらふらと下降し、ついには着地してしまった。

「どうした?」

俺はすぐに、彼女の横に降りた。

それが悔しくてたまらないらしいルーシーは、半泣きで動かなくなった機体の操作を、ガチャガチャと繰り返している。

「おかしいな、故障?」

異変に気づいたニールたちも、駆け寄ってくる。

「機体の整備は、完璧なはずなんだけど」

その場で簡易検査をしてみたけれども、特に機体にもプログラムにも、問題は見つからなかった。

「ルーシー、何かへんなとこ触った?」

ニールの問いかけに、彼女は首を横に振る。

「そんなちょっとやそっとじゃ、壊れるもんじゃないんだけどな」

「まぁ、仕方ないよ。機体の整備はニールとレオンに任せた。俺はルーシーと一緒に、フォーメーションの確認をしておくよ」

俺はフィールドのサイドにルーシーと並んで座ると、彼女にきちんとしたルールの説明と、俺たちの攻撃パターンの説明を始めた。

その後、改めて調整された彼女の機体は、問題なく再起動し、俺たちは試合当日まで練習を続けた。


第14話

そうやって迎えた本番、定期的に開かれる校内の対抗戦とあって、ギャラリーの数はさほど多くはない。

だけど、参加者とトーナメント戦の順位によって、自分の成績に加点されるとあって、出場チームのやる気は本物だ。

「お前らが出るって聞いてな、審判役になってやったよ」

ジャンがチームの様子を見に来る。

今回の出場チームは、6チーム。

参加登録して本戦に出場するだけでも、加点があるからありがたい。

ジャンの視線は、自然とルーシーに向かう。

「コイツも乗れるようになったのか?」

「まぁね、楽しみに見ててよ」

俺がそう言うと、彼は笑った。

「せいぜい、泣かせないようにしろよ」

チームの出場は2戦目、カズコとニールは対戦相手になるかもしれないチームの戦力分析と戦略を、熱心に語り合っている。

「ルーシーは、困ったらヘラルドに機体の操縦を任せるんだよ」

レオンは最後に、彼女にそう声をかける。

「たぶん、すぐにヘラルドが操ってるってバレるだろうけど、そしたらルーシーに意地悪してくることも、少なくなるから」

レオンの言葉を、どれだけ理解しているのかは分からないが、彼女は緊張した面持ちで、力強くうなずいた。

試合終了のホイッスル。

荒れたフィールドが、新しいものと入れ替わる。

「よし、スタンバイだ」

俺たちは、定位置についた。

前衛にニールとレオン、後衛に俺とルーシーがいて、最後尾に司令塔としてのカズコがいる。

相手チームは攻撃に3機、守備に2機の配置だ。

無理もない、ルーシーがほとんど役に立たないであろうことは、相手側にも容易に想像できる。

攻撃により多くの配分を与える方が、今戦は有利だ。

試合開始のホイッスルが鳴った。

フィールドに得点源となるクラッシュボールが現れた瞬間、ニールとレオンの機体が動く。

すぐに、相手の攻撃機を一体ずつ封じ込めた。

そこをすり抜けた相手チームの1体が、フィールド上に置かれたボールへ向かう。

カズコの機体から遊離した子機5体のうちの1体が、先にボールをつかんで浮き上がった。

しかし、機動力の高い、人間のライドしていない子機での得点は認められていない。

ボールをつかんだカズコの子機は、30秒以内に誰かにパスしなければ、クラッシュボールが爆発する。

「ルーシー!」

相手チームからノーマークのルーシーに、ボールが渡った。

彼女がそれを受け取った瞬間、俺はシンクロ率を95%にまで引き上げる。

まっすぐに動くゴールエリアへと向かう彼女の機体を、俺は正確にサポートする。

相手チームの隙をついて、先ず1ポイントを稼いだ。

「やった!」

嬉しそうな彼女の顔に、俺はシンクロ率を引き下げる。

ここからが本番だ。

ニールとレオンは、ゴールエリアの動きに合わせて、得点しやすいポジションを確保するよう、相手の攻撃をかわしながらその位置を保っている。

カズコは子機を駆使し、ボールを拾って、その時々で得点しやすいポジションにいる仲間に、パスを渡す役割だ。

俺は空いている空間に割り込み、パワーで劣る子機からのパスを、ニールたちに繋ぐ。

子機からのパスを受け取った俺は、ボールサインをチェックする。

それは赤の点灯からの点滅を始めていた。

最初につかまれてからの20秒を迎え、残り5秒の合図だ。

それを俺は、相手チームの機体に向かって投げつける。

パスカットに入ろうと、レオンとの間で邪魔をしていた相手機が、さっと身を引いた。

クラッシュボールは爆発し、レオンの機体に衝撃を与える。

「レオン、ごめん!」

「悪い、俺もちゃんと見てなかった」

フィールド中央に現れた新たなボールを、最初につかんだのは相手チームの機体だった。

ゴールエリアまでのルートを確保すべく、相手チームの機体が、俺たちの動きを封じにかかる。

ルーシーは全体の早い流れに、やはりついていけずにいた。

どう動いていいのか分からない彼女の機体が、ふらふらと宙をさまよう。

2体に挟まれて動けない俺は、ルーシーの機体を動かした。

カズコの子機が、ゴールエリアの守備にまわる。

相手チームがゴールへ向かって投げたボールを、カズコは上手くたたき落とした。

青のボールが、黄色に変わる。

残り20秒の合図だ。

こぼれ落ちたボールをとりに、ニールの機体が走る。

俺は直ぐさま、ルーシーの機体がニールの邪魔にならないよう、ゴールエリアから遠ざける。

その瞬間、彼女の機体がぐらりと傾いた。

「あれ、どうした?」

俺は、ルーシーの機体の出力をあげた。

全力で上空に舞い上がるはずのそれは、指示を全く受け付けず、ふらふらと失速する。

ボールを取りに走ったニールの機体と、ルーシーの機体が激しく接触した。

その瞬間に、相手側にボールが奪われる。

コントロールを失った機体は、ニールを巻き込んで地に落ちた。

このゲームに、試合の中断など存在しない。

ゴールを決められたその瞬間、クラッシュボールは爆発し、次のボールが現れる。

墜落した2機に注意を奪われている間に、再びゴールを決められた。

「ルーシー!」

ニールの怒鳴り声が、会場に渦巻く歓声の合間に聞こえる。

「ニール、早く機体に戻れ!」

マイクから聞こえるレオンの呼びかけに、彼は自分の機体を立て直した。

すぐに上空に舞い上がる。

俺はカズコの子機のサポートを受けながら、ゴールエリアを守るのに必死だ。

レオンの機体が応援に駆けつけた時には、さらに1点が追加された。

ニューボール出現位置に、カズコの子機が控えていた。

現れると同時につかんで、飛び上がる。

相手機からのマークを振り切ったニールに、パスがまわった。

俺についていた相手の機体が、ニールへ向かう。

俺はルーシーとの機体のシンクロ率を、100%にあげた。

「ルーシー! そのまま何もしないで、座ってて!」

操縦席で混乱していたルーシーが、大人しく操縦桿を握った。

そのタイミングで、急上昇させる。

ニールの開発したミラープログラムを使って、ゴールエリアを起点に、点対称な動きをさせるよう設定した。

ニールのパスが、ルーシーに渡る。

俺はそれを動かして、カズコの子機にパスを出し、カズコはそれをレオンに送った。

残り20秒、こちらの攻撃態勢が、ようやく整った。


第15話

ニールの機体が相手機の間を縫うように、高速でフィールドを駆け抜ける。

ゴールエリアに向かった彼を追いかけるように、ボールを持ったレオンはカズコの子機にパスを回しながら、ニールの切り開いた道を進んだ。

俺は頭の中で、自分の位置とルーシーの位置を把握、計算しながら、相手機の進路を妨害する。

ルーシーの機体が、相手機と接触した。

シンクロ率を80%に下げ、こちらの衝撃を軽減する。

「ルーシー! 機体のバランスはこっちに任せて、相手機からの体当たり攻撃は避けて!」

彼女は、操縦桿を握り直した。

レオンからのパスボールを、ニールが受け取る。

そのまま、ルーシーが盾になっている軌道を、ニールは駆け抜けようとしていた。

相手機の動きが、そこへ集中する。

シンクロ率80%のままで、俺が彼女の機体を動かした、その時だった。

一瞬、上昇したかと思われた機体は、ガクンと傾き、再び失速を始めた。

急に下降し始めた機体は、再度ニールと激しく衝突する。

機体の一部が破壊され、コントロールを失った彼のアームから、ボールがこぼれ落ちた。

相手チームに、ゴールを決められる。

試合終了のホイッスルが鳴った。

完敗だ。

「ルーシー!」

フィールドに不時着した彼女に、ニールが詰めよる。

「どういう運転の仕方してんだよ!」

すっかり怯えたような目で、彼女はニールを見上げ縮こまる。

「やめろニール! ルーシーは初めての試合じゃないか」

機体から降りたレオンが、駆け寄った。

ニールはルーシーに対して、ずっと何かをわめき倒しているが、その一割も彼女には理解できていないだろう。

「ほら、落ち着けって!」

肩に置かれたレオンの手を、ニールは振り払った。

「ニール! ルーシーに文句を言うのは間違ってる、彼女の機体を操縦していたのは、ヘラルドだ」

俺とカズコも、すぐに駆け寄った。

「急にルーシーの機体が失速したんだ、コントロール不能だよ、練習の時と同じ現象だ。プログラムや機体の整備に、問題はなかったんだろ?」

「お前は、俺が悪いって言ってんのか!」

ニールの矛先が、俺に向かう。

「違う、俺は怒ってるんじゃない、質問しているんだ。機体制御のプログラムや、整備に問題はなかったんだろ?」

彼はヘッドホンを、地面に叩きつけた。

「じゃあどうしていきなりルーシーの機体がおかしくなるんだよ、お前がちゃんと2機分操縦するって宣言したんだぞ!」

「あぁ、当然じゃないか、俺はそう言ったよ。だけど、それが上手くいかなかったんだ」

「それがおかしいって言ってんだ!」

警告音がなった。

試合が終了したら、速やかにフィールドから退却しなければならない。

ニールとルーシーの機体は、接触の衝撃から、自走が困難になっていた。

「あーあ、長年連れ添った俺の機体が……」

回収ロボによって、拾い集められた部品と共に、俺たちはフィールドの外に出される。

すぐに次の試合が始まった。

トーナメント形式の今回の試合で、俺たちの出番はもうない。

「ヘラルド! ルーシーのコントロールが効かなくなったって、どういことだよ」

「だから、何度もそう言ってるじゃないか」

「俺のプログラムにも、機体整備にも問題は絶対にない!」

「だけど、コントロール不能になったのは事実だ」

「それがおかしいって言ってんだろ!」

俺はつい、ため息をもらす。

こうなったら、しばらくニールの興奮状態は続く。

「ニール、俺たちはよく頑張った。努力もしたさ、それが結果に繋がらなかったのは残念だったけど、いつでもハプニングというものはつきもので……」

「俺はそんな言い分けを聞きたいんじゃない!」

「5人チームでの出場が難しいのは、分かってたじゃないか、だったらどうして、3対3の試合に出なかったんだ? それなら十分、勝算はあっただろ」

ニールは、ふっと意地の悪い笑みを浮かべた。

「やっぱり、お前もルーシーが邪魔だと思ってたんじゃないか」

ここで彼の口車に乗ってはいけない。

それは分かっている。

だけど、俺自身の感情をコントロールすることも、この状況下では難しい。

「そんなこと、いつ俺が言った?」

俺は努めて冷静に、抑揚のない話し方をする。

「最初っから無理なんだったら、無理って言えばよかっただろ、2機分の操縦は難しいって! だっから、ルーシーのプログラムを、最初っから自走式にすればよかったんだ」

「お前が勝手に決めたんだろ、俺にやれって!」

「ちゃんと出来るって、言ったじゃないか!」

俺は、次の言葉を飲み込む。

確かにそう言った。

確かにそうは言ったが、機体が勝手に失速したんだ。

それは、誰が作ったプログラムのせいだ?

「出来ないなら、素直に言えって、『俺は出来ませんでした』って」

「もういいじゃない、二人とも。早く帰りましょ。終わった話よ」

カズコは、ルーシーの肩を抱き寄せながらそう言った。

そうだ、彼女のことを忘れていた。

カズコは、怯えたような彼女をつれて出て行く。

「だけどさ、ヘラルドの言う通りだよ、機体に問題はなかったのに、何かがおかしいって。ちゃんと調べた方がいいかも」

レオンが彼女の機体を振り返った。

「スクールに置いてある、誰でも使える初心者用ノーマルタイプの練習機に、なにがあるってんだ」

ニールは、彼女の機体を蹴飛ばした。

「俺は! ちゃんと出来るように色々と考えてやってたんだよ!」

「そうだよ、ニールはちゃんと考えてた」

こういう時、俺が口をはさむより、レオンの方が上手くやれる。

「だから、ちゃんと練習通りにやれてればよかったんだよな、そうだよね、ヘラルド」

俺は、その問いかけにはあえて答えなかったし、答える必要もないと思った。

そもそも、怒りの矛先が俺に向いている以上、当事者である俺はあまり出て行かないほうがいい。

「もっと、細かい調整が出来てればよかったよな」

レオンは、何度も小さくうなずいて、彼をなぐさめる。

「なにが悪かった?」

「時間が足りなかった、練習時間が」

レオンはニールの肩に手を置くと、彼の破壊された機体のところへ無理矢理連れて行った。

ニールはまだ怒っていたけど、自分の機体の修理を始めている。

俺はため息をついた。

胸の鼓動が早い、心拍数が上がっている。

俺は今、興奮しているんだ。

落ち着こうと考え直して、自分の機体に入れられたニールのミラープログラムをチェックする。

だけど、画面に並んだ無数の文字列を、俺は集中して見ているようで見えていなかった。

こんなんだから、俺が、チームが、仲間が。

だから成人出来るかどうか、俺は不安になるんだ。

こいつらとは、絶対に同じになんか、されたくない。

試合終了のホイッスルが鳴る。

いつの間にか決勝戦まで進んでいた試合は、華々しい最後を迎えていた。

両チームの選手が互いに固い握手をして、健闘をたたえ合い別れる。

優勝したチームは、とても大人びて、仲がよさそうに見えた。

「惜しかったな」

ニールのプログラムをチェックするフリをして、ただ画面に流していたら、ジャンがやってきた。

「これだけの短い時間で、よく準備できたな、試合に出れただけでもすごいじゃないか」

「だけど、それじゃダメなんだ」

悪いのは俺じゃない。

俺はちゃんと操縦してた。

失速には、何らかの原因があるはずだし、そもそも、ルーシーがいると分かって、無理矢理試合にエントリーして俺たちを巻き込む方が間違ってる。

ジャンは、俺の隣にしゃがみ込んだ。

「あはは、お前らまた喧嘩してすねてんのか」

「すねてないよ」

ジャンは笑う。

俺はそのせいで、また気分を悪くする。

「仲良くやれよ、チームなんだ。俺は今でもこのチームから抜かれた意味を、時々考えるよ」

俺はそうは思わない。

正直、ジャンの特異なリーダーシップに、ついていこうとする人間の気持ちが分からない。

きっとキャンプベースの中央管理システムは、彼のそんな欠点を、どこかで修正させようとしているんだろう。

彼自身が、それに気がつかないだけで。

ジャンが立ち上がった。

「あいつらの所にも行ってくる」

彼は、言い争いを始めたニールとレオンの元へ向かった。

ジャンと一緒にいた頃は、何も考えなくてよかった。

めんどうなことやもめ事も、全部ジャンが解決してくれたし、彼の言うことに従っていればよかった。

楽だった。

ジャンは、俺のところに来た時と同じように、笑いながらニールとレオンの間に割って入る。

がはがは笑いながら、あっという間に仲裁してしまった。

二人は、ジャンに何か機体の整備の説明をしている。

だからダメなんだ。

俺は、あんな風にはなれない。

流していただけのプログラム画面を閉じ、俺もフィールドを後にした。


第16話

翌日、チームの部屋に入ると、ニールが一人で作業をしていた。

誰かが来る前に、一番に来ようと思っていたのに。

ニールはあれからずっと、ミラープログラムのチェックを続けていたのだろうか。

ここには泊まろうと思えば、泊まれるだけの設備はある。

俺はそんな彼を横目に見ながら、結局なんの声もかけずに、自分の席についた。

やがてレオンやカズコもやって来て、いつも通りの朝が始まる。

俺の背中で、レオンの軽やかな笑い声が転げていた。

扉が開いて、ルーシーも現れる。

彼女は一番に、ニールのところへ向かった。

「お、お……、おは、おはよう!」

呆れた顔で見上げるニールに、彼女はにこっと微笑む。

彼の反応を待たずして、彼女はレオンの所へ向かった。

「おはよう!」

「おはよう」

レオンはそんな彼女に、にこやかに返事を返す。

俺のところにも来た。

「おはよう!」

「おはよう」

俺は、いつもの調子を出せるように、慎重に返事を返す。

落ち着いた、抑揚のない、普段通りの、平常な挨拶の仕方だ。

ニールはそれを見て、チッと舌をならして背を向けた。

彼女は気にせず、カズコのところに向かう。

二人は穏やかに挨拶を交わして、カズコはいつものように、今日一日の予定をルーシーに説明し始めた。

空気が、いつもより重たく感じた。

ニールがどうでもいいことでキレるのは、いつものことだし、レオンの楽天家は天性のものだ。

たかがクラッシュボールの勝ち負け程度で、俺はなにをこんなにも、こだわっているんだろう。

ニールの、コーヒーをすする音が聞こえる。

奴はきっと、自分のプログラムに不備があったと認め、誤作動の原因を探しているのだろう。

素直にそう認めればいいのに、俺はそんなことで怒ったり腹を立てたりしないって、そんな当たり前のことも、まだ分からないんだろうか。

俺は立ち上がった。

ダメだ、今日はもう、ここにずっといられる気分じゃない。

昨日のことを、まだ気にしているのは俺だけだって、分かっている。

だからこそ、俺が出て行くんだ。

立ち上がり、部屋を去ろうとした俺に、ニールが言った。

「お前のキャンビー、一瞬だけ貸して」

俺は黙って、ニールにキャンビーを投げる。

彼はそのコピーをとる。

「他のところは見ないから」

俺は自分のキャンビーをその場に残して、部屋を出た。

スクールには、実に様々なタイプの人間が在籍している。

アスリート、リジェネレイティブ、スタンダード、性別、年齢、人種を問わず、未成人とされる人間を集めて、成人と呼ばれるにふさわしい人間になることが、ここの目的だ。

俺たちはずっと、産まれた時からここにいる。

早く抜け出してしまいたい気持ちと、成人すればなにが待っているのか、不安な気持ちとが入り交じる。

俺たちは成人したら、キャンプベースの役員になるのか、それとも、この島の住人たちのように、何も考えずただ素直に生き、人生を謳歌していればいいのか、その選択肢は自由だった。

