見出し画像

終わりに安心する、なんて


わたしは終わりがくると安心する。
みなさんもそうではないかな。例えば死ぬほど嫌いな持久走、嫌々ながらも走って、終わりを迎えるとゼェゼェと肩で息をしながら、心で安心したと思う。

終わりというのは、時には悲しくて、うれしい。その終わりは1つだけ、私の困りごとだ。

それは、”恋愛関係の終わりに安心する”コト。
初めは全く、私にそんな趣味、というか嗜癖、というか。まあそんな感じのものがあるなんて思いもよらなかった。というか、気づかない。

私は高校3年生の夏から、大学2年生の夏までの約2年間
所謂、大恋愛っぽいものをさせてもらった。

2年間、もらったという言い方からもうそれは過去の話だけど、
そんな過去を少しずつ振り返り始めた大学3年生の時に気付いた。


”相手は私のことを本当に好きなわけじゃない”
”きっといつかは私のことを好きじゃなくなる”
”気持ちはずっとは続かない”

そんな考えが、ずっと私の心の奥にあった。
きっかけは何だったんだろう、両親の離婚?父の不倫?母の不倫?高校生の時にフられたこと?―――案外それはどうでもいい。昔に縛られていることには、腹が立つけど。



話が逸れた、けど自分の考えに気が付いてから腑に落ちた。
付き合っていた時、私は彼のことなんて1㎜たりとも、信用していなかった。信頼していなかったのだ。

いつか来る終わりにビクビクおびえて、我慢して、いい彼女でいようとして。でも出来なくて。そんなことが続いて、きっと彼に嫌われちゃうよって予防線を張って。準備が出来たらさあ早く終わりよこい!と唱えて。終わりが来れば、やっぱりね、とつぶやいたんだ。卑怯だね、最低だよ、ほんとにね。


これは、当時の彼以外にも当てはまることで。(ここまで顕著ではなかったけれど)思い返せば、もっと~~な事ばかり、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

いつか、この終わりに安心しなくなる日は来るのかな。来ればいいのにな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?