古き佳きものたち
世の母親にとって、夏休みはちょっとした試練だと思う。仕事をしていても、いなくても。
大人より確実に体温の高いこどもたちが、この暑い季節にウロウロうちの中にいるというだけで、心と身体のペースを乱される。1ヶ月強もの間、毎日昼ご飯やおやつや宿題に心を砕かざるを得ないと思うと、多少げんなりするのも仕方ない。
そんな夏休みがとうとう、我が家にもやってきてしまった。
ところが、今年はどういったわけか私にラッキーの女神が微笑み、夢のような初日からの現実逃避!が与えられた。
というわけで、私は今南国特有の暑くしめった風を感じながら、ナイトプールが売りだという快適なホテルでこれを書いている。昼も夜も人でいっぱいのプールは、流行りの水着でいちゃつくカップルと、ちっとも水に入らずひたすら自撮りしながら本国の友達と会話するアジアのインスタガールたちであふれていて、テンションMAXの小学生女児がそのど真ん中をしぶきをあげながらバタ足で切り裂いていくという、シュールな光景が楽しめる。
旅に出ると、必ず現地の市場を訪れることにしている。
売り手の熱と買い手のワクワクを掛け合わせた空間は、そこにいるだけで元気をもらえるような気がするからだ。自分の足で街を歩き、路地裏に隠れた渋い店を発掘し、活気あふれる市場でこれぞ!と選んだ美味しい物を食べる。これに勝る旅の醍醐味は、なかなかないと思っている。
今回、そんな大好きな場所を再訪しようとぶらぶら街を歩いていたら、ふと辺りの景色が様変わりしていることに気づいた。年季の入ったコンクリートの建物は、どれも老朽化がかなり進み、いくつものロープや柵で囲まれていて、いつ撤去されてもおかしくない状態だった。たどり着いた市場の入口は閉鎖されていて、別の場所で仮設営業中との貼り紙がしてあった。
日本中どこに行ってもよくある光景。
古き佳きものを残そうとする文化はなかなか育たず、歴史ある建造物や文化の要所は簡単に取り壊され、新しくキレイで便利な、でも画一的でつまらない建物へと次々に生まれ変わる。
ここにも、近代化の波が押し寄せてきていた。ひとつの歴史が葬り去られて行こうとしている。
単に加齢によるノスタルジー、なのだろうか。
長い年月をかけてそこに溶け込み、何代にもわたって愛されていくような街づくりがなぜこの国では叶わないのだろう。
新しく建てられた仮設の市場は、涼しく清潔で明るい場所に生まれ変わっていた。お店の人たちは変わらず適度にフレンドリーかつマイペースに自分たちの日常を過ごしているように見える。店番をしながら横目で傍らのテレビに映る高校野球に釘付けのおばあは、この切り取られた空間でなにを思うのだろう。
次にもしここを訪れることができたとしても、今度は仮設店舗から正規の建物に移転して、同じような薄っぺらい壁に囲まれてまた新しい時間が流れているのだろう。たとえ場所やハコが変わっても、ここに暮らす人々の営みが変わらず続く限り、古き佳きものは形を変えて生き続ける。
もう写真でしか見ることができなくなったあの古い市場は、それを知る人々の心の中にいつまでも色あせずに残っていると信じたい。
少しセンチメンタルな気持ちを抱えて画面をスクロールする私に、画像の片隅から古びた看板が『なんくるないさ』と語りかけてきた。
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