何となく歩いて、スクールの出入り口まで来ていた。

俺はこのまま自宅と呼ばれる場所に帰りたいのか、それともどこかに行きたいのか、それすら分からない。

だけど、ここままここに留まりたくない気持ちの方が勝って、結局外に出た。

ゆっくりと歩き出す。

チームの仲間、スクールの人間とは、ほぼ全員が幼なじみで、ずっと同じ地域でずっと同じ環境でずっと一緒に過ごしている。

俺がこうやって一人でイラついて、すぐ外に飛び出すのも、彼らにしたらいつものことだ。

俺がこの先どこに向かおうとしているのかも、ある程度パターン化されていて、それすらも周知の事実なのが、よけいに腹が立つ。

どこにも逃げられない。

だけど、誰もが分かってくれる。

ここは、そんなところだった。

俺は、いつもの川岸にたどり着いた。

この辺りは、全くの手つかずの自然がそのまま残っている。

残っていると言うよりは、手のつけようがなくて、放置された場所だ。

かつてこのあたりは、標高の高い山岳部だった。

そこが海面の上昇によって土地が狭まり、島のようになってしまった。

山と山の稜線の間、谷底を大きな川が流れている。

くり返される暴風雨の影響で、背の高い木は一本も成育出来ない、草地が広がる原野に、巨大な排水溝としての、川だ。

嵐によって溢れ出た水は、すべてここに集められ海へと流される。

ハイテク環境で守られた街も、一歩外に出れば、全てがこんな風景だった。

結局人間は、圧倒的な力を持つ自然の一部として、その運命から逃れることは出来ないのかもしれない。

機械の街と荒れ果てた土地、俺たちは、どこまでいってもこの荒れた側の一部でしかないんだ。

「立ち入り禁止区域です。すぐに退去して下さい」

監視ロボが俺を見つけて、つきまとう。

「ここは、大災害に巻き込まれるおそれがあるため、立ち入り禁止区域に指定されています。すぐに退去してください」

カメラで、俺の姿形をスキャンしている。

顔も撮影したから、間もなく生体認証で身元が割れる。

キャンビーを連れていないから、少し時間がかかっているのだろう。

避難用の小型車両が、がたがたと坂道を登ってきた。

俺の目の前で止まると、扉が開く。

どこに行っても、どこまで行っても、いつまでも何かがついて回るのは、生きている限り仕方がないのかもしれないな。

この車に乗ってスクールに戻されるまでが、俺に与えられた一人でいられる唯一の時間になる。

中に乗り込んだら、すぐにモニター画面が光った。

「ルーシーが心配してるわよ」

カズコからのそっけないメッセージに、俺はつい笑ってしまう。

このまま帰れば、いつものように皆が俺に気を使って、レオンが無邪気に話しかけて来て、しぶしぶ俺がその相手をして、それで何となくまた皆と話すようになって、お終いだ。

そんなもんだと分かっているし、それしか解決策がないものなんだろうと、自分では思っている。

何かを変えるには、大きなパワーが必要だ。

車窓の風景が、荒涼とした原野から、統一された規格でデザインされた街並みに変わっていく。

この小さな世界の中で、俺はどうやって生きていくのだろう。

車はようやく、舗装された道路に乗っかったようだ。

滑らかにスピードを上げて走り出す。

スクールに戻ったら、ニールと話し合おう。

対立するんじゃない、もっと前向きに、ちゃんと話し合えば、俺たちはわかり合えるはずだ。

今までもずっとそうしてきた。

これからも、それは可能なんだ。

スクールに戻った俺は、まっすぐにチームの部屋へ向かった。

部屋に戻ると、ルーシーが搭乗していた機体と、壊れたニールの機体とが、運び込まれていた。

ニールは一心不乱に、パソコン画面にかじりついている。

「ただいま」

物々しい部屋の雰囲気に、俺はカズコに声をかけた。

「どうしたんだ?」

カズコは腕と足を組み、イライラしながらニールを見ている。

「思うように、ならないんですって」

いつもなら、こういう場面で機嫌を取りに行くレオンですら、背を向けて見て見ぬふりだ。

「ニール」

彼の所へ、一歩踏み出した時だった。

強い警告音が流れる。

「くっそ、なんだよこれ!」

彼は立ち上がると、ふいに自分の座っていた椅子を持ちあげた。

「どうした?」

「管理システムに、俺のアカウントがロックされた!」

それを、自分のパソコンに向かって思いっきり投げつける。

 ガシャン!

大きな音がして、警告音がさらにボルテージをあげた。

「ニール、何をやってる! そんなことをしたって、意味ないだろ!」

俺は駆け寄り、その肩に手を置いた。

その瞬間、ニールの拳が、左頬を強打する。

カズコの悲鳴があがり、レオンが俺とニールの間に立ちふさがった。

「やめろって!」

ニールは、そんなレオンを押しのける。

転がった椅子を持ちあげ、何度もパソコン本体に打ち付けた。

「何をやってんだ!」

「俺の、俺のデータが消去されてる! 今ここで止めないと、全データ削除だ!」

砕けたモニター画面の破片が、周囲に飛び散る。

「後でメモリーをとりだして復旧させれば、何とかなるかもしれない!」

「そのデータ復旧のためにパソコンに繋いだら、そこでまた削除されるんじゃないのか?」

「なんでキャンプベースの管理システムが、俺のアカウント削除だなんて措置を……」

ぐにゃりと曲がった椅子が、俺の脇腹に投げつけられた。

「ニール!」

止めに入ったレオンを殴りつけ、足で蹴り暴行を加える。

無抵抗なレオンは、ぐったりとしてその場に倒れた。

「やめろ! リジェネだからって、レオンは殴っていい相手じゃない!」

俺がニールの背中を引くと、彼の暴走した感情が、再び俺に向けられた。

腹を強打され、意識が遠のく。

警報を聞きつけた警備ロボが、部屋に駆けつけた。

「ニール、中央管理システムへの不正アクセス回数、警告累積にて、スクール内規23条の5によって、反省を求める」

機械から発せられる、機械的な音声が部屋に響いた。

数体の警備ロボが、俺たち3人を取り囲む。

一体のロボットカメラが、現在の状況をデータ解析する。

「『暴行現場』を確認しました。当事者全員の確保を行います」


第17話

ロボットから伸びた巨大なアームが、俺の腰を覆った。

別のロボたちは、ニールとレオンに向かう。

レオンはニールをかばって、その前に立ちふさがった。

「監視カメラによる情報解析の結果、ヘラルドは無関係と判断されました」

腰のベルトがほどかれた。

「レオン、一旦ニールのそばから離れるんだ!」

大人しく判定を受ければいい、そうすれば、レオンはすぐに釈放される。

ニールは、更正プログラムを受ければ、また元通りだ。

「誰が大人しく捕まるもんかよ、もうこんな、機械に判定される毎日はこりごりだ」

ニールは、隠し持っていた強制終了棒を取りだした。

レオンの背中を押しのける。

警棒がロボットに向かって振り下ろされた。

「大人しくしてろ、そうすれば、すぐに済む話じゃないか!」

警棒をサッとよけたロボットに、レオンは自ら体をぶつけていく。

危険を察知したロボットは、レオンとの衝突を回避するため、動作を緊急停止させた。

別のロボットが、レオンの体を背中から包み込む。

内側にクッションが施された安全拘束帯が、彼の動きを封じる。

そのロボットに向かって、ニールは警棒を振りかざした。ジャンが飛び込んで来る。

「やめろ!」

間に合わない。

レオンの体ごと打ち付けられた警棒は、強力な電流を発した。ジャンは、ニールの警棒をたたき落とす。

「落ち着け」

その一瞬の隙をついて、ロボットアームがニールに伸びた。

ニールが捕まる! 

そう思った瞬間、そこに、ルーシーが飛び込んだ。

両腕を大きく広げ、彼を守ろうとしたルーシーに、ニールを捕らえようとしていたロボットはガクンと体を震わせ、動きを止める。

「とにかく、一旦落ち着け!」

ジャンの恫喝に、その場にいた人間の全員が大人しくなる。

ジャンは部屋の様子を見渡した。

「ニール!」

「キャンプベースの中央管理システムが、俺たちのプログラムに干渉してきて……」

警備ロボがニールを取り押さえた。

応援に駆けつけた他のロボたちが、室内を埋め尽くす。

こうなると、もうジャンがいくら警棒を振りかざして暴れようとも、どうすることも出来ない。

ニールはそのまま捕らえられ、連行されていった。

怪我をしたレオンを確保したまま、機能を停止していたロボットは、別の保安警備ロボによって、アームを解除される。

レオンは救護ロボによって助け起こされると、そのまま半強制的に車いすに追いやられ、運ばれていった。

このロボットたちの動きは、中央のキャンプベースによってプログラムされた管理態勢であり、それに逆らうことは許されない。

こうやって画一的に治安を保つことが、人間の感情や腐敗、偏見などの偏りを排した、ここでの『原則』なんだ。

感情ではなく徹底したルールの適用を厳格かつ公平に。

それが、俺たちが隕石衝突後の世界で作り上げた、新しい世界のルールだ。

ジャンは、ニールを詰め込んだ搬送車を見送った。

「何が俺たちをこうさせたんだ、なにが悪い?」

自分の思い通りにならないことは、確かに『悪い』ことかもしれない。

だけど、その『思い通り』の向く矛先を、間違ってはいけない。

それがこのロボットたちの、新しい俺たちのこの世界の、人工知能にプログラミングされた行動原則だ。

「ジャン!」

彼は部屋を出て行った。

彼の怒りは、プログラミングされたロボットたちにとって、何らかの影響を与える判定材料とはなり得ない。

カズコは、震えているルーシーを抱きしめた。

彼女は、声を抑えて泣いていた。

そんな彼女を、カズコはじっとのぞき込む。

「どうしたのルーシー、何を泣いているの?」

カズコがそう優しく声をかけても、彼女は反応を返さない。

「ルーシー、こんなことに、君はわざわざ涙を流す必要はない。レオンの無罪は間違いなく判定されるだろうし、ニールには新たな行動選択のための、価値基準が必要なだけだ」

それを更正と呼び、ニールはこれを学ばなければならない。

「ニールに必要なのは、学習だ」

彼女は涙でぐしゃぐしゃになった顔を、激しく横に振った。

「正しさは証明され、不正は修正される。間違いは直さなくてはいけないし、直れば元通りだ」

俺たちがそう何度説明しても、それでもルーシーは泣き止むことはなかった。

俺はカズコと目を合わせ、ため息をこぼす。

彼女にはそれが理解出来ない。

これ以上に上手い説明の仕方が、俺には分からなかった。


第18話

その日、スクールの前は、ちょっとした騒動になっていた。

キャンプベースの大型の輸送車が3台と、その周囲を小型の機動ロボ複数体が取り囲む。

車から降りてきたのは、鍛え上げられた筋肉を持つ、くせのある金髪の男だった。

登録された使用者にしか反応しない、2mを越すヒューマノイド型の大型機動ロボを連れている。

コイツらは『偉い人』だ。

チームの使用する部屋に入って、ようやくあの大がかりな集団の謎が解けた。

キャンプベースの、スクールへの定期訪問だ。

ニールたちが搬送されてから、数日が経過していた。

「あんな大げさな視察って、今までにあったっけ?」

俺がそう言うと、カズコは自分のレポートを書きながら答えた。

「少なくとも、私がここに来てからはないわ。最近色々あったから、じゃない?」

確かに、ごちゃごちゃとした小さないざこざは、以前から絶えなかったが、ここ最近のは大がかりなものがいくつかあった。

単にスクールに所属する人間同士の衝突じゃない、管理システムへの挑戦だ。

そのおかげで、今ここにニールとレオンがいない。

校内の定点カメラをチェックする。

彼らご一行は、施設の外周を回り始めたばかりだ。

来ている人間は、黒髪の目の細い男と、金髪の美女、さっき見た筋肉質な男の3人。

以前にも見たことのある風景、ルーシーが海岸に漂着した時と、全く同じメンバーだ。

「基地の現役役員さんも、大変だね」

俺は、深く息を吐き出す。

このエリアで起こった大事件のおかげで、地区を管轄する人間は、判断を機械任せだけに出来なくなった。

部屋の扉が開く。

真っ先に飛び込んで来たのは、長い金髪の女性だった。

「ルーシー!」

ルーシーにとっては予想外の訪問だったらしく、彼女はそのまま女性の首に飛びついた。

「ルーシー、元気にしてた? あなたが嵐に巻き込まれたって聞いた時は、本当に心配したのよ」

ルーシーは彼女の頬に手を当て、額を合わせる。

「ルーシーの無事はちゃんと確認したってのに、会いたい会いたいの一点張りでさ、結局イヴァのわがままに、ヴォウェンが押し切られちまったな」

そう言った金髪の男にも、ルーシーは飛びついた。

「あら、でもディーノだって、会いたかったでしょ?」

ディーノと呼ばれた男は、ルーシーを子犬のように抱き上げる。

「あぁ、会いたかったよ、お嬢ちゃん」

そのまま腕に腰掛けさせるような格好で、軽々とルーシーを抱き上げた。

体つきといい、間違いなくアスリート種の血が入っている。

ルーシーがこんなにもはしゃいでいる姿を、俺は初めて見たかもしれない。

「このスクールに、きちんとした視察が長く入っていなかっただけのことだ。何か特別に恣意的な実状があったわけではない」

「だってよ、お嬢ちゃん。ヴォウェンに感謝しな」

ディーノはルーシーをそっと床に下ろした。

彼女はヴォウェンと呼ばれた男の前に立つ。

「ここにはなじめたようだな、ルーシー」

彼が手を差し出すと、ルーシーは嬉しそうにその手を握り返した。

この男のことは覚えている。

嵐の後、外出禁止命令を無視して外に飛び出したジャンの、制裁を解いた男だ。

「ヴォウェンも、ルーシーにはメロメロだな」

ディーノとイヴァが笑った。

ヴォウェンと呼ばれた男は、顔色一つ変えずにそれらの言葉を受け流す。

「学習の進行状況が遅れている。ルーシー、まともにスクールの受講もしていないじゃないか。何に行き詰まっている、何が問題だ」

そう言った彼に向かって、ルーシーはそっとささやいた。

「ヴォウェン、すき、だいじょうぶ」

彼女は、一生懸命に身振り手振りを加えて、何かを彼に伝えようとしていた。

「がくしゅう、する。やる」

ヴォウェンはその言葉に背筋を伸ばすと、腕を組み、大きく一つだけうなずいた

。イヴァがルーシーに駆け寄る。

「すごいじゃない、ルーシー! いつの間に、そんなにしゃべれるようになったの?」

彼女は得意げな顔をちらりと見せる。

ヴォウェンの満足げな様子に、ディーノは大声で笑った。

ルーシーはイヴァとディーノに促され、自分のひどく散らかったブースに二人を連れて行く。

そこで二人から、彼女の言葉の発達を促すような声かけを受け、それに応えるように、会話にならない会話を続けている。

俺はそんな様子を見守る、ヴォウェンに声をかけた。

「あ、あの、一つお伺いしてもいいですか?」

彼の視線がこちらに向いたことに、俺は恐る恐る続ける。

「どうしてルーシーは、このチームの配属に決まったのですか?」

「キャンプベースの中央管理システムが決定した」

俺はその答えに、一瞬だけ息を止める。

「キャンプベースのAIが決めた。それだけだ」

彼はそう言うと、一歩だけ前に踏み出した。

「時間だ。そろそろ他も見て回らないと」

「じゃあ、ルーシーも一緒に行こうぜ。それくらいならいいだろ?」

「すきにしろ」

ヴォウェンが先に部屋を出て行く。

ディーノに手を引かれて、幼い子供のようなルーシーが、一緒に出て行ってしまった。

「じゃ、少しだけルーシーを借りていくわね」

イヴァも急いで後を追う。

3人と1人が出て行って、俺はようやく、聞かなければいけなかったもう一つのことを思い出した。

「ニールとレオンの処分は、どうなったのかしら」

カズコがぼそりとつぶやいた。

「まぁ、私にはあまり関係ない話だけど。長引くなら、早く次のチームメートを送ってくれないと困るのよね。コミュニケーション課題の、チームワークが進まないわ」

ジャンの累積警告を取り消す権限を持った人たちだ。

ニールやレオンに関する処分の決定権も、経過も知っているはずだ。

それも聞いておこうと、部屋を飛び出し、追いかけようとした俺に、カズコは言った。

「どうしたのヘラルド、自分のことじゃないのに、そんなに気にするなんて、珍しいわね」

そっとうつむきながら、彼女は背を向ける。

そんな彼女を後にして、俺はルーシーたちの後を追った。

登録されている使用者の指示がない限り、絶対に動かないし、基本的に安全無害だと分かっていても、高い戦闘能力を持つ機動ロボの存在は、圧倒的な威圧感がある。

そんなロボットたちと、中央管理システムを超越する権限を持つ、キャンプベースの役員たちに囲まれて、ルーシーは上機嫌だった。

他のスクール生達は、このイレギュラーな視察団に、恐れをなしている。

彼らを見かけた人間は、背を向けるか、賞賛と憧れの眼差しを向けるかの、どちらかだ。

行列の最後尾に付いた俺は、どのタイミングで声をかけようかと、その機会をうかがっていた。

「先日は特別な配慮をしていただき、ありがとうございました」

そこに現れたのは、ジャンだった。

「厳格なルール適用で運営されている、キャンプベースにしては、異例の措置だったのではないのですか?」

その言葉に、ヴォウェンが立ち止まる。

「君の発揮するリーダーシップは、評価しているつもりだ。ただ、そのコントロールに問題がある。上に立とうとするならば、より一層の自己管理能力が必要だ」

ヴォウェンは、退屈そうに首を左右に傾ける。

「どうも君は、それが苦手なようだ」

「例外が認められるなら、システムによる画一的な自動判定なんか、必要ないでしょう」

「効率の問題だよ、公平性と時間短縮、利便性、誰にも納得のいく、文句のつけようのない判断だ」

ヴォウェンは本当に飽き飽きしたように、ため息をついた。

「それでもシステムで判定出来ない膨大な事例を、我々は毎日処理している。そういうことは、スクールで君は習わなかったのかな?」

ジャンはたった1人で、機動ロボに囲まれている。

キャンプベースから成人判定され、スクールを卒業した『大人』たちが見下ろす前に立つ。

「思い通りにならない世の中というのは、自分が自分の思い通りになっていないだけだ。人類は、生物としての本能に従って生きるのではなく、人間としての倫理と哲学に従って生きると決意した」

ヴォウェンは、ジャンの真横を通り抜けた。

彼らにとっては、聞き飽きた質問に答え飽きた返答かもしれないが、俺たちにとっては、これが初めての質問だ。

このまま、彼らがスクールを去ってしまったら、次にいつ見られるのかも、分からない。

「ニールは! レオンと、ニールは今、どこでどうしているんですか?」

俺は、その背中に向かって叫ぶ。

ヴォウェンはちらりとこちらを振り返っただけで、それ以上の反応は返してくれない。

「『いつも通り』、の、処分だ、分かるだろ?」

ディーノが俺の肩に手を置いた。

しかしそれは、すぐにそこを離れてしまう。

「俺は反対したんだよ、ルーシーを助けたことと、外出禁止を破ったことは、別に考えるべきだって。だけど君は、その特別ルールに、助けられたんじゃないか」

ジャンの隣を、ディーノも通り過ぎてゆく。

ジャンは、奥歯を噛みしめた。

「ルーシーをよろしくね」

イヴァはこちらを振り返って、にっこり微笑み手を振ってから、背を向ける。

「君たちも、早くここを卒業して『大人』になりなさい」

最後にディーノがそう言って、視察団はスクールを後にした。


第19話

そらから数日が過ぎた頃だった。

突然、レオンがチームに戻ってきた。

俺は何と声をかけていいのかも分からず、何事もなかったかのように、いつものように自分のブースに戻った、彼の背中を見送った。

それはカズコも同じで、俺たちはこんな時に、人間に対してどう接していいのかが、全く分からなくなってしまう。

レオンにはレオン自身の気持ちもあるだろうし、触れて欲しくないかもしれないし、もしかしたら、自分で話すタイミングを計っているのかもしれない。

そんな彼の気持ちを、俺たちは決して知りようがないのだ。

彼の感情を推測するアプリケーションは、「やや緊張気味」とだけ表示されていて、そんな事はアプリに頼らなくても、俺にだって分かる。

カズコも同じような視線で、彼を見ていた。

遅れて部屋にやって来たルーシーが、レオンを見つけた。

彼女はレオンを見つけたとたん、迷わず彼に飛びつく。

「レオン! レオン!」

背中や肩をバシバシと叩き、大喜びではしゃぎまくるルーシーに、彼は照れたように笑った。

「うん、ただいまルーシー」

彼女は一言も「お帰り」だなんて言っていないのに、彼にはどうしてそれが通じたんだろう。

だけど、俺にも彼女がそう言っているような、そんな気がしたのは確かだ。

ルーシーが彼に飛びついてくれたおかげで、俺たちも彼に近づくきっかけを得られる。

「どうしてたの?」

カズコはレオンに尋ねた。

だけどそんな事は、本当はわざわざ聞かなくたって、カズコにも分かっている。

レオンはキャンプベースの保護施設に入って、更生プログラムを受けていただけだ。

「キャンプの、プログラムを受けてた」

彼は、照れくさそうにそう言った。

俺は彼のそばに立つ。

ちらりと見上げて、肩をすくめた彼は、なぜそれで満足げな顔をしているのだろう。

教室に、ジャンが飛び込んで来た。

「レオン、お前は帰ってこれたのか! ニールはどうなった?」

そう言われれば、ジャンだけがこうやって、他の人間に対する気遣いを持っているような気がする。

それがきっと、彼の持つリーダーシップとかカリスマ性とか言われるものなんだろう。

レオンは急にモジモジと小さくなって、言葉を濁した。

「もしかしたら、転校になるかもしれないって」

部屋の空気が、一気に凍りついた。

転校になるということは、今より格下のスクールに入れられるということだ。

より一層厳しい管理下におかれ、受ける課題もハードなものになる。

それは、この世界に生きる人間としての、資質を問われているということだ。

「なんでそうなるんだ、だったら俺も同罪だろ!」

ジャンが叫ぶ。

「ジャンに警告がつくレベルと、ニールについた今回の警告だと、ポイントに違いがあるんだよ」

「どう違うっていうんだ!」

それは、キャンプベース中央管理システムのAIが決めることであって、俺たちが決めることじゃない。

「また機械の自動判定か!」

「だけど、その基準を作ったのは、俺たち人間であって、大人たちだ。AIはそれに従っているだけなんだから、そこに文句を言うのは間違っている」

「その規準がおかしいと思ったことはないのか? どうして俺はその規準に反して許されて、あいつは許されないんだ」

ジャンが許された規準は、明確にされている。長年蓄積されてきたヒトの行動パターンから、将来の危険性を予測したデータに、彼が反していないからだ。

だけどニールは……。

「ジャン、今ここで君がどれだけ怒ったって、感情に出したって、何も変わらないのは分かってるじゃないか。大切なのは、ちゃんとしたルールの上で戦うことだ。俺たちは、それを今、学んでるんだ」

扉が開いた。現れたのはニールだった。

「ニール!」

みんなの視線が、一斉に彼に駆け寄る。

「よかったじゃないか、無事に帰ってこれたんだな!」

「あんまり、めでたくはないけどな」

彼の後ろには、俺やルーシーが使っているのと同じ、汎用型球状のキャンビーが付き添っていた。

「おまけつきだ」

新しいニールのキャンビーが、くるくるとカメラを回して俺たちを画像認証をしている。ジャンは、それでも収まらなかった。

「こんなものをつけられるくらいなら、転校した方がマシだ!」

ジャンは強制終了棒を取りだし、それを振り上げた。

「何やってんだ!」

俺はキャンビーをかばって、とっさにそれを受け止める。

腕に鈍い痛みが響く。

「ジャンがそれを壊したら、ジャンだけじゃなくて、ニールにまで迷惑がかかるんだぞ!」

「ニールは、コイツにつきまとわれてて、いいのかよ」

ジャンがふり向いたら、彼はにやりと笑った。

「ほしくないよね」

ジャンが再び、棒を振り上げる。

「やめろ!」

危険を察知したニールのキャンビーが、ふわりと回避行動をとった。

俺はその前に立ちふさがる。

「どけ!」

ジャンは俺を押しのけ、突き飛ばされた俺は、ニールにぶつかった。

とたんにキャンビーが警告音を発する。

「落ち着いて行動して下さい。この現場は、キャンプベース中央管理システムによって、監視されています」

警報を受けて、部屋にはすぐに保安警備ロボが駆けつけた。

ニールは、ジャンに突き飛ばされた俺の下敷きになっている。

「すぐにそこから離れて下さい」

俺を助け起こそうとした警備ロボから、補助アームが下りて来た。

「だめ!」

そのアームに、ルーシーが飛びつく。

「定点カメラによる、状況分析のかいしを……」

ロボットが、緊急停止した。

彼女はきっと、俺がロボットに捕まり、連れて行かれるとでも思ったのだろう。

だが、今回は違う。

このロボットは、俺を助けようとしていたんだ。

「ルーシー、大丈夫だよ、このロボットは敵じゃない」

俺は、そこから立ち上がった。

その瞬間、ジャンの強制終了棒が、警備ロボに振り下ろされる。

身動き一つせず棒に触れたロボットは、電圧を吸収されて動きを止めた。

「ジャン!」

おかしい。

このロボットたちは、いつもと様子が違う。

いつもこいつら相手におもちゃにしてふざけている、その時と何かが違う。

異常を察知したロボットたちが、部屋に押し寄せた。

両手を広げ、立ちふさがったルーシーに、彼らは動作を停止する。

ロボットたちの動きがおかしい。

そう俺が気づくのと同時に、ジャンの眉がピクリとあがった。

「ルーシー、こっちへ来てみろ」

彼は、彼女の腕をつかむと、強く引いた。

ニールの周りで飛んでいるキャンビーを捕まえると、それをルーシーに近づける。

キャンプベースから更正対象者用に付属された、特殊なキャンビーが、その機能を停止した。


第20話

「なんだこれ? そんなことで、コイツらが動きを止めるのか?」

ニールは、動かなくなったキャンビーの残骸を受け取った。

「完全に機能を停止している」

キャンビーは破壊されたわけではない、一時的に、機能を全停止させたのだ。

「ルーシーは特別ってわけか?」

ニールが、彼女の腕をつかんだ。

ルーシーの手を、パソコンのキーボードに叩きつける。

そのコンピューターシステムは、押されたキーをランダムに写し出すのではなく、静かに動作を停止した。

「おもしれー、コイツが何か失敗しても大丈夫なように、最初っから自動停止する機能がプログラムされてやがる」

ニールが、ルーシーを見下ろした。

「わかったぞ! だからハンドリングロボのライド補助プログラムが、上手く作動しなかったんだ。俺がそれを補正しようと、ルーシーの機体の基本プログラムを書き換えようとして、全部弾かれたのは、このせいだったんだ」

ルーシーは、ニールの顔を見上げた。

「どうりで、あんな大げさな視察が来るわけだよ。たかだか一人の人間ために、ずいぶんと大胆な改変をしたもんだ」

ニールは、ルーシーの肩を抱き寄せた。

「待て、彼女をどうするつもりだ」

「えぇ? こんな便利な道具、初めて見たよ。俺が簡単に許されたのも、コイツがらみだったからなのかなぁ」

ニールが笑った。

「彼女を返せ!」

「イヤだね、こんな面白いキラープログラム、いつお前のものになった?」

彼は、ジャンと視線を合わせる。

「ジャン、これはチャンスだ、変化だよ」

「そいつがか?」

ジャンが、ルーシーを見下ろす。

ルーシーの名前は、かつて発掘された古代猿人の、遺骨につけられた名前からとったと聞いた。

「あぁ、そうだよ。この無意味な循環から、抜け出せるかもしれない」

彼は、不敵な笑みを浮かべた。

「中央管理システムのプログラムに沿って育てられた人間が、どういう育ち方をしたのか、今からキャンプベースの奴らに、教えてやるよ」

ニールが、ジャンの肩を叩く。

彼を見上げたまま、小さくうなずく。

ジャンの目がそれに応えるようにして、動いた。

ジャンは、歩き出した。

乱立したまま、微動だにしない警備ロボたちの間を、するすると簡単に通り抜けてゆく。

その後を、ルーシーをつかんだままのニールが歩き出す。

「ルーシー!」

彼女が振り返った。

スクールの警備ロボたちは、動こうとしない。

ルーシーを引き連れたまま、彼らは行ってしまった。

異変を察知して現れたロボットたちは、ルーシーの姿を見つけると、すぐに動作を一時停止させる。

彼女に危害を加えないようにという本部の配慮だったのか、ジャンたちは、そんなロボットたちを、いとも簡単に破壊し続けた。

本当に、このまま行ってしまうのか。

俺は、直ぐさま自分のキャンビーを作動させた。

「キャンプベースに緊急連絡! ルーシーが連れ去られた!」

「キャンプベースに緊急連絡、ルーシーが連れ去られた、と、連絡しました」

キャンビーの目のような表示ランプが、緑から赤に変わった。

この色は、キャンプベースの成人が解除しなければ元には戻らないし、解除されない限り緊急信号を発し続ける。

「ルーシーを助けに行こう!」

その言葉に、カズコとレオンはちょっと驚いたような顔をした。

「え? なんで?」

レオンは眉をしかめ、カズコは首をかしける。

「キャンプには連絡したよね」

キャンビーの目は、赤く点滅をくり返していた。

「いくらジャンだって、ルーシーを傷つけるようなことはしないと思うけど」

彼女は自分の席に戻った。

乱立する動かない警備ロボたちを横目に、腰掛けた椅子を机に引き寄せる。

「それに、もし何かあったとしても、どうせルーシーの遺伝情報はとってあるんだから、問題ないわ」

カズコは、自分のパソコンを起動させる。

「そんなことより、早く自分の課題を済ませないと、終了期日までに間に合わないの」

レオンは自分の得意としている、造形のための粘土をこね始めている。

「一緒にルーシーを取り戻そう、このままだと、大変なことになってしまう」

「大変なことって、具体的にどんなこと?」

具体的? 具体的に、何がどう大変になるんだろう。

「自分に説明できないことなんて、他人には決して理解されないわ」

カズコの、キーボードを叩く軽快な音が響く。

「私たちはここで、そういう訓練を受けて大人になるのよ。一時の感情に流されてはいけないって」

「安全を確認しました」

部屋にいたロボットたちが、動き始めた。

彼らはそれぞれの巡回ルートに戻っていく。

気がつけば、俺のキャンビーの目も、赤から緑に変わっている。

遠隔操作で、キャンプベース本部が確認した合図だ。

ジャンたちによって破壊されたロボットだけが、そこに取り残されている。

俺が今、やらないといけないことはなんだろう。

それはきっと、冷静になって考えないといけないことだ。

「だったら、いいよ」

俺は、ルーシーの後を追って部屋を飛び出した。

廊下には道しるべのように、点々と動かないロボットたちが並んでいる。

俺はそれを辿ってゆく。

彼らはスクール最上階、開閉式ドームの競技場へ向かっているようだった。

「ヘラルド、なにがあった? どうしたの?」

騒ぎを知ったスクールの人間が、次々に声をかけてくる。

面白がってジャンに合流しようとする者と、話を聞いただけで満足する者とが、半々だった。

「ルーシー!」

上階へ上がる通路、その俺の目の前で、シャッターが下りた。

先に進めるのは、ここまでが限界だった。


第21話

どの経路からの緊急警報によって駆けつけたのか、間もなくスクールを管轄する成人のチームが現れた。

複数の機動隊ロボが、スクールの施設周辺を取り囲む。

内部のシステムは多くが破壊されていて、外部からの遠隔操作もできず、定点カメラの操作も出来なくなっていた。

ジャンの仲間たちだけが、残された一部のシステムを操作している。

「個人で警報を送って来たのは、お前か」

ディーノは、俺に向かってそう言った。

黙ってうなずく。

イヴァは誰かと連絡を取り合っていて、ヴォウェンの姿は見えなかった。

「そうか、ありがとな。後は俺たちで処理するから、お前はもう帰っていいぞ」

彼がそう言うと、付き従う2体のヒューマノイド型の機動ロボが、変形を始める。

蜘蛛のような形に変化したそれらは、もの凄いスピードで廊下を走り去って行った。

俺たちに、関わるなということだ。

「あたしも行くわよ」

イヴァが追いかけて来て、ディーノの横に並ぶ。

「私のルーシーに何かあったら、許さないんだからね」

スクールの中では、避難誘導が始まっていた。

中にいた人間たちは、次々と外に追いやられている。

「あなたも早く、避難しなさい」

彼女の声を合図に、恐ろしく高性能の機動ロボが、俺と彼らの間に立ちふさがった。

「すぐにここから、退避してください」

その機械の声に、俺は足を止める。

この先は、俺の関わっていい場面ではない。

それぞれのシチュエーションによって、それぞれの役割というものがあって、いま俺に出来ることは何もない。

ディーノとイヴァの背中はやがて小さくなり、廊下の角に消えた。

「すぐにここから、退避してください」

この機動ロボに、俺が何かを訴えても、このセリフ以上の返答はなく、そこを無理矢理突破することは不可能だった。

俺は、機械のように体を反転させた。

カズコたちの言う通りだった。

俺に出来ることは何もない。

俺よりもずっと優秀でずっと経験豊富な、専門の人間に任せておけばそれでいいんだ。

俺はジャンにはかなわないし、ジャンやニールにしたって、俺相手じゃ素直に話を聞いてくれるとも思えない。

たとえルーシーを彼らから助け出したとして、そのあとのことはどうすればいいんだろう。

ジャンに謝る? それもおかしな話だ。

スクールに居つづけるためには、彼らとの摩擦を避けなければいけない。

だとすれば、スクールを管轄する彼らに任せるのが、やっぱり最適なんだ。

ルーシーは、必ず助けられるだろう。

あの人たちは、そういう人たちだ。

スクールの外に出た。

相変わらず曇の多い空を見上げる。

立ち止まった俺を、同じ場所から出てきた奴らが、次々と追い越していく。

さぁ、俺も、大人しく自分の定位置に戻ろう。

歩き始めた俺の前に、カズコとレオンの姿が見えた。

「おかえり、ヘラルド」

カズコはそう言った。

「スクールの課題は、自宅のパソコンから接続が可能になるそうよ」

レオンも静かに微笑む。

「わざわざ集められる口実がなくなって、ある意味ラクになったな」

彼の手がポンと俺の肩に乗って、俺たちは歩き出した。

「どっか、飯でも一緒に食って帰ろうぜ」

爆音と共に、スクールの一部から黒煙が上がった。

その煙はすぐに白煙に変わり、やがて消えていく。

スクールの消火機能は、ちゃんと動いている。

あの中で、あの小さな警備ロボットたちは、一生懸命動いているのだろう。

それらを全部動かしているのは、キャンプベースから来たあの3人だ。

俺の足が、オートマチックにスクールへ向かった。

「ヘラルド! ダメよ!」

カズコが叫ぶ。

俺は入り口の重い扉を体でこじ開けると、中へ入った。

スクール内部の灯りは、全て消えていた。

電気系統が独立している非常灯だけが、辺りを照らしている。

「キャンビー、ライト!」

俺の走る廊下の先が照らされた。

ジャンたちは、最上階へ向かったはずだ。

そこへ行く抜け道は、必ずどこかにあるはず。

俺は記憶の片隅を探っていた。

俺がここに来た時は、まだ5歳程度の子どもだった。

保育ルームで一緒に育った俺たちは、ここの内部の状態なら、誰よりもよく知っている。

俺はスクールの幼児ルームに向かった。

やっぱり、だ。

小さな子供たちはすでに退避して無人だったが、施設の内部はどこも無傷な状態だった。

壁際のスイッチに手を当てる。

手動で灯りが点灯した。


第22話

ここは、ジャンやニールと長い時間を過ごしたところだ。

いたずらがすぎた俺たちは、よくここから抜け出して、「より大きな子ども」たちがいる場所をこっそりながめていた。

大きくなったら、進級テストに合格したら、早く俺たちもあの仲間に入るんだ。

俺は、秘密の抜け道のあった場所を覚えていた。

ここを通り抜けるような奴は、後にも先にもお前らだけだといって、当時の人間の保育スタッフも呆れていた。

今となっては、その時の人間がどんなふうに記録をとったかは分からない。

それを検索して確かめることは可能だけれども、今あえてそんなことをする必要はない。

その時の記録はキャンプに残されたかもしれないが、今このタイミングで、10年近く前の、膨大な記録情報の中から、たった一度きりの出来事を検索条件に入れるような、ファクターをたたき出す人工知能はいない!

保育ルームは、俺の記憶から何一つ変わっていなかった。

わずかな記憶に残る秘密の入り口の前に立つ。

なんでもない保育ルームの一角。

ここで嗅覚を育てるためのにおい当てクイズがされていた。

サンプルを置き、部屋ににおいを充満させ、それをまた屋外に排出する。

その小さな通風口を通って、人間のほぼ立ち入ることのないスクールの屋上、開閉式ドームの格納庫に入れた。

俺たちはその格子のように規則的に並んだ骨組みを渡りあるいて、上からこっそり上級生たち様子をながめていたんだ。

小さな格子枠を外す。

キャンビーを先に行かせて、俺はその後をたどった。

あの時の記憶が、コイツの中にも残っているのだろうか。

突然、強い衝撃が建物に走った。

またどこかで爆発が起きている。

あいつらは、この建物ごと破壊してしまうつもりか?

ドームの骨組みに足をかける。

そのタイミングで、屋根が動き始めた。

「ドームが閉まる! キャンビー、逃げるぞ!」

すぐにキャンビーは、脱出口を計算し始めた。

ここの構造は、俺のキャンビーの中に、しっかり入っている。

「避難口を発見しました」

ゆっくりと動き始めた骨組みをふらふら移動しながら、俺はキャンビーの後を追う。

キャンビーは徐々に下降し始めた。

必死で追いかける俺の視界に、『点検口』の表示灯が見える。

あそこだ。

気をとられた瞬間、俺は足を滑らせ、腹を思いっきり支柱をぶつけた。

そのまま支柱の上を体が滑る。

なんとかつかんだ柱に手をかけた時には、ドーム開閉の動作を確認する作業台から、ずいぶん下まで落ちてしまった。

キャンビーが慌てて追いかけてくる。

見上げる出口が遠くなる。

俺は、慎重によじ登る骨組みを選んだ。

ドームの屋根が閉まろうとしている。

その動きに合わせて、俺は点検口に一番近づけるであろう骨に、移動していった。

今だ!

自分の跳躍力を信じるしかなかった。

飛び移ったその先で、辛うじて片手が点検口の柵に引っかかる。

足を持ちあげ、なんとかそこによじ登った。

大きな息を吐く。

「さぁ、行こう」

人が一人通れるか通れないかの、細く急な階段を降りていく。

行き着いた扉の先は、どこに繋がっているんだろう。

キャンビーで内部地図を確認する。

シャッターで区切られてしまった、立ち入り禁止ラインは越えたようだ。

俺はそっと扉を開けて、廊下に出る。

真っ暗な廊下には、文字通り人っ子一人いなかった。

だがここで、機動ロボに見つかれば、俺自身もどうなるか分からない。

暗闇のなかを、ゆっくりと歩き出した。

最上階の競技場へ繋がる道は、4箇所ある。

きっとどこも、ふさがれているだろう。

通風口なんてのも、きっと塞がれているんだろうな。

そもそも、開閉式のドームで直接外と繋がっているところに、そんなものが必要として設計されているのかも怪しかった。

「キャンビー、通風口の配管って、分かる?」

「通風口の配管を調べています」

キャンビーの画面に設計図が映し出され、それをチェックしてみる。

今の俺には、それくらいのことしか思いつかない。

「ここの幅と高さはどれくらい?」

「この設計図の、幅と高さを調べています」

遠くで、かすかなモーター音が聞こえた。

はっと気がついて顔を上げた時には、もう遅い。

一体の機動ロボが、高速でこちらに近づいてくる。見つかった!

「行くぞ、キャンビー!」

無駄だと分かっていても、走る。

だけど、スクールの内部構造をダウンロードした機体の方がずっと賢くて、気がつけば廊下の行き止まりに追い込まれていた。

振り返る。

「退避命令が出ています。速やかに避難して下さい」

目の前で、蜘蛛型から人型に変形しながら、機動ロボが俺に向かって発音する。

「動かないで下さい。安全に移動させます」

白く細長い、顔のようなパーツ。

実際は、流体力学に基づく単なる風よけにすぎない。

4本指のアームが、伸びてくる。

これから逃れようとするなら、こいつらの高速で動くジョイントモーターとの勝負だ。

俺がわずかに体を動かすと、それに合わせてアームの動きも微妙に変化した。

「動かないで下さい。安全に移動させます」

とは言われても、時には暴れたおす凶悪犯罪者の確保に使われるようなロボットだ。

どうやって逃げよう。

細くて繊細かつ高出力なアームが伸びる。

「キャンビー!」

俺が叫ぶと、キャンビーはすぐに近寄ってくる。

いまだ! 

俺と機動ロボの間に入ったキャンビーを盾にすると、俺は身をかがめてその横をすり抜けようとした。

「動かないで下さい。安全に移動させます」

機動ロボのアームが、背後から腰にとりついた。

そのままつかみあげられた俺は、回転したアームによって、体が天井に向けられる。

「降ろせ!」

「動かないで下さい。安全に移動させます」

暴れて落ちても怪我をしないように、床からの高さが50cmを保たれている。

暴れてやろうにも、アームの内側に張られた強靱なクッションにしっかりと挟まれて、手足だけが空しく宙を切る。

「退避します」

俺をつかんだままの機動ロボが、ぐるりと体を回転させた。


第23話

「ヘラルド!」

その俺の目の前に現れたのは、カズコとレオンだった。

「どうした、なにやってんだお前。迷ったのか?」

「探してたのよ」

カズコもそんなことを言う。

「……、あぁ、俺も、お前らを探してたんだ」

2人の前には、スクールの警備ロボがいた。

「一緒に、避難するか?」

レオンのその声に、俺は自分をつかんでいる機動ロボを見上げた。

「降ろして、みんなと一緒に、避難する」

機動ロボの内部で、何かがチカチカと光っていた。

それと呼応するように、警備ロボの表示ランプも点滅する。

「すみやかに避難してください」

ゆっくりとアームが動いて、俺は丁寧に床に降ろされた。

「ありがとう」

そう言うと、機動ロボは通常移動型に体を変形させた。

そのままゆっくりと、巡回警備に戻る。

俺は、レオンに顔を向けた。

「どうやってやったんだ?」

「ふん、チートツールってのはな、こういう時に使うんだよ」

警備ロボの後ろには、有線のコントローラが繋がっていて、操作をしていたのはレオンだった。

「これで、ジャンのところまで行けるのか?」

「そんなところまで行こうとは、思ってないね」

カズコまでにやりと笑う。

俺たちは、ゆっくりと歩き出した。

薄暗い廊下を、警備ロボの灯りを頼りに進んで行く。

「どこにいくつもりだ」

「ジャンたちがルーシーを使って、スクールの全機能を停止させてしまったんだ」

「どういうこと?」

「管理ルームが完全に機能停止している。全てを手動で操作しないといけない状態なんだ」

俺たちは、暗い廊下を歩いていく。

見慣れた場所だから恐怖は感じないが、灯りがないというだけで、建物の中はこんなに暗くなるんだな。

頭で考えるのと、リアルに体験するのとでは、脳に刻まれる記憶の深度が違う。

「それでも、電源だけは確保されていて、中のロボットたちも動けるし、まぁ、乗り込んできたキャンプベースの大人たちにとっても、そこはお互いに譲れないところだよね」

扉の前に立った。

レオンの説明の通り、いつもなら自動で開く扉が開かない。

彼は警備ロボのコントローラをカズコに渡すと、ロボットの側面から小さなバールのようなものをとりだした。

それを、両開きの扉と扉の間にあるわずかな隙間に引っかける。

彼が力を込めてバールを傾けると、そこにわずかな隙間が出来た。

カズコが有線の警備ロボを操作する。

その隙間にアームを差し込むと、彼らは物理的な力業で扉をこじ開けた。

「こうやって全部の扉を通って来たの?」

「そうよ、これだからアナログって嫌いよ」

リードで繋がれた犬を連れて歩くように、カズコは部屋に入っていった。

そこは、屋内プールの管理ルームだった。

「なんで、ここ?」

レオンの説明にあった通り、すでにネットワークは切断され、管理設備は一切作動していない。

「ジャンたちは、最上階の競技場に陣取ってるわ」

「まぁ、あそこは元々、エリートアスリート種のたまり場みたいなもんだったから」

同じアスリート種の奴らが集まって、さかんにスポーツが行われていた。

「そう、彼らの作るサークルのブースには、何でもあったのよ」

そう言われれば、確かにそうだ。

ロッカールームにシャワールーム、簡単な治療が受けられる保健室に、マッサージルームまである。

「そして、栄養管理のための食堂もね」

「籠城するつもりなのかな?」

「たぶんね」

俺がカズコと話している間、レオンはずっと部屋の中で何かを探していた。

「それにはもちろん、キャンプベースの人たちも気づいたの。屋根の上からドローンを飛ばして、物資を調達することも可能だった」

「それで屋根が閉められたのか」

「ドームの屋根に登ったの?」

「昔を思い出したんだ」

レオンは笑って、カズコは呆れた顔をした。

「あはは、懐かしいな!」

「ホント懲りないわね、あなたたちって」

「だけど、それなら継続した籠城は難しくなった」

「そうね、そして水道設備も止められたわ」

「じゃあ、一日ももたないじゃないか」

「サークルルームや、食堂に残っている備蓄量を考慮しても、それほど長くはないでしょうね」

レオンが、何かを見つけてその扉を開けた。

「あった!」

「だから、私たちはその止められた輸送経路を通って、競技場まで行くの」

レオンは手にしたバールで、床板をはがした。

そこには、構内に張り巡らされた内部流通トンネルの一部があった。

「これに乗って行けば、競技場までいけるはずよ」

「だけど、どうやって?」

レオンは、警備ロボを輸送板のハンドルに繋ぐ。

「ここの動力も停止させられているの、本当は外から侵入すれば、もっといろいろ持ち込めたのかもしれないけどね」

「そうよ、いきなりスクールに駆け込んでいくなんて、いくらなんでも頭悪すぎ。ヘラルドも、もうちょっと考えなさいよ」

カズコはツンとすました目で、いたずらに俺を見上げる。

「こういうことを学ぶために、私たちはスクールに通っているのよ」

「あぁ、それはどうも、すみませんでしたね」

足元の搬送台が、ぐらりと動いた。

「で、どうするんだよ」



第24話

「ここのトンネルは、パズルみたいに全体が複雑な動きをして、指定されたものを目的地まで運んでいるんだ」

レオンは、輸送トンネルの複雑な路線図を、警備ロボのモニターに写し出す。

「だけど、ここの動力も止められているから、非常脱出用の歯車を回して動かすんだ。この警備ロボの動力だけで動かせるのは、自分たちが乗っている一枚の板だけ。本来なら他の板が連動して動き、通路をあけてくれるんだけど、それをしてもらえないから、途中で何度も乗り換えなくちゃいけない」

「便利なものも、時には面倒くさいわね」

レオンは天井となった床板を閉めた。

暗闇が世界を支配する。

警備ロボのつけた灯りが、真っ直ぐに行く先を照らした。

「さ、見つからないうちに、ジャンのところへ行こう」

俺たちを乗せた輸送板が、動き出した。

そうやって俺たちは、いくつかの板を乗り換え、時には外に出て場所を移動し、はしごを上り下り、トンネルの中を歩いて、少しずつジャンたちのいる所へ近づいて行った。

最後の輸送トンネルは、何もかも思い通りにはいかなくて、俺たちは通路に下りて、長い距離を歩かなければいけなかった。

折れそうに細いはしごを登り、手の平は錆びた金属のにおいがして、すっかりごわついている。

「多分この辺りでいいはずなんだけど」

レオンがつぶやく。

見上げた壁には、確かにどこかの搬送口のようなかっこうの扉が見える。

だけど、輸送台に乗っていない俺たちには、その扉はこじ開けるには高すぎて手が届かない。

本来なら、ここからこの板が上昇して、搬入口まで上がる構造だ。

「どうするのよ」

「キャンビー」

俺は自分のキャンビーを呼び寄せると、扉の周囲を調べさせた。

そこはツルリとした段違いの三枚扉構造で、大型の搬入物の多い競技場ならではの大きな扉だった。

「どうやって開けるのよ」

カズコがその場にしゃがみ込み、レオンがため息をつく。

「最後の最後で、出られなくなったな」

内側から開けられるようなボタンもハンドルも、バールを引っかけるような隙間も見つからなかった。

「これ、案外押せば簡単に開くんじゃない?」

古い記憶が蘇る。

俺たちはあの通気口で、ドームの裏側で、このスクールは、つねに多彩な秘密基地を提供してくれていた。

俺たちの隠れ家は、いつだって俺たちを守ってくれていたはずだ。

キャンビーを扉にぶつける。

それはからくり仕掛けの簡単な動力で、すーっとその口を開いた。

「やった!」

警備ロボの上に乗っかって、背を伸ばせるたけ伸ばして、レオンが搬入口によじ登った。

俺はカズコを肩車して立ち上がる。

「重っもい!」

「だからロボットの上でいいって言ったじゃない!」

レオンが彼女の手を引いて、肩の上に立ち上がる。

そのまま引き上げられたカズコは、ぷりぷりに怒っていた。

「そんな怒んなよ、せっかくここまで来たのに」

俺も警備ロボを踏み台にしてよじ登る。

彼女がこんなに怒った顔を見るのも、そういえば子どもの時以来のような気がする。

「ここ、どこだろ?」

どこかのバックヤードらしき部屋だった。

部屋の中には、梱包された大型の荷物が乱立している。

出入り口らしき扉を見つけて、外にでた。

「トレーニングルームの裏だ!」

レオンが叫んだ。

「やったぞ!」

手を取り合って喜ぶ。

俺たちは、整然と並んだマシンの間を駆け抜けた。

「ジャンとニールの所へ行こう!」

誰もいない廊下を駆け抜け、大競技場への入り口へ向かう。

「ジャン! ニール!」

駆け上がった階段は、観客席の二階だった。

目の前に、緑が広がるトラック。

そこに、数十人の人間が集まっていた。

「おまえら!」

階段を一気に駆け下り、仲間の輪に飛び込んだ。

ジャンの手が、俺の肩を強く叩く。

「よく来たな!」

「『よく来たな』じゃねーよ」

俺は他のメンバーから歓迎されなからも、言いたいことを言っておく。

「全く、気に入らないことがあると、すぐに立てこもろうとするのは、悪いくせだぞ」

ジャンは、にやりと笑った。

「まぁ、退屈しのぎにちょうどいいだろ?」

「ガキの頃みたいだ」

「まぁ、その続きみたいなもんだろ」

彼は笑った。

振り返ると、ニールはスクールの警備ロボたちをたくさん集めて、その中身を改造しているようだった。

「あいつもやりたい放題だな」

「いま話しかけると、邪魔すんなって絶対怒りだすから、やめとけよ」

ジャンも昔と変わらない、いたずらな笑顔を浮かべる。

ニールは何を考えて、何をやっているんだろうか。

その具体的な詳細は分からなくても、何をしようとしているのかは分かる。

「で、これからどうするんだよ」

「それを考えるのが、お前の役目だろ?」

ジャンがいつものように、にやりと笑った。

「そのために、来たんじゃなかったのか?」

俺はふーっと、ため息をつく。

そう、全くその通りだ。

バカバカしい、くだらない、なんて思いながらも、完璧に見透かされてる。

俺が俺でいられるのは、この仲間とこの場所があってこそ、だ。

じゃないと、何をしていいのかも、何を考えていいのかも分からない。

これは、習性みたいなもんだ。わくわくしている自分が楽しい。

少し離れた所に座って、全体を見渡す。

今ここに残されている施設の性能とロボットの数、動く人間の数と……。

「ヘラルド!」

ひょっこりと顔を現したのは、ルーシーだった。

「ルーシー! 驚いただろ? 平気だった?」

彼女は恥ずかしそうにして、くすっと笑った。

「大丈夫、みんな、優しい」

彼女は、俺のすぐ隣に腰を下ろす。

「そうか、君が怖がってないんだったら、よかったんだけど」

ルーシーは嬉しそうに、首を横に振った。

「ずっとこのスクールで、生まれた時から一緒に育ってきた仲間なんだ。誰が何を考えて、どうしようとしているのかなんて、言われなくても分かるんだよ」

ルーシーは、にこにこと座っている。

「だから、本当はみんな、君が来てくれて、うれしかったんだ」

俺は、なんの話をしているんだろう。

自分でも意味が分からなくて、恥ずかしさに赤くなる。

「大丈夫、本部から来たあの人たちだって、同じような環境で育ってきた仲間なんだ。誰かを傷つけようだなんて、そんなことを思ってるわけじゃない」

ルーシーがうなずく。

「だから、安心してて」

彼女の手が伸びて、俺の手をつかんだ。

肌から伝わるその触感に、びっくりする。

ルーシーはにっこりと微笑んだ。

俺はその手をどうしていいのか分からなくて、そのまま1ミリも動かさないように、細心の注意を払う。

彼女は体温を持ったその手を、そっと放した。

「大人しーく、そこから出てきなさぁーい」

突然、ディーノの声が競技場に響く。



第25話

「あー今なら、寛大な処分が待ってるぞー」

ディーノの声はのんびりとしていて、横で何かの作業をしながら、ついでに話しているような雰囲気だった。

「早くー、出てきなさーい」

キュルキュルという、マイクノイズが響く。

この人たちにしても、本当にやる気があるんだろうか。

「あー、今からー、正門入り口を開けるー。大人しくー床に伏せとけよー」

拡声器のスイッチが切れた。

俺たちが集まっている場所から、予告された正門まで200mはある。

自動で動くことが許されなくなっていた扉が、音を立ててゆっくりと開き始めた。

徐々に広がっていく視界の向こうに、機動ロボ数体に囲まれた、ディーノとイヴァの姿がある。

やる気の全くなさ気なディーノに比べて、彼女は真面目だ。

「大人しく床に伏せなさい!」

イヴァが、手にしていた銃口を上に向ける。

あれは、多分鎮静弾。

「ルーシー! こっちに来て!」

機動ロボが、一斉に真横に広がった。

俺たちの間には、何もない緑の芝生が広がっている。

ゆっくりと歩き出した彼女の後ろから、手袋をしながら歩くディーノが続く。

「ルーシー、こっちに来なさい」

彼女の呼びかけに、ルーシーは激しく首を横に振った。

「どうしたのルーシー、あなたを助けに来たのよ?」

ルーシーの両手が、俺の腕にしがみついた。

それを見たイヴァは、眉間にしわをよせ、歩く速度を速める。

その彼女の足の動きを観察していた俺は、立ち上がった。

ジャンの元に駆け寄る。

ジャンの視線はまっすぐに、迫る彼らを見すえていた。

「名案が浮かんだか?」

「まぁね」

ニールが、操作パッドを差し出した。

ここに接続されている全てが、いま使える全てだ。

俺の指先が、高速で目的のものを探す。

「あった!」

「いつでもいいぞ」

ジャンが、にやりと笑う。

「こっちの準備も万端だ」

「そうだろうと思ったよ!」

俺は、探していた装置の起動スイッチを押した。

とたんに、競技場の床がぐらぐらと動き出す。

「なに? なにが起こってるの?」

イヴァが叫んだ。

小刻みに揺れ動いた床面が、中央で二つに割れた。

そこから、新たな床面が上がってくる。

「セットを入れかえた」

俺の指先は動き続ける。

「俺たちが考えて、必死で作り上げたやつだ。こいつのことは、今でも覚えているだろ?」

人工芝に覆われた、緑の壁が出現する。

「俺たちが作って、コンクールに初めて入選した巨大迷路だ、忘れてないよな?」

「当然だ」

ジャンが、ハンドリングバイクにまたがった。

「お前はどうする?」

「俺は後ろにいる」

ジャンはうなずくと、空高く舞い上がった。

あの位置からだと、全体もよく見えるだろう。

彼の機体から送られてくるフィールドの全体映像を、キャンビーと自分のバイクにつなぐ。

ルーシー? ルーシーは? 

彼女はニールの横で、じっと彼の操作を見つめていた。

ニールの扱う物量はハンパない。

たくさんの機材やコードに囲まれた彼の周囲だけが、資材置き場のようだ。

他のスクールの仲間たちも、それぞれのバイクにまたがった。

「怖がるな、俺たちの一番の武器は、俺たち自身だ」

ジャンの声がマイクから聞こえる。

「お前ら、いつだってここのロボットで遊んでただろ。その成果を見せてやれ」

バイクの無線から、ニールのプログラムダウンロード完了の合図が鳴った。

「行くぞ!」

仲間たちのバイクが、一斉に巨大迷路の中へ入っていく。

「全く、往生際が悪いとは、こういうことを言うんだ」

ディーノの声が、拡声器を通して鼓膜に届く。

「イヴァ、気をつけろ」

そう言われた彼女は、舌打ちをしてフィールドの外に出た。

俺たちの作戦は単純だ。

キャンプベースの機動隊ロボといえども、絶対に逆らえない大原則『人間を傷つけてはいけない』、それを逆手にとって、自分たちの体を体当たりさせ、機能を停止させる。

ただ、今回の機体はスクールのおもちゃみたいな警備ロボとは違う、禁則の緩い戦闘用ロボが相手だ。

一度捕まればお終いの、鬼ごっこが始まる。

ハンドリングバイクに乗った仲間たちが、迷路の中に潜んでいた。

ジャンから送られる画像を元に、機動ロボに体当たりをくり返す。

ニールから送られてくる指示で、機動ロボ一体に対し、2、3人が取り囲む。

ニールの作った回避プログラムは、機動ロボの可動域を計算したもので、チームの誰かのバイクがその捕獲域に入れば、他の仲間は近寄れないようになっていた。

くるくると入れ替わる仲間にロボットが気をとられているうちに、空から急降下して停止させる奴らもいる。

「ディーノ、迷路の地図はまだ?」

「いま送ってるよ」

彼らのやり取りが、競技場に響く。

これは、俺たちにワザと聞かせているんだ。

俺は、ニール一人ではサポートしきれないフィールドの、残りの半分を担当する。

「全データ、転送完了だ」

機動ロボの表示ランプが、チカリと光った。

動きが一段と加速する。

ニールが細工したスクールの警備ロボが、自走して機動ロボの足元にまとわりつく。

それを踏みつけた機動ロボの一体が、大きく転倒した。



第26話

「配分を変えるわね」

イヴァは機動ロボたちに、何かの指示を追加した。

迷路の外に待機していたロボットたちが動き出す。

「禁則条件は変更しないの?」

「相変わらず気が早いな」

ディーノが笑った。

新しく投入された機動ロボは、迷路の通路幅に合わせて、体型をコンパクトな車両型に変形させていた。

搭載された電子銃で、仲間の乗るバイクを狙い撃つ。

「災害救助モードに入れかえるわよ」

ディーノとイヴァは、迷路の外、フィールドの隅でライド型の機動ロボに搭乗し、他のロボットたちの操作をしている。

「そこにいるあんたたちも、怪我をしてる仲間を優先して助けてあげなさい」

拡声器から、イヴァのため息が聞こえる。

撃ち落とされた機体の下になった仲間の元に、機動ロボが近寄る。

片腕で機体を持ちあげると、もう一本のアームで体をつまみあげた。

そうなると、人間が体当たりしても、機能を一時停止させたりはしない。

ぶつかってきた仲間を共につまみあげると、フィールドの外に運び始めた。

イヴァの機体が、ディーノの機体に近寄る。

拡声器やマイク越しではない、直接の会話をしようと、二人の距離が縮まった。

今だ! 

俺は、スイッチを押した。

可動式の床面が動き出す。

フィールド上の機動ロボたちは、自身のバランスをとるために、そのハイスペックな演算処理能力を分散させた。

わずかな時間、彼らの動きが止まる。

その瞬間、仲間たちが自分の体をぶつけた。

「バカね」

イヴァのため息が聞こえる。

人間に衝突された機体は、バランスを保ったまま静かにアームを下ろすと、足元にしがみついた人間を拾い上げた。

「これがスクールの警備ロボと、キャンプベースの機動ロボの違いよ。あなたたちがいつもからかって遊んでいたのが、どんなおもちゃだったか、よく分かったでしょ」

つまみ上げた人間を次々と運び出し、収監し終えると、再びフィールドに戻ってくる。

「さ、お仲間の数が半分に減ったわよ。まだ続ける気?」

ディーノが、標準を動き回るジャンの機体に合わせた。

ドンッという発射音と共に、撃ち落とされる。

「ジャン!」

落下する機体から、彼はふわりと地上に飛び降りた。

「悪いが、そろそろ勤務終了時刻が迫ってるんだ」

ディーノは機体から飛び降りると、その足でフィールドを蹴った。

俺が操作していないのに、床板が動きだす。

操作回路をとられた巨大迷路が、床下に消えた。

ディーノの体が、ジャンの目の前に飛び出す。

ジャンは手にしていた強制終了棒を振りかざした。

ディーノはそれを片腕で受け止めると、ジャンの下腹に強く拳を打ち込む。

「対人の喧嘩には慣れてないから、こうなっちゃうのは仕方ないよなぁ」

ふらつくジャンの前で、彼は指を鳴らした。

「人間同士が直接殴り合うなんて、信じられないだろ? だけどな、それをロボットに許すわけにはいかないってんで、最後は生身の人間が必要なんだよ」

ジャンは姿勢を立て直し、細く長い警棒を構える。

「人間同士で傷つけ合っていいなんて、習ってないもんな」

その警棒の先を、ディーノがつかんだ。

彼の長い足が、真横に飛ぶ。

「『子ども』は、あんまり見ない方がいい」

俺の目の前に、機動ロボが立ちふさがった。

アームが伸びる。

俺はその横をすり抜けて、走り出した。

それに伴走するかのように、半分の高さになった機動ロボがついてくる。

逃げ出した子どもを捕まえようとする大人のように、両腕を広げたロボットが、ゆっくりと近づいてくる。

そのロボットに抱きつくように、俺はしがみつく。

ロボットは俺たちを決して傷つけることのないよう、機能を停止して完全な受け身になる。

動きをとめたその隙に、俺はまた走り出し、ロボットたちも追いかけっこを再開する。

完璧なまでに、移動速度を一致させたロボットから、アームが伸びた。

「ヘラルド!」

ニールが何かをこちらへ突き飛ばした。

それは悲鳴をあげて地面に倒れる。

俺は彼女に駆け寄った。

「ルーシー!」

ルーシーを認識した機動ロボは、緊急停止信号を受けて、その動作を停止させる。

「ヘラルド、こっちだ」

ニールは倒れたルーシーの腕をつかむと、彼女を引きずりあげる。

「どこへ行くんだ」

「ジャンを助ける」

切れた口の端から血を流し、ジャンは人工芝の上にうずくまっていた。

その周囲を、ぐるりと機動ロボが取り囲む。

ディーノはその中心に立っていた。

ニールはルーシーを、背後から一体のロボットにぶつける。

ガクンという音を立てて、機能を停止したロボットは、ただの金属の塊と化した。

そのルーシーを、すぐに隣のロボットめがけて突き飛ばす。

「ルーシー!」

全てのロボットが、動きを止めた。

ニールが彼女の腕をつかむより早く、ディーノがその手を引き寄せる。

「何をやってる!」

ニールはそのまま、二人に体をぶつけた。

ルーシーを抱きかかえたディーノは、そのまま後方に突き飛ばされ、起立した巨大ロボにぶつかる。

傾いた機体は、隣のロボットに向かって倒れた。

「危ない!」

ディールは、ルーシーをロボットたちの外に投げ飛ばした。

うずくまったジャンの上に、一体の機体が影を落とす。

ディーノはその下にもぐり込むと、ロボットを支えた。

ニールが、ジャンを連れて外に出る。

そのディールの上に、さらにもう一体のロボットが倒れ込んだ。

物理的に、肉と骨の潰れる音が、脳内に響く。

水はけがよいはずのフィールドの上に、赤くねっとりとした液体が広がる。

空気中に広がったその成分に反応して、全てのロボットたちが緊急警報を鳴らした。

「ディーノ!」

イヴァの悲鳴が、フィールドに響く。

彼女の強拳が、ニールの顎を割った。

「やめろイヴァ! マスクをつけろ!」

天井付近から、ヴォウェンの声が聞こえる。

大きな作動音がして、競技場のエアコンが動き出した。

「鎮静ガスだ!」

甘いにおいが、気流に乗って流れ出す。

イヴァはディーノの体へ駆け寄り、俺たちはガスから逃げるように、競技場を後にした。



第27話

人間が、死んだ。

あってはならないことだ。

人は、いがみあい、殺し合ってはならない。

人が人を殺めることがあってはならない。

そんなたった一つの単純なルールを、俺たちは守り通す事ができなかった。

なんのためのスクールなのか、なんのための学習か、そんな明確かつ単純なルール一つすら守れない人間は、人間であって人間ではない。

このエリアで起こってしまった事件は、俺たち自身の失敗だった。

この世界で、23年ぶりに起こった『殺人』事件は、大きな波紋を呼んだ。

しかもそれが、安全であるべきスクールの内部で起こったことが、さらに拍車をかけていた。

23年前に起こったもう一つの殺人事件は、建設現場で作業に当たっていたロボットの、動作不良点検中に起こった事件だった。

その時は、作業の効率化とさらなる安全対策が議論の中心になったが、今回は暴動のきっかけと原因が、問題視されていた。

すぐにエリアの閉鎖が議論された。

長い長い時間を要するこの実験は、成果が上がりにくいうえに、とても効率が悪い。

長い時間と労力をかけて行われた実験も、失敗したとなれば、もう用はない。

キャンプベースとの通信が遮断された。

電力の供給が途絶え、自家発電の装置にスイッチが切り替えられた。

動力は以前と比べものにならない。

エリア全体のキャンビーを動かすだけで精一杯だった。

空には星が溢れ、風がふき雨が降りそそいだ。

日陰は寒く日の当たる場所は熱すぎた。

扉は全て手動で開閉しなければならず、冷蔵庫もエアコンも切れた。

自動運転のはずの車も動かず、警備ロボは俺たちの警備をやめ、動かないただの置きものになった。

返事をして答えるものが、人間しかいなくなった。

「残念だが、このエリアの閉鎖が決まった」

唯一、外部との通信施設となった、事件現場の競技場巨大スクリーンに、この地区のエリアリーダーであるバルナスの姿が映った。

「これは、会議で決まったことだ。お前たちも、よくよく知っていたはずだ。分かっていただろう。自分たちにだけ、例外が適用されると思ったか?」

ジャンの怪我は手当てされた。

ニールも無事だ。

俺たちは残った人間と共に、そこに集まっていた。

画面の隅に、ディーノの姿が映る。

「安心しろ、お前たちの記録は受け継がれ、次のエリアにこの成果が適用される。そうやって人類は、よりよき進化を目指すんだ。これがもっとも正確で、合理的かつ安全なやり方なんだ」

ディーノがそう言い、成人したらしいもう一人の俺が言う。

「他のエリアでは、問題なく生活が行われている。これは、確率の問題ではないんだ。研究されるべき、必然の条件だ」

俺は、俺よりいくらか年上らしい自分にうなずく。

俺は、あったことのない俺を画面越しに見下ろした。

「俺たちは一人じゃない。同じ遺伝子を持った自分が、ちゃんとどこかで生き残っている」

俺はやさしく、微笑んだ。

「ありがとう。お疲れさまでした」

通信画面が切れる。

俺たちは間もなく整理され、この土地は全面改装、殺菌と消毒が行われ、新たに立てられた施設で、新しく産まれた新しい俺たちが、次の未来の可能性を探ることになる。

正しい感性を持ち、自らを律し決して間違いを犯すことのない環境と遺伝子、仲間を育て守り共生していく能力。

集団心理に流されて殺人事件を起こすような、そんな危うい環境と人間関係しか築けなかった俺たちに、与えられた環境が良くなかったのだ。

こうやって、俺たちの経験は生かされてゆく。

失敗もまた成果の一つだ。

成功より、失敗から学ぶことの方が大きい。

これでまた一つ、人類全体が生き残るための可能性が、開かれたことになる。

俺のクローンがどれだけ作られているのか、俺は知らない。

だけど、俺がこの世界のどこかで生きているのは、間違いのない事実で、俺のオリジナルは安全なところで、ちゃんと守られている。

だからこそ俺は、ここにいて、新たな進化の可能性を探るために、協力しているのだ。

俺は間違えた。

でも、俺は間違っていない。

俺は死んでも、俺は死なない。

「成人した自分が、見れてよかった」

俺は、ぼぞりとつぶやいた。

「いいよな、ヘラルドは。そういう意味では、ラッキーだったな」

ニールは組んだ手を頭の上に乗せ、ため息をつく。

「俺なんて、どこでなにしてんだろうな。一人くらいは、成人してて欲しいけど」

「そりゃ一人くらいは、ちゃんとしてる奴が育ってるだろ、そうじゃないと、意味がないじゃないか」

「そうだよな」

彼は笑った。

「これからどうする?」

カズコが言う。

「ちょっと、好き勝手にやりすぎちゃったのかもね」

「それもまた人生! 楽しかったから、いいんじゃない?」

「そんなんだから、失敗したのよ」

レオンの言葉に、カズコも笑った。

「あぁ、どうすっかなぁ」

ジャンがため息をつく。

「整理のタイミングって、どんなのか知ってる?」

「知るわけないだろ、てゆーか、知らされるのか?」

俺は、エリアリーダーのバルナスは、少しジャンに似ていると思った。

完全なクローンではないかもしれないけど、もしかしたら、血縁関係にあるのかもしれない。

「死ぬって分かってたら、もうちょっと楽しくやったのにな」

「死にたくなかったら、真面目に生きたんじゃないの?」

「死んだって、死なないんだから、どっちだっていいんだよ」

オリジナルの遺伝情報はしっかり記録されていて、いつでも再生可能だ。

「決まったもんはしょうがねぇだろ、俺たちは、楽しく暮らす方を選んだんだ」

ジャンが立ち上がった。

「整理までの間、楽しく生きようぜ」

ジャンは、仲間たちを集めて指揮をとる。

食料や水を集めて、配分を決めた。

動かなくなったロボットたちやマーケットには、たくさんの食料が備蓄されていて、災害用のものも含めると、当分の間は困りそうになかった。

電力も、わずかながらに通っている。

生活をするのに、問題は見当たらなかった。



第28話

気がつけば、俺たちは集まって過ごすことが多くなっていた。

それまでは、居住地は自由に選択できた。

スクール内部の寮のようなところでもよかったし、個室でもよかった。

スクール近くの小さな部屋でもよかったし、ショッピングモールの広く豪華な部屋でも、好きなだけキャンプベースに伝えれば提供された。

思い思いの形態で過ごしていたはずの人間同士が、今は意味もなく、何となく1箇所に集まって時間を過ごしている。

夜がこんなに暗くて、さみしいものだとは思わなかった。

朝はとてもまぶしくて、日の光がこれほど暖かいなんて、知らなかった。

俺たちは全員、同じ時期に連れてこられたクローンだ。

何となく見知った顔の隣の奴と、にっこりと笑って食事を分け合う。

もう『成人』認定のための試験を受ける必要も、人類の次の進化のための挑戦も、学習も、俺たちには要らない。

暴動が起きるかとも思ったけど、それで何かが変わるわけでもないことを、知っている。

前回のエリア閉鎖は14年前、新型のウイルスがまん延し、人口が1/4にまで減ったところで閉鎖が決まった。

ウイルスは採取保管され、生き残った人間のサンプルがとられた。

その情報は今の俺たちに、ちゃんと生かされている。

俺たちの存在は、決して無駄にされることはない。

俺たちはここで、感情のコントロールを学んでいた。

怒りや暴力では何も解決しないのだから、ある意味で俺たちの学習は、正解だったのかもしれない。

こうやって残された今でも、穏やかで平和な時間を過ごしている。

「することがなくなったら、急に退屈になったわね」

カズコが言った。

「ねぇ、みんなでピクニックにでも行かない?」

課題として行かなければいけない義務があった時には、あれほど面倒くさがっていたのに、俺たちはすぐに快く同意した。

自分たちの食べる分だけ自分の背に負って歩き出す。

車がないから、そう遠くまでは出かけられない。

地図と、風向きを頼りに歩いていると、じんわりと背に汗をかく。

スクールのすぐ近くにある、海岸の絶壁にやってきた。

いつも窓から見ていたその風景に、足を運んだのは初めてだった。

「実際に歩いてみると、遠いと思ってたのが、案外近かったわね」

カズコは、軽く息を弾ませていた。

そこに着いても、ニールは相変わらず工作を続けていたけれども、それはスクールに反発するためのチートプログラムなんかではなくて、レオンや俺、ルーシーたちのために、気晴らしで作ったドローンだった。

それはとても簡単な作りで、まるで子どもの工作かおもちゃみたいな飛行機で、キャンビーなんかにも接続出来ないから、自分たちの操縦技術で飛ばさなければならなかった。

レオンがすぐに落下させて、カズコとニールはそれを見て笑った。

俺は何とか操縦出来たことにほっとして、意外と上手く操るルーシーに感心した。

「大人になったら、なにをしてみたかった?」

ふいに、カズコが聞いた。

「別に、大人とか子どもとか、関係ないだろ。いつだってなんだって、好きなことだけやってるよ」

ニールは呆れたように答える。

「俺たちは、どこにいても自由なんだから」

「レオンは?」

「俺も。別に困ることなんてないよ。どこにいたって、俺自身であることに、変わりはないからね」

強く風が吹く。

夕焼けの空に浮かぶ黒い雲の塊が、速いスピードで動いている。

「嵐が来るかな」

「ヘラルドは?」

俺はいま、見慣れたその風景を、強化ガラス越しではなく、肌で感じていた。

「俺は、この海の向こうを見てみたかったな、あの空の星にも、行ってみたい」

水平線にせまる影が、夜の足音を忍ばせる空に、一番星が輝いている。

「衛星画像でいつでも見られたじゃない。今はもう、見れないけど」

「そうだね、そうだけど」

「どこへ行っても、こここと変わらないよ」

「うん」

レオンの言う通りだ。

だけど、もしかしたら、違う景色が見られたかもしれない。

その可能背は、なかったのかな。

ルーシーが、隣に並んだ。

「ルーシーは?」

「私は、みんなと、一緒、いたい」

彼女が微笑む。

そのことになぜか、俺の胸が痛んだ。

彼女は、今のこの状況を、どれだけ理解しているのだろうか。

俺たちは、もしかしたら彼女を、次の未来に送らなくてはならない義務が、あったのかもしれない。

過去から未来に来たであろう君を、次の未来に送り届けるということ。

だけど、俺たちはまだ、その自分たちに課せられた課題を乗り越えられないでいる。

次の進化の大躍進まで、間に合わないかもしれない。

その変化を迎えるためには、地球の寿命じゃ短すぎるんだ。

ここにはもう、そんな手段も方法も残っていない。

君は、ここではなく、違うエリアへ、あるいはもっと違う場所へ、行き着いた方がよかったんだ。

「ルーシー」

彼女の長い髪を、指先ですくい上げる。

風が冷たく変わった。

「嵐がくる。帰るぞ」

俺が次の言葉を発するよりも先に、ニールがそう言って立ち上がった。

彼はもう、キャンビーからの警告がなくても、嵐を予感することが出来る。

ルーシーはオリジナルだ。

多分だけど、クローンではない。

だからこそ、ロボットたちはオリジナルに反応して、完全に動きを止めたんだ。

俺以外のみんなも、口には出さないけれど、そのことに気づいている。

きっとルーシーのコピーもとられている。

それは間違いない。

だけど、彼女は推定で300年前の人間だ。

人類の次の大躍進、サルからヒトに進化したように、原核生物から原生生物が生まれたように、次の進化を待ち望む俺たちにとって、ルーシーは退化であり逆進であり、不要な因子だった。

だからこそ、オリジナルのままでここに放置されたに違いない。

彼女はニールの言葉に従って、素直にリュックサックを背負った。

彼女に背負わされた運命が、どれほど過酷なものか、想像が出来ない。

一列に並んで、日の落ちた夜道をスクールに向かって歩く。

あれほど整備され、ゴミ一つ落ちていなかった道路には、今や名前も知らない草がぼうぼうに生えている。

何かをしなければならない、だけど、何をしていいのかが分からない。

俺だけじゃない、みんな同じ気持ちのはずだ。

このままで、本当にいいのか、俺たちは、このままで、本当によかったのか。

「なぁ!」

俺は、前を歩く4人の背中に向かって叫んだ。

「俺は、本当はもうちょっと、生きたい、の、かもしれない。俺は、出来ればここを、きっと、多分、出て行きたい、ん、だと思う」

ふり向いたみんなの顔は、夜の暗さのせいで、よくは見えなかった。

「それは、言っちゃダメなことだったのかな」

俺が足を止めたら、みんなの足も止まった。

「……ヘラルドは、死にたくなくなったのね」

カズコの声が聞こえる。

「判断するのは、俺たちじゃなくて、キャンプベースだ」

ニールの声は、とても落ち着いていた。

「人はいずれ死ぬ。俺たちが死んだって、誰かが生き残る。いつまでも生きていられる不死の人間なんて、いないんだ」

「そうだよヘラルド」

レオンが続ける。

「俺たちは、生きて生まれてきたことを、感謝しなくっちゃ」

再び歩き始めた行列は、無言のままで、あっという間にスクールに到着した。

「じゃあ」と挨拶をして、いつものように自分の部屋に戻る。

最近、レオンはニールの部屋に入り浸っているようだった。

二人で作曲をしているらしく、レオンの歌声と、ニールの組み立てる音楽が、開いたドアの隙間から漏れ聞こえる。

整理が、片付けが始まるのが、怖いわけじゃない。

クローンとして生まれ、社会に貢献出来たことも、誇りに思っている。

それは本当だ。

だけど……。

俺は、ため息をつく。

結果は、受け入れるしかない。

こうやって新しい街が作られ、俺自身も作られ、同じようにして、以前この土地に住んでいた人間の片付けが終わったところに、今の俺がいるんだ。

それが循環していくことに、一体なんの不満を持てというのだろう。

ニールとレオンの、軽やかな笑い声が聞こえる。

彼らの作った音楽は、ここで作られた音楽として記録に残され、ひっそりと受け継がれていくのだろう。

それは、俺自身の存在も同じことだ。

俺は考えるのをやめ、ベッドにもぐった。



第29話

翌朝、目が覚めるとジャンが待っていた。

「整理が始まったらしい」

彼は開口一番、俺にそう告げた。

「エリアの北の端に、整理担当が到着して、順番に南下してくるそうだ」

「どうやって、整理されるの?」

「お前も見たことあるだろ」

ジャンが言った。

「キャンビーから記録をとりだした後で、人体を構成しているタンパク質を融解し、再構成させる装置だ。そこから、新しい人間が産まれる」

「あぁ」

そうだった。

俺も、ジャンも、みんなそこで産まれてきた。

ジャンは、部屋の灯りをつけた。

「電力が元に戻ったの?」

「その、再構成のための装置に、電力が必要なんだとよ。ロボットたちに残されている情報も、転送しなくちゃならないしな」

金属の塊と化していたロボットが、機械たちが、動き出していた。

まるで昔に戻ったみたいだ。

だけどそれは、俺たちの方を向いているのではなく、こちらの指示には、全く反応してくれない。

「これまでは、誰よりも大事にされてたのにな」

俺がそうつぶやくと、ジャンは鼻で笑った。

「今でも、大切にされているさ」

その日が来た時、俺たちは全員、スクールの競技場に呼ばれた。

「数が多いが、転生機の数が限られている。ここでは数日を要するが、予定通り君たちの転生を行うつもりだ。協力を頼む」

やって来たのは、この地区を担当するヴォウェンだった。

ディーノの姿はなく、イヴァもいなかった。

彼は一人で、無数のロボットたちに囲まれて、この業務を行っていた。

わずか数週間前まで、ここは活気にあふれたスポーツの広場だった。

俺たちがハンドリングロボの試合を繰り広げた会場に、今は数十台の転生機が、整然と並べられている。

「大がかりな設置作業に入る。実務は明日からだ」

ヴォウェンが姿を消した。

作業を続けるロボットたちのあいだで、楕円形のカプセルが光る。

培養液に満たされたこのカプセルが、人工子宮といわれる転生装置だ。

産まれて、死んで、またここで産まれ変わる。

俺は、滑らかなその壁面に、そっと手を置いた。

「懐かしいな」

「記憶があるのか?」

ジャンの言葉に、俺は尋ねる。

「何となく、幼い、子どもの時の記憶だ」

彼はじっと、その暖かみのある装置をながめていた。

「怖くない、と言えば、嘘になる」

一部を除き、落とされた照明と、転生のために入れられたスイッチ。

その駆動確認のための表示ランプが、色鮮やかな光の畑のように、ぴかぴかと光っていた。

「だけど、ここに入ることを拒むということは、自分自身の出自も拒むことになる。俺には、そんなことは出来ない」

ジャンの目が、真っ直ぐに前を見つめた。

「俺は、迷わない。怖れても、やめはしない。それだけは、忘れないでいようと思う」

彼が心から、にっこりと笑うのを、初めて見たような気がする。

ジャンは本当に、そう思って笑っていた。

「さぁ、もう休もう。俺たちには、大事な仕事が待ってる。新しく産まれ変わるための、儀式だ」

ジャンが出て行く。

俺も、自分の部屋に戻った。

スクールには、3千人以上の人間が在籍していた。

その一人一人を、転生機にかけ融解し、タンパク質としてとりだし再利用する。

培養液と、その輸送コストのため、小さな子どもから優先して行われていた。

新鮮な細胞の方が、再生利用するのにも、成功率が高くやりやすいというのも、その理由の一つだ。

ルーシーは、子供たちが順番にカプセルに入っていくのを、不思議そうにながめていた。

「あそこに、入って、どうする、の?」

「あそこに入って、産まれ変わるんだ」

「産まれ、変わる?」

彼女の手が、カプセルに触れた。

転生機は、停止することなく可動している。

彼女に対するリミッターも、外されたのかもしれない。

「あんまり、見ない方がいいよ」

徐々に融解していく体は、見ていてあまり気持ちのいいものではない。

カズコが、ぐずる子どもを抱きかかえていた。

「いやだ! このゲームを組み立てるまでは、入らない!」

「大丈夫、あとから出来るから」

「出来ないよ! てゆーか、今やりたいの!」

「後でね、一緒にやろう」

カズコに懐いていたその子は、彼女を見上げた。

「絶対に? 約束守る?」

「うん、守るよ。嘘ついたこと、ないでしょ」

子どもは、しぶしぶ彼女に従った。

「じゃ、終わったら、絶対に約束だよ」

カズコはうなずくと、カプセルのふたを閉めた。

子どもは、満足したように目を閉じる。

暖かく心地よい培養液に満たされて、あの子はきっと、安心して眠りについた。

「あたしも、一緒にゲームしたい!」

ルーシーがそう言うと、カズコは笑った。

「運がよければね、きっと私たちは次の世界でまた巡り会って、一緒に過ごせるわ」

俺に向かって、ルーシーの顔が、明るくぱっとふられた。

彼女にとって、理解や意味が分からない状況に遭遇したときに、説明を求める時の仕草だ。

「なに? カズコの、話、分からないから、教えて」

俺は、長く深い息を吐く。

「そんなこと、自分で考えろよ」

彼女の顔は、まだこっちを見ていた。

「『運が、よければ』の、『運』って、なに?」

「キャンビー!」

俺は、自分のキャンビーを呼び出した。

一部の機能が停止されてはいたが、外部接触以外は、問題なく使える状況だった。

「ルーシーに、『運』の意味を教えてやれ」

説明を始めたキャンビーを、彼女は両腕に抱いた。

俺は、ルーシーに背を向けて歩き始める。

こんな所に、彼女と一緒にはいたくなかった。

俺にこれ以上の説明を求められても、困る。



第30話

ルーシーはそのキャンビーを放り投げると、俺の後を追いかけてきた。

「ね、ヘラルドは、今度いつ、ピクニックに行く? 遠足の、おでかけ、する?」

俺は、ゆっくりと溶けていく子供たちが入ったカプセルの間を、足早に通り過ぎる。

遺伝情報が混ざるので、混合することは許されない。

完全なる個別で運ばれる。

死亡してから融解すると、生きたタンパク質を採取再生することが出来ないため、健康で若い個体ということが、重要視される。

「私、は、今度また、林檎の花のところに行きたい。前に皆で行ったところ。林檎が好きだから。ヘラルドがくれた、あの花のおもちゃ、まだちゃんと持ってるよ」

個別に融解された細胞は、遺伝情報を元に管理され、適当と判断された組み合わせによって、時には別の個体と融合させて、再生されることもある。

そうなれば、新しい人間になってしまうので、元の自分というわけではない。

そのまま継続して再生されれば、自分が自分として蘇ることになる。

「みんな、誰もピクニックに行こうって、言ってくれ、な、いの。ヴォウェンはお仕事中だから、お話し出来ないし、ディーノとイヴァは、いないんだもん」

だけど、記憶の継承は難しくて、各地に設置された定点カメラや、キャンビーのメモリーを個人の記録として残すより方法がない。

それを見れば、過去の自分の記録をたどることは可能だけれども、それが許されるのは、成人した大人だけだ。

「カズコもレオンもニールも、みんな忙しそうだから、さみしい、の」

再生されたクローン同士が、再び同じエリアで解放され、巡り会い、友好な関係を築くことが出来れば、再会もありえるという話だ。

俺たちは、何度も何度も同じパターンをくり返し、そこから得られる有益な情報、経験を元に、進化を続けている。

カズコの言う、運がよければというのは、そういうことだ。

「ね、ヘラルドは、今忙しい?」

「あぁ、忙しいんだ、放っといてくれ!」

つい声を荒げてしまったことを、すぐに反省する。

彼女は、さみしそうにうつむいた。

「最近、みんな、変で、つまん、ない」

「はは、つまんない、か」

彼女のその言葉に、俺は深く傷つけられたような気がした。

「そうだね、つまんないね、ルーシーは、どうしたい?」

彼女の顔が、明るく輝く。

「みんなで、ピクニックに行こう!」

「ピクニックか、じゃあ、計画を立てなくっちゃね」

ルーシーが微笑む。

ピクニックか、いいじゃないか。

外は本物の嵐、中は戒厳令発動中の、穏やかで確実な嵐だ。

どっちにしろ、嵐のまっただ中にいるのなら、本物の嵐に飛び込んだ方がいい。

「ルーシー、みんなを驚かせよう。二人でこっそり計画して、びっくりさせるんだ」

うんうんと、うれしそうに彼女は、何度もうなずく。

「これは二人だけの秘密だよ、約束できる?」

俺が小指を差し出すと、彼女はすぐ、同じように小指を差し出した。

俺はその細く白い指に、自分の指を絡める。

「じゃ、絶対に秘密だよ」

それで、彼女が納得したかどうかは分からない。

だけど、とりあえず大人しくさせることには成功したらしい。

俺は、それでいいと思っていた。

「ね、ヘラルド、どこに行くのか、決めた?」

それ以来、俺はことあるごとに、ルーシーに絡まれるようになってしまった。

本気でここから出て行くことも、ましてやピクニックなんてありえない。

それは、逃亡であり犯罪だ。

「今は、大事なお仕事の時期だから、だからヴォウェンは忙しくしていて、みんなもそれを手伝っている」

俺の説明に、彼女はうなずく。

「そのお仕事が終わったら、みんなで行こう。ルーシーの好きなところでいいよ、どこに行きたい?」

彼女は、うれしそうに考えをめぐらせている。

「うーんとね、やっぱり、みんな、で、最初に行く、た、公園に行きたい。林檎の木、約束したでしょ?」

「はは、ルーシーは、意外と記憶力がいいな」

彼女はその時の思い出を、ぶつぶつとつぶやきながら、俺の後をしつこく追い回している。

ふと、疑問が浮かんだ。

「ねぇ、ルーシーは、ここに来る前の記憶はあるの?」

彼女は首をかしげた。

「ルーシーは、カプセルに乗ってやってきただろ?」

うんと、うなずく。

「どこでそのカプセルに乗ったの? その時は、どこで何をしてた」

ルーシーは、困った顔をしてうつむく。

「覚えて、ないの?」

「分からない」

くるりと背をむけると、彼女は逃げるように去って行く。

まぁ、どうでもいいや。

そんなこと、今となっては俺にはもう関係のないことだし、キャンプベースでも散々問い正されているだろうし、本当に記憶がないのかもしれない。

彼女の長い時間は、彼女のものだ。



第31話

整理の時間が近づいていた。

俺たちには、初回生産された時につけられる管理番号がある。

個人認識番号だ。

それを元に、遺伝子の再生が行われる時にも、融合の際、近親での配合をさけるためにも使用される、大切な番号だ。

そこを間違えるわけにはいかない。

厳格に、その番号順に整理が行われていて、毎日表示されるその番号が、いよいよ俺たちの年代に近づいていた。

一人一人、再会を誓ってカプセルに入る。

そんな約束にどんな意味があるのか分からないけれども、それだけが俺たちの存在する理由だとしたら、有意義といっていいのかもしれない。

一人ずつ、一人ずつ、カプセルに入った人間が消えていく。

あれだけ、にぎやかで騒がしかったスクールの中が、閑散とし始めた。

「ねぇ、みんなは? どこへ行ったの?」

最近、ルーシーはそんなことを周囲に聞いてまわっている。

誰に聞いても、その答えが様々に違うようで、そのことがよけいに彼女を混乱させていた。

「体をきれいにするんだよ、そしたらリフレッシュして、戻ってくる」

「なんで? いつ? いつ戻ってくるの? どうして? どこに連れて行かれてるの?」

イライラする。

そんな当たり前のことを、俺は疑問に思ったことがない。

なんで赤い色を赤と呼び、白を白と言うのかと聞くようなものだ。

「もう帰って来ない! 俺たちは、バラバラになるんだ!」

どうして自分の気持ちが、こんなにも不安定で落ち着かないのか、スクールではずっと自己の感情をコントロールすることを学んでいた。

感情に支配されない、理性的な人間、偏見や差別意識をも持たない、公平で客観的視点。

身勝手と無知、自己保全のために独善的になることなく、常に全体を考える。

それが次の人間の進化のために必要な要素で、俺たちはその可能性を見出すためにここで産まれたんだ。

あぁ、そうか、こうやって自分の気持ちが乱れるのは、乱れるから、俺たちは失敗だったし、整理されるんだ。

だからきっと、今なら乱れてたってかまわない。

「バラバラになるって? もう会えないの?」

「会えない! 二度とだ!」

「どうして!」

彼女の目に、涙が浮かぶ。

そんな顔で見つめられても、俺にだってどうしようもない。

「みんなで、ピクニックに行くって、約束したじゃない!」

ルーシーの大きな声に、みんなの視線が集まっている。

恥ずかしい。

こんな感情的な言い争いなんて、今さら見られたくない。

「あぁ、そうだね、そんなに行きたいのなら、じゃあ今から行けばいいじゃないか」

なんにも出来ないルーシーが、俺をじっと見上げる。

「行こう。そうだよ、今から行けばいいんだ」

俺は、彼女の腕をつかんだ。

こんな光景、どこかで見たことがある。

俺はそう思いながら、彼女の手を強く引いて歩き出した。

「行こう。今から、ピクニックに!」

転生機が立ち並び、中に入るための作業と手続きを手伝っているスクールの人間たちが、みんなこっちを見ている。

俺は彼女の手を引いて、フィールドの外に向かって歩き始めた。

開けっぱなしになっている、広くて大きな出入り口から、廊下に出る。

照明の落とされた薄暗い廊下を、ガンガン突き進む。

異変を察知した警備ロボが、俺たちにすっと近づいた。

「現在、スクールは閉鎖されています。すぐに指示された作業に戻ってください」

「うるさい!」

外に出る道は、目をつぶっていても分かる。

ルーシーの手を引いて歩く俺たちを取り囲むように、警備ロボの数が増えてゆく。

やかましく警告音をかき立て、どれだけサイレンをならしても、俺はもうコイツらに従うつもりはない。

目の前に、最後の扉が現れた。

ここをくぐり抜けたら、もう外だ。

エントランスホールを横切る。

俺は、そこに手を伸ばした。

「外出は禁止されています。すぐに戻ってください」

蜘蛛型の白い機動ロボが、目の前に飛び降りた。

俺は彼女の手を放し、その細い脚につかみかかる。

機動ロボに、かなうわけない。

分かってる。

でも、人間を決して傷つけてはならないという原則は、今の俺にも適用されているはずだ。

両腕でつかんだ2本の脚を、力任せに押してもびくともしない。

取り付けられた複数のカメラが、俺の姿を取りこみ、分析している。

「外出は禁止されています。すぐに戻ってください」

足をふんばり、さらに腕に力をこめる。

全体重をかけて、この機械を動かそうと試みる。

「いいから、どけ!」

食いしばった歯の奥から、血の味がにじむ。

「無駄な抵抗はやめろ」

目の前のロボットから、ヴォウェンの声が聞こえる。

このロボットたちは、全てこのヴォウェンの指示で動いている。

今のこいつらの全ては、彼の意志だ。

「何をしたって無駄だということは、お前が一番よく分かっているだろう」

カメラの角度が変わって、ルーシーの姿を捕らえる。

「彼女を連れて、戻ってこい」

通信が切れた。

あの男は、ルーシーをかわいがっていたんじゃなかったのか?

「イヤだ!」

俺は、機動ロボの下にもぐった。

そこをすり抜ければ、出口はすぐそこだ。

8本あるロボットの脚のうちの1本が、俺の邪魔をして鼻先に落ちる。

それでもそこを通り抜けようとしたとき、その脚が俺を真横に叩きつけた。

すぐに立ち上がろうとした俺を、またピンとはね飛ばす。

叩きつけられた背中の衝撃で、俺は吐くほど咳き込む。

それでもまだ、立ち上がった。

すぐ横にあった何かのオブジェを投げつける。

粉々に砕け散ったそれは、蜘蛛型のロボットには傷一つつけられない。

走り出す。

つかみかかった俺を軽々と持ちあげると、床に振り落とした。

「やめて!」

立ちふさがったルーシーに、ロボットの動きが止まる。

俺はとっさに彼女の手をつかむと、走り出した。

赤い射線が、足元を狙う。

精密に計算されたそれは、俺の足を焼き、転倒した。



第32話

「ヘラルド!」

射線が、右腕をさっと走る。

一瞬にして焼かれた俺の皮膚は熱で裂け、血が流れ出た。

「外出は禁止されています。すぐに戻ってください」

変わらぬ調子で、ロボットが警告を発する。

ゆっくりと立ち上がった俺を、蜘蛛が見下ろした。

「持ち場に戻って、与えられた指示に従い、作業を続けてください」

「どうする? ルーシー」

彼女は、すすり泣く声を震わせながら答えた。

「分かった。帰ろう。お外には、出られないのね」

「あぁ、そうだ。これで分かっただろう。ピクニックは、中止だ」

うなずいて、分かってくれたと思ったら、違った。

彼女は、なぜか怒っていた。

泣きながらも、鼻水をすすりながらも、明らかに態度が悪い。

イライラして、頭を左右に振り、泣きながら手を所在なくぶらつかせ、怒っていた。

「なんでお前の機嫌が悪いんだよ」

「だって、行きたかったんだもん。ピクニックに行くって、約束したのに」

「それは俺が悪いっていうのか」

「違うよ、そんなこと言ってない」

「じゃあなんでそんなに怒ってんだよ」

「怒ってない」

「怒ってる」

彼女は、スクールの中に向かって歩き始めた。

「だって、どうして外に出ちゃいけないの? どうしてこんなに、ヘラルドとみんなはヴォウェンに怒られてるの? いつになったら、お外に出られるの? お掃除がすんだら? きれいになったら、またピクニックに行ける?」

焼かれた右腕が痛む。

流れ出る血のしずくが、皮膚を伝って指先から落ちている。

それでも俺は、彼女を連れて戻らなくてはならない。

蜘蛛がゆっくりと、俺たちの後ろをついてきている。

「あぁ、そうだよルーシー。カプセルに入って、きれいになったら、またみんなでピクニックに行ける。約束しよう。絶対に、みんなで一緒に行こう」

彼女は、うっすらと微笑んだ。

「うん、分かった。約束ね」

フィールドに並んだ転生機が、口を開けて待っていた。

そこには、中に入るべき人間の呼び名と識別番号が表示されている。

w-35489-OR-31246985、ルーシーの番だ。

俺は、どこかでこれを見ているであろう、ヴォウェンに向かって叫ぶ。

「本当に、このままでいいのかよ! ルーシーまで、消していいのか!」

俺のコピーは、たくさんある。

遺伝子の情報は保管され、永久に記録として残されている。

このルーシー自体はオリジナルかもしれないけど、彼女の遺伝子のコピーは保管されていて、いつでも再生可能だ。

しかも彼女は過去から来た人間で、俺たちの目指す進化の道から逆行する遺伝子の持ち主。

この世界では、すでに知り尽くされた不必要な組み合わせの情報しか持っていない。

頭ではそう分かっていても、俺の中の何かが俺に抵抗する。

「俺の判断に、間違いはあっても迷いはない」

姿を見せないまま、ヴォウェンの声が周囲に響いた。

「ルーシーにも例外なく、カプセルに入ってもらう。大切な資料として、資源として、お前たちと同様、永久に保管されるだろう」

彼女の手が、カプセルの縁にかかった。

「大丈夫よ、ヘラルド。私はあなたが、私を、みんなの言う、次、の、世界へ、連れて行ってくれると、信じてる。ヴォウェン、の、ことも、好きだから、平気」

彼女のつま先が、培養液につけられた。

新しい世界だなんて、誰に聞いたセリフだろう。

きっと適当に返事を返した、誰かの言葉だ。

そんな世界があるだなんて、俺には信じられない。

オリジナルの個体を溶かす事への、再確認の信号が表示される。

警備ロボが、OKのボタンを押した。

腰まで、液体に浸ったルーシーが、カプセルのシートに収まる。

「じゃ、また後、でね」

後で、とは、いつのことだろう。

体と遺伝子は残っても、記憶が記録として残されていても、俺自身が彼女を彼女と認識出来ず、俺が俺自身と分からなければ、それはもう全くの別人じゃないのか?

「ルーシー!」

叫んだ俺の前に、2台の警備ロボが立ちふさがる。

U字型のアームが、俺の動きを拘束した。

彼女を含んだカプセルのふたが、ゆっくりと閉じていく。

俺の視界の端を、何者かが横切った。

「ルーシー、そこから出ろ!」

彼女の培養液に、片手を突っ込んだのは、ニールだった。

カプセルが警告音を発し、閉じようとしていたふたが開く。

「今すぐここを出て、ヘラルドと逃げろ!」

ニールは、彼女を引きずり出す。

「別の遺伝情報を持つ個体が、混入しています。今すぐ確認をしてください」

カプセルからの警告に、警備ロボットたちが振り返った。

「ニール!」

彼は笑っていた。

「俺たちの本気を、見せてやらなくちゃな」

ニールはルーシーを、俺に向かって放り投げる。

「また会おう」

彼はとりだしたナイフで、自分の頸動脈を切った。

噴きだした血が、辺りに散乱する。

「さぁ、ロボットたちが混乱してるわ、今のうちよ」

カズコがルーシーの手を引く。

俺たちは走り出した。

「ニールは? ニールは!」

ルーシーが叫ぶ。

「大丈夫よ。私たちは永遠に、繰り返し再生する、クローンなんだもの」

警報が鳴り響く。

ロボットたちは空気中に拡散した血の臭いに、全機能を停止させる。

傷ついた人間を救うために、ニールの元に集結を始めた。



第33話

蜘蛛型の機動ロボも、動きを停止させている。

俺たちは、動かないその機体の下を、難なくすり抜けた。

「こっちだ」

ジャンとその仲間たちが、輸送用の平たい荷台に乗っている。

ニールの開発したチートツールが、有効化されていた。

ジャンの手にすくい上げられて、それに乗る。

「これでカプセルの搬送作業をしてたんだ。そこにチートかますなんて、ニールも考えたよな」

禁則が緩く、誰も手を出したがらない転生機。

何より最優先されるその作業は、機動ロボといえども、素直に道を開ける。

「お前たちを、スクールの外に出してやる」

「どうして? みんなで一緒に行こう」

ルーシーが、ジャンを不思議そうに見上げる。

彼は、ふっと笑った。

「俺はピクニックに興味はないし、ここから出て行きたいとも思わない。だけど、自分の行動と生きる意味は、自分で決める」

ジャンが俺を振り返る。

「聞いたぜヘラルド、海の向こうが見たいんだろ? だったら、俺たちが見せてやるよ」

通路の灯りが、一斉に消えた。電力が遮断されたんだ。

一瞬グラリと傾いた輸送台は、すぐに元通りに走り出す。

「ほら、これならちゃんと、非常用電力の使用も、無条件で適応されるからな」

動きの止まった警備ロボたちをなぎ倒して、複数体の機動ロボが追いかけてきた。

「お前たちの、好き勝手にはさせん!」

ヴォウェンの声だけが聞こえる。

一体の機動ロボが高く跳ね上がった。

荷台に飛びつかれる前に、その足元に仲間の一人が転がり込む。

返り血を浴びたロボットは、その機能を急停止させた。

「ねぇ、どうして血が出るの? なんで、血がいるの?」

その問いに、答えなんてない。

「それでも行くと、決めたからさ。ルーシー、君も、その意味を知らなくちゃいけない」

通路を繋ぐ扉が、閉じられようとしていた。

その両サイドには、2体の蜘蛛がはりついている。

蜘蛛たちは扉だけを操作して、道を塞ごうとしていた。

それならば、人間の血液に反応して自動停止させられることなく、作業が続けられる。

「ジャン!」

彼はそのまま、閉じかけたドアを突破した。

閉じようとするドアのセンサーが作動し、ゆっくりと開いて俺たちを迎え入れる。

「あはは、安全設計万歳だな」

蜘蛛型ロボットが、天井を這って近づいてきた。

射線が精密に、荷台のコントロールパネルを狙う。

「飛び降りろ!」

ジャンの手が、ルーシーを引いた。

それを合図に、荷台に乗った全員が飛び降りる。

蜘蛛が俺たちの頭上を占拠した。

「確保します。動かないでください。逃走とみなし、攻撃します」

「あら、いい度胸じゃない」

カズコが立ち上がった。

「そんなはったり、聞き飽きたわ」

彼女が、両腕を広げる。

蜘蛛のレーザーが、彼女の腕を貫いた。

「逃げるなら今よ」

走り出した俺たちの足元を、射線がつきまとう。

カズコは、蜘蛛の脚によじ登った。

「ほら、このままだと、あんたの方が動けないわよ」

ロボットの脚が力強く動いて、カズコは投げ出された。

俺たちを追いかけようとするその脚に、彼女はもう一度飛びつく。

「ルーシー、今度は一緒に、ピクニックに行きましょうね」

カズコが微笑む。

蜘蛛の可動部に、肘を挟んだ。

緊急警報が鳴り響き、蜘蛛がガクリと脚をつく。

転がり落ちた彼女の体からは、赤い染みが広がった。

「前だけを見て、走ってろ!」

ジャンたちは、定点カメラを撃ち落としながら進む。

配電盤を破壊しようと立ち止まった仲間の2人が、追いかけて来た蜘蛛の脚に踏みつぶされに行った。

外への出口は、もうすぐだ。



第34話

最後のゲートが見えた。

スクールのエントランスホールは、すでに戦場と化していた。

無数に飛び散った人間の体と、動かなくなった蜘蛛型ロボ、電力の切られた重い扉を、仲間たちが手動でこじ開けようとしている。

「レオン!」

閉じられた扉の前に立っていたのは、レオンだった。

「あれ? ニールとカズコは?」

俺は、黙って首を横に振る。

「そっか、まぁ気にするな。もうちょっとで開きそうなんだけど、さすがに最後の扉は、重くて頑丈なんだ」

嵐から身を守る、巨大シェルターの役割をも果たすスクールの扉だ。

3メートルはある分厚い引き戸を、人力で開けるには無理がある。

「他にも出入り口はあるだろ」

ジャンが言った。

「ダメだね、全部閉じられてるし、監視ロボがついてる。扉一つ開けるのに、人間が何人いても、足りなくなっちゃう」

彼はため息をついた。

「ハーメルンの笛みたいなのがあれば、ロボットたちを全員どうにかできるのにな」

「それだ!」

俺は、すぐにこの空間を飛び交う電波の状況を調べる。

「ヴォウェンは、どこかでこのロボットたちを遠隔操作している。その電波をジャックすればいいんだ」

主要な電源が落とされ、スクール全員のキャンビー外部通信機能が失われた現在、飛んでいる電波の数は限られていた。

「機動ロボの通信だぞ? そんな簡単に、ハッキング出来るわけが……、ニールのキャンビー!」

レオンは、自分のキャンビーをとりだした。

「俺のキャンビー、ニールのと一緒!」

「多分、ハンドリングバイクの試合の時に、転送されたデータを使えば……」

機動スイッチを入れる。

その場に生き残っていた、数台の警備ロボが動き出した。

「こっちかよー」

レオンが肩を落とす。

「機動ロボの方じゃないの?」

「仕方ない。それでも、何もないよりましだ」

両開きの重い引き戸には、人力でも軽く回して開けられる非常用の開閉装置がついていたはずだが、それは機動ロボたちによって破壊されていた。

壊されたハンドル部分にロープをつないで、それを仲間たちが引いていたが、左右を対称に引かねばならない仕組みで、すぐに引っかかるうえに非常に重たい。

俺とレオンは、言うことを聞くようになった警備ロボ2台に、そのロープをつなげた。

モーターを作動させる。

ピンと張った細いロープを巻き取って、彼らは苦しげなきしみ音をあげた。

「焼き切れなければいいけど」

「俺たちが通れるだけの隙間が開けばいい。それだけでいいんだ」

そのサイズであれば、警備ロボは通れても、機動ロボは通過できない。

半壊されたエントランスホールに、機動ロボが現れた。

「みんなで、警備ロボを守るんだ!」

ジャンの声が響く。

スクールの人間が、一致団結している光景を、初めて見たたような気がした。

血だまりのぬめりが、足を滑らせる。

動き出したとしても、警備ロボでは機動ロボたちの相手にならない。

血液に反応して動こうとしない機動ロボと、酸化の進んだ血液に、禁則を乗り越えて動こうとするロボット、複数体から鳴り響く退避勧告と避難警報が入り交じり、ホールの混乱は最大値を迎えていた。

エントランスに接続する3本の通路のうち、左側の通路を塞いでいた機動ロボの生ける屍が、ぐしゃりと踏みつぶされる。

「ヴォウェン!」

ライド型に変形させた蜘蛛型の機動ロボに乗って、現れたのはヴォウェンだった。

たちこめる血とオイルのにおいに、彼はぐっと眉間にしわを寄せる。

「これ以上被害を拡大させるな。資源の無駄遣いだ」

彼の後ろから、次々と蜘蛛がわき出てくる。

これ以上の抵抗は不可能だ。

扉を開ける警備ロボの機体が、悲鳴をあげた。

その時、ビクリともしていなかった重い扉から、外の光が差し込んだ。

わずか数ミリの隙間から差し込むその光は、希望そのものだった。

「行こう! ルーシー、みんなと一緒に外へ!」

機動ロボからの射線が、扉を開ける警備ロボに向けられる。

仲間の一人が、そこへ飛び込んだ。

切断された体から、血液が噴き出す。

「止まっちゃダメだ!」

レオンが、手動に切り替えた警備ロボの操作パネルを動かす。

「人間を絶対に傷つけない仕組みなんて、そんなもの、この世に本当にあるわけないじゃないか」

扉の隙間が、30㎝を越えた。

「もういい、レオン、外に出るぞ!」

ジャンが叫ぶ。

俺たちは、わずかなその隙間から、一斉に外に飛び出した。

そこに向かって、機動ロボが押しかける。

扉の前を塞いだ蜘蛛たちは、その銃口を人間に向けた。

「あぁ、俺も一回くらい、最後まで生きてみたかったな」

レオンはその身軽さで、ひらりと蜘蛛の上に飛び乗る。

「また最初っから、やり直しだ」

発射された光線が、落下する彼の体を縦に切り裂いた。

どさりとその半分を受け取ったロボットは、緊急停止信号の表示を発して、その全ての機能を停止させる。

扉を塞いだ2機のロボットが、動きを止めた。


第35話

珍しく太陽の光がまぶしい、風のない午後だ。

外に出た俺たちは、草の伸び放題に伸びた広場を駆け抜ける。

俺たちがこじ開けるのに、あれだけ苦労した扉を、ヴォウェンは蜘蛛を使っていとも簡単に開けさせた。

飛び出した俺たちのあとを、追いかけてくる。

目的地なんて、なかった。

外に出たところで、行く先も逃げ場もない。

よく考えてみたら、どうしてこんなに外に出たかったのだろう。

こんなにも天気がいい日は珍しいから、最近外に出ていなかったから、ただ単に外を走りたかったから、それだけだったのかもしれない。

「止まれ、今ならまだ間に合う」

ヴォウェンの声が聞こえる。

間に合うって、何に間に合うんだろう。

機動ロボの発したレーザーが、先頭を走る俺たちの目の前の草をなぎ払った。

ルーシーが転ぶ。

立ち止まった俺の前に、ヴォウェンが迫っていた。

先を走っていたジャンが、それに気づいて戻ってくる。

「立ち止まるな、走れ!」

ジャンは、俺たちに背を向けた。

手にしている強制終了棒なんかで、あの蜘蛛たちにかなうわけがないのに。

蜘蛛は立ち止まった俺たちを追い越して、他の逃げた仲間を追いかけていく。

抵抗しようとするジャンの前で、唯一立ち止まった蜘蛛の上から、ヴォウェンが見下ろした。

「全員を連れ戻せ。大人しく作業を続けさせろ」

ジャンは、持っていた長い警棒を振りかざした。

その先端を、蜘蛛の脚に叩きつける。

ヴォウェンの乗った蜘蛛は、ピクリともしなかった。

ジャンは何度も何度も、振りかざし叩きつけ、電流の装置を流したり引いたりしていた。

スクールの中では一番の腕力を持ち、運動神経も抜群、知的で誰よりも信頼の厚いジャンが、どれだけ華麗な棒術の腕前を見せても、ビクともしない、傷一つつかない。

警備ロボ相手では無敵を誇った彼も、ヴォウェンの前では、全く歯が立たなかった。

「もういい加減分かっただろ」

彼はため息をつく。

「お前を押さえておけば、他も全て言うことを聞くと、思ってたんだがな」

ヴォウェンが、ひらりと蜘蛛の上から飛び降りた。

その落下の速度も利用して、ジャンの頭部を殴りつける。

くるりと体を反転させて繰り出した左足が、ジャンの腹を蹴り上げ、さらに右腕で殴りつける。

よろけた彼の胸ぐらをつかむと、もう一発殴りつけた。

「人間より、機械の方が優しかったな」

倒れたジャンの両肩をつかんで立ち上げさせると、みぞおちへの膝蹴り。

その場に倒れ込んだ彼を、さらに踏みつけた。

「やめろ!」

この人に、力で敵わないのは、分かってる。

どうしたら、勝てるんだろう。どうすれば、勝ったことになるんだろう。

「彼を、放してください」

そう言った俺に、ヴォウェンはふっと笑った。

「スクールの外へ出てどこに行く? この島から抜け出していけるところなんて、どこにもないんだぞ。無駄な抵抗だとは思わないか?」

「思います」

「じゃあ、大人しく戻ってこい」

彼はため息をついて、ジャンの背中から足を下ろした。

ふらふらと立ち上がり、ヴォウェンに向かって拳を振り上げたジャンを、もう一度殴りつけて沈める。



第36話

「これだから、人間相手の仕事はやっかいだ」

ヴォウェンは、俺の後ろに隠れたルーシーに声をかけた。

「ルーシー、戻ってこい。今戻ってくれば、こいつらもお前も、俺が何とかしてやる。この俺がそう言ってるんだ。分かるだろ?」

彼女は、俺の右腕のシャツをぎゅっと握った。泣きそうな顔で、頭を左右に振る。

「お前の名前は、ヘラルドとか言ったな、なんだこれは、法令違反ごっこか」

「違います。そんなつもりじゃなかったんです」

「じゃあなんだ」

その答えは、俺にだって分からない。

「……成り行き、かな」

「その割りには、ずいぶんと高い代償を払うことになったな」

「俺は、そうは思いません」

彼は手袋を締め直しながら、ゆっくりと近づいてくる。

このまま、距離を縮められたら、マズイ気がする。

「動くな」

後ろに下がろうとした俺を、彼は牽制する。

俺は必死で、頭を回転させ言い分けを考える。

「理由なんて、ありません。ただ、そうなっただけです。誰かが文句を言って、不満があって、それをどうにかしたくて、方法が分からなくて」

逃げようと反射的に背を向けた瞬間、俺の足がなぎ払われる。

地面に倒れこんだ背中に、ヴォウェンの片足が乗った。

「ルーシー、こっちに来なさい」

ヴォウェンの声に、彼女は固く握りしめた拳を、胸の前で振るわせている。

「ルーシー、君はとても賢くて勇敢な女の子だ。私は君のそういうところを高く買っている」

背にかかる足の重みが、ぐっと重力を増した。

「君がちゃんとカプセルに入ったら、他のみんなも入ってくれるかな?」

彼女は助けを求めるように、地面に伏せられた俺を見る。

「カプセルに入るのは、絶対にダメだ、ルーシー」

「そんな教育を、どこで受けた。お前たちに、そんな選択をする権利はない。俺もクローンだ。何度も再生をくり返している。記憶を見たければ見ればいい。人は個人の歴史からも学ぶことが出来る」

彼は一つ、息を吐いた。

「今や、オリジナルの人間といえるのは約2千人。そこから絶滅の危機を乗り越えるために、しなければならないことはなんだ。血統管理と手厚い保護。そこから生まれてくるはずの、新しい可能性を、潰さないこと」

もう一度、息を吐く。

「俺たちは、その希望であり、無限にあるはずの可能性なんだ。だから、俺たちは限りなく増殖し、再生をくり返す。新しい、この先の未来のために」

「そんなこと、ルーシーには関係ないだろ」

俺はなんとか立ち上がろうと、腕を突っ張る。

「あんたのそんな、もっともなご高説なんか、俺たちには関係ない」

ふいに背中の重みが取れたと思ったその瞬間、脇腹に激痛が走った。

痛みにうずくまる俺の体に、なんども固い靴底が打ち付ける。

口の中から血の味がして、俺はつばを吐き出した。

地面を駆けてくる足音が聞こえる。

頭上で何かが、激しくぶつかり合う音が響く。

ヴォウェンに殴りかかったジャンが、彼から返り討ちにされていた。

「ジャン!」

俺はそこから抜け出す。

「いいから、さっさと行け! どこまでいけるか知らねぇけど、どっかにはきっと行けるだろ」

ジャンの左頬に強烈な拳が入り、彼の体は、再び地面に投げ出される。

俺は、ルーシーを見上げた。

彼女の方が先に、俺の手を引く。

「ジャン!」

悲痛な叫びが、空に響く。

ヴォウェンの放った弾丸が、彼の体を貫通した。

「いいから、俺たちの分まで、いってくれ」

「止まれ、止まらないと、こいつは死ぬ」

俺は彼女を振り返る。

彼女も俺を振り返った。

走り出した俺たちを、止めるものはもうなにもなかった。

銃声が響く。

ジャンの体から拭きだした血液が、みるまに草地に赤い血だまりを作る。

追いかけようと動き出した蜘蛛を、制止したのはヴォウェンだった。

「放っておけ。追いかけたところで、どうせ止まらない」

彼は走り出した俺たちに向かって、そっとつぶやく。

「俺の判断に、間違いはあっても迷いはないからな」

彼が背を向ける。

俺たちは、走り出した。

走って走って、やがて息が切れてくる。

西に傾き始めた陽の光が、とてもまぶしい。

俺たちの目の前には、底の見えない断崖絶壁、その向こうは広大に広がる、荒れた海だ。

「ルーシー!」

「ヘラルド!」

迷いなんて、何一つない。

俺はそこに飛び込んだ。

彼女も同時に飛び上がる。

俺は笑っていて、彼女も笑っていた。



新しい物語が、はじまった。



【完】


